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移民の歌  作者: 四里孔幾良
3/4

移民の歌 三話

練習作品第三話。

犯人も無事逮捕できたところで、ちょっと過去を振り返ります。

 フランス国家警察特別介(R A I D)入部隊の隊員は、フランス全土で300名に満たない。いきおい、選抜試験は「超」(Très)のつく難関となっている。

 まず下積みとして、最低60ヶ月間の警察官としての現場勤務経験が求められ、基礎体力、持久力、瞬発力に膂力、買収されない清廉さと心の強さ、外国語能力に交渉力、しまいにはどこでも眠れる能力まで判断の対象となる。


 おれの場合は、上司からの推薦状を得るまでにかかった期間は、60ヶ月では済まなかった。出生地がフランス本土どころか、旧植民地やフランス語圏ですらなく、完全なアウトサイダーの移民1世だったせいだ。

 そもそも、おれの同郷者で警官になった者自体、数えるほどしかいない。『完璧なフランス語をしゃべれること』、というあまりに高いハードルを見事飛び越え、第一号となった先駆者はどれほど苦労したことか、と思う。


 そもそも、おれがなんで警官を目指したか、といえば、だ。

 同郷の連中の移民先での評判が、フランスのみならず、なんというか地球規模でどうにもよろしくなかったのが最大の要因だ。

 言葉は覚えない、協調性はない、犯罪は犯す、ルールを覚えない、勝手に増える、一方で福祉にたかりたいだけたかる。

 アジアの方にも似たようなのがいて、数だけならおれたちは彼らに比べればずっと少ないのだが、彼らは金を持っていて、それを移民先で落としてまわっている、という点で大きく異なっていた。貢献度というソースが硬くて臭い肉を食えるようにしているわけだ。


 で、まあ、なんだ。

 おれはそういう『金も落とさねえし、クソみてえなことばっかしやがる』という評判を漏れ聞くたびに、とてもとても不愉快に思っていて、そいつをなんとかできねえかなあ……と思っていたわけだ。

 だから正義の味方をめざした。どうだ、わかりやすいだろう。


 おれはフランスの地を踏むと、まっしぐらに移民局に向かい、フランス語講習と労働訓練のコースを迷わず受講した。

 アルファベットで自分の名前を書くのに四苦八苦したのが我ながら情けなく(よくもまあ、26文字すら書けないような奴を受け入れてくれたものだと思う。まったくもってVIVA LA FRAN(移民政策万歳)CEだ)、まずはフランス語を覚えようと、朝も夜もなく没頭したものだ。

 あのころは同郷者と出会ってもフランス語でしかしゃべらなかったので、ずいぶん嫌われたし、しまいには友達まで失った。あれはちょっとやりすぎたな、と今では反省している。

 そして何年か働いて永住権と市民権を取り、「正義の味方」であるところの警察官採用試験を受けた──申請書類を出したときの、受付のおばはんの顔ときたら!──。紆余曲折があったかどうかは知らないが無事に合格し、青いシャツの胸のボタンを苦労して止め、でかい図体をパトカーに押し込み、暑い日も寒い日も、朝も夜中も町中を走り回り、麻薬の売人や売春婦のポン引きを見つけてはいい大人が小便を漏らすまで締め上げ……不法移民をみつけては、強制送還用のバンに放り込んだ。


 そんな木っ端仕事を休みもなく続け(有給休暇を使わないと法律違反になる、というのは怒られて初めて知った)、二桁の表彰状と特別評定を受け、指折り数えて60ヶ月目。

 おれはRAIDの入隊意志があることを上司に告げ、推薦状にサインをお願いした。

 10日経っても、20日経っても、申請書には一文字も書き加えられることもなく、上司の机のすみっこで放置され続けていた。


 おれは聞いた。どういうことです。

 上司は答えた。鏡を見て物を言え。


 その時は意味がわからなかった。顔が怖い、というのは言われ慣れていたが(子供に泣かれた回数? いちいち覚えていられない程だよ!)、柔和な表情を練習しなければならないのか、と少し悩んだ。

