第2話
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「私の世界に君を再び蘇らせることは出来ない。だが、このまま君の魂を世界に還すのは忍びない。それゆえの提案だ」
「言ってる意味は分かるけど、異世界ってどういうこと?」
思わず敬語が抜けてしまったけどそれもしょうがない。想像の範囲外の言葉に驚いて、完全に気圧されてしまっていた。
「君が生まれ生きてきた世界は私が作った物だ。そして、そのようにして作られた世界はいくつも存在している」
神様は一人じゃないらしい。
「私の管理する世界での君の生は終わってしまったが、その魂を作り変え別の世界に新たな生を創造することは出来る」
「それは生まれ変わりってこと? 輪廻転生みたいな」
「いいや違う。異世界に君の魂の器たる肉体を用意し、その中に君のその魂を注ぎ込むという仕組みだ。君にしてみればそのままの格好で別の世界に引越しをするのだと考えてくれればいい」
「つまり俺は俺のまま、結月勇のまま……」
「そう。ユヅキイサムという魂をそのまま別の世界へと転生させる」
神様の言葉に身震いする。生き返り……とは違うようだが、少なくとも自分が世界に溶けて消えてしまうまでの時間を延ばして貰えるらしい。
「最も、私の世界とは違う世界に行くのだ。そのルールの違いやその世界ならではの危険によって君の命は簡単に吹き消えてしまうかもしれない。それでも……」
「それでも! 俺が生きていていいのなら、生きたい……です」
思わず大声が出て尻すぼみで小さくなってしまったが、俺は自分の正直な気持ちを神様に伝える。
「俺の死が手違いで、たまたまで、不幸な事故で亡くなったのは理解したし、それが悲しいし悔しい。でも、俺の世界に戻れないのがどうしようもないってのも分かります。だから、神様が俺にチャンスをくれるって言うのなら、俺はその同情を救いだと信じたい」
「……そうか」
神様は俺の言葉を聞いて少しの間考え込む仕草をしてから、小さく頷いた。
「私の最も近くにいる世界神を呼んだ。私からも彼女に良くしてくれるように口利きをしよう」
スーツ姿の神様は、俺の生まれた世界を作ってくれた神様は、とても優しい顔で微笑んでいた。
「イサム、来たぞ」
そう言って微笑んでいた顔はすぐさま元のキリッとしたものに戻ってしまったけれど、俺はこれまでの少ないやり取りの中で、隣に立つこの神様のことが大好きになっていた。勝手な思い込みかもしれないが、彼なら運命が変わってしまった衛を悪いようにはしない、そう信じることが出来そうな気がした。
「ウッ」
白い空間に突風が吹いた。風圧に思わず目を閉じてしまい、しばらくして目を開けた時には、白い空間にもう一人増えていた。
※ ※ ※
現れた人物は神様に向き直ると、服の裾を摘んで小さくお辞儀をした。
「呼び掛けに応じて参りました」
「ありがとう」
綺麗な人だった。古い時代の巫女装束みたいな、煌びやかな衣を纏った女性。特徴はもう一つ、美しく長い緑色の髪を持った彼女の頭には、特徴的な二本の角が生えていた。鹿の角かと思ったが、それよりもシンプルでどこか神々しい。記憶にある答えを探ると、爺ちゃんの部屋に飾ってあった掛け軸を思い出した。
「……龍だ」
「ふふ」
俺の呟きに新しく現れた神様はにこりと微笑み、正解よと応えてくれた。
「彼の魂を君の世界で引き受けて欲しい」
「ええ、喜んで」
スーツの神様がお願いし、龍の神様がそれを迷わず受諾した。
「ユヅキイサム君、だったわね? 私の世界は彼の世界よりも命を脅かす危険に溢れているわ。それでも大丈夫?」
