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移民の歌  作者: 四里孔幾良
2/4

移民の歌 二話

練習作品第二話。

容疑者を取り逃した警察の特殊部隊員が、一人でその後を追っています。

 廃屋の角を曲がり、おれはおれの信じる神に熱いキスを捧げたくなった。

おれの視界に飛び込んできたのは、隣家との間の高い板塀をよじのぼって乗り越えようと、必死に塀に飛びついている間抜けの背中だった。


 「Halte(動くな)!」


 右手に握った拳銃のフラッシュライトでそいつの背中に照準をつけ、おれは大声で大喝した。

うっ、と呻いたそいつの浅黒い肌、もじゃついた長い髪をまとめたポニーテール、うっすらと顔の下半分を覆った髭を見て、おれはそいつがブリーフィングで説明された、不法移民共のシェフ(ボス)だと気がついた。

銃口下の強烈なLED光で、まぶしがるそいつの横顔を照らし続けつつ、おれはそいつににじり寄った。


 「塀から離れろ!

  聞こえないのか、塀から離れろと言ってるんだ!

  お前がフランス語をしゃべれることくらいわかっている!」


 撃たせるなよ、さっさと投降しろ!

ほんの数分前まで、物音をさせることなく家を包囲していたのが嘘のように、さっきから騒音を立てすぎている。

ドアを散弾銃で破壊し、突入口啓開爆薬(ウォールバンガー)で出窓を壁ごと吹き飛ばし、閃光手榴弾(スタングレネード)を4発はじけさせた。

おかげで周囲の家々では目を覚ました人が出たらしく、ぽつぽつと窓に明かりが灯りはじめてしまった。


 昔なら周囲の家々の家人を全員避難させてから突入作戦を行ったものだが、最近はImbécile(クソバカ)

 『突入作戦があるんで避難させられたよ!』

 『特殊部隊が家を取り囲んでる なう』

とかなんとか、SNSにアップして何もかも台無しにしてしまうことがあまりに多いため──公務執行妨害で逮捕できるよう法整備もされたと言うのに、目立ちたがりのインスタグラマーはちっとも減らない──、最近は何もかも内緒で作戦を実施している。


 その結果どうなるかと言うと、もし銃撃戦が発生した場合は周辺住民が流れ弾で負傷するかもしれないし、人質に取られる可能性すら生じるのだ。

そうして負傷したり、心の傷を負ってしまった周辺住民からの訴訟が降り注ぐというわけだ。

おお、なんと素晴らしき悪循環、VIVA LA FRAN(讃えよフランス)CE。


 だから、おれはそれを防ぐために……もし塀から離れようとせず、投降の意志を示さないなら。

 射殺するしかなくなる。


 おれは塀から両手を離さずにいるシェフに、じりじりと近づいてゆく。

「最後の警告だ。塀から、一歩、さがれ」

シェフはフラッシュライトに横顔を照らされ、必死に眼球を照らされまいとまた逆方向を向く。

おれは重い防盾を左手一本で支えたまま、一歩、また一歩と距離を詰める。


 昔風の言い回しなら、指呼の間、というやつだろうか。

あともう一歩で、腰に蹴りをめり込ませることができる程度まで近づいたとき、ようやく奴は塀から手を離した。

観念したのか、ようやくくるりとこちらに正面を向け、すてきな髭面(ファニーフェイス)をおれに見せてくれた。


 バラクラバで覆い、更にポリカーボネートの耐弾バイザーで包まれた口で、おれは大きく息をついた。

バイザーの下部が息で白くなるのがわかる。

そして、右手の銃口を地面に向け、枯れ尽くした芝生をフラッシュライトで指し示す。


 「Gentille fi(いい子だ)lle, 両手を頭の後ろで組んで──」

 「غبي(ガァビ)