 「鏡」云々の意味がわかったのは、おれに遅れてRAIDの入隊志願申請書を出した同僚に、あっさりと推薦状が出されたことを知ったときだった。


 そいつはおれよりは年下で、パトロールでは別の同僚と二人一組(バディ)を組んでいるので、これといって接点はなかった。決して無能ではない男だが、少なくともおれよりも表彰状の数は少なく、能力的に負けているとは思っていなかった。

 ただ、人当たりの非常によい男だったので、やはり俺の顔が怖いのがいかんのかな、と思い、勤務後に偶然を装って、バーで一杯やっていたその同僚に聞いてみたのだ。

 おれは君と違ってRAIDへの推薦状を書いてもらえなかったんだ、何が足りないんだろう。


 その日、おれはふたつのことを学んだ。

 ひとつめは、人は酒を飲んでいる時、本音を隠せなくなる、ということ。


 『自分の肌の色を見てからほざけよ、移民野郎。調子コイてんじゃねえよ』


 ふたつめは、同僚を殴ると出世が遅れる、ということだ。


 翌日、おれはフランス警察に入ってからはじめて始末書を書き、減俸処分を受けた。

 同僚への暴力と、市民の私有財産の破壊──バーテーブルとピンボールマシン──は評定にひどく響き、結局おれが推薦状にサインを貰えたのは、その上司が異動したあとのことだった。


= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =


 RAID候補生訓練校にいたのは、300日にちょっと足らない短期間に過ぎない。

 だが、おれの一生であれほど密度の濃い日々は他になかった。


 訓練所入所許可の書類をふところに忍ばせ、口の悪い連中が「ナチの色違い」と呼ぶ制服と制帽に身を包み、手鏡代わりに使えるほど限界まで磨き上げた革靴で訓練所正門に立ったときの感動は、今も忘れることができない。

 あの日の胸の高鳴りと、おれはとうとうここまで来たぞ!という高揚感に比べれば、他の入校生がおれの『悪魔も逃げ出す笑顔』を見てギョッとしていたことなど、とるにたらないエピソードに過ぎない。

 訓練所長の挨拶の後、ごく少数の同期入校生同士での自己紹介の時間となった際、その訓練生の誰かが

 「文明人の言葉(フランス語)しゃべれんのかよ」

 「Où sont les toi(トイレはどこですか)lettes? とか教えてやれよ、漏らしちまうぜ」

などとクスクス陰口を叩いていたことも、やはり取るに足りないことに過ぎなかった。


 なぜって、おれはここにティータイムを楽しみにではなく、悪党の殺し方を学ぶために来ていたのだ。

 あのバーの夜、おれは「馬鹿を相手にすると人生を無駄にする」、という3つ目の教訓も学んでいた。


 訓練所に来る直前のことだが、おれはケーブルテレビで映画を3本ばかり見ていた。


 有色人種は軍艦の調理係にしかなれなかった頃、アメリカ海軍ではじめて潜水士の養成校に入り、マスターダイバーの称号を得た黒人兵の物語。

 ダイバー学校への入校申請書類を何度出しても肌の色を理由に黙殺され続け、それでも何十回も申請し続け、最終試験の日に一命に関わるような嫌がらせをされても負けなかった主人公の姿を先に見ていれば、推薦状のサイン依頼をほんの数ヶ月無視された程度で鬱屈し、バーで同僚を殴るような軽挙妄動はしなかっただろうなあ……と、心から後悔したものだ。


 腐敗しきったブラジル・リオデジャネイロ州警察で、BOPE[Batalhão de Operações Policiais Especiais]と呼ばれる特殊部隊に入った二人の若者と、その指揮官の物語。

 汚職がバレそうになったかつての上司が、その職場から逃げるために特殊部隊訓練所に転がり込んでいたが、訓練初日の深夜に教官から受けた精神攻撃(しごき)に耐えかねて、またしても逃げ出したざまを見て、断じておれは逃げんぞ、という思いを強くした。


