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勇くんと12人の嫁  作者: 夏目八尋
第一章
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第10話

 踏み込んだ足が震えていた。落ち着いているつもりだったがそういうわけでもないらしい。


「ブッ、ブッ!」


 猪の怪物は動きを見せた俺の動向を見定めようとしているのか、注意をこちらへと向けてくれている。


(出来ればこのタイミングでジョルジュには逃げてもらいたいんだが)


 チラリと背後に目を配れば、猪と同じように俺の動きにつられてこちらを見てしまっているジョルジュがいた。


「……」


 冷や汗が落ちる。完全に萎縮してしまっているジョルジュは今、何もすることが出来ない。目の前の猪の図体からして体重はおそらく100kg超、彼の小さな体では猪の体当たり一発で内臓破裂なんかも起こりうる。狙われればひとたまりもない。というか大の大人だって当たり所が悪ければ死ぬ。つまり俺も死ぬ。


「ほら、こっちだ」


 それでも俺は積極的に声を出し、存在をアピールする。危機に立ち向かおうと決めた相手に、誰が危険なのかを分かりやすく判断させてやる。


「ブギッ!」


 鳴き声と共に猪が身を低くする。即座に俺も腰を落とし身構える。


「ブッ、ブッ」


 飛び掛ってはこなかった。だが、こっちの対応が遅れていればすぐにでも飛んできていただろう。俺もまだ、相手に攻撃を許すわけにはいかない。


「こっちだ、俺を見ろ」


 なおも声を掛けながら俺はゆっくりとした動作で動き出す。なるべく足を上げずにすり足に寄せて足元の動作を小さく、相手を威嚇するために腕は左右に大きく広げた状態を維持する。そうやって少しずつ少しずつ、俺と猪、そしてジョルジュとの位置関係を変えていく。


「ブッ、ブギッ」

(ここだ!)


 人二人分くらい己の位置をずらしたところで、俺はわざと膝を折り脱力してみせた。隙を見せて相手の攻撃を誘う。


「ブッ!?」


(来る!)


 次の瞬間、猪が再び身を低くし今度こそ飛び出してくる。速い!


「こ、なくそ!」


 折った膝をそのままばねの動力にして一気に伸び上がる。同時に体を半身そらして飛んでくる巨体を受け流しにかかる。が、


「ブギィ!」


 交差の瞬間猪が首を振った。頭突きだ。俺は突進コースから抜ききれなかった右足に衝撃を受け大きく体のバランスを崩し、そのまま弾かれるようにして地面に尻餅をつく。


「っだぁ!?」


 強かに打ったがそこを抑える暇もない。俺は膝を抱えて脚に力を入れ、一気に立ち上がる。右足は弾かれたことで衝撃が抜けたのか痺れはあってもまだ動く。本来なら牙を打ち付ける必殺の動きだったのだろうが、折れかけだったのが幸いした。


「っつぅ」


 痛みを堪えながら猪を再び視界に捉える。そのまま逃げ去ってくれればよかったのに、そいつは振り返って再び俺と向き合っていた。戦意十分だと目が訴えてきていた。


(動物っぽくないな)


 縄張りか、背に何かを守っているでもなければ動物がここまで一箇所にとどまって立ち向かってくるなんてことはまずない。少なくともここは人の遊び場でこいつの縄張りじゃないだろうし、その背中に子供を守っているとかそういう気配も感じられない。むしろ、今この瞬間雌雄を決することこそを望んでいるかのような明確な戦意を感じてしまう。そういうのは同族同士でこそ起こることじゃないのか。


「本当にこの世界は俺の知らない常識ばっかりだ!」


 歯を食いしばり震える足を叱咤する。ジョルジュは、


「I'm scared……」


 自分が狙いから外されたのが分かったのか、ある程度俺達から離れたところまで逃げ切れている。この場から立ち去っていないのは、やはり俺を残すのが心配なんだろう。


(ありがたい、けど)