 シェフがはじめて口をひらいた。

その言葉が、アラビア語で「マヌケ野郎」という意味だと思いだした瞬間──

おれの背中に、熱くて小さい鉄の塊が幾度もたたきつけられた。


 しまった。逃げたのはもう一人いたんだった。


 5回の銃声を耳に、5回の衝撃を背中に受け、おれは苦悶の声をあげて地面に倒れ伏した。

そのおれの横を、軽い脚音が通り過ぎようとしていた。

がちゃん、と眼の前に鉄の塊が放り投げられ、音を立てた。短銃身の粗末なリボルバー拳銃……今、おれのことを撃った道具だろう。

そして降伏しようとしていたシェフに向かって、甲高い声でなにか叫んでいた。

女。そうか、女か。

ああ、まったく。畜生め、シェフに気を取られすぎるとは一生の不覚だ。


 なにか二人で一言二言話しているようだが、背中の痛みで──防弾チョッキは弾丸の威力までは防いではくれない──視界がぼやける。

他の分隊員はどこへ行ったんだ。フォローしろと言ったじゃないか。ぼんくらども、ドーナツでも買いに行きやがったか。

ああクソ、下のまぶたが邪魔くさい、自分の体が鬱陶しい。


 どうやらまた板塀を二人がかりで越えようとしているのだろう、ぼんやりとした視界の中で女のほうが、シェフの助けを借りて塀をよじ登ろうとしているのが見えた。

が、その時女が唐突に塀から降り、おれの元に駆け寄って──手を、おれの右手の方に伸ばしていた。


 おれにはアラビア語の知識はほとんどない。単語を少しばかり勉強したに過ぎない。

だが、その女がおれの右手の拳銃を持っていこうとしていることくらいは、たとえこいつらの喋っている言葉が古代ゴブリン語か何かだったとしても、おれが察するには十分だった。

その刹那、背中の痛みもぼやける視界も、おれの身体からは消し飛んでいた。


 「……Espece de fille d(この腐れマ○コが)e pute!」


 おれの腰から紐でぶら下がっている自動拳銃を拾おうと、不用意に近づいてきた女の左手を、瞬時に伸ばした右手で掴む。

おれの手のひらは、バスケットボールを片手で掴めるサイズだ。女の手首を握りしめるなど、たやすいことだった。

その瞬間、女と、覆面越しのおれの目が合う。

まるで地獄の悪鬼と出会いでもしたかのように、目を見開き、口をおかしな形に曲げて、喉から「イイイイイ」という恐怖に狂った声帯特有の怪音を発していた。


 なんだ、おい、Une Salope(ガバマ○コ)

まさか、おれのことを撃ち殺したとでも思っていたのか? あんな豆鉄砲で?


 次いで、ぱきん、という衝撃が右手に伝わる。おっといかん、手首を握りつぶしちまったか。

さぞや痛かろうが、そんなものはおれの知ったことではない。

激痛に大口を開ける女に、絶叫させる寸毫の間すら与えず、その手首を握りしめたまま立ち上がる。

そして同じように、驚愕の表情を浮かべるシェフに向かって……


 右腕を大きく振りかぶり、その女を、ぶん、と投げつけた。

 それはちょうど、アメリカン・フットボールのフォワードパスによく似ていた。


 ぎいいっ、という踏み潰されたカエルのような悲鳴を上げ、円錐形のフットボールよろしく、女はくるくる回りながら空中をすっ飛んでいった。

直後、フォワード・マ○コ・パスを避けることすらできなかったシェフは、直撃を受けてもろともに板塀に叩きつけられていた。

おれはその間に、右手から情けなくも取り落とした拳銃を拾おうとしたが、ほぼ同時にシェフが立ち上がっていた。

これはすごい、人間一人ぶっつけられて、まだやりあう気力が残ってるのか。キャンディひとつすらスマホとインターネット通販がないと買えない、最近のホモ・サピエンスにしては根性があるもんだ。


 鼻血を吹いて顔半分を真っ赤に染めながら転がっている女をはらいのけ、よろばうように立ち上がったシェフの手には、どこに隠していたものか、銃剣(バヨネット)めいたナイフが握られていた。

やはり逃げるのはやめたらしい。おれを殺すことを第一目標に切り替えたのだろう。

喧嘩慣れしているのか、それとも軍隊経験者なのか。シェフはナイフを振り回さず、サソリの尾のように、最低限の突き込みだけでおれの肉をえぐりこみにかかってきた。


 「なんで死なねえんだ、なんで死なねえんだ!」


 どうしたことか、フランス語に切り替えておれを罵ってくる。さっきアラビア語を使ったのはなんだったんだ?

