移民の歌 一話
練習作品です。5回程度の連載を予定しています。
♪ひとりのぞうさん、くものすに、
かかってあそんでおりました。
あんまりゆかいになったので、
もひとりおいで、とよびました。
♪ふたりのぞうさん、くものすに、
かかってあそんでおりました。
あんまりゆかいになったので、
もひとりおいで、とよびました。
『マザーグースか』
インカムから聞こえた声に、はっとする。
おれはどうやら、無意識のうちに何やら口ずさんでいたらしい。
『オープン通話でアカペラ披露するやつはなかなかいないぞ』
『美声じゃないか、え?』
次いで、聞き慣れた幾人かのからかいの声が耳に刺さる。
今、おれの額から顎までは、耐弾強化ポリカーボネートのバイザーメットで覆われている。
その状態でも会話ができるよう、耳にはインカム、喉には咽頭マイクが装備されているのだが、どうやら全体通話モードにしてしまっていたらしい。
「すいません」
『こういう場面でリラックスしているってことだ、かえって結構なもんだ。
だがとりあえずここからは黙っておけ、じきに作戦開始だ』
「ウィ、コマンダント」
おれは通話スイッチを確かめ、今度こそOFFになっているのを確かめる。
歌を口ずさむだって? 何をしているんだろう、おれは。
左手首の時計は、もう少しで午前3時を告げるところだった。
幹線道路からも遠く、時折大型トレーラーらしき轟音が風に乗って運ばれてくる以外はなんの音もない。
あとはまばらな街灯の明かり、そして排気ガスに覆われて星の見えない夜の帳だけがそこにはあった。
ちらりと視線を左右に向けると、おれと同じバイザーメットを被った黒ずくめの男たちが3人、月のない闇夜にうごめく姿が見えた。
首筋までをカバーする、半球状の漆黒のバイザーメット。
メットの下には、目以外を覆い隠す覆面。
みな一様にバイザーの口元を白く曇らせ、一人は散弾銃、二人は肩から吊った短機関銃の安全装置に指を掛けている。
そして黒ずくめの服の左袖には、RAID──フランス国家警察介入部隊[Recherche-Assistance-Intervention-Dissuasion]のエンブレムが刻まれていた。
フランス国家警察特別介入部隊。
組織されて30年余りが経つ、フランス警察の対テロ、対武装組織鎮圧、人質救出などを目的とした特殊部隊だ。
州の警察組織に帰属するアメリカのSWATや、連邦保安省に帰属するロシアのヴィンペル等とは違い、国家警察総局の下部に所属している。
そのためSWATのようにちょっとしたことですぐ出動したりすることもないし、ヴィンペルのように軍事作戦に投入されることもないが、フランス国内で無差別発砲などの大事件が起こった際には(シャルリー・エブド事件といえばわかるだろうか)、必ず矢面に立っている。
おれはその部隊に所属する300人に、郷里から初めて選出された栄光ある──いや、まあそれは今はどうでもいい。
──今が初冬でよかった。夏なら地べたに湖ができていたところだ。
おれはそんなことを思いつつ、黒ずくめ共が包囲しつつある眼の前の建物を見やった。
当時は流行りの建築様式だったのだろう、あちこちの街角でよく見かける廃屋と同じ、どうということのない三角屋根の二階建てだった。
ドア脇に鎮座ましましている、色のあせきった「A VENDRE」という看板上では、何年も前に潰れた不動産屋の名前と電話番号が消えかかりつつも、未だしぶとく自己主張を続けていた。
この所有権者がどこのどなたか、よくわからなくなっている建物に人が住み着いていることに付近の住民が気づいたのは、もう数ヶ月前のこと。
そしてその住み着いた来訪者が不法移民で、数は10人以上に及ぶことがわかったのもその直後。
だが役所は折からの財政難のため、その状況を今日まで放置してきた。
その不法居住者が、その建物を麻薬工場にしていることに気がつくまで。
『デルタ、配置完了』
D班が建物の2階にはしごを音もなくかけ、小走りでバルコニードアの前に駆け込む。
東側では、カーテンで覆われた出窓の下で、C班がガラスを叩き割る準備をしている。
裏口にはB班が、おれたちと同じように防弾盾持ちを先頭に、中腰で指示を待っているはずだ。
4班……4個分隊の16人、そしてやや距離をとった後方の物陰に停められた指揮通信車内の数名、あわせて20名くらいの黒ずくめが息を殺す。
おれは建物ドアのすぐ横に陣取り、今や遅しと突入指示を待っていた。
A班の先頭を切るおれは、左手に厚さ4cmのポリカーボネート製の防弾盾──総重量は30kgを超える──を、右手にフラッシュライトを銃口下に取り付けた拳銃を握る。
手に力を込める。右手の拳銃。左手の防盾。
大丈夫。震えはない。
明かりが漏れないように工夫をこらした廃屋の中では、今も何人もの不法移民連中が、どこかから運んできた白い粉を小分けにする作業に没頭しているはずだ。
その連中の一挙手一投足を、後方の指揮車両がサーモグラフで壁の向こうから探りを入れる。
中で暖房をガンガンに効かせていないことを、ある者はブッダに、ある者はアッラーに、そしておれはおれの信ずる神に感謝していた。
やがてインカムから、コマンダントのバリトンボイスが耳朶を叩いた。
『1階リビングに8人、キッチンに1名、ダイニングに2名。
2階ベッドルームに2名、2階子供部屋に2名。
1階の最低2名に、散弾銃ないしライフルと思われる、長物の所持を確認した。
くりかえす、1階リビングに──』
ブリーフィングどおり、やはり内部の連中は武装していた。
結構、なればこそおれたち特殊部隊が呼ばれるというものだ。
コマンダントの言葉を合図に、シールドを構えるおれの隣に、散弾銃を構えたアルファ分隊員がすっと移動し、ドアの蝶番に銃口を向ける。
その後ろでは、別の分隊員が閃光手榴弾を握りしめて待機している。
Bien,Bien. 全部訓練どおりだ。
今日もいつもどおり、訓練どおりに──
『突入しろ』
──済ませてしまおうじゃないか。
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おれの隣りにいた分隊員が、12ゲージ散弾銃のトリガーを引き、緑青の湧いた蝶番をネジもドアも巻き込みながら粉微塵に吹き飛ばす。
瞬時に銃口を下に向け、ドアの下側でふんばるもう一つの蝶番を無慈悲に砕く。
止める支えを失った「ドア」という名の板切れを、おれは渾身の力で蹴り破った。
そして背後の隊員が一歩前に進み、ドアと悲しいお別れを終えたばかりの玄関から、リビングに向けて閃光手榴弾を放り込む。
おれは光に目をやられぬように上下のまぶたを閉じて顔を左上腕で覆い、轟音で耳がバカにならぬように覆面の下で口を大きく開けた。
ここまではすべて訓練どおり。
なので、次も訓練どおりに叫んだ。
「Police, On ne bouge plus!」──警察だ、動くな!
