第17話 黒木悪業
善行は山の頂上から街を見下ろしていた。
そこまで高い山ではない。遠くまでは見えないが、その代わり目に見える部分は鮮明に、善行の網膜に焼き付いていた。
あれは俺たちが最初に出会った公園。
あれは俺たちが通っていた学校。
あれは黒木の屋敷で、あれが白木の屋敷。これは俺が壊してしまったけれど。
頭にもやがかかってるみたいだ。思い出せるところと思い出せないことがある。ただ、善行の頭にあるのは霊脈を壊さなければいけない。それだけだった。
もう、善意のことは頭から消えていた。
この霊脈を壊したら全てがうまくいく、それだけが頭を支配している。
善行は悪業に勝ち、真中はきっと善行のことを。
「あれ、なんで俺はまだ霊脈を壊してないんだろう」
もう速水に待つと伝えたことも記憶から消えている。
これは白の禍津の影響も少なからずあるだろうが、それだけではない。これが善行の隠していた気持ちだった。負けたくない、勝負も、真中についても。いつも2番手だった。俺は、いつも悪業の後を追っていた。ひたすらに、追いつけないと知りながら。追っている間は楽だった。諦めてしまうことが何よりも、負けを認めてしまうのが何よりも怖かった。
霊脈を破壊すれば善行の勝ち。
悪業の負け。
俺は勝てる。
とうとう勝てるんだ。
「シロ」
『準備はできています。もうあなたはすでに絶炎が撃てる。それほどまでに同調しました』
手を山に向ける。
自分が立っている地面そこに向けた。
集めるのはまわりの霊力。そして自分の霊力。人間の霊力では人生で、一生で3回しか撃つことのできない一撃。それ故に霊脈を破壊することができる、最大の攻撃。
善行は呟く。
「絶炎」
〇
「……」
「よ、どうした」
ここはとある病院の一室。
白い空間に一切音のない部屋。個室なのか、ベッドは1つしかなく、他の患者の姿はどこにもなかった。そのベッドには1人の少女が寝ており、その傍に立つ少年はひたすら少女を見つめている。
少年、悪業は話しかけられたことに気付いて声のした方を向いた。
「速水さん」
そこにいたのは速水足鳥。
黒木の陽山師であり、いつもどこか飄々としている兄のような存在。善行との戦いで護符を重ねかけし過ぎて診察をしに来ていたらしい。
「俺のお見舞い、じゃなさそうだな」
いつもの茶化しに、悪業は少しだけ微笑んで返す。
その表情はついこの間まで引きこもっていた、自分勝手で弱い少年のそれとは何かが違っていて、思わず速水は黙り込んでしまう。
すぐに我に返り、悪業の隣まで移動した。
「善行に会ったよ。お前のこと待ってるんじゃないか。どんな因縁があるかは知らねえけど。ま、でも今のあいつは異常だよ。ありゃもう待ってることすら忘れてるな」
「そうですか。追いかけなくてよかったんですか」
「いいよ、悪性さんの作戦はあくまでも関東を捨てるっつーことだし、俺はそれに反対じゃねえしな。今は2つのことが同時に進められてるんだぜ。関東を捨てた後の事、そして黒の禍津探し」
「…クロはもう僕のところにはいませんから」
悲しそうな声。
それでも悪業の目線はベッドに寝ている少女に向けられている。
「その…すみません…」
「黒の禍津をすぐに渡さなかったことか?俺はお前が黒の禍津を持っててもいい、そう判断したんだ。それをお前の責任にするっつーなら今すぐお前をぶん殴るがどうする?」
「…」
何も言えなかった。
少なくともあの時、悪業がクロを渡していれば関東を捨てなくてもよかったかもしれない。こうして喧嘩してしまい、居場所なんてわからない状況になんて陥らなかったかもしれないのだ。
それを悪業は自分の責任だと思っている。
確かに速水には所持を許す、とまで言われなくとも持っていることを暗黙の了解のような形で容認してもらっていた。結果的には。
でも、それがなんなんだろうか。
何もできなかった、そして今みんなを危険な目にあわせているのは自分ではないか。
「次それ言ったら殺す」
しかし速水はいつものように飄々としながらも、怒気を孕んだ声でそう言った。
「人の責任を勝手に背負ってんじゃねえぞ、少なくとも部屋に引きこもってたやつに背負われるほど俺も落ちぶれてねえんだよ」
そのセリフは今回の速水の件だけではない。
悪業の母親が死んだ責任のことも、お前が1人で背負うな、というメッセージだった。それに気付いたのかどうかは分からないが、悪業はそれ以上そのことについて追及はしなかった。