腰から紐で吊り下がってブランコのように揺れている拳銃も、左手から取り落とした防盾を拾う暇もなく、おれはナイフの切っ先をかわしつつ考える。

なんで死なない、なんて聞かれても困る。おれは防弾チョッキも着ているし、32口径だの38口径だの、あんなジジイの小便みたいな威力の鉄砲で死ぬのは、なかなかの難題なんじゃないだろうか。

まあ、背中は痛いのだが。


 周辺の家々の窓から漏れる灯りの数が、ますます増えてゆく。

律儀にもおれが蹴破った窓からではなく、ドアを回って遠回りしてきた仲間の脚音が近づいてくる。

もはや逃げ場のないシェフの呪詛は、ナイフの切っ先同様、どんどん狂気を増してきていた。


 「死ね、死ね、死ね、死ね!」

 「お断りだ」


 不用意に距離を詰めすぎたシェフは、いつの間にかおれのローキックの射程圏内に入っていた。

ミドルキックではナイフで切られる可能性もあったが、こう低ければ、しかもナイフと逆側なら問題ない。


 ナイフに夢中でお留守になっていたシェフの左脚に、おれの右ローキックがめりこむ。

ぼきり、という日常ではあまり聞かない音が、午前三時の静寂(しじま)を破る。


 今の一発ですねをへし折ったらしい。シェフの左脚は、未知の関節が新たに一つ増えていた。

絶叫し、倒れ込みそうになるシェフ。おれはそのナイフを握ったままの右手首を掴む。


 「無力化させてもらう」


 文字にするならば、ぱきん、という感じだろうか。

ナイフを握っていた右手首から、太めの枯れ枝を踏んだときのような音がした。

何骨だか忘れたが──医学用語について、フランス語はまったく優しくないのだ──、とにかく手首の骨を握りつぶしたらしい。


 またしても絶叫があがる。

こんな時間にご近所に迷惑だな、とおれは思う。

フリーになっている左こぶしを、シェフの顔面にぶちこむ。

髭だらけの口元からは悲鳴がやみ、かわりに赤く泡立った液体と、白……いや、黄色く汚れた歯のかけらが、裏庭にまきちらされた。


 そして、『糸の切れた操り人形』というたとえどおりに、声もなく崩れ落ちた。

うん、人体に3つの新たな関節を増やすことに成功したおれは、きっとノーベル生理学賞の候補になることだろう。

人体生理学に新たなページを刻んだ、そんなおれの命を刻みそこねたナイフが、まるで墓標のように地面に突き立っていた。


= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =


 「アルファ4!」


 ようやく、おれの分隊員たちが応援に駆けつけた。

先頭に立っていたのは、散弾銃を未だに構え続けている分隊員──アルファ1──だった。

手に粉砂糖はついていない、どうやらドーナツを買いに行っていたわけではないらしい。

まあ、せっかく駆けつけてもらっても、今更手伝ってもらうことは──ああ、大事な報告があった。


 「アルファ4、裏庭クリア。全員確保(オールクリア)

 「クリアじゃねえよ!」


なんだ、大声を出して。ご近所さんが全員目を覚ましてしまうじゃないか。

それにこいつは逃亡を阻止した報告だぞ、重要な報告だと思うのだが。


 「銃声がした、大丈夫か」


 短機関銃を持った別の分隊員の言葉に、おれはくるりと背を向ける。

そして穴だらけになった防弾チョッキをこれ見よがしにアピールしつつ、おれは答えた。


 「5発食らった」

 「Ça y est(マジかよ)!」

 「背中はちょいと痛いが、なに、どうってことはない。あいつらも逃がさなかったぜ」


 アルファ1はバイザーを上げると、おれの指さす方向に目をやった。

板塀に叩きつけられて失神した鼻血女と、脚元でくしゃくしゃに潰れているシェフを見やると、散弾銃から手をはなし、ぱん、ぱんと拍手をした。

いやまったく呆れたね──などと口の中でもごもご言ったあと、背後のアルファ2、アルファ3──短機関銃を持ったフォワード──と、その背後にかけつけたB班(ブラボー)C班(チャーリー)の分隊員に、タンカで運ぶように指示を出す。

