第18話 黒木悪業(2)
霊脈は消えた。
全てが終わる。
災厄たちが動き出し、すでに避難を始めていた住民たちはさらにその足をはやめる。これが地獄だと言われれば信じてしまうだろう。
物が勝手に壊れていく。地面が割れ、草木が枯れていく。
終わりの始まり。
関東の崩壊が始まった。
〇
『はっ!何をするかと思えばそーいうことかよ。全く元は俺と同じとはいえ狂ったことやりやがるぜ』
声が響いた。
絶炎を撃った善行は目的を果たした。これであと少しすれば霊印が浮かんだ人たちも、善意も助かるだろう。ここでようやく善意のことを思い出したことに違和感を覚えながらも、冷静だった。
善行は少しも動揺することなく、その地面に立っている黒い護符を見る。
「黒の禍津」
『絶炎やらで消耗して俺に気付かなかったみてーだな。こっちはお前のこと補足できたぜ、なんたって同じ霊力を持っているからな』
「霊力のキメラってところかな、俺がベースでもそっちはもう他の要素が入っているんだろう」
言葉を交わす。
黒の禍津。
たくさんの陽山師から最高の部位のみを集めて作り出した、大災厄対策の人工災厄。ベースとなっているのは善行の霊力であるが、もうすでにたくさんの霊力が混ざって善行側からの補足は難しかった。
しかし、補足できなかったとて意味はない。
「俺を止めに来たのか?見た感じだと護符のままみたいだけど」
そう、クロは封印されている。
人工災厄というのは禁忌にも近い。最も災厄と対峙する位置にある陽山師が作り出した災厄。これが広まれば陽山師の評判はガタ落ちすることだろう。
例えどんな理由があろうとも、災厄を作るというのはそういうことだ。
そのような理由からクロは厳重に封印されている。
その呪縛はとても大きかった。クロの封印が解かれるのは今のところ憑依した時以外では見つかっていない。
『ただ、一度解かれたことで記憶は戻ったぜ。あいつに記憶がない振りをするのは面倒だったがな』
記憶喪失になっていたクロ。
それはこの間、一瞬、悪業に憑依したときに戻っていたのだ。自分の生まれた意味、自分が何者なのか、そして善行との因縁。
『憎くてたまらねえだろ。お前の霊力は…未来は俺を作り出すために消えたんだ』
「……」
わかりやすい挑発だった。
今更それぐらいで激昂する善行ではなかったが、自分の霊力をベースとしたこの災厄の興味があるのもまた事実。少しだけ観察してみる。
(見たところただの護符…封印されているからかシロよりも霊力があるとは思えないけれど…)
『大災厄相手に作り出した災厄…それが私に対応するために生み出されたものとは限りませんよ』
シロが言う。
大災厄とは何もシロだけではない。最近起こった大災厄はシロが原因であるが、他の災厄が原因となって引き起こされた大災厄だってある。
むしろ、今までの歴史を見て、シロが起こした大災厄はこの間の1回だけ。他の大災厄は別の災厄が起こしたものであるし、1つの災厄がいくつもの大災厄を起こしたことだってある。
『聞けば私が大災厄を起こした前から計画されていたらしいではないですか。本当にあの黒い護符は私に対応しきれるのでしょうか』
いつもは丁寧な口調で物静かなシロではあるが、このときはとても余裕そうに、まるで嘲笑しているような言い方をしている。
ここで善行は思い出す。
いつもは大人しい感じではあるが、大災厄。善行の両親に悪業の母親、そして多くの陽山師の命を奪って、今もたくさんの命を奪おうとしている災厄だということを。
「シロは黙って」
思わず口調が強くなる。
ふつふつとわいてくる怒りはきっと力をつけたからだろう。今まではどうせ敵いっこないと諦めるようなところが力を手にしたことで諦めきれなくなる。
それが例え両親の仇によってもたされる力だとしても。
「それで俺を止めに来たのか?一歩遅かったみたいだけど」
『あ?お前の目的なんて知らねえよ。ま、その大災厄と一緒にいるってこたァ、霊脈を破壊するとかなんだろうけどな。霊脈の破壊は災厄の悲願だからよ。実際壊しちまったみてーだしな』
「じゃあ、なぜここにいる?」
『俺は人間が嫌いだ』
クロは語り始める。