 そのまま逃げて助けを呼んできてくれるのが一番だ。と、言葉で伝えられたらどれだけ楽だったか。自力でこの場を好転させることが出来ないでいる不便さが呪わしい。


「あー、切り替えろ切り替えろ」


 弱気な方に流れ始めていた頭に言い聞かせる。表情から再び気を引き締めて緩みかけの心を緊張させる。


「ブッ、ブッ」


 目の前にあんな危険な奴がいるのに、余計なことを考えている暇はないんだ。今大事なのは、どうやって俺とジョルジュが生き延びるか、だ。


「ふぅー…」


 睨み合いを続けながら深呼吸。ゆっくりと頭をクリアにしていく。


(相手は猪、直線的な突進が一番やばい。だからさっきの回避方法は間違ってない)


 凌ぐだけなら希望が見えている。けれど、こちらから相手を追い払う手が何もない。


(殴る、蹴る? 相手の重さに勝つ力なんて俺にはないぞ。木の枝、石? さっき暴れ回った時びっくりするくらい何もなかった。大人がちゃんと管理してるんだろうなここ!)


 考える、考える。必死になって考える。


「ブギッ!!」

「!? どぉらぁっ!」


 猪が突進してきた。今度は半端に半身をそらすのではなく全力で横に飛ぶ。


「っと!」


 かわした。相手はやはり途中で立ち止まりこっちへと向き直る。晒され続ける敵意がいやになる。だから、


「おおっ!」


 踏み込んで、自分から飛び込んでいく。自分は怖がってなんかないと全身でアピールする。もちろん、アピールだけで終わらない。一か八かでも、無謀でも、その瞬間に賭けないといけないその時に俺はがむしゃらに動いた。


「うおおお!」


 猪の頭に手を置き背後に回って抱きつきにかかる。相手も即座に逃げようと前進を開始する。が、


「逃がす、かぁ!」


 掴む。そのまま相手の首に腕を回して抱え込む。


「ブギィィィ!!」


 嫌がって猪が身をよじり、俺の体が大きく揺さぶられる。押さえつけられて傷に響くんだろうが、俺に優しくしてやる道理はない。余裕もない。


「ぐぅぅぅ……!」


 それでも気を抜けばすぐにでも振り落とされそうになる。振り落とされれば待っているのは死だ。動き回る猪に引きずられ、靴のつま先が地面をガリガリと擦っていく。でも、放さない。まだ放せない。


「んぐぅぅぅ!!」


 広場をバタバタと暴れ回る猪、それに必死に食らいつく。全身に力を入れて相手に圧を掛けながら、首に回していた右手を伸ばす。濃い獣と血の匂いにクラクラしながらそれでも全力で手を伸ばした先で、俺はそれを掴んだ。

 猪を抱えていた手を放す。


「ブヒッ!」


 拘束が緩んだ瞬間にここぞとばかりに猪は全身を震わせる。俺もそれに逆らわず、むしろ吹っ飛ぶことを望んで力を抜いた。次の瞬間、


 ブヂッ


「!?」

「Isamu!」

「ぐぁぇっ!」


 腹から地面に打ち付けられ呻きを上げる。ゴホッと、嫌な咳が出た。


「ぅぅ……!」


 それでも、ここで動かないとまずい。気合と根性で無理矢理に体を動かす。体を起こす。


「ブフーッ!」


 俺を振り落とした猪は再び距離を取りすぐさま攻撃姿勢に入る。猶予はもうない。俺はもう一度賭けに勝たないといけない。


「こな、くそぉ!」


 死にたくない。その一身で俺はそれを迫り来る猪に向かって押し出す。両手に握った、折り取った猪の牙を。


「!?」


 突き出した牙に相手も気づいたがもう遅い。走り出した猪は急には止まれない。


「ぐっ」


 勢いのまま猪の体当たりを受ける。100kgを超えた巨体の衝撃をまともに食らう。突き出していた手が押し返されるのと同時に、何かを抉り取るような嫌な感触を覚えた。耳元で猪の甲高い鳴き声が響く。


「ごぁっ!」


 次の瞬間俺の体は回っていた。衝撃を受けきれなかった体が吹き飛び宙を舞っていた。勢いをほとんど殺せないまま地面に叩きつけられなおも転がる。色々なものが揺さぶられて、色々なものが軋んだ。


(え、あれ?)