「つーか、今は俺のことより、お前の、そしてそいつの方を気にしてあげるべきなんじゃないのか」
そう言って速水が指し示したのはベッドの上。
そこには静かに少女、真中中が寝ている。いや、気を失っているというべきか。熱がどんどん上がり、体の内部で普段使われないエネルギーである霊力が暴れている。それは常人にとって耐えられるものではなく、いずれ死に至る症状だ。
形はそれぞれ環境によって違うが、不思議な形の痣が現れることからそれは霊印と呼ばれていた。
真中の手には六芒星の痣が出来ている。
こうして横になって寝ているのもただ寝ているのではなく、あまりの苦しみに耐えられず気を失って寝ているだけなのだ。
そのことを思うと悪業は思わず拳をきつく握りしめてしまう。
「はい…そうですね…」
小さく呟く。
今、この病院にはたくさんの患者が運ばれていた。みんな全て体のどこかに六芒星の痣があり、症状も同じ。最初は感染症か何かだと思われていたが、病院側に陽山師が説明。
そもそも速水がここに入院していたように陽山師御用達の病院だったのだ。この病院から全国の病院へと連絡がいき、そして今はこうして患者に面会することも可能となっていた。
面会、というには静かすぎる彼女の姿を見て、悪業は目を拭う。
こんなに苦しくて、気絶するぐらいに辛いなのに真中は自分のことよりも悪業を励ますことを、救うことを優先した。
果たして悪業がもし逆の立場ならそのような行動ができただろうか。
絶対にできないだろう。
自分のことだけで精一杯で、むしろ助けを求めるはずだ。救いを求めるはずなのに、この少女は自分を救いに来た。その事実で何度も目頭が熱くなる。
「何がヒーローだ…僕なんかよりずっと真中さんの方が強いじゃないか…」
その言葉はきっと届いていない。
悪業は歯をかみしめた。
「善行の目的、聞いたか?」
「はい、霊印から善意ちゃんを助けるためだって…」
善行の妹、善意にもこのような痣ができ、霊印という症状に悩まされている。
善行に霊力がない分、妹の方に霊力がいった、と悪業は善行の父から説明を受けていたが、だとすれば霊印が浮き出ることなどありえない。霊力が強く、訓練を受けている陽山師には瘴気が効かないからだ。まだ見習いとはいえ、霊力が強く訓練を受けている善意が霊印にかかる理由とは。
最初は疑ったが、それでも事実らしい。
「悪業、お前には話しておく。俺も知ったのはたまたま、いや、勝手に盗み見ただけなんだが」
そのセリフに悪業はよく今まで陽山師をクビにならなかったな、と思いつつ先を促す。
「善行の霊力は善意にはいってねえ。どちらかといえば善行の霊力の方が強かったんだ」
「え…」
今まで真中を見ていた目が速水を捉える。
お世辞にも善行の霊力は強くはない。善意の霊力は小さいころのうろ覚えでしかないが、それでも今の善行よりはあった記憶がある。
それに強かった、とは……。
「霊力の移植だよ」
「霊力の移植…?」
「霊力の一部を切り取り、それを別のものに移植する。それが善行の物心付くずっと前に行われていたんだ」
霊力の移植。
そんな単語聞いたことがない。それに霊力は移植なんてできるものなのだろうか。その人間が生まれながらにしても持つものを移植するということは例えば足の速い人の才能を足の遅い人に移そうとする、なんてことと同じことになる。
「あー、それ自体はそんな難しくねえよ。移植つっても封印みたいなもんだ。そいつの霊力を別のものに封印する。封印された側はその霊力を操れるってことだ」
それに、と速水は一度区切った。
「霊力を本人から切り離すなんてことは簡単にできる。辛い記憶だとわかっていてあえて言うが、悪性さんが片腕を失ったとき、片腕に流れている霊力を失って総量自体も減っただろ?」
「だ、だとしても…なんのために…」
「人工災厄を作るためだ」
またしても聞きなれない言葉。
人工災厄。
その名前の通り、人工的に災厄を作る計画。陽山師には昔からある計画の1つだ。
昔から陽山師はいつか自分たちの手に負えない災厄が現れることを知っていた。それに対応するために作られたのが人工災厄。
災厄と綺麗に相殺させるために災厄とは真逆のベクトルに変化させた霊力を持たせ、もしその脅威が迫った時に完全に消滅させるための手段。
「結局は白の禍津を消滅させるものとして使われるかもしれんがな」
「そんな…」
そんな非人道的なことが認められるのか…?
