7 視線
午前中の授業が終わって、生徒たちが賑やかに行きかう廊下を透が歩く。昼食を買うため売店に向かっているのだ。
その隣を圭吾が歩く。
「今日は弁当じゃないんだな?」
「たまにはさぼりたいと思うこともあるさ」
いつもは夕食の残りや朝食のついでに作ったものを弁当に入れてるのだが、昨日の夕食も今日の朝食も弁当に入られるようなものはなかったのだ。そのため今日はパンでいいやと作らなかった。
「いつも自分で作ってんだっけ? 俺だったら無理だな」
「小遣い多めにもらっているから、いつもパンで大丈夫なんだけどな。それだと自由に使えるお金が減るんだ。だから弁当が大半なんだよ」
「隣のお姉さん方に作ったりしてもらえないのか?」
美人の作る料理が食べた~いと両手を胸の前で合わせてくねくねと動く圭吾。
それを気持ち悪い動きを止めろと言って、軽く頭を叩いて透が止める。
「一度くらいは作ってもらえるかもしれないけどな。厚かましくて、そんなことは頼めない。頼むとしたら忙しくて、色々と余裕がないときだろうさ」
「今は家事に受験勉強やってるだろ。余裕あるのか?」
「弁当作る程度にはあるぞ。部活続けていた状態で、この前みたいに妹が怪我したりすると余裕がなくなるだろうが」
「そこまでいくと他の奴らでも余裕なくしそうだな」
売店に到着した二人はパンを買うため列に並ぶ。
その位置から食堂の様子が見える。
「相変わらず食堂は人が多いな」
「調理師さんたちの腕がいいからなー。特に週一で気合い入れて作る限定十食の特別メニューは戦争だ。俺はまだ一度も食べれてない」
「俺は食堂利用したことないから、そんなものがあったことすら知らなかったよ。美味いっていう噂は聞いていたけど」
「なんかコンテストで優勝経験のある人を校長のツテで連れてきたらしい」
「店出せばいいのにな。なんで高校の食堂で働いてんだ?」
「さあ?」
二人の会話を聞いていた前に並んでいた男子生徒が振り返る。
「開業資金を貯めるためらしいぞ。多めの給料を渡す条件として、美味しい料理を作ってもらったり、調理師たちに技術指導しているそうだ」
「へー、指導してるならその人がいなくなっても質が極端に落ちることはなさそうだな。俺も一度指導を受けてみたいもんだ。煮物や揚げ物のコツを教わりたい」
「この話を聞いて、教わりたいって言ったやつはあんたが初めてだな。開業した店に行ってみたいって言うやつがほとんどだ」
「こいつ、家で毎食作ってるからな。そういった意見がでるんだろ」
圭吾の返しに男子生徒はぽかんとした顔を見せる。
「どしたよ?」
「いや、毎食料理? ほんとに?」
とても料理をするような外見には見えず、聞いたことを疑ったのだ。がっしりとした体つきの厳つい顔の男が、台所で料理している姿に違和感があった。
がたいのいい料理人がいないかといえばそんなことはなく、この男子生徒の個人的な感想だ。
「その気持ちはよーくわかる。けど妹たちのため日夜頑張ってるぞ」
圭吾も料理のことを初めて聞いたときは盛大に驚き、笑い、煽ったものだ
煽りすぎて、部活動のとき不機嫌な透に何度も投げ飛ばされたのは苦い思い出だった。
「ほー、指導を受けたいのはその妹さんたちのためか」
「お前らそろそろ順番がくるぞ」
いつまでも話してないで先に進めと、透は二人の背を押す。
透はパンを三つとお茶を買って、教室に戻る。
その透に視線を向ける女子生徒が一人。
「茉莉子、また藤井君見てるの?」
一緒に弁当を食べていた女子生徒が、透を見ていた女子生徒、茉莉子にこそこそと聞く。
「うん。いつもは弁当なのに、今日はパンなんだ」
「たまにはパンの日があるってことは、弁当作ってあげるチャンスがあるってことじゃない。やったじゃん」
「もうっそんなんじゃないって言ってるでしょ」
この友人は茉莉子が透のことを好きだと考えているのだ。
