第5話 悪業の外出
『外に出よう!』
人の気も知らず、そのようなことを言いやがった護符、クロを悪業は睨み付ける。
休日。土曜日の昼のことだった。あの喧嘩から数日、いつものように引きこもっていた悪業に向かってクロはそう言い放った。
それに対する悪業の気持ちは・・・お前話聞いてたか?の1つである。
「クロ、君には前に話したよね、僕はここから出たくないの。ましてや休日に。休日と言えば外には人がいっぱい。中には知り合いもいるかもしれない」
長いこと外に出ていない。
悪業の引きこもりはずるずる型だ。最初は母を失ったショックで外に出なくなり、一度長いこと学校などに行かないと今度は行きにくくなって家に引きこもる。
そしてもしかしたら黒木の陽山師にだって・・・会う可能性があるのだ。みんなの母を奪ったこの悪業をどういう目で見るのか。
どっちにしろ完全に自業自得ではあるが、今更外に出ると同情されるか、引きこもりのやばいやつという目で見られて終わりだろう。ただでさえ悪業の髪色は黒が濃すぎて目立つというのに。
それでもクロはわかってくれない。
『あのなあ、こんなところにずっといたら体調崩すぞ』
「クロは僕に死んでほしいんじゃないんだっけ?」
『ああ、そりゃあお前がいない方がのびのびできる。ただよ...気付いちまったんだよ...俺はこのままだと外を出歩けねえことに...』
普通に考えて動く紙などありえない。それだけでかなりの騒ぎになるかもしれないと、ここ数日で得た情報からクロは判断していた。『だってよ...てれびを見ても全員人間でやんの...たまに動物も出るがそれも俺からしたら人間と同じようなもんだ、でも紙はいねえ』当たり前だ。
せめてこの護符を持ち歩く人間がいなければ意味がない、と。
クロは今までの発言はすべて忘れてくれといっているように(護符の動き方がそんな感じだった)、悪業の方を向く(正確には護符なので表裏がわからないが)。
『俺がこの護符を出るまでお前を殺すのはやめにした』
「ここまで自分勝手だと何も言えない・・・」
傲慢。
クロが何かの目に見えぬものであることは間違いない。それがどういうものなのか分からないが、きっと人間とは文化から何まで全部違うのだ。こういう性格が形成されてもおかしくはない。
きっと人間社会では生きられないな、と悪業は思う。それが自分にも言えることだと気付いてまたすこし落ち込んだ。
もう呆れて会話を切り上げようとしたが、ふと思いついたことがあった。
「そういえばクロって記憶がないんでしょ。それを取り戻したいとかって考えたことはないの」
『ない』
即答。
割と重要そうなことだから色々と気を遣って言葉を選んだのだが、クロ本人は別にどうとも思っていないみたいだ。というか記憶がなくてもいい、とは・・・。
『どうせこの護符からでれば思い出せそうだし、そもそも忘れちまったものをなんで思い出す必要がある?いらねえから忘れたんだろうがよ』
「そのポジティブさは見習いたいところだよ・・・」
このようなメンタルがあれば引きこもることなどなかったのだろうか、なんて考えてしまう。
これで話を流せたと思ったのだが、クロはまだ覚えていたのか、出かけるぞ、もう準備はできてる、おまえもはやく支度しろと一々言ってくる始末。
いい加減怒ろうとしたものの、この護符に何を言っても意味がないこともまた事実。ただし、悪業も外には出たくない。立場は対等。......のはずではないのだが、なぜか対等なので悪業はすぐに諦める。
「わかった、わかったよ」
悪業は小さくため息をついた。そして取り出したのは100円玉。そして......護符。
それを手に握ってクロの前に座る。
「僕は今からこの100円玉を上に投げて、左手か右手かどちらかでキャッチする。どちらの手でキャッチしたか当てることができたら外に連れて行ってあげる」