龍の神様の確認。最も、これは自分も相手も受け答えが分かりきっている儀式的なものだ。
「はい。俺は、使い切れなかった自分の一生をしっかりと全うしたい」
「よろしい!」
俺の返答に龍の神様は存外フレンドリーに、俺の両肩をぽんぽんと叩いて満面の笑みを浮かべる。
「先達たる世界神の頼みに応じ、貴方に一つだけ元の世界から物を持ち出すことを許します」
「! 何でもいいんですか?」
「もちろん!」
「じゃあ、イチゴの苗を下さい!」
願ってもないサービスに、俺は思いついた物を迷わず口にする。
「イチゴの苗……イサム君の家で栽培している物でいいのかしら?」
「はい!」
察しの良い龍の神様には感謝しかない。俺は全力で首を縦に振った。
「なるほど、大丈夫よ。マナ・ケイオスはあなたの提案を受け入れます」
龍の神様がそう言うと、俺の目の前に光る球が出現し、すぐさまそれは植木鉢に植えられた一株のイチゴになって俺の手元に収まる。よくよく見てみれば、これは親父の農場の2番目のハウスの中にあった一株にそっくりだった。
「あなたのお父様には悪いけれど、栽培されていた中で最も生命に満ち溢れていた物を選ばせて貰ったわ。そのイチゴを私の世界に持ち込んでからどうするかは自由。その一株の運命はあなたの意思と、行いにかかっているわ」
「ありがとうございます!」
俺の望みは新世界でも叶える機会を得た。ただやり直すだけではなく、やりたかった事をするチャンスを貰えたことに、心の底から感謝の気持ちが湧いた。
「土地いっぱいのイチゴ農場だっけ? 頑張ってね」
「はい!」
「良かったな、イサム」
「ありがとうございます神様!」
二人の神様にめいいっぱいの感謝の気持ちを伝える。確かな重みを感じる植木鉢を、俺は大事に大事に胸の内に抱えた。
「それとこれは、私からのサービス」
龍の神様がそっと俺の頬を撫でた。触れられた所から次第に体全体へとポカポカしたものが広がっていく。
「あなたが後の生を淀みなく使い切れるように。……あなたの努力に祝福を」
それはきっと、魔法の言葉だったのだろう。龍の神様が言い終わると全身を巡っていた熱が胸の奥底に宿ったような気持ちになった。体の内側から温めてくれるそれに、俺はホッと息を吐く。
「さぁ、これにて準備完了。色々と苦労はするかもしれないけれど、それも含めてあなたの新しい旅路よ」
親しみやすい人格の龍の神様の言葉に勇気付けられる。
「私の世界へ降り立ったが最後。もう後戻りも、やり直しも利かないわ」
「……大丈夫」
だから、脅し文句も恐れずに受け止められた。
「イサム」
スーツの神様に声を掛けられ彼の方を見た。
「良い旅を」
手を振り、見送ってくれていた。
「イサム君。目を覚ましたら南に行きなさい。そこに村があるわ」
龍の神様のアドバイスを聞いている内に、体が青白い光に包まれていく。
「何から何までありがとうございます。それと……」
「うん?」
「これからよろしくお願いします」
そう言って俺は龍の神様に頭を下げた。目上の者にはしっかりと礼儀を尽くすべし、爺ちゃんの教えだ。
「……」
顔を上げると龍の神様が歯を見せて笑っていた。
「ようこそ、私の世界へ。あなたの生に幸あらんことを」
きっとそれは、これから向かう世界で最もありがたいお祈りの言葉に違いない。光に包まれながら俺は、改めて植木鉢を持つ腕に力を込めた。
※ ※ ※
真っ白だった世界が今は真っ黒だった。ほんの少しの時間の後、自分が目を閉じていることを理解した。
「……ん」
何かが俺の頬をつついている。つんつんと、くすぐったさを感じて俺は目を開いた。
「ぉ?」