『災厄だかなんだか知らねえが、自分勝手な理由で俺を作って暗い部屋に閉じ込めやがった。正直よ、俺はその白いのの封印が解除されてよかったって思ってるぜ、俺がこうして外に出れたんだからよ』
クロは大災厄に対応した災厄。
強い霊力を持つ災厄が現れると自動的に封印されていた場所を飛び出すように作られていた。それが大災厄の前触れともなるからだ。
予想外だったのは人工災厄がここまでの意志を持ったことだろう。本来なら飛び出した時に見つけられるはずだったが、クロは自分の足で移動を開始、そしてそのまま強い霊力に引かれて悪業の家へとたどり着いた。それは偶然だったのではなく、クロの性質のおかげだったのだ。
『楽しかった、外の生活は。見るものが全て新しくてよ…なんつーか輝いて見えたんだ。お前らには見覚えのある風景かもしれねえが、俺には全てが新しかった』
善行は聞き入る。
本当に災厄なのか、人の手で作られたのか、そう思うほどの思考能力。
『なんつーかよ、腹が立つんだが、そんな景色を見ることができたのも全部あいつのおかげなんだわ』
本当に言いにくそうにそう言う。
善行は思わず目を見開いた。
『俺1人だったらすぐに捕まってただろうし、あいつにどんな思惑があるかはわからねえが、俺をすぐに引き渡さなかったしな。案外借りがたくさんあるんだよな、腹が立つがよ』
だから、クロは区切る。
『お前の目的は止めねえ。ただ、あいつに手を出すのはやめてくれ』
頼みに来た。
災厄が1人の人間を守るために。
その光景をもし陽山師が見ていたらどんな反応をするだろうか。きっとどうせ騙すつもりだろうとか、そういうネガティブな意見しかないことだろう。
それほどまでに珍しい光景だった。
『俺のことは破壊してくれていい。ただ、あいつに手を出すのはやめてくれ』
きっと後先考えないところは善行に似ている。
霊脈を破壊すれば悪業はきっと危険にさらされる。それを防げるのはクロが憑依するしかない。それでも、目の前の脅威から守るためにこうして頼み込んでいるのだ。
「申し訳ないけどその頼みは無駄になるよ。俺の目的は霊脈の破壊、あっくんにも君にも興味はない。元から攻撃するつもりなんてない。もう俺の目的は終わったんだ」
『嘘をつくな』
ぴしゃりとクロが言う。
『本当にあいつを憎んでいるのかは知らねえが少なからずあの時の言葉は本心だった。そもそも本当に興味がないのならあんなことは言わねえ。饒舌にべらべらとしゃべりゃしない。好きの反対は嫌いじゃなくて無関心とはよく言ったものだが…てめえは結局決着を着けねえと気が済まねえのさ。もやもやしっぱなしで後悔するぜ』
「……君に何がわかる?もしかして霊力が俺ベースだからって俺になったつもりでいるのか?もし仮にそうだとして俺にそのもやもやを抱えたまま生きろってことかい?」
『そうだ、それがお前の、霊脈を破壊した罪だ』
「霊脈なんて興味もないくせに…よく言うよ」
善行は笑う。
まるで自分と話しているようだった。性格も全然違う。見た目だってそうだ。それなのに、どこか自分と似ている。向こう見ずなところとか、思ってもいないことを平気で言えたりとか。
「やっぱりあっくんはすごいな…災厄ですら変えてしまうなんて…」
『気持ち悪いこと言うな。俺はなんも変わってねえ。つーか、ベースがお前だからなんつーかあいつのこと放っておけないんだよ』
しかし善行は知っている。
クロに移植されたときの霊力はそれこそ大昔、赤ん坊の時のことであり、悪業と出会う前であったことを。ベースが善行でもまだ出会っていなかった人間のことは関係がない。いくら霊力に引きずられるといえども、悪業のことを放っておけないと感じるのはクロ自身だ。
それをクロに言ってもどうせ否定されるだろうと思い、善行は飲み込む。
「うん、そうか。わかったよ。わかった。全て終わり。霊脈も破壊できたし、善意も救えた。さっきは頭にもやがかかったみたいだったけど、いまはもう鮮明だ。だからわかった」
善行は腕を黒の禍津に向ける。
小さく「シロ」と呟いた。
とてつもない霊力が手に集まっていく。その手はすでに人間の手ではなく、ケモノ、異形の手。そこから放たれるは絶対の炎。確実に燃やし尽くすための炎。
「絶炎」