 そして3本目は、ベトナム戦争時代のアメリカ海兵隊の新兵たちを描いた映画だった。

 あの映画では訓練所に入った初日、どの候補生も髪の毛を強制的に丸刈りにされていた。

 まあ、RAIDの訓練所ではそういうことはなかったのだが──髪型規定がない、とは言っていない。念の為──、もしあったとしても俺は無関係だったろう。

 何故なら、俺の頭皮には生まれつき、髪というものが生えていない。


 RAIDの訓練は苛酷(かこく)を極めた。

 一応、おれはフランス警察の養成所、およびその後の実地勤務で、『一般の警官に必要とされるスキル』は身につけ、磨いたはずだ。

 しかしこの訓練所では、そんな物はクソほどの価値もないことを思い知らされた。誰かの例えを借りるなら、特殊部隊で一般警官の経験を語るというのは、ミシュランの三ツ星レストランの厨房で「ぼくは殻をボウルに落とさずに卵を割れます」と言っているのに近い……というわけだ。

 『警官』の訓練だと思っていたのに、12.7mmの対物狙撃銃を担いで輸送機からパラシュート降下をさせられれば、誰だってそう思うだろう。


 そのパラシュート降下訓練の日、ちょっとした出来事があった。

 重量15キロをゆうに超える対物狙撃銃の肩に食い込む重みと、母の産道を通ってから初めて経験する自由落下の風圧にあやうく気を失いそうになりながらも、クリスマス・ツリーの先端の飾りになることもなく、おれは無事に規定通りの高度での開傘着地(パラシューティング)に成功していた。

 だが、同期訓練生の中に一人、教官から何度ケツを蹴られても、輸送機のドアから飛び出せなかった奴がいた。

 この数ヶ月の訓練で、そういう奴がどうなるかはみんな知っている。そいつのベッドとロッカーが翌朝、すっからかんになっているのだ。

 そして、自ら志願したにもかかわらず中途で脱落してゆく候補生──あのブラジル映画の汚職上司のような──は、そいつがはじめてではなかった。


 おれは元来汗をかかないタチだが、それでも訓練後のシャワーの爽快さは無視してよいものではなかった。

 普段であれば一日の訓練を終え──夜中の3時に抜き打ち訓練がなければ、の話だが──、全身にこびりついた汗、泥、油、そして火薬カスを熱い湯でこそぎ落としているときは、白やら黒やらいろんな肌の色をしたいい大人達が、まるで6歳児のようにはしゃぎまわっていたものだった。

 だが、それも「明日の朝食が一人前減っている」ことが明らかになっている状況下では別で、その日は誰も口を開く物はいなかった。


 そんな中でも、そういう重苦しい空気を嫌う者もいたし、そういう時に何をするか、もだいたい決まっていた。

 誰か一人をターゲットにし、笑いのネタを弄りだすのだ。

 そしてその日、そいつのターゲットにおれが選ばれたのは、なんというか、必然だったのかもしれない。


 訓練所のシャワーフロアには間仕切りはあってもカーテンはついていない。

 隠れて自慰行為に耽ったり、違法薬物の受け渡し(パス)を行ったりする不届き者を防ぐためだ。そもそもこの訓練所にはプライバシースペースというものが一切用意されておらず、大便器ですらアメリカ式で、足元が丸見えになっていた。なるほど、ここの別名が「刑務所(プリソン)」というのも納得だ。

 そんなシャワースペースのひとつで、泡を漱ぎ落としているおれに、背後から声がかけられた。


 「よお、前から聞きたかったんだが、おまえにシャンプーって必要なのかよ」


 背後に視線をやると、頭一つ低い位置に、同期入所生の顔があった。

 そいつの白い肌のあちこちに入っていた色鮮やかな入れ墨(タトゥ)とうらはらに、カーボンのように黒いチリチリの髪の先からは、ぽたぽたとしずくが滴っていた。


 「おまえ、なんで髪も眉毛もねえの?

