5 自転車
土曜日の授業から帰ってきた透は、家にいた双子に昼食を作り、出かける準備を整える。
そわそわとした様子の実星はすでに玄関を開けて二人を待っている。楽しみで仕方ないのだろう。
「にーちゃん、まだー?」
玄関から聞こえてくる声に財布を持った透は笑みを浮かべる。微笑ましさと仕方のない子だという思いが込められている。
財布をポケットに入れた透はそばにいる星乃に顔を向ける。
「しのは落ち着いているな?」
あまり欲しくはなかったのかと気になった。
「楽しみだけど、みほみたいにはしゃぐほどでもないよ」
「そっか。楽しみにしてるならいいんだ。欲しくない物を無理に使わせようとしているんじゃなかってちょっと心配したが、大丈夫なようだな」
ポンッと軽く頭に手を置いて撫でる。さらさらの髪は触り心地がいい。
それに星乃は目を細めてくすぐったそうにする。
「嫌だったらちゃんと言うよ」
「そうだな。ちゃんと言ってくれると助かる」
もう一度二人を呼ぶ実星に今行くと返し、玄関に向かう。
家を出た三人は真っ直ぐサイクルショップには向かわない。まずはお金をおろす必要があるのだ。
透は右手に実星、左手に星乃と手を繋いで歩く。上機嫌すぎて注意散漫になっている実星と手を繋ぎ、羨ましく思った星乃が反対の手をとったのだ。
銀行によって六万円をおろした透は、再び双子と手を繋いで大型スーパーの中にあるサイクルショップに向かう。
早く早くと手を引っ張る実星によって歩くペースが上がる。
「ついた!」
ずらりと並ぶ自転車を輝く目で見る実星。
「とりあえず二人は好きに見てきたらいい。その間に兄ちゃんは店員さんに話を聞いてくる。ただしはしゃぎすぎてなにかを壊すようなことはするな。もしそうなったら自転車はなしだ」
「わかった。行こっしの」
手を繋いで早足で店内へと入っていった。
歩いて店内に入った透は、棚で商品の確認をしている店員に近づき声をかける。
「はい、なにかご用ですか?」
「子供用の自転車を二台買いたいんですが、サイズはどのあたりを目安にすればいいのかと。あと予算は一台二万五千円くらいです」
「なるほどなるほど。お子様の性別と年齢と現在の身長はどれくらいでしょう?」
「女の子で年齢は十才。身長は百三十八センチくらいだったはず。百四十センチはありません」
「少しお待ちください」
店員はレジに移動して、レジ下の引き出しからファイルを取り出す。
目当ての書類を見つけたふんふんと頷いて、透のそばに戻る。
「おすすめのサイズは二十二インチのものですね。ですが女の子でその年齢ですと、そろそろ成長期で自転車のサイズが合わなくなる可能性もあります。一年もたたずに買い換える可能性もでてきますね。とりあえず値段をおさえて一万五千円くらいのものを買って、買い換えに備えるといった考えもありますが」
「成長期ですか、それについては考えてなかったですね」
どうするべかと、悩む様子を見せる透。
ちらりと双子を見る。
いろいろな自転車を見て回るその姿は楽しそうで、家では実星ほどにはしゃいでなかった星乃も実物を見て目が輝いている。
そんな二人に安物を与えるのもどうかと思う。初めて乗るものなのだから、それなりにいいものをあげたい。
「まあ、いいか。最初に言った予算のものでお願いします」
「かしこまりました。そうなりますと、うちにある品物では二万二千円から二万六千円の間で四種類が該当します。ちょっと移動させるのでお待ちください」
店員は多くの自転車の中から、四台を引っ張り出して並べる。
その間に透は双子を呼ぶ。
「こちらの四種類です。色もいくつかありますのでカタログをどうぞ」
四種類の自転車に鉛筆でマル印がつけられる。その下に色がサンプルとしていくつか並ぶ。
双子はカタログを見て、どれがいいかと楽しそうに話している。
それを見ている透に店員が声をかける。
「防犯登録はいかがいたしますか? 今なら無料ですよ」
「やっておきます。書類を書いて役所に出せばいいんでしょうか?」
「必要書類を書いていただき、こちらに出してもらえれば大丈夫です。書類を持ってきますね」
店員が持ってきた書類について説明しているうちに、双子はほしいものが決まったようで透の服を引っ張る。
「ん? 決まったんだな」
「うん。これの黄色と空色」
実星が指差したのは二万四千円の自転車だ。
「というわけで、これを二台いただけますか」
「はい。倉庫に入れてありますので取ってきますね。そのあと高さの調整などを行います」
倉庫に向かった店員は、両手で補助輪のついた自転車をひっぱり戻ってくる。
「こちらで間違いございませんか?」
自分たちのものとなる自転車に触り、うんうんと頷く双子。
「では会計を。そのあとに調整しましょう」
「五万円です、どうぞ」
透は財布から取り出したお金を店員に渡す。
たしかにと言って受け取った店員はレシートとお釣りを返し、調整に必要な工具を持って双子の自転車に近づく。
実際に双子に乗ってもらい、サドルの高さを調節し、ハンドルの高さも合わせる。
「うん。こんなものかしら。持ちにくいとかそういったことはない?」
聞かれた双子は首を横に振る。
「あとは補助輪ですけど、このままにします?」
「みほしの、どうする?」
「練習するから外していいよ」
「うん。外す」
というわけで店員に補助輪を外してもらう。
