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聶政 七、死してなお名を残す
16.
晉、楚、齊、衛聞之,皆曰:「非獨政能也,乃其姊亦烈女也。鄉使政誠知其姊無濡忍之志,不重暴骸之難,必絕險千里以列其名,姊弟俱僇於韓市者,亦未必敢以身許嚴仲子也。嚴仲子亦可謂知人能得士矣!」
其後二百二十餘年秦有荊軻之事。
(訳)
晉、楚、斉、衛の人々は
事の顛末を聞くと、皆このように述べた。
「聶政ひとりで事を成し遂げたのではない。
その姉も、また烈女であったのだ。
もしも聶政が、姉に柔順・忍耐の意志無く、
重ねて骸を曝される事を苦難と思わず、
必ずや千里の険を越えてその名を列ね、
姉弟倶に韓の市に辱しめられると知っていれば
絶対に厳仲子に身を捧げなかった筈だ。
厳仲子もまた、人をよく見極め
烈士を得る事が出来たと謂えよう」
その二百二十年あまりのち、
秦にて荊軻の事件が起こったのである。
(註釈)
首謀者が厳仲子だと
諸国に知れ渡っちゃってますが
聶政と聶栄、実に立派な人たちでした。
次回、刺客列伝のトリを務めるのは
始皇帝を暗殺しようとした荊軻です。