さも譲歩しているように見えるが、そうではない。これは悪業が必ず勝つゲームだ。先ほど取り出した護符はスピード増加、速水の使っていた護符の弱い版である。
それを腕にかけ、ものすごいスピードでキャッチした後、ものすごいスピードでそれをポケットに隠す。もちろんそのままやってしまえばいくら速度増加の護符とはいえバレバレだ。だからできるだけ滑らかに、わざとジャージのポケットを膨らませて...悪業は長い引きこもり生活の中でこのような技術を得ていた。
『ほう...面白いじゃねえか...男に二言はねえよなァ』
「もちろんだよ...もしこれ僕が負けて約束を破ろうとしたその時は僕を殺してくれてもいいさ...」
ちなみに災厄には憑依という力もある。
主に霊力の弱い災厄が行うことではあるが、この世の万物には必ず霊力が通っている。もちろん人間も。その霊力に溶け込み、同化することでその溶け込んだ相手を操ることができるのだ。
力の強い災厄ならば現実世界にそのまま影響を与えられるのであまり憑依はしないが、弱いものだと霊力に影響を与えることができても現実の物に直接影響を及ぼすことはできない。だから憑依をするのだ。
よく、殺人事件などで急に人が変わったように襲い始めた、なんて言われることがあるが、あれは災厄が憑依して行われるものであることが多い。
そもそも災厄が人を襲う理由は霊力の強そうな自分を邪魔しそうな相手を消すためだったり、場所に影響を与える時はその場所が霊力の源である霊脈の場合が多い。
しかし災厄も思考する。霊力関係なく邪魔なら襲うし、なんなら暇つぶし襲うことだってある。
陽山師の仕事がでかい災厄から小さい災厄まで扱っているなんでも屋のようになっている理由がこれだ。いくら小さくても人を傷つけたら、そもそも存在するだけでも危険なものを放ってはおけない。
だからクロにも悪業に憑依して無理やり外に出るという方法もあるのだが、元々陽山師は訓練で霊力をうまくコントロールする練習をするため、霊力に溶け込んでもすぐに外に出されることになる上、一番の難関としてそもそもクロは封印されているというのがある。出せるのは口部分だけだ。
そもそも封印がされていなければ、悪業は父に電話が繋がらないという理由でクロのことを先延ばしにせず、無様でも助かりたい一心で黒木の屋敷に逃げ込んでいただろう。それほどまでに災厄は恐ろしい。
護符を見た感じ、霊力は働いていないものの、霊力を感じないということはクロ自身の霊力もまたない、ということ。どんな災厄でも自分の霊力を意図して0にすることはできないため、その事実に安堵した。
「いくよ・・・」
悪業はコインを投げるそして小さく...
「速度増加...急急如律令...」
そう呟いた途端。手が少しだけ輝き始める。そこからはきっとクロには見えなかっただろう。ものすごいはやさでコインを一度掴み、その後親指で弾いてポケットにホールインワン。
ただ単純に追うことはできるかもしれないが、絶対にものすごい手の動きの速さに目をとられ、2段階目のコインホールインワンには気付かない。
なにやら記憶喪失とはいえ災厄。陽山師の知識は若干あるみたいだが(そもそも災厄に陽山師の知識があることは普通なのかもわからない)、知っていることとそれを看破できるかどうかは別の問題。
使った護符も弱く、霊力の変化もほぼない。霊力を見ることができてもそれだけではイカサマは破れないのだ。悪業は思わず笑う。これは自分の勝ちだと。
「さあ、クロ...どうする...?」
『どうするも何もお前、コイン持ってねえじゃん。ポケットの中に入っちまってたぞ、やり直しか?』
「え...?」
そのセリフに驚く。
見えていたのだろうか。いや、そんなはずはない。封印されて霊力0の災厄だぞ。そんな存在があのスピードを、護符により僅かに変化した霊力を見極めたというのか?
