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淡々史記  作者: ンバ
第六十六、伍子胥列伝
210/274

十八、滅亡秒読み

18.

其後四年,吳王將北伐齊,越王句踐用子貢之謀,乃率其眾以助吳,而重寶以獻遺太宰嚭。太宰嚭既數受越賂,其愛信越殊甚,日夜為言於吳王。吳王信用嚭之計。伍子胥諫曰:「夫越,腹心之病,今信其浮辭詐偽而貪齊。破齊,譬猶石田,無所用之。且盤庚之誥曰:『有顛越不恭,劓殄滅之,俾無遺育,無使易種于茲邑。』此商之所以興。願王釋齊而先越;若不然,後將悔之無及。」而吳王不聽,使子胥於齊。子胥臨行,謂其子曰:「吾數諫王,王不用,吾今見吳之亡矣。汝與吳俱亡,無益也。」乃屬其子於齊鮑牧,而還報吳。

(訳)

その四年後、

呉王が北のかた斉を撃とうとすると

越王句践は子貢しこうの謀を用い、

かくてその部衆を率いる事で呉を補助し

重いぬさを太宰の伯嚭に献じた、


太宰の伯嚭は既に

何度か越からのまいないを受け取っていたため

彼の越に対する信愛は

実に甚だしきものとなっており、

日夜呉王に上言する程であった。


呉王は伯嚭の計を信用していたが、

伍子胥は諫めて言った。


「そもそも越は腹心の病であります。

今、その浮辞や虚偽を信じて

斉を貪っておられますが、

斉を破ったとて、たとえるなら

石ころの田畑のようなもので

これに用いる所などはございません。


且つ、盤庚ばんこうの誥にはこうあります。


〝※顛越し、恭敬でない者があれば

(※道理を踏み外すこと)

鼻を削いでこれを殄滅し、

遺育させず、このむらに蔓延させぬようにせよ〟


これこそ、商(殷)の興隆したゆえんであります。


どうか王には斉の事を捨て置いて

越の事を優先されますよう

お願い申し上げます。

さもなくば、後から悔やんでも及びませぬぞ」


しかし、呉王は聴き入れずに

伍子胥を斉へと遣わした。


出立に臨んで、伍子胥は

自身の子に向かってこう言った。


「吾は何度も王をお諫めしたが、

王は用いてくださらぬ、

吾は今、呉の滅亡する様を

見届けているのだな。


汝が呉と倶に亡びるのは

益のない事だ」


かくて、その子供を

斉の鮑牧ほうぼくに嘱託すると、

帰って呉に報告した。


(註釈)

伯嚭に賄賂を送る越王勾践。

韜晦の徹底っぷりがすごい、

はじめから見抜いてる伍子胥もすごい。


伍子胥は勾践を滅ぼすように

何度も何度も諌めた。

この時に彼が盤庚ばんこうから引用した

顛越不恭、の文句も四字熟語。

要は、トチ狂ってるって意味ですね。

奸賊を蔓延はびこらせたらあかんぜよ、と。


ところが夫差は、伍子胥の諫言を

「年寄りのたわごとが」

くらいにしか思っていなさそうで、

全く聞く耳を持たない。


このままでは、呉が滅ぶのも

時間の問題であると考えた伍子胥は

愛息を斉の鮑牧ほうぼくの手に委ねた。


この鮑牧、管仲のマブダチだった

あの鮑叔ほうしゅくの子孫だそうです。


奸臣・費無忌の讒言から

すべてが始まった伍子胥伝、

そんな彼も今また讒言に倒れようとしている。


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