  初日からずっと気になっててよ、教えてくれねえ?

  ああ、もちろん悪気はあるぜ」


 おれには髪も、そして眉も髭も胸毛も脛毛も、毛という毛は一本も生えていない。

 こいつは生まれつきのことだし、「なんか怖い」という評判の20%くらいはこのせいだと自覚もしているが、それをあてこすられる謂れはない。

 で、そいつを『悪気があって聞いている』と自ら言うこのセンスである。

 うーん。フランス語は訛りも含めてよく学んだと思うのだが、こういうフランス根性(ド・エスプリ)だけはよくわからない。


 「生まれつきだよ、ケツ毛もねえからクソがしやすくて楽だ。

  それがどうかしたか」


 どうやらおれの返事は正しかったらしい、そいつは口をすぼめて笑い声をもらし、周囲からも吹き出す声がした。

 見れば、周囲もおれとそいつのやり取りを、シャワーも止めて面白げに眺めていた。

 エスプリはともかく、要するにまた一人同期生が減った、この空気をなんとかしたいってことなんだろう。

 こいつはおれを怒らせて空気を悪くしたいんじゃないし、そしてそれを言われていちいち怒るようなやつじゃない、ってことも理解した上で言ってるんだろう。

 だったらご期待に答えてられるよう、がんばってみよう。


 「まあ、おれも髪の毛とか生やしてみたいのはやまやまでな。

  ところでおまえ、シェンロンって知ってるか? カートゥーンのアレだよ」


 そう言葉を続け、おれはそいつに向かって体の正面を向ける。

 そして右手で陰茎(ポコチン)を持ち上げ、やはり毛のない陰嚢(きんたま)を揺らしてみせた。


 「『髪の毛がほしいです』ってシェンロンにお願いしたいんだがな……

  ボールがあと、5つ足りねえ」


 シャワールームが爆笑に包まれ、おれをからかったそいつは涙を流して笑っていた。

 つられて、いつの間にかおれまで笑いだしていた。


 その日以来、おれは「〈大魔王(ピッコロ)〉」というあだ名で呼ばれることになった。


 その日はおれにとって、大事な一日になった。

 ひとつめは、生まれて初めて、ニックネームをいうものをもらったこと。

 ふたつめは、同期生が中途でいなくなったのはそれが最後だったこと。

 みっつめは、おれにはじめての白人の友達ができたこと。

 そしてよっつめ。

 その黒い髪の友人は、後におれと同じ分隊に配属されることになった。

 そしていまは分隊長として、散弾銃(マスターキー)を扱っている。

 アドリアン・アコスタ──普段はアルファ1と呼んでいる、俺が命を預けられる仲間だ。


= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =


 「〈大魔王(ピッコロ)〉のお帰りだぜ!」 


 穴の開いた防弾チョッキなどの装備一式を返却し、RAIDの隊舎本部に戻ったおれを、一足先に戻っていたアドリアンの声が出迎えた。

 すると待ち構えていた同僚たちがそれに呼応して、ドアをくぐったおれを万雷の拍手と歓声、そして下品な指笛とで出迎えた。


 「おまえは最高のバケモノだよ、このRAIDのスーパーエースめ!」

 「至近距離で5発も撃たれて平然としてるのはてめえくらいだぜ!」

 「また伝説作りやがって!」


 法科大学院の試験をパスした受験生が、こういう迎えられ方をしているのをテレビで見た覚えがある。

 通路の両脇で同僚たちが列をなし、中を進むおれの肩やら背中やらをバシバシと叩きながら、よくやったよくやったと賞賛の言葉を滝のように浴びせてくるのだ。

 そしてその二列の終端、1階正面受付では、「法科大学院の司法修士」っぽい顔をしたメガネの女性警官が、受付テーブルから身を乗り出して左の手のひらを目一杯おれの方に伸ばしてきていた。