 途端に意識が朦朧としてきて、自分がどうしてこんなことになっているのかも分からなくなった。分かっていたものすらぼやけてしまって、ただふわついた感覚のまま体を動かし視線を泳がせる。


「……!」


 視線の先、猪が倒れている。ビクビクと痙攣していたそれは、やがて黒い霧のようなものになって溶け消えていったように見えた。


(なん、で……?)


 頭に浮かんだ疑問も、口にしたはずの音も、何も感じ取ることが出来ない。俺はただ腹の底から沸き上がってくる吐き気と先細っていく意識のイメージだけを覚えながら、抗えずゆっくりとまぶたを閉じた。


   ※      ※      ※


 ぼーっとする。眠りから覚めたはずなのに、もう十分眠ったはずなのに、体が起きたくないと言っているようなちぐはぐな状態だった。開いたまぶたをすぐにまた落としたくなる。


「あ……」


 とにかく何かしようとして、声が出た。そうしたら、すぐそばでガタッと音がした。


「Isamu!」


 聞き覚えのある男の子の声が聞こえた。衛、じゃない。衛は俺をイサムだなんて呼ばない。でも、重い頭では相手が誰なのか思い出すまで至らない。


「だ……」

「Silk! He came back!」

「……」


 誰だっけ。と、問いかけるより先に声の主は叫んで、バタバタとどこかへ行ってしまった。それを目で追うことも、引き止めることも出来なくて、俺はふぅとため息を吐いた。


 多分、何かを今考えても意味がない。頭が働いていないのだからしょうがない。無理に回転させたところで痛くなるだけだ。


「ふぅー」


 もう一度深く息を吐いてまぶたを閉じる。でも、不思議ともう寝直す気にはならなかった。


「Hurry! Hurry!」

「OK, I'm coming!」


 また誰かの声がする。先程の男の子の声と、これまた聞き慣れた女の子の声だ。


「I want to talk to you……!」


 ああ、この文言にはとても聞き覚えがある。


「Dialog! ……イサムさん!」


 改めて名前を呼ばれて、ようやくハッキリと意識が戻った。


「私の言葉が分かりますか? 起きてますか?」

「はい、起きてるよ」

「Was good」


 瞳を開けば、そこには俺を覗き込む女の子と男の子、シルクとジョルジュ君の顔があった。


「痛むところはありますか? 気分が悪かったりはしませんか?」


 心配そうに見つめてくるシルクに、俺はゆっくりと首を左右に振った。


「大丈夫」

「よかった」

「とりあえず、何があったか聞いても?」


 いまいち状況が分からなくて、俺はシルクに問いかける。彼女はそれに少し待ってくださいと手で制した。


「イサムさんが目を覚ましたって、村長さんに連絡しないといけないので」


 そう言ってシルクがいったん部屋から出て行く。俺はそれを首だけ向けて見送り、次いでジョルジュ君の方を見た。


「Isamu」


 ジョルジュ君は今にも泣きそうになりながら俺を見つめている。彼の手が布団越しに俺の胸元に当てられ優しく撫でていた。


「I was worried」

「はい」


 何を言っているかなんて考えなくても分かる。俺は精一杯笑顔を作って彼を慰めた。おぼろげに、自分がどうなっているのかを理解していく。


「お待たせしました。村長さんにはジョアンさんが報告に行ってくださいました」

「おかえり」


 シルクが戻ってきて、俺は何がどうなって今に至るのかを知る。


「イサムさんは迷い込んだ魔物の猪に襲われて、相打ちになって丸一日眠っていたんです」

「魔物の猪?」

「気づかなかったんですか? イサムさんが止めを刺した後消滅しましたよね?」

「……ああ」


 説明されて思い出す。確かに俺が攻撃した後、猪は霧のようなものになって消滅した。それを俺は見た。


「あれは魔物だからなのか」


 確か、この世界には動物と対になるように魔物がいるとかだったはず。魔人種の人共々、魔のつく何かとは碌な出会い方をしていない気がする。


「普通人の匂いが濃い所には、動物も魔物も野生のものは近づかないはずなんですけど」

