第37話 ダンジョンがおかしい
僕とミーニャはダンジョン地下十階を進んでいた。
石造りの床や壁の通路を歩く。
そして大きな扉の前まできた。
ミーニャが思いつめた表情で扉を見ている。
「ん、ここ」
僕は、ごくりとつばを飲み込む。
「ミノタウロスのいる部屋……もしいたら、お願いね」
「任せて」
ミーニャはドアノブをしなやかな手で握ると、颯爽と開いた。
そして部屋の中へ乗り込む
室内には人の背丈の二倍もある、二足歩行の牛がいた。巨大なハンマーを持っている。
――いた! ダンジョンマスターのミノタウロスだ!
闖入した僕らを見て牛が鳴く。
「ぶもっ?」
「参る――」
ミーニャが赤い着物を揺らしつつ突進した。赤い帯が後ろになびく。
そして豪快な戦闘が始まった。
牛がハンマーを振るい、ミーニャが残像を駆使して避ける。
僕は入り口付近に陣取って、ナイフを構えつつ見守っていた。
ミーニャの双剣が、じわじわとミノタウロスの皮膚を削っていく。
ミノタウロスは大ぶりな攻撃を繰り返すものの、ミーニャは平然とした表情で紙一重でかわしていく。
随分と余裕がありそうなのが見ててわかる。
ふとダンジョンマスター用の手裏剣を使おうかと思った。
でもミーニャは無表情で余裕だし、耳や尻尾がひこひこと楽しそうに動いてるし。
手出ししないほうがいいかな?
一応、いつでも手裏剣はマジックバッグから取り出せるように手を添えていた。
けれど、観戦している状況では、やっぱり必要なさそうだった。
――このまま楽勝ペースかな?
そう思ったとき、ミノタウロスが両手で持っていたハンマーの片手を離して殴ってきた。
ミーニャは細い体をしなやかに動かして、半身でかわす。
だが、ミノタウロスは牛の顔でニヤリと笑うと、ハンマーを片手で振るった。
ほぼ同時攻撃になる。
――フェイントだッ! まさかあの巨大ハンマーを片手で扱えるなんて!
ミーニャはのけぞってかわすものの、ハンマーがかすめて着物が破れた。
ツンとした形の良い胸を晒しつつ、僕へと駆け寄って来る。
その間にも、残像がミノタウロスを攻撃していた。
傍へ来たミーニャが落ち着いた声で言う。
「ラース、治して」
「う、うん――ヒールヒール」
彼女に触れる手が光りを発し、ミーニャの身体と服が一瞬にして再生する。
ミーニャは確かめるように小さくうなずくと、また戦いに舞い戻っていった。
その後も戦いは続き――。
最後には、ミーニャが軽やかに飛び上がると、白と黒の曲刀を鋏のように重ねて、ミノタウロスの首を背後から狙った。
――ザシュッ!
切断された牛の首が天井近くまで飛んでから床を転がり、首元からは天井を濡らすほどの鮮血がほとばしった。
そのまま巨体は前のめりに倒れる。
ミーニャは剣を振って赤い血を払うと、優雅な仕草で鞘に納めた。
すらっとした脚を伸ばすように立つ。猫のようなしなやかさを感じるポーズが美しかった。
「終わり。余裕だった」
「す、すごいね、ミーニャ。本当に一人で倒すなんて」
「ラースのおかげ」
「いや、見てただけだし。意味わからないよ」
僕の弁解に、ミーニャは「ふんっ」と鼻で笑うだけだった。
ミノタウロスを倒したので、ドロップ品を漁る。
「えっと、角とハンマーを手に入れて、あとは魔核っと……うはぁ、すごく大きな魔核」
心臓の傍にある魔核を取り出すと、手のひらぐらいの大きさがあった。
ミーニャに魔核を見せる。
「見て、すごい大きさだよ? 1万カルスぐらいになりそう」
「もっと高い。本来はパーティーで倒すボスモンスターだから」
「そうなんだ。やっぱミーニャって強いね」
「当然」
いつもと変わらない無表情と淡々とした声だったが、ふふんっと鼻息は荒かった。
僕はドロップアイテムを回収して全部バッグに入れた。
立ち上がりつつ気軽に言う。
「じゃあ帰ろう、ミーニャ」
「ん」
「でも、倒さなくても良かったかもね」
「なぜ?」
「ダンジョンマスターがいる活発なダンジョンでも、ゴミって回収されないんだなーって。てっきり宝箱の材料として回収されるのかと思ってた」
――まあ、おかげでゴミが沢山拾えたから嬉しいけど。
本当によかった……ん?