 おれはその手のひらめがけ、できるだけ加速度をつけないように注意をしつつ、ハイタッチを決めた。

 

 「この〈大魔王〉、また美味しいところ一人で持ってったわね!」

 「あんたの調査がしっかりしてたおかげだよ」


 このメガネ女史はRAIDの後方指揮担当の一人で──隊長ではないぞ、間違えるなよ──、先程の麻薬工場の急襲作戦でマイクロドローンを飛ばして家屋内をサーモスキャンし、戦術情報をよこしていたのが、誰あろうこの彼女だ。

 彼女のみならず、RAIDには幾人かの女性隊員がいる。

 中にはおれやアドリアン同様、家屋突入訓練や対ハイジャック制圧訓練、対化学兵器テロ訓練、潜水、空挺、ヘリボーン……ありとあらゆる訓練コースをこなして実戦部隊員になるものもいるにはいる。

 が、女性隊員の中核は彼女のように、その溢れる知性を突入部隊に提供する裏方担当が大半だ。フランスは自由と博愛、そして万民平等の国だが、適材適所という概念を踏みにじりはしないのだ。


 おれは歓呼の声、そして犯人をあわや取り逃しかけたD班(デルタ)隊員の謝罪と感謝に応えつつ、『一杯おごらせてくれ』との誘いに「撃たれたから、このあと病院で検査なんだよ」と断りを入れる。現在時刻は午前08時25分(マルハチフタゴー)、流石にこんな時間からアルコール、ってのは趣味じゃない。

 1階ロビーを占拠していた隊員たちが三々五々その場を離れるのを見届けると、おれは皆とは逆方向に足を進め、1階奥の自販機の居並ぶスペースに向かった。

 先客がひとり、そこに待っているのを知っていたからだ。


 通路ですれちがった隊員と拳骨をぶつけあう挨拶(フィストタッチ)をかわし、健闘を称え合いつつ、おれは自販機コーナーに足を踏み入れた。

 自販機の明かりだけが光源の、やたらと暗い一角では、その闇から生まれたような肌の色をした年増女がひとり、背もたれのないクッションベンチに腰掛けて気だるげにスマートフォンをいじっていた。


 「ハイ、〈大魔王〉」

 「ハイ、ジジュ」

 

 おれのでかい図体でスマホの画面が(かげ)ったのか、おれが『ジジュ』と呼んだ年増はおれに気が付き、画面から顔を上げて声をかけてきた。

 相も変わらず気だるげで、どこか性的な含みをあわせ持った声だった。


 「また活躍したらしいじゃない」

 「おかげさまでな」


 おれは自販機にモネオ(電子マネーカード)をかざし、アルジェリア生まれの炭酸飲料のボタンを押した。

 ペットボトルの栓をひねり、ボトルの半分ほども一気にあおる。冷えたオレンジソーダの甘みと酸味が喉をうるおす。うまい。


 「ごちそうさま」

 「おまえの分も買うなんて一言も言ってないんだがな」

 「買ってくれるんでしょ?」


 ジジュはいつもこうだな、という苦笑いとともに、おれはもう一度モネオをかざす。

 こういうことを言われても、決して不快ではないのが不思議なところだ。


 「あんた、このあとはどうするの」

 「10時になったら病院だ、撃たれたから一応規定通り検査しないと」

 「なるほど、規定ね」


 渡したばかりのボトルに口をつけるが、すぐに栓をしめ「もう少し、しゅわしゅわが抜けてから飲むわ」と言う。じゃあなぜこれをリクエストした。

 そのボトルをRAIDのロゴ入りブルゾンのポケットに無理やりねじこむと、うぅん、とまた性的な声をあげて背を伸ばし、セミロングの髪をゴムで結いなおしながら椅子から立ち上がった。

 

 「病院で検査の後はフリー?」

 「報告に一度戻るけどな」

 「あたしはこれから、あんたらが持って帰った薬物の検査があるけど……

  今日は18時で退勤(アガリ)なの」


 そしてまた、あの声でおれの耳元に囁く。


 「〈大魔王〉の武勇伝、聞かせてくれるんでしょ?」 


 やがてジジュは、でかい尻を揺らしながらスペースを出て、自分の職場へと戻っていった。

 おれはその尻とチョコレ(Teint)ート色の肌(Chocolat)を、しばらく阿呆のように見つめていた。

 まったく。この職場でどの女より年上のくせに、一番若く見えるというのは不公平というものじゃないのか?