「これで調整も終わりです。あとはどこか不調がでたら、レシートを持って当店に来てください。一年間は無料で修理と調整をしますので」
「わかりました。レシートをなくさないよう大事にしまっておきます」
「お買い上げありがとうございました」
店員に見送られて、透と双子は自転車を持って店を出る。そのままマンションに戻り、近くの公園で練習を始める。
「とりあえず俺が母さんとやった練習をしてみようか」
双子を自転車にまたがらせて、地面を足で蹴って進むといった方法だ。
バランス感覚を覚えさせ、ペダルをこいで進む練習時に足をつけば転ばないと理解させるためでもある。
「ほい、いっち、に、いっち、に」
透の掛け声に合わせて双子は左右の足を動かす。
「はい、ストップ。これ以上は進めないから自転車を反対に向けて、また同じことやろう」
さらに一往復して、双子自身で周囲に気を配れるようになり、透が止めずともよくなった。
自分たちで練習をさせて、それを見守っている透はデジカメで練習風景を撮る。写真を両親や祖父母に見せるためだ。
最初は携帯についているカメラで撮っていたのだが、その映像のできに納得できずデジカメを小遣いで買い、撮るようになった。携帯で撮るよりも上手く撮れるようになると、楽しくなり今では趣味になっている。
レンズを通して見える双子の真剣な表情に、透は笑みをこぼす。ああいった表情ができるほどに成長していることが嬉しい。
デジカメを構えている透に里紗が声をかける。
「やってるねー。調子はどうだい」
「練習始めたばかりなんでわからないですね。でもやる気があるからそう苦戦しないと思いますよ」
「そっかそっか。なにか手伝えることはある?」
「次は坂道で同じことをやってもらうつもりなんで、勢いがつきすぎないよう見てもらえます?」
「いきなり坂道は危なくない?」
「急な坂道でやらせる気はありませんよ。ほらすぐそこの短くてすごく緩い坂があるでしょ? あそこでブレーキの役割と勝手に進む感覚を覚えてもらおうと」
「なるほどね。あそこなら安全か」
透が指差した方角を見て、納得した様子を見せた里紗。
双子を呼んで、次のステップに進むと告げて移動する。
地面を蹴らずとも勝手に進む自転車に、双子はふらつく様子を見せる。だが先ほどの練習が生きて、すぐに足をついて転ぶようなことはなかった。
坂道の終わりまで来て、自転車を押して上がり、また下る。繰り返すうちに次第にバランスがとれるようになり、足をつく回数が減っていく。
「はいOK。足をつかなくなったわね。じゃあ次はいよいよこぐ練習かしら」
里紗が透を見て確認すると、頷きが返ってきた。
公園に戻り、周囲の確認をさせた後、ペダルに足を置かせる。
「バランスも覚えたし、すぐに足をつけばこけないことも覚えた。あとはもうこいで進むだけ。ゆっくり進むより思いっきり踏み込んで、勢いをつけた方がいい。じゃあやってみて」
やや緊張した面持ちで双子はペダルをぐいっと踏む。
自転車が進んで肌に触れる風を体全体で感じる。自転車を乗り慣れたものにとっては当たり前の感触で、初めて自分で動かした双子には新鮮なもの。もっとこの感覚をと反対の足でさらにペダルを踏み込めば、ぐんっと速度が増す。
陽射しに熱せられた肌に、風が心地よく、交互に足を動かしていけば自転車は当たり前のように進む。
「いい表情だ」
双子が自然に浮かべた達成感のある笑みを透は撮り逃すことはなかった。
ここ最近で一番のベストショットだろう。これは両親たちも満足の写真になる。
里紗も双子の様子に感慨深いものを得たか、うんうんと何度も頷く。
「私もあんなふうに笑ってたのかな」
「おそらくは。俺も同じなんでしょうかねぇ」
幼い頃の記憶を振り返ってもおぼろげで、二人に確信はない。だがきっと同じように嬉しさや達成感を感じていたはずだと思えた。
「あらあら、二人とも上手に乗れてるわね」
小さなクーラーボックスを持った綾が透たちの隣に並ぶ。
「綾さん、そのクーラーボックスは?」
「差し入れ。夏は盛りを過ぎたといっても、まだ日中は暑いからね。ジュースや冷やしたタオルといったツメタイものをツメタわ」
ドヤ顔で言った綾を見て、ああ駄洒落かと理解する透。
聞いていた里紗と一緒に乾いた笑いしかだせなかった。
「二人ともこっちにおいでー。ジュース持ってきたよー。ジュースィーなオレンジジュースだよー」
再度飛び出した駄洒落に透と里紗はもう呆れの表情しか出せない。
「ジュース!」
「オレンジジュース!」
双子は駄洒落だと気づいてはいないが、ちょうど喉が渇いていたので嬉しそうに綾に近寄る。
「ジュースの前に、冷やしたタオルで汗をふこうか」
双子は差し出されたハンドタオルを受け取り、腕や顔や首を気持ちよさそうにふいていく。
ふきおわったタオルを受け取り、綾はかわりに紙コップを渡す。
双子が持つ紙コップに注いだあと、透たちの分も注いで渡す。
「二人も暑かったでしょ。水分補給しておいた方がいいわ」
紙コップを通してジュースの冷たさが手に伝わる。
ぐいっといっきに飲み干せば、体内の熱が少しだけ散らされた。
「ちょっとした贅沢をした気分だ」
「オーバーね」
透の感想に綾はクスクスと笑い声を漏らし、双子の紙コップにおかわりを注ぐ。
それを飲み干した双子は再度自転車にまたがって、楽しくて仕方ないといった様子で自転車をこぎ始める。
ポイントありがとうございます