光が差し込んで、大きく開きかけた目をもう一度閉じた。土と草の匂いを感じる。どうやら俺はどこかに寝転んでいるらしい。まだ光に慣れてないからと目を閉じたままゆっくりと上体を起こし、そこから改めて目を開く。視界の先に見たことのない藍色のズボンが見えた。それは俺が身じろぎをすると一緒に動く。自分の足だ。
「……こっちもか」
腕を引き寄せ視界に入れれば、これまた見覚えのない皮製のジャケットを着ているのが分かった。続けてお腹周りを確かめる。ボタンを留めずに開かれたジャケットの内側には綿で出来たシャツまで着ていた。当然、ここまで生きてきてこんな服を持っていた記憶はない。
「うっ……わー」
素っ頓狂な声が出る。万に一つ、全部夢だったんじゃないかという可能性が消えていく。その事実を一つ一つ確かめるかのように、俺の体は動いていく。
「あいててて」
頬を引っ張る。痛い。夢じゃない。
「森の中?」
辺りを見回す。どこかの深い森の中なのだろう、そこら中に幹の太い木が溢れ返っている。季節は秋だろうか、ほどほどに乾いた落ち葉もちらほらと地面に散り落ちていて、そして、
「お、おー」
俺のすぐそばに小さなウサギが一匹、大してこちらのことを気にした風もなく飛び跳ねている。片手で簡単に抱えられそうなサイズのそれは、しかし見た目に普通のウサギじゃなかった。
「角だ」
ウサギの額には小さな角がちょこんと生えていた。もしかしてさっき頬をつついていた何かはこの角か。
「すごい」
元の世界ならきっと世界中大騒ぎになる面白動物が、俺のすぐそばにいる。当たり前のように、何てことないと言わんばかりに自然に。
「ピュイッ」
角ウサギは一声鳴くと、適当にその辺をうろうろし始める。こちらのことをあまり警戒していないのはどうしてだろうか。さっきつつかれてたし、存在としてなめられてるんだろうか。
「……夢じゃない、な。こりゃもう、流石に」
流石にもう夢と言い捨てるには難しい。生い茂る木々に包まれ見える視界の薄暗さも、風が吹くたびに感じる自然の香りも、触れた物全てから得られる触感も、夢の中の自分じゃ到底想像できない物がここには揃っていて。
「異世界、か」
自分が死んだことも、もうあの家に戻れないことも、全部が事実で現実だと思うと…………寂しい。
ゴト、と音がして。見ればさっきの角ウサギが植木鉢を倒している。その植木鉢には、確かにいつか見た我が家の畑のイチゴの苗が植わっていて。
「あ、こら。ダメだぞ」
慌ててそれを奪い取り胸の中に掻き抱く。知らんぷりをする角ウサギを横目に、じっと植えられたイチゴの苗を見つめる。
「……」
少なくとも自分が、ここではないどこかからやって来た異邦人なのだと、頭で緩やかに理解していく。
「ふぅ」
近くにあった切り株に腰掛け気持ちを落ち着かせる。考える。そうしている間に、太ももの上に乗せた植木鉢の重さを感じた。
「ここから、始めないといけないんだよな」
家族がいて、友達がいた全てはもう戻れない過去になってしまった。けれど、それまでに積み重ねてきた物が確かにあったのだと、この苗が保障してくれている。
『良い旅を』
そう言って衛達のいる世界の神様は俺を送り出してくれた。なら、俺はもうその言葉を信じて歩き出すしかないんだろう。
「……衛。兄ちゃん、頑張るからな。親父、母さん。千博、雄介、宏……」
でも今は少しだけ。新しい誰かに出会う前の今、少しだけ。
「……死んじゃってごめん。ごめんなぁ」
もう少しだけ、縮こまったままでいさせて欲しい。
「う、うぁぁ……!」
この世界に来て最初に俺がしたこと。それは、まるで生まれたての赤ん坊のように感情のまま泣きじゃくることだった。