 おれはそう思いつつ、オレンジソーダの残りを一気に飲み干した。


= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =


 『……英国のEU離脱がわれわれ(フランス)へもたらす悪影響ももちろん、看過しえません。

  昨今の低成長率はもちろんですが、わが国内の失業率は10%に近く、若年層にいたってはすでに20%に近づいているんです。 この状況下で難民受け入れや新移民の拡充など、共倒れ、自殺行為にほかなりません』

 『しかし、あなたが仰るようにシリアの難民問題へのコミットを避けるようでは、中東や北部アフリカ(マグリブ)における我が国の存在感の喪失、ひいてはロシアや中国による第二の植民地化を招くことになります』

 『チャド、マリ、シエラレオネ、我が国がアフリカの諸問題へコミットしたことで何が得られましたか? 現実問題として、彼らを難民として受け入れたことで、単純労働者不足の解消と引き換えに犯罪件数は増加の一方です。

  いいですか、若き国民が職を求めてデモを起こしているのに、我々は犯罪者に職を与えてまわっているんです』

 『ではあなたは、アメリカのように国境に壁を築けとでも──』

 『そんなものはマジノ線の再来で──』

 『移民につぎこんだ予算で一体どれだけの──』

 『ハンガリーが国境を閉ざしたのは正しかったと──』

 『アレマニア(ドイツ)の安定政権が崩壊したのも、英国のEU離脱も、元はといえば移民が──』


 おれはため息をひとつつくと、テレビのリモコンに手を伸ばした。

 赤毛、顎髭、白肌という海賊めいた顔の、やたら恰幅のいいスーツ姿をした反移民派の政治評論家と、蟹の甲羅のようなしわしわ面をバイオレットのスーツから生やしている大学教授のリベラル婆さんが、39インチの画面から交互におれに襲いかかっていた。

 さっきまで天を衝くように屹立していたおれの三本目の足は、適当につけたテレビから流れ出した政治討論番組のおかげで、夏場のカラーコーンのようにひしゃげてしまっていた。

 我ながら小器用に、右手の薬指で──このリモコンは、おれの指の太さにあわせて設計されていないのだ──リモコンのボタンを操作すると、デブ親父と枯れ木ババアの大声合戦は電波の彼方に消え去った。おれの耳には聞こえるのは、かすかなシャワールームからの水音だけになっていた。

 ケーブルテレビのチャンネルを適当に順送りしていると、唐突にカラフルな画面が現れ、おれの指が止まった。


  ♪さあ、外を見てごらん

   貝殻にこもってないで、僕らは海にいるんだよ、たぶんね

   そこにはとじこもる部屋なんてありはしないよ!


 おれが止めたチャンネルはたぶん、子供向け番組の専門チャンネルだったのだろう。英語の歌が流れるバックでは、ガリア(古フランス)から漕ぎ出した野蛮人の船が、ユリウス・カエサルのローマ軍が駐屯するブリテン島に押し寄せるアニメ映画が流れ出していた。

 このアニメ映画は見覚えがあった。まだフランスに移り住んで1年も経っていなかった頃、フランス語の勉強のために見させられた覚えがある。

 この映画の主役はフランス生まれフランス育ち、純正フランス製のアニメキャラクターで、2000年ほど昔のフランスを舞台にしており、世界中で大人気を博しているんですよぉ──と、フランス語の先生から(やたらと自慢げに)聞かされたのも、よく覚えている。

 

