四十七・四十八、言偃
□言偃
47.
言偃,呉人,字子游。少孔子四十五歳。
48.
子游既已受業,爲武城宰。孔子過,聞弦歌之聲。孔子莞爾而笑曰:「割鷄焉用牛刀?」子游曰:「昔者偃聞諸夫子曰,君子學道則愛人,小人學道則易使。」孔子曰:「二三子,偃之言是也。前言戲之耳。」孔子以爲子游習於文學。
(訳)
言偃は呉の人、字を子遊。
孔子より四十五歳年少であった。
子遊は学業を受けたあと
武城の宰となった。
孔子が通り過ぎた際に
弦歌の声が聞こえてきた。
孔子は莞爾(にっこり笑う)して言った。
「鶏を割くのにどうして牛刀を用いるのだ?」
子遊は言った。
「昔、偃は諸夫子(先生)が
〝君子が道を学べば則ち人を愛す、
小人が道を学べば則ち使い易くなる〟
と仰っているのを聞いておりました」
孔子は言った。
「ニ、三子、
偃の言う事は是であるぞ。
先程の言葉は戯れにすぎない」
孔子は子遊が文学に習熟しているとみなした。
(註釈)
史記集解。
【言偃は呉の人】
〈索隠家語云魯人按偃仕魯為武城宰耳今呉郡有言偃冡盖呉郡人為是〉
索隠によると、「家語」では
(呉の人ではなく)魯の人。
言偃をしらべるに
「魯に仕えて武城の宰になった」
とあるのみ(?)
今は呉郡に言偃の冡盖(墓)があるので
呉郡の人というのも間違ってはいない。
【子遊は学業を受けたあと武城の宰となった】
〈正義括地志云在兖州即南城也輿地志云南武城縣魯武邑城子游為宰者也在奉山郡〉
「正義」によると、括地志にいう、
「兗州に即ち南城がある」
輿地志にいう、
「南武城県は魯の武邑城、
子遊が宰となった(地で)、
泰山郡にある」
羊祜伝だと、
泰山の南武陽、牟、南城、梁父、平陽の
五県を南城郡として(羊祜の封地にした)
って言ってたね。
【孔子は莞爾して言った】
〈集解何晏曰莞爾小笑貌〉
何晏はいう、
「莞爾とは、すこし笑った貌のこと」
【鶏を割くのに焉んぞ牛刀を用いんや?】
〈集解孔安國曰言治小何湏用大道〉
孔安国はいう、
「小さなものを治めるのに
なぜ大きな道を適用する必要があるのか、
という意味である」
【君子が道を学べば則ち人を愛す】
【小人が道を学べば則ち使い易くなる】
〈集解孔安國曰道謂禮樂也樂以和人人和則易使〉
「道とは、礼楽の事を謂う。
以て人を和するを楽しみ
(楽を以て人を和する?)
人が和すれば則ち、使い易くなる」
【ニ三子】
〈集解孔安國曰從行者〉
孔安国はいう、
「從行(従ってきた)者のこと」
【先程の言葉は戯れにすぎない】
〈集解孔安國曰戯以治小而用大〉
孔安国はいう、
「小を治めるに大を用いる=戯れ」
弦歌の声=礼楽=大道→鶏と牛刀
って流れになるのね。
鶏と牛刀の有名なフレーズは
演義の5回で、反董卓連合軍に対して
呂布が出陣しようとした時に
華雄が進み出て言ったりしている。
ここでは、諸侯の如き小敵に
重役(呂布)がわざわざ出る程じゃない
って感じのニュアンス。
陳寿が蜀書十四の評でも
似たような事を言っている。