僕の言葉に、ミーニャの動きがピタッと止まっていた。
ゆっくりと振り返りつつ、大きな黒い瞳で部屋を見ていく。
「……ミーニャ?」
ミーニャは僕の呼びかけを無視して、険しい目つきで広い部屋を見ていった。
激しい戦いのあとの広間は、柱が折れたり床が削れたりしていた。
黒くて長い尻尾をゆらりと動かして呟く。
「この部屋、おかしい」
「え? どこが?」
「ボスも、おかしい。宝箱から高級品が出た割には弱すぎる」
「そうなんだ? でもミーニャが強すぎただけの可能性も……」
ミーニャは尖った猫耳を警戒するようにピピっと激しく動かしつつ、張り詰めた表情で部屋の床や壁を調べ始める。
しばらくして。
奥の壁にあった祭壇を横にずらすと、地下へと降りる階段が現れた。
僕は驚いて尋ねる。
「えっ!? 地下十階が最下層じゃなかったの!?」
「前はそうだった。でも、今は……」
ミーニャは眉間にしわを寄せて、ミノタウロスの死体があった辺りを見下ろす。
「ここのミノタウロスは、フェイク」
「嘘だってこと!? はっ? まさか! ――もっと強いダンジョンマスターが生まれていて、それを隠してるってこと!?」
「……たぶん、そう」
ミーニャが赤い唇をかみしめた。悔しいのかもしれない。
「じゃあ、ボスはどこに? このさらに地下?」
「それなら隠す必要ない……ん、やられた」
「どうしたの?」
「さすがラース。私は気付かなかった。さっき言ったこと――ダンジョンマスターがいるのにダンジョンが機能していない……それは外に出てるから。たぶん上級種や進化種、最下層の魔物を連れて」
「え!?」
「おそらく上級のミノタウロス。ジェネラルミノタウロスやキングミノタウロス。強い奴と一騎打ちできる場所へ移動している」
「それってつまり――っ!? 街に向かったってこと!?」
ミーニャが黒髪を揺らして頷いた。
「そう思う。もしくは、もう街に入り込んでる」
「だったら、街が危ない! みんなが、リノが――ッ!」
「急いで帰る」
ミーニャが赤い着物の裾を翻して出口へと駆け出した。
僕も焦りつつ、彼女の後を追って走った。
◇ ◇ ◇
日が沈み、黄昏時の薄暗い街。
仕事を終えた人々が大通りを楽し気に行き交っていた。
街の外れのラース良品店も、そろそろ店じまいの支度を始めていた。
リノが陳列棚や、ガラスケースのカウンターに白い布をかぶせていく。
彼女の可愛らしい顔には、こらえきれない笑みが浮かんでいた。
それもそのはず。
午前中は客が0人で意気消沈したが、午後からは武器や防具がそこそこ売れた。
結果、一日で70万カルスも稼いでいた。
白い頬を緩ませつつ、喜びを滲ませて笑う。
「初日にしては十分な売り上げですっ。――ラースさんの役に立てそうでよかったぁっ」
――と。
ドォンッ!
突然、店の裏から音が響いた。
はっと身を固くしたリノは、金髪を揺らしつつ奥へと駆け出す。
「な、なんですかっ? ――イフリースさんがまた何かしたのかな!?」
店を仕切る垂れ幕を超えて、一番奥の厨房へ入る。
しかし何の変化もない。
不思議に思って厨房横の、裏口傍にある窓から外を見る。
すると、赤髪を逆立てたイフリースが大きな影と対峙していた。
「あんた、ただ者じゃないわね?」
巨大な影が身を震わせつつ低い声を響かせる。
「ふっふっふっ……強い奴らから戦っていく。楽しませてもらうぞ!」
小さな窓から覗いていたリノが、赤い唇を震わせて呟く。
「あ、あれは……ミノタウロスロードッ! ――いや、それ以上? まさか、エンシェントミノタウロス!?」
Sランク級ボスモンスターであるミノタウロスロードを超える存在――それがSランク級レイドモンスター、エンシェントミノタウロス。
Sランク級冒険者1パーティーで対処できるのはロードまで。数パーティーは集めないと倒せない相手。
当然、一つの冒険者ギルドにSランクがそんなにいるわけがなく。
国家規模の大災害だった。
リノの小さな悲鳴は、イフリースの燃え盛る怒号にかき消される。
「楽しむのはアタシの方よ! でくのぼうよ、喰らいなさい! ――【紅蓮業火】!」
イフリースの突き出した右手から、真っ赤に燃え盛る炎が蛇のように、灼熱の熱気と共に放たれた。
――ドゴォォンッ!
光と熱波が嵐のように荒れ狂った。
リノは直視していられず、顔を引っ込める。
そして、厨房の隅で小さな膝を抱えてうずくまった。
小柄な全身を震わせつつ、泣きそうに顔をゆがめて呟く。
「――そ、そんな……あたしとラースさんの店がっ、あたしたちの未来が、壊れちゃうッ! いやぁ……、やだぁ……っ! 失いたくないっ――ラースさん、助けてぇっ!」
清らかな涙を散らしつつ発された小さく悲痛な叫びは、建物のすぐ横で始まった戦いの激しい音にかき消された。
それだけではなかった。
街のあちこちから、争う音が巻き起こった。
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