 おれは無趣味な方だが、映画はわりとよく見る。そのきっかけになったのも、そういえばこのアニメ映画だったような気がする。

 やがて野蛮人とローマ軍の戦いは、お茶の時間になってミルクティを配るキッチンカーが来たことでうやむやになる。

 あの頃は、なぜ戦争より紅茶のほうが優先されるのかさっぱりわからなかった。今なら「イギリスといったらお茶だろう」という鉄板ネタなのだ、と素直に笑えるようになったが。 


 アニメ映画は主役の羽つき兜をかぶった金髪ヒゲと、その相棒の青白縦縞のデカパンデブがいよいよ登場──というところで、シャワールームの水音が止まっていること、そして裸足の足音が近づいてくるのに気がついた。


 「何見てるの。カートゥーン?」

 「ああ、30年前のな。『アステリス、ブリテンへ行く』だよ」

 「リスじゃなくて『リックス』よ。うろ覚えね」


 乾ききっていない髪をごしごしと拭いているバスタオルと、左手に持った2本のビール以外、スリッパすらも纏わぬ姿のジジュがそこにいた。

 まあ、一糸もまとっていないのはおれもご同様だが。


 飲むでしょ、とおれにビールの小瓶の一本をよこす。おれはベッドから状態を起こすとラッパ飲みでそいつをくわえ、たちまちのうちに半分ほどをカラにする。うまい。

 ジジュはといえば、冷えたビールを何故か股間にあてがい、その冷気を楽しんでいるようだった。

 あんたと寝ると股ぐらがひりつくわ、毎度のことだけど、と非難がましい目をおれに向ける──が、別段怒ってはいないのがわかる。口元が笑っている。

 寝室の薄暗い間接照明と、テレビから流れるアステリ……なんだっけ、リックス? とにかくそのアニメ映画のカラフルな色彩に照らされ、風呂上がりの濡れ髪とチョコレート色の肌が怪しげな艶と甘みとを帯びていた。


 「フランスのイヌ、って言われたよ」

 「誰に?」

 「今朝、捕まえた犯人」


 おれはビール瓶を手のひらで弄びつつ、「シェフ(ボス)」の話をしはじめた。さっきジジュとケータリングをつまんでいた時には話さなかったが、なぜか急に言いたくなったのだ。