突入指示から大喝まで、10秒とかかっていない。
防盾を構えたおれを先頭に、3人の分隊員が、閃光の苦痛にころげまわり、工作テーブルの脚にぶつかって白い粉を床にぶちまけている現場に突入する。
防盾の左右から室内に歩を進めたアルファ分隊員は、2名が9mm口径の短機関銃、1名が12ゲージの散弾銃を構えているが、今のところ一発も発砲してはいない。
よほどいい位置に閃光手榴弾が落ちたらしく、リビングで二本の脚で立っているのはおれたちだけだった。
出窓のダイニングと裏口のキッチンでも同じように、閃光手榴弾を放り込んだB班とC班の2班8名が、両目をおさえてのたうち回る不法占拠者を取り押さえている音がする。
『クリア!』
『クリア!』
室内の抵抗勢力の無力化に成功、という声が、建物の奥と2階から立て続けに聞こえる。流石に早い。
だが、おれの班の突入先には8人がいる。
そいつらが見えない目で必死に落とした銃を手繰り寄せようとするより早く、先手を取って部屋の隅に蹴り飛ばす。
そして銃床で殴り倒し、もう一度地べたに這いつくばらせる。
1階だけで3発の閃光手榴弾の威力は、ことのほか格別だったらしい。
ひとり、ふたり、さんにん、よにん。
右手に握った拳銃を使うこともなく、肉弾のみで秒単位で制圧していった。
七人目を床に蹴倒した時、ソファの陰、死角になっていた場所で何かが動くのをおれの視野がとらえた。
部屋の隅からよろばいながら立ち上がり、拳銃をこちらに向けようとする男の姿が見えた。
おれは右手の拳銃のトリガーを──引かなかった。
文字にできない叫び声を上げると、左手に重いシールドを握りしめたまま、おれとそいつを隔てるソファを乗り越え、跳躍した。
ビンゴ!
そいつはシールド+加速度+おれの全体重に抗えずに押し倒され、無様な悲鳴とともに無力化される。
シールドと薄汚れた床をパンにして、そいつをハム代わりに、なんとも汚らしいチーズハムサンドの一丁あがりだ。
激しく咳き込むそいつの手から、やはり小汚いリボルバー拳銃──おおかた密造だろう──を蹴り飛ばし、フルボリュームで叫んだ。
「A班、クリア!」
快哉を叫びたい心境のおれだったが、次の一瞬、一気に現実に引き戻された。
ガシャンというガラスの割れる音の直後、インカムから耳へと、訓練どおりではない言葉が飛び込んできたのだ。
『D班、2名ロスト、2名ロスト!』
逃げられた?!
馬鹿野郎、2階の連中、しくじりやがったのか!
「どこに逃げた!」
「裏庭、裏庭だ、裏庭に飛び降りた!」
D班の誰かが、2階で叫ぶ声がする。
ブリーフィングでしっかり叩き込んだ、この廃屋の構造図が脳裏に浮かぶ。
2階、飛び出す、裏庭……
ここから一番近いのは……
おれはもう一度ソファに脚をかけ、壁紙ピンで黒いフェルトが幾重にも貼り付けられた片引き窓を、防盾で窓枠ごとぶち破りつつ飛び出した。
いちいち開けていられるか、こんなもの!
「おい!」
外れてぐちゃぐちゃにへし曲がったアルミの窓枠と、ガラス片を庭に撒き散らしつつ、駆け出そうとしたおれの背中を、散弾銃持ちのアルファ分隊員の声が打つ。
「先行する、フォローを!」
おれはそう一言だけ返すと、裏庭に向かった。
もし取り逃しでもしたら大変なことになる、相手は武装している可能性が極めて高く、なにより──
なにより、ここは住宅街なんだぞ!
ジャンルはローファンタジーであってるんだろうか……
初投稿なもので、どうも勝手がよくわかっておりません。