「手負いだったよ。何でかは分からないが、俺達と出会った時点でかなり傷ついていたんだ」

「ジョルジュ君からも聞いたんですが、本当に手負いの魔物と戦ったんですね。素手で」

「おかげでこの有様だけどね」


 冗談めかして笑って見せたが、シルク的には面白いことではなかったらしくしかめっ面をされてしまう。


「本当に、見つけた時はボロボロになってたんですよ?」

「ごめんなさい」


 とりあえず謝っておいた。


「He was like a brave man」

「うん。そうね」

「?」


 ジョルジュ君が何事か興奮した様子で語るのを、シルクが肯定する。俺が首を傾げていると、シルクが膝を折り、目線を俺に合わせてからぺこりと頭を下げた。


「村の子供を、ジョルジュ君を救ってくださりありがとうございました」

「Thank you very much, Isamu」


 続けてジョルジュ君も頭を下げ、二人して俺に礼を尽くしてくれた。


「ああ、うん」


 俺はといえばお礼に対して返事もそこそこにジョルジュ君の方を見て、その体に怪我がないかを確かめてからシルクに問いかける。


「ジョルジュ君は怪我は……」

「軽い擦り傷くらいでした。と言っても猪にではなくて、イサムさんと遊んでた時に怪我したって聞きましたけど」

「そっか」


 改めて見たジョルジュ君の顔は、ホッとしている中にもどこか誇らしげな表情がうかがえた。


「ジョルジュ君、イサムさんを助けてって泣きながら村長さんの家に駆け込んでったそうで」

「No! No no no!」

「はは」


 シルクから出たおどけた物言いにジョルジュ君が顔を真っ赤にして彼女を叩き始める。そんな様子を眺めながら、俺はそこでようやく心の底からホッとした。

 クチバシ男に続いて俺はまたやりきる事が出来たらしい。この子を守って、自分も生き延びた。賭けは俺の勝ちに終わったのだ。そう何度もやりたいとは思えない分の悪い賭けに。


「はー」

「受けたダメージは法術で癒しました。でも、体力がまだ戻ってないかもしれないので、後はしっかりご飯を食べて英気を養ってください」

「うん、ありがとうシルク」

「Isamu!」


 俺とシルクの会話が一区切りついたと見るやジョルジュ君が身を乗り出してくる。


「Hey! Hey!」


 何か意味のある言葉を言っている風ではなく、呼びかけて、それに合わせてバシバシと布団を叩いてくる。それが言葉が通じないなりの彼からのコミュニケーションだというのはすぐに分かって、俺は彼の言葉を真似しながら手を差し出す。


「Hey!」


 二人で手の平を打ち合わせた。


「すっかり仲良しさんですね」

「そう?」


 そう見えるのなら素直に嬉しい。俺は打ち合わせたまま繋いだ手を強く握ってジョルジュ君、いや、ジョルジュと握手する。じっと見つめ返してくる瞳を重ねてから、二人で一緒に笑顔になった。


「ほら、やっぱり仲良し」


 そう言うシルクもやはり笑っていて。


「Mr.Yuduki!」

「Are you all right?」

「I am cooking, Isamu!」


 慌てて駆け込んできた村長さんとジョアンさん、そしてカルラさんの呼びかけ。そのどれもが今の俺には温かく聞こえる。

 達成感みたいなものは特になかったけれど、今この瞬間がとてもいい空気に満ちているのを感じられて俺はとにかく嬉しかった。


「You are a hero!」

「Thank you very much. Thank you very much, Isamu!」

「はい、はい」


 異世界に来てからこの方平和とは無縁な出来事にばかり遭遇しているけれど、同じくらいこれまでの世界では得がたかった何かに俺は触れられている気がしていた。


 ふと視線を向けた先、イチゴの苗に水が与えられていることに気がついて、俺はその思いをますます深める。


(もっとこの世界について俺は知らないといけない。ちゃんと生きていくために)


 少しでも目の前の温かな人達に、俺なりのお返しが出来るように。


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