 どうしてかは自分でもわからない。さっきのデブ評論家のせいかもしれない。


 「ジジュ、移民が、よそものが、って言われたこと、最近あるか」

 「ないわね。幸か不幸か、あたしはあんたみたく一目で分からないもの」


 ぶっきらぼうに返すと、ふとももで挟んでいたビールにようやく口をつけた。

 ジジュはおれと同郷者なのだ。異郷の地で暮らす者同士が相憐れむ──というわけでもあるまいが、その縁でよく口を利くようになり、いつの間にかこんな関係になっている。

 そんな『同郷の年増』は、ごくり、と喉を鳴らしてビールを胃に送り込むと、続けざまに口を開いた。


 「そういうのを捕まえるのって、しんどい? 同じ『ヨソモノ』として、心情的に」

 「それより、『ヨソモノはヨソモノの味方をして当たり前』と思われる方がしんどい。

  おれの場合、見た目も確かに悪党面だしな、まるでアニメかハリウッド映画の悪役(ヴィラン)だ」


 一本の毛もない頭頂部に手をやりつつ、おれはそう自嘲する。ジジュはぐすっと変な笑い声をあげた。

 あいかわらずベッドサイドに立ったまま、俺の顔をじろじろと覗き込んでくる。


 「でかいもんね、あんた。身長何センチだっけ」

 「あー……200?」

 「なんで疑問系なのよ」

 「うるさいな、メートル法は苦手なんだよ。そういうジジュは今年でいくつだよ」

 「あんたね、女性に年を聞くのはフランスじゃご法度よ」


 おれはジジュのお説教をひょいとかわすと、残ったビールを一気に飲み干した。安いブランドだが、おれもジジュもこいつが一番舌にあっている。

 するとジジュは、その飲み干したビール瓶をおれの手からひょいとつまみあげ、そのままおれの股間にあてがってきた。


 「あら、あんたのとそっくり」

 「そんな先細りじゃねえよ」

 「()()()は似たようなもんじゃない」


 これさえ剥がせば、ちぎれちゃっても交換できるわね、と『1664』と書かれたラベルを親指で弄ぶ。

 めちゃくちゃなことを言い出したジジュになんと言い返したものか思案していると、あとは飲んでいいわ、と自分のビール瓶をおしつけられることで機先を制されてしまった。

 あたし、明日も6時起きなのよ。そう言うと、バスタオルをサイドテーブルに放り投げて、結局一糸もまとわぬままベッドに潜り込む。それから1分と立たぬうち、寝息を立て始めた。

 おれはいつもどおりのジジュのマイペースぶりに肩をすくめ、また復活しそうになっていた()()()1()6()6()4()を『今日はもう出番はないぞ』となだめつつ、2本目の1664を飲み干しにかかった。

 持ち上げたエメラルド色のビール瓶がアニメ映画に照らされ、その瓶に縮れた陰毛が一本へばりついていることに気がついた。

 ──ジジュのか。ああ、さっきまたぐらに挟んでたもんな。

 その毛を指でつまみ上げると、フッ、と息で飛ばす。テレビの前をくるくると舞い飛び、暗闇へ消えていった。

 テレビでは、フランス生まれのアニメヒーローが、カエサルのローマ軍とラグビー場で戦っているところだった。


 おれにもこいつみたいな髪と髭があれば、いちいち肩身の狭い思いをせずにすむようになるのかね。


 そうひとりごちると、おれはビールの残りを一気に飲み干した。

 結局おれが眠ることにしたのは、アニメ映画をエンディングクレジットまで見終わってからだった。

 隣で眠るジジュの、間接照明でいやに艶かしく照らされたまたぐらの縮れ毛が、今日に限ってたまらなく羨ましく思えた。 

  

= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =


 フランス時間23時55分。

 その男の勤務は、その時間から始まることになっている。

 もとは純白だったのだが、汚れがこびりついて薄汚くなったツナギ服、掃除会社の社章が中央に縫い込まれた白い帽子を身にまとい、業務用の大型清掃機を押しながら清掃用具室を出た。


 出るやいなや、人とぶつかりかけた。

 

 「どこに目をつけてるんだ、バカ野郎!」

 「すみません(Excuse-moi)


 ちょうどスタジオから出てきたばかりの赤毛のヒゲデブ男に罵られ、その男は帽子のつばに手をやりながら頭を下げた。

 その男の顔を見てなにかに気づいたのか、赤ヒゲ男はいかにも不快そうに吐き捨てた。


 「まったく、移民というのはどいつもこいつも……」


 ぷりぷりと苛立たしげに両肩を揺すって、男は立ち去っていった。

 その後をだらしない格好をした若い男が、「先生(ミステル)、次回のご出演ですが」などと大声で呼びかけながら、赤ヒゲ男を追いかけていった。

 テレビ関係者というのはどういうわけだか、必要以上に大声でしゃべる癖があるらしい。別段聞き耳を立てたりせずとも、しんと静まり返った深夜のロビーでは、そのよれよれシャツの男が「来週も、今日と同じ時間にお車を回しますので」と言っているのがよく聞こえた。


 男は何も言わず、黙って手袋越しに清掃機のスイッチを入れた。

 古い清掃機は独特の回転音を上げながら、タイル張りの床にちらばった埃をガフガフと吸い込んでゆく。男はそれを押しながらいつもどおりのルートを進んでいった。


 次回のご出演。

 来週。

 同じ時間に、お車を。


 その言葉を何度も、脳内で反芻しながら。

事後のピロートークすき。


※入れようと思ってたネタを入れるのをすっかり忘れてたので、みっともなくも加筆しました。

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