呟いた瞬間に轟音がする。
先ほど霊脈に使ったときと同じだ。霊力のみの放出。あたりが燃えることはない。炎として放出したのではなく、霊力の状態のまま放出したのだ。
壊すのはこの世のものではない存在。
黒の禍津。
ふと気付く。
憑依してある程度自分の中で霊力が作れる状態の善行でも何かに気付いた。
それは今まで流れていた力が失われるかのような。
纏っていたものが消えたかのような。
そんな不思議な感覚。
そうか、きっとこれが、霊脈が破壊された感覚。
霊脈のない世界。
そんな感覚を覚えながら、クロを本気で焼き切るために炎を放出する。
2回目の絶炎。
連続で放出しても疲れた様子はない。さすがといったところか。
「さて、と」
それが終わった後も善行の様子は変わらなかった。
いつものように学校を終えた感覚で、そう呟く。
「これで俺の目的は終わり。もうやることはない、はずだった」
きっとこれはクロに向けられた言葉だ。
「でも、まだあったよ。やっぱり、俺は超えたい相手がいる。まだ、生きてるんだろ、黒の禍津」
『おい…てめえ…』
恐らく、同じような力をぶつけて相殺、するつもりだったのだろうが、封印されている護符はボロボロになっている。やはり今は白の禍津の方が強い。
「君のおかげで気付けたよ。もう目的はない、妹の無事が確認できればそれでいい。きっと俺の人生は今、このためにあったとさえ思えるぐらいにやりきった」
それでも。
「それでも俺はあっくんと…黒木悪業と決着をつけたい。ずっと俺の目標で、それと同時に憎みたくなる相手だったあの男と」
その目は真剣で。
何かに追い詰められていたような気配は完全に消えている。
残ったのは男の意地。
『かっ!くだらねえ、言っとくが交渉決裂なら俺はここでお前を殺すぜ』
『あなたにそれができますか、紛い物の災厄よ』
シロがいう。
ここで初めてクロとシロはお互いを意識した。
クロは護符、シロは善行に憑依しているところではあるが、きっとこれはにらみ合い。大災厄と大災厄を滅する災厄の相容れないにらみ合いだ。
「シロ、もう少しだけ付き合ってくれ」
『了解しました。私もこの災厄を消したい。そのあとでよければあなたの最後の戦いにも加担しましょう』
「ありがとう、っていうのはきっとおかしいんだよね。俺は君のことが憎い。それでも僕が黒木悪業を超えるには君の力が必要なんだ」
それは仇討ちだとかそういう次元を超えた願い。
今、何よりも優先すべきもののために、善行は自分の親の仇と協力するつもりなのだ。その心境はいかほどのものか。計り知れない。
「それで君はその護符のまま戦うのかい?」
『随分となめられたもんだがよ、てめえこそわかってんのか』
威圧感。
ただの紙ペラ1枚。
それがただ地面にあるだけというなんだかシュールともいえるはずの光景。しかし、思わず後ずさりしたくなるような威圧感を感じた。
黒の禍津。
今でこそ護符に封印されているが、もともと大災厄を潰すために作られた災厄。その元となっている要素は選りすぐりの陽山師から取り出した霊力。
『俺は人工災厄だが、人工が弱いなんて道理はねえはずだぜ。封印されているとはいえ、体力が削られているてめえぐらいなら簡単に倒せる』
「その見た目だと忘れそうになるけど…そうだったね」
善行はそれでも恐れたりしない。
今はもう力がある。たとえ大災厄相手に戦える力を持つ災厄であろうとも。それに霊脈を破壊した今、善行はほぼ死が確定したようなものである。重罪人。
半ば自棄になっているのかもしれない。
でも、負ける気はしない。
「始めよう、人工災厄」
『いくぜ、白木』
足音がした。
とんでもない量の霊力を持ちながら、クロも善行もシロもそれを補足することはできなかった。こうして間近で見てようやくわかる。
あまりにも霊力の量が多すぎる。
そのことで霊力を補足する器官がマヒしていたのだ。
「これは願ってもない展開だな」
善行は笑う。
『せっかく気を遣ってやったのによ、てめえはいつもそうだな』
クロが悪態をつく。
「ごめん、遅くなった」
そこに現れたのはきっと。
「君を救いにきた」
情けなくて、頼りない、ヒーローもどきだった。
よろしくお願いします。