茉莉子はそういった発言が出るたびに違うと否定している。照れた様子が皆無なので、茉莉子の否定は照れ隠しなどではないのだろう。
「いつも違うって言ってるけど。よく視線を向けているし、気にしてるじゃないの。いつもなにを食べているかなんて普通は把握しないよ?」
「気にしているのは否定しないけど、ほんとに好意はないんだよ。いや別に嫌ってるわけじゃないよ? ただ恋愛感情はないっていうだけで」
「気にしている時点で怪しいんだけどなぁ」
「どうして気になるのか、私自身よくわからないから」
言いながら自作した弁当から里芋の煮っ転がしをとり、口に運ぶ。
「うん、やっぱり今回のはいいでき」
「そんなに? 一つちょうだいな」
「そのカレー風味のポテトサラダと交換ね」
互いにおかずを交換し、食べる。
「ほうほう、たしかにいいできだわ。長いこと料理しているだけはあるわね」
「ありがと」
褒められて嬉しそうに礼を言う。
「話を戻すけど、藤井君のことはいつから気になったの?」
「戻すの? 別にいいけどさ。そうだね……二年の三学期終わりくらいかなー」
「ああ、二年のときも同じクラスだったんだね。一学期二学期は特に気にならなかったんだ?」
「そうね、うん、クラスメイトとしか見てなかったよ」
「じゃあ三学期になにか気になるきっかけでもあったのかしらねぇ。なにか話したり、手伝ってもらったり」
「そういったことはなかった。接点ってそんなになかったから。挨拶くらいならするけど、それはほかの人にもするし」
「意外な一面を見てギャップ萌えとか」
思いついたことを言う女子生徒に、茉莉子は首と横に振る。
「本当になんとなく二年の三学期から気になったんだよ」
「どうしてなんだろうねぇ」
不思議そうに首を傾げる女子生徒。気になるにしても大なり小なりきっかけはあるはずと思うのだ。けれど茉莉子からはそういった情報が得られず、恋愛事とはまた違う意味で気になる。
「藤井君と話してみればわかるかもしれないわね」
「なんて話せば? あなたのことが気になるんだけど理由わからない? とかそういった感じかな」
「いやそれは向こうが返答に困る聞き方でしょうよ。二年の三学期辺りになにかあったか聞いてみたいところだけど。まずは何気ない会話から始めるのがいいのかしらね」
「だ、男子に自分から話しかけるのって緊張するんだけど」
できるのかなと茉莉子の顔が若干赤くなっている。
「なれてなさそうだしね。でも話しかけて」
「なんでよ」
「気になる理由を私が知りたいから」
気になって仕方ないのだ。このままわからないままだと気持ち悪い。
呆れた視線を友人に向ける茉莉子だが、本人も知れるなら知りたいという気持ちはある。
このままずるずると聞かずにいて卒業ということもあり得るのだ。
「ちょっと頑張ってみよっかな」
両手を握って頑張るとポーズを決める。
「その結果やっぱり恋愛だったというのが私好みな展開なんだけど」
「ないから。恋愛って相手と一緒いたいとか、相手のことを想うとわくわくどきどきするんでしょ? 藤井君を見てそういった感情はないんだよ」
心の中で別の人にそういった想いを抱いているけどね、と呟いた。
「あれよ、はじめはなくても話していくうちに惹かれることもありえるから」
「そういうこと言われると、意識して話しづらくなる」
うーっと小さく唸って友人を可愛らしく睨む。
ごめんごめんと軽く謝る友人の声を聞きつつ、茉莉子は弁当を食べてしまう。
空になった弁当箱を片づけると、茉莉子は深呼吸をして透に近寄る。
(最初は何気なく何気なく)
緊張する自分にそう言い聞かせる。ドキドキと鼓動が聞こえてきて、頬に朱が差す。
透と話していた圭吾が茉莉子に気づき、指差し教える。
明らかになにか重要なことを話しますといった茉莉子を、何事だといった眼差しで見る透と圭吾。
視線を受けて、さらに緊張が高まる。
茉莉子は口を開いてなにか言おうとするも何も発せられない。
(何気ない話題ってどんなことなんだろう!?)