「認められる認められないじゃねえ。大災厄に皆殺しにされるか数人の陽山師を犠牲にするか、だ」
「…」
「善行は1人のためにみんなを殺そうとしている、しかし陽山師は違う。みんなを守るために数人を殺す。それがこの国を守ってきた陽山師の方針だ」
もちろん、善行自身の許可は得ていないが、善行の親からは許可をもらった上で護符に霊力を移植している。もう、親が亡くなってしまった今、その真意を直接聞くことはできないが、善行の両親はきっと自分の息子より大勢を選んだのだ。
「それは責められることじゃあない。善行の親は白木をまとめる役職だった。その選択は陽山師として最善、しょうがないことなんだ」
速水の言葉を何度も反芻する。
しょうがないこと。
これが陽山師の方針で、それにおいて正しいことをした。だから、しょうがない。
「お前も気付いているかもしれないが、人工災厄は善行の霊力をベースに作られている」
「ベース…」
「ベースだ。そう、善行だけじゃないんだ。善行の霊力をベースに、目のよい陽山師の霊視力を、何かを感じ取りやすい陽山師の触覚を、膨大な霊力をコントロールできる頭脳を移植してようやく1つの人工災厄が出来上がったんだ。お前も10数年生きてきて、急に陽山師をやめたやつ何人も見てきただろ?」
少し前にも思ったことだが、確か微弱な霊力をも感じ取れる陽山師が引退したと聞いたことがある。てっきり災厄にやられて引退せざるを得なくなったのかと思ったが。
「護符に移植されて、引退せざるを得なかっただけだ。もちろん移植は自分の意志だぜ。みんなのために自分を捨てる。陽山師らしい最後、なんて言われてた」
「…」
「なんでこんな話をお前にしたか。それは単に善行の友人だからじゃねえ」
速水は悪業をしっかりと見る。
「黒の禍津。それが人工災厄の名前だ」
声は出なかった。
話を聞いている中でなんとなくわかっていたことだが、それでも驚いてしまう。
微弱なコインの霊力を追えたことも、心の中で会話できることも、これならば全てに説明が付く。無駄に陽山師について詳しかったのも、そして、出会ったばかりなのになぜか昔からいた、みたいな。どうやっても憎みきれない何かがあると、不思議に思っていたことがある。
それは当たり前の感覚だったのだろう。クロのベースは善行だ。性格こそ真逆なものの、霊力自体は善行そのもの。それがあの不思議な感覚の正体。
「クロ…」
クロは記憶をなくしていた。
あの護符の封印が解かれれば記憶が戻るはずだと言っていた。そして襲撃の時、クロはあの護符から悪業へと憑依して一時的に封印が解かれた状態になっていたのだ。
すなわち、もうクロには記憶が戻っている。
クロと喧嘩したとき、クロがすぐに家を出ていったことが疑問だった。どちらかといえばどんなに険悪なムードになっても『ここはもうほぼ俺の家だ。出ていくならお前が出てけ』とありえない理論を悪業にぶつけるはずだ。あんなに素直に家から出ていったのはきっと。
この事実を知らない悪業への負い目、か。
それとも何か思惑があるのか。
「あのバカ…」
憶測に過ぎない。
もしかするとそこらへんで適当に休んでいるのかもしれない。それでもなんだか放っておけなかった。きっとクロは悪業をあの時、気遣ったのだから。
「黒の禍津は白の禍津を消滅させるために作られた災厄だ。そんなやつが行く場所といえばその禍津のところかもしれないな」
悪業はまた真中を見る。
「悪性さんがそれでも何か別の手段で災厄を消滅させられないかと探っていたのは黒の禍津を使いたくなかったからだ。一度切り離した霊力も、もしかするとまた元に戻すことができるかもしれない。悪性さんはあの護符から霊力を取り出す方法と共に大災厄を消滅させる別の方法を探していたんだ」
それがきっと悪性の答え。
陽山師ほど厳しくはなれない。しかし個人を守ることもできないからこその手段。それでも時間が来てしまえば迷わず悪性はクロを使うことだろう。
「悪業、お前の答えはなんだ」
速水は問う。
「善行は1人を救うためにみんなを殺す、陽山師はみんなを救うためにここにいる霊印保持者を殺す、黒の禍津はそんな陽山師の自己犠牲の果てに生まれたもので目的は不明、そしてお前は」
悪業は真中の霊印を見た。
このままだと真中は死ぬ。善意も死ぬ。善行をそのままにしておけば霊印は消えるものの災厄により、人は殺される。どれを取っても終わってしまう。
逃げようと思った。
何もしなければ自分の責任ではない。
善行が破壊してくれれば真中が助かってよし、無理ならばここの平和は守られる。
こんな重い選択、僕がするべきじゃない。
「僕は…」
ガシャン。
この部屋の扉の近くで音がした。入口のところに誰か立っている。誰だ…なんだか、ふらついているみたいだが…着ているのはここの患者が身に着ける服…患者…?
そこにいたのはなんとかとってに掴みながらもふらふらで立っていることすら難しい様子の善意だった。
「善意ちゃん!」
慌てて悪業は善意の元へと行く。
倒れそうになっている善意を支えた時、善意の口が小さく開いた。
「お…お兄ちゃんを助けて…」
「善意ちゃん…」
「お兄ちゃん…すぐ無理をするの…今回もきっと全部を抱えちゃうから…その前に…悪業お兄ちゃん…」
そこまで言うとあまりの苦しみに力尽きたのか気絶してしまう。
ナースコールをするために真中の病室のそれを使い、看護師さんに来てもらった。そのまま担架のようなものを使って善意を病室へと運んでいく。
その様子を見ながら、悪業は思う。
「善意ちゃん…」
真中と同じだ。
善意も自分のことