第57話 優秀な奥さん
夜。
閉店後のお店。
僕は接客でぐったりしているイフリースやメイド妖精たちにヒールを唱えた。
「ヒールヒールヒール」
「んぁ……ありがと」「気持ち良しです~」「のど越し爽やかにゃ」
「ううん、こっちこそ。お店手伝ってくれて助かってるよ」
棚に白い布をかけていたリノが振り返った。
「開店セールは今日でおしまいですっ。明日からは普通の値段で売ろうと思います」
「定価に戻すんだね」
「いえ、売ってて思いました。人気商品は1~2割高く売ろうと思います。ラースさん、いいですか?」
「売値のことはよくわからないから任せるけど……人気商品なんてあったんだ?」
僕が尋ねると、リノは金髪を元気よく揺らして頷いた。
「はい! だいたい15万~120万ぐらいまでの、初心者を脱した人たちが次に使う中級装備が人気でしたっ」
「なるほど。この街は初心者が多いもんね。一つ上の装備が欲しくなるってわけかぁ」
「逆に800万ゴートもする上級者向けの両手剣は売れませんでしたから。あれはもう、壁の高いところに飾ってしまおうかと」
なるほど。
よく他の店でも高級品を壁の高いところに飾っていたけど、あれは自慢したいからじゃなくて邪魔だったからなんだ。
「高すぎる品物はそれがいいね。邪魔だし」
「はいっ。いっそ天井にかざっちゃってもいいかもしれません」
リノが天井を見上げながら言った。
「さすがにそれは、見せてって言われたとき大変じゃない?」
「クーちゃんやケトちゃんがいるから、大丈夫ですよ? 壁も天井も普通に歩き回りますし」
「なるほど。便利だ」
3~4頭身の小さなメイド妖精たちは、家中を普通に歩き回ることができる。
奥の厨房なんかは、天井に低いテーブルを置いて三人でお茶を飲んでいることがあった。
こっちの足がひっくり返りそうな気持ちになる。
すると奥を仕切る布を持ち上げて、犬耳メイドのクーシーが顔をのぞかせた。
「みなさん、ご飯できたですわん」
「わぁ、ありがと」「ありがとう、助かりました」「よっしゃー、食べよ食べよ」
僕らはぞろぞろと奥へ向かう。
そして出来立てのおいしい夕食を食べたのだった。
◇ ◇ ◇
夜の寝室。
僕がお風呂から上がって部屋に入って来ると、リノは天蓋付きのベッドで先に寝ころんでいた。
眉間に可愛いしわを寄せて天蓋を睨んでうんうん唸っている。
僕は首を傾げつつ隣に滑り込んだ。
「どうかしたの、リノ? 食べすぎ?」
「違いますっ。そんなに食べてませんてばっ!」
「もっといっぱい食べてくれていいのに……ふっくらすればするほど可愛くなってきたのに」
僕の言葉に、リノが頬を染めて慌てだす。
「か、可愛いなんて言わないでくださいっ。ラースさんに釣り合う妻になりたいんですっ」
「それなら、なおさら食べてもらわないと。もっとこう、貫禄が出るぐらいに」
「何言うんですかっ! 樽みたいに太ったら嫌になりますって」
僕はまん丸に太ったリノを想像した。
胸や腰より腹が出たリノ。頬もきっと丸くなる。
――でも。
「う~ん。コロコロして可愛いよ?」
「はぁ~んもう。ラースさんってば、あたしのこと好きすぎです……」
ベッドに横たわるリノから、ふにゃっと力が抜けた。枕の上に金髪が扇のように広がる。
僕は、ふっと頬笑みを浮かべてリノの頭を撫でた。
「当たり前じゃないか。どんな姿になっても、僕はリノが好きだよ」
「はう……あ、あたしもです」
撫でられて気持ちよさそうに目を細めていたリノが、そっと僕に寄り添ってくる。
花のような香りがふわっと漂った。
優しく抱いて頭や背中を撫でつつ、ふと疑問を思い出す。
「そう言えば、さっき何を唸っていたの?」
「え? ――ああ、あの王女さまがちょっとおかしいなって」
「ちっちゃくて偉そうで。変わった人だったよね」
リノが緩く首を振った。青い瞳で僕を見る。
「いえ、そうではなくて。お供の数が少ないなって。ここへ来るのに、馬車に乗っていませんでしたし」
「そうなの?」
「はい。普通、王様や貴族様はみんな馬車を何台も連ねて、護衛もたくさんいます。なんで二人しかいないんだろうって」
「そういうものなんだ……見たことないから知らなかった」
村に偉い人が来ることなんてなかったので初耳だった。
寄り添うリノが、コクっと頷く。流れる金髪が肌に触れてくすぐったい。
「見た感じ、ドレスも鎖も戦闘に対して実用性のある品だと感じました。ダンジョンに遊びに来ただけなのかと思いましたけど、何か事情があるのかもしれないですね」
「なんだろうね。僕にはわからないや……あ、でも。教会やお姉さんを信用してないって」
「そのお姉さんには、ラースさんのヒールを見せない方がいいかもです」
「……リノもそう考えるんだ」
「ラースさんの恩人なのは知っています。でも、心配なんですっ」
リノは眉を寄せると、青い瞳にうっすらと涙を浮かべて訴えてきた。
僕を案じる真摯な言葉に、頷くしかない。
「……わかった。一番大切なリノの言う通りにするよ」
「ありがとうございます、ラースさんっ」
リノがぎゅっと抱き着いてきた。
僕は優しく撫でつつ金髪に顔をうずめる。
「さ、明日は早いからもう寝よう」
「はい……あ、王女さまに指輪の代金もらいました?」
「あ……! 忘れてた……ごめんっ、どうしよ……」
お店してるのにお金を貰い忘れるなんて!
明日言えばいいかな、でも……と僕は不安になった。
けれどなぜか、リノは何でもないような笑顔になると軽やかな声で笑った。
「あははっ。ごたごたしてましたもんね~、しかたないですよ。――それじゃあ、請求書を発行しちゃいましょう」
「せーきゅーしょ?」
「はいっ。品物を先渡しにして、代金をあとから請求するんです。そういう書式が決まってるんですよ?」
「そ、そうなんだ……知らなかった」
僕は愕然としつつ、頷くしかなかった。
村では物々交換がほとんどだったため、そんな仕組みがあるなんて初耳だったから。
リノは青い瞳を知的に光らせて言う。
「代金が金貨数万枚とかの大きな取引になったら、すぐには用意できませんし。月末まとめてツケ払い、なんてのもあります」
「なるほど~村と違って、そんなのがあったんだ。リノって詳しいね」
「スラムといっても街暮らしですし。廃品屋のおばあさんをちょこちょこ手伝わせてもらったりしてましたから」
そう言ってリノは白い歯を見せて笑った。頼もしい笑みだった。
なんだか腕の中にいる小さなリノが、とても大きく感じる。
――やっぱり、リノがいてくれてよかった。本当に良かった。
僕一人じゃ店の経営なんて絶対無理だった。
僕は横向きになってしっかりとリノを両腕で抱きしめる。
ふわふわの金髪に顔をうずめながら言った。
「ありがとう、リノ。君がいてくれなかったら僕はやっぱり山で一人、自給自足の暮らしだったよ」
「えへへ……っ。ラースさんのお役に立ててうれしいですっ――指輪の代金はいくらにしますか?」
「あ~、どうだろう。4000万から1億3000万カルスだっけ? プリティアはどれぐらいの価格と思って、持ってたんだろう……」
僕が首をかしげて少し悩むと、リノが頬擦りしながら提案してきた。
「だったら明日使ってるところを見てから、どれぐらいにするか決めてもいいかも?」
「その手があったかぁ。さすがリノだね、ありがと。……ほんと、僕にとってお姫様どころか幸運の女神さまだよ」
いとおしい気持ちがこみあげて、抱きしめながら思わず額にキスをした。
リノはびっくりして頬を染めると、上目遣いで僕を見る。
「ひゃん――ラースさんったらっ。明日は早いんですから、寝ましょ?」
「うんっ。おやすみ、リノ」
「おやすみなさい、ラースさん」
月明かりの差す中、僕らは抱き合って眠った。
心地よい安らぎが抱き合うリノから伝わってくる。
――リノさえいてくれたら、十年後も百年後も、僕はきっと大丈夫。
そう思ったら今日の疲れがほどけるように癒されて、僕は眠りへと落ちていった。
◇ ◇ ◇
夜の宿屋。
ベッドやテーブルのほか、バルコニーまである広い個室にて。
僧侶の服を着たアイラが青い髪を揺らしてテーブルに座った。
ページを開いてテーブルに置くと、手を添えた。手と本から淡い光が放たれる。
すると本から声がした。声に合わせて光が増減する。
「順調か?」
「はい、対象に接触しました。明日より聖人判定をおこなっていきます」
「ふむ。久しぶりに会った感じはどうだ? 何か思い出したか?」
「……記憶にありません。向こうは覚えているようでしたが」
「そうかそうか。それはよか――いや、よくないか。くれぐれも疑われぬようにな」
「はい、司教様」
アイラは本から手を離した。
光が消えてただの本に戻る。声も聞こえなくなった。
深い溜息を吐くと顔を手で覆う。青い髪が頬を隠すように垂れた。
「私は聖女。私こそが真の聖女。私の地位を脅かす者は、誰であろうと許さない……誰だか知らないけど、邪魔になれば消せばいいのよ。ふふっ」
アイラは狂信的な笑みを浮かべてぶつぶつ呟いていたが、ふといつもの優しい笑みに戻るとベッドに入って寝た。
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