災厄は基本実体を持たない、霊力を見ることができる陽山師ならまだしも一般人は見ることさえできないのだ。だから自分の体に通う霊力こそが力の源であり、身体のある人間とは違い、霊力がなくなると何もできなくなる、弱い災厄だとそれだけで消滅してしまうほどだ。
どうやらクロは封印されているため、0になってもこの護符に存在が埋め込まれているので消えることはないらしい。
また、人間との違いとして霊力を作り出すことができる。それは自家発電のように定期的に無から生み出されるものや、人間を襲い、その霊力を食らうことで増やすこともできる。
だからこそ災厄には霊脈が必要ない。
人間は自分で増やすことができず、使えば使うほど減っていき、霊脈がなければ補充することができない。陽山師は霊脈を潰されると自分の中に残っている霊力のみを用いて戦うしかなくなるのだ。
「ご、ごめんもう一度やるね...」
悪業は何かの間違いだと、もう一度コインを弾く。
今度もさっきと同じやり方だ。
『またポケットだぞ...お前コイン掴むのへたくそだな...』
「なっ...」
また見破られた。
いや、しかしイカサマを指摘されたりはしていない、それに相手はわざとやっていることに気付いていないみたいだ。じゃあ、どうして。
『どうしても何もこの勝負、俺の勝ち以外にありえないからな。だって俺はコインの霊力を追えるわけだからよ』
「コインの霊力を追える...?」
万物には霊力がある。それはコインも例外ではない。だが、それは弱すぎて余程目の霊力が強いもの、もしくは護符などで強化しない限り見えることがない。
たまに陽山師で見ることを修行し、弱い霊力を見ることができる者もいるが、本当に数人しかいないし、悪業にも不可能だ。
そういえばその稀な力を持つ陽山師が少し前に退職してしまったみたいだけど、なんでだろう...なんて全く関係ないことに現実逃避しながら悪業はまたコインを握る。
しかし何度やっても見破られ、クロは気付いていないが全戦全敗。
「近所のスーパーまでならいいよ...」
何回繰り返した時だろうか。何回目の勝負か分からないそれは悪業の心が折れることで決着がついた。
こうして悪業が外出することになったのは幼馴染パワーでも恋愛でも家族でもなんでもなく、ぽっと出の紙ペラの我が儘のおかげとなってしまった。
○
外は快晴。
外出日和。それでも悪業の足取りは重かった。
『これが外...お前んちに行く途中もよ、テキトーに見ていたがこりゃすげえな。めちゃくちゃ広い』
「......」
悪業の恰好は部屋着のジャージにマスクそしてキャップ帽を被っていた。どこからどう見てもあやしい人間ではあるが、もし知り合いに会った時にこうしておかなければどうすればいいのか分からなくなってしまう。バレないようにバレないように振る舞うのだ。
「クロ、外ではあんまりきみの声に反応できないからね」
『わあってるって』
クロの声は波長を合わせた悪業にしか伝わらない。会話をすると悪業の声だけがまわりに伝わるようになり、1人で会話しているあやしい人物の出来上がりだ。
かといってクロの声をみんなに聞こえるようにしてもまたおかしい。悪業の服装は帽子部屋着マスク、そして一応持ってきた鞄。その中にクロを入れて持ち運んでいるわけだが、外から見ると1人。それなのに聞こえる声が二人分という有様も避けたいところだ。
しゃべるぬいぐるみみたいな感じにしようかとも考えたが、ぬいぐるみと話している悪業というのもとても危険なものなのですぐに却下することとなった。
その結果が今の状態である。要するに無視だ。
まだ心配事の1つとしてクロが勝手に動き出しすのではないか、という心配もあったのだが、そもそもこの状態を提案したのはクロだ。護符が動くことはおかしい、と理解していたみたいだし変な行動はとらないだろう。たぶん。きっと。
それでも盛り上がったらそのことをすべて忘れて騒ぎ出すかもしれない。常に用心する必要がある。
「しかしもう夏も近い...」
あまりにも強い日差しに思わず目を細める。キャップを被っているのでまだ抑えられている方だが、雲1つないこの青空を見ようとするとどうしても光が目に入る。
そして気温の高さだ。これはもう自業自得ではあるのだが、マスクをしているので熱がこもり、口元がとても熱くなっている。本気でもうマスクを外そうかと考えるが...。
「それはやめよう」
熱さよりも大事なものがある。
悪業はマスクを着けたまま近くのスーパーへと歩いて行った。
『すげえな...同じ建物がたくさんありやがる...』
クロが驚いて見ているのは住宅街だ。ここらへんは家が多く、住宅街とまとめられることが多い。もちろん悪業の家もその一角を担っている。
それぞれ一軒家には特徴があるのだが、クロにはどれも同じようなものらしい。2階があって窓があって壁があって...それを一緒くたにして同じ、と言っているのだろう。
歩くのは悪業のため、クロは鞄から顔(護符なので分からない)を出し、外を見ながら騒いでいるだけだ。そんな子供みたいな反応に何も思わないわけではない。ここまで喜んでくれるのであれば外出しがいがあるというものだ。
(まあ、これで外出してつまんねえとか言われたら今度こそ破り捨ててたけど...)