そしてインカムに手をやり、後方の指揮官に報告を入れていた。


 「午前3時9分(マルサンマルキュウ)、オールクリア、作戦終了です。

  目標は全員確保、全員確保。

  最低2名の重傷者が出ていますので、医療班を回してください」

 『了解した。重傷者の詳細を』

 「男1、女1、アルファ4と近接戦闘を行って、両名とも歩行不可能な状態です」

 『アルファ4と?蛮勇だな』


指揮官の抑えめの笑い声が、オープン回線を通じておれの耳にも届いた。

新聞の風刺漫画なら、Ha-Ha、と書きたくなるような作り笑いめいた声だった。


 『アルファ4は問題ないのか』

 「背中を5発撃たれてますが、全部チョッキで止まってます。

  本人も、まあ、いつもどおり平然としてます。

  ともかく、タンカと救護車を。容疑者の男1名は、片脚がドンドゥルマ(トルコアイス)みたいになってます」

 『すぐに送る。オーバー』


 無線交信終了を合図に、分隊員たち(アルファ)はようやくバイザーを上げ、窒息の危機から肺を救い出すことに成功した。

寒風吹きすさぶ冬空を尻目に、分隊員はみな、湿りきったバラクラバを脱ぎ去る。

アルファ1の短いカーリーヘアの先端から汗がぽたぽたと垂れ落ち、アルファ2のエボニーブラックの肌がきらきら輝いているのが見えた。

おれも汗こそかいていないものの、バラクラバを脱ぎ去った。

冷たい空気を肺いっぱいに吸い込む喜びは、無事の作戦終了への何よりの褒美に思えた。


 「……じゃねえか」


 その時、おれの耳に異様なうめき声が届いた。

脚元に転がった人形の残骸──シェフだ。

はやくも失神から目が覚めてしまったらしい。手首と脚がへし折れて苦しかろうに、もう少し寝ていれば楽なものを。

それにしても、歯が何本もなくなっているのに、よくしゃべれるものだ。思わず感心してしまった。


 「なにか文句でもあるか、麻薬屋」


 微妙にポルトガル訛りの混ざった声で、アルファ1が横たわるシェフに向かって勝ち誇った表情とともに言い放つ。

そこには犯人の前で覆面を脱いでしまった、というイージーミスへの悔恨は特に感じられなかった。

なに、かまやしない、どうせこいつらは麗しの祖国へ強制送還だ。


 「て、えも、じゃね、か」

 「なに、聞こえんぞ」


 再度の言葉を促すアルファ1を無視するかのように、シェフは血にむせ込みながら、おれに視線を向けた。

アルファ2の黒壇の肌でも、アルファ3の低い鼻でもなく、おれの顔だけを青黒く腫れ上がった眼で睨みつけている。

そして、折れていない左腕でおれの顔を指さし、絞り出すように言った。


移民(よそもの)じゃねえか!

 てめえもよそものの癖に、フランス野郎のきんたまをしゃぶりやがって!

 おれと何が違うってんだ、このイヌ野郎!」


 それだけを言うと荒い息をつき、ばったりと倒れ、自分の血でむせこみはじめた。

やがてシェフと女がタンカで運ばれて行くのを傍目に、アルファ1がおれの肩を叩きながら囁いた。


 「気にするなよ、あんなたわごと」

 「まさか。今更気にするものかよ」


ふん、と鼻の穴をすぼめながら、おれは独りごちた。


──おまえも移民(よそもの)の癖に、移民(おれたち)の味方をせずに、警察のイヌなんかやりやがって……か。

  そんなもん、この国に来てから、百万遍は言われたよ。

どうでもいいですが、私はフレデリック・フォーサイスが大好きです。

最後まで読んで「あ、そういうことだったのか」と思わされる展開がたまらなく好きです。

「オデッサ・ファイル」や「イコン」なんて何度読み返したことやら。

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