緊張のせいで頭が回らず、どう切り出せばいいのかわからなくなったのだ。
その茉莉子を不思議そうな視線で透と圭吾は見る。
早くなにか言わなければと思った茉莉子は、深く考えずに思いついたことを口に出す。
「お味噌汁は赤味噌ですか!? 白味噌ですか!?」
それなりに大きな声だったので、いきなりなんだと教室にいた者たちの考えが一致する。
透たち以外の注目も集まり、自分でもなに言っているのかと落ち込む。
あぅ、と赤くなった頬を両手で隠すように触れる茉莉子を見て、透はとりあえず質問に答えることにした。
「白味噌。母親が白味噌使ってたから、母親から料理を教わった俺もそっちを使うようになった。でも外食とかで赤味噌の味噌汁飲むこともあるし、どちらも美味しいと思う」
「……お母さんから習っているの?」
少し羨ましげな感情を込めつつ尋ねる。
「留守がちになるからって家事を一通り仕込まれたんだよ」
「そうなんだ。ずぼらな生活にならないようにっていう気遣いなのかな」
「俺一人ならそういったことはしなかっただろうけど、妹たちの健康面を気遣ったんだと思う」
実際、透よりも双子を気に掛ける比重が大きかったのは事実だ。
そのことに親の愛情がないと嘆くほど透は子供でないし、透自身も双子のことは大事なので納得できていた。
「妹さんもいるんだ? 自分だけじゃないなら手を抜けなくて大変じゃない?」
「半年以上やればなれてくる。最初は勝手がわからなくて大変だったけどな」
「半年以上ってことは、二年の三学期くらいから家事をやってるの?」
透を気になり始めた頃と合致したことに、尋ねる口調が少しだけ強くなった。
「そうそう。習い始めたのは去年の暮だ」
「それくらいから透の話題が、どこか所帯染みていったんだよな」
二人の会話をパンをかじりつつ静かに聞いていた圭吾が口を挟む。
「そうか? んで父親の出張に母親がついていった二月半ばから俺が家事をやるようになった」
「そうなんだ。なるほどねー」
「若竹さん、なにがなるほどなんだ?」
うんうんと納得したように頷く若竹茉莉子に圭吾が聞く。
「私は去年も藤井君と同じクラスだったんだよ。それで三学期からなぜか藤井君が気になり始めたの。これまでどうしてかわからなかったんだけど、今の話でわかった」
「なんだろな? 気になり始めたとか恋愛関連っぽいのに、それが感じられないのは」
首を傾げた圭吾に、あの子と同じこと言ってると茉莉子は笑う。
「だって恋愛事じゃないもの。藤井君が気になったのは、同類だからだよ。私も家事をやってるの」
「若竹さんも俺んところみたいに両親が出張?」
「いやうちは父子家庭だから。仕事で忙しい父さんにかわって小学校の頃からやってた」
少し重そうな家庭の話が出てきて、透は少し詰まるもすぐに口を開く。
「……なるほど先輩というわけだな。きっと俺の未熟な家事技能にプライドが刺激されたんだろう」
「そ、そうなのかな?」
「ああ、きっとそうだ。それくらい半年前の俺は未熟だったが。しかーしっネット上で数々のお役立ち情報を得た今の俺は違う。例え年期の差があってもなんとか食らいつけるくらいには家事技能を伸ばしているっ。先輩よ、知っているか? 茶殻は消臭に役立つことを」
「当然。それくらい基本だもの。茶殻の利用法はもっとあるわ。魚を切って生臭くなったまな板や包丁は、ガーゼに包んだ茶殻でふくといいの。知っていた?」
「ふふっ甘く見てもらっては困る。知っていたさ」
透と茉莉子の眼がキランッと光を放つ。
次々と家事に関する豆知識を話し始めた二人の間に、暗いものはない。透の狙い通りだった。
「これが高校生の会話かよ」
呆れた圭吾の感想は夢中になっている二人の耳には届かなかった。
二人の家事に関する話は昼休みが終わるまで続き、以後たまに家事に関して話し合う二人の姿が見られた。
だがその姿を見て恋愛事に結び付ける者はおらず、主婦の井戸端会議を連想する者がほとんどだった。
感想とポイントありがとうございます