それにしてもと思い返す。
久々の外出。家に悪意がいなくてよかった、と。悪意は過剰なぐらい悪業のことを心配しており、外出するだなんて言った日には大げさに騒がれて泣かれてしまうかもしれない。
実際身内が長い間引きこもっていたらそれはもう心配するはずなのだが、引きこもっている本人にそれは分からないらしい。
『いやあ、全く飽きねえなあ、この景色』
それかこうして近くに能天気に騒いでいる護符がいるからか。
こちらの気分まで能天気になってしまうほどのはしゃぎっぷりだった。
「もうそろそろスーパーに着くよ」
『お、はやいな』
「近所だからね」
まわりに人がいないことを確認して小声で話す。やはり土曜日であるからか普段より人が多い。しかもみんな私服だ、当たり前だが。ちらほらと学生服の人間も見かけるが、やはり大部分の学生は私服で外に出ているのだろう。見分けがつかない。このような状態の中でクラスメイトと会うわけにはいかないのにその目印がない状況は困る。
そのための変装ではあるのだが、どうにも心許ない。本当に別人のように見えているのだろうか。
『お前ほんとに忍者みてーだな』
そう言ってきたクロの言葉を悪業は無視することにした。
そこから少しだけ歩くと少し大き目な建物が目に入る。スーパーとはいえ、様々なお店が中に入っており、カフェや服屋、ゲームセンターなどもあるので学生たちがたくさん来るところになる。
2階建てで駐車場もあり、ここらへんでは一番大きい建物かもしれない。
そもそもショッピング通りなどから少し外れると一気に田舎になる街だ。大きい建物なんてマンションぐらいしかない。
それでもクロにとっては新鮮らしく先ほどから悪業の鞄の中でうるさく騒いでいた。
その騒ぎを止めるためにもはやめにスーパーの中に入る。さっさと中を見てさっさと帰ろう。そう、先ほどのゲーム、外に出るかどうかを決めるためのものであってどれほど長く外に出るかを決めたものではない。そこらへんはこうして実際に足を使っている悪業に決める権利があるのだ。
あまりにも遅くなると悪意が帰ってきてしまう。面倒なのは勘弁だ。
そう決めると少しだけ足取りが軽くなる。嫌な時間は我慢するのではなく、自分で潰せばいい。どんどんポジティブになってきた。
悪業は早歩きでスーパーの中に入る。軽く冷房の風が当たった。やはりスーパー側も夏を意識しているらしい。悪業にとってもそれはありがたい。もう暑くてヘトヘトだった。
『中はこんな風になってたのか...お前の家とは大違いだな』
それはそうだ。
建物はすべて同じだとでも思っているのだろうか。
スーパーの中に入るとすぐにカフェが目に入る。いくつも椅子とテーブルが並べられており、カフェで頼んだものを食べる人や、このお店内で買ったものを食べている人、中には勉強をしている人もいる。
ちらっと見るとやはり学生が多い印象。制服などは着ていないからなんとも言えないが、見た目の若さで判断するとそういう印象になる。やはり落ち着かない。知り合いに見つかる前にさっさと...。
「え......あっくん......?」
真中中がそこにいた。
一番見つかりたくない相手に見つかることとなってしまった。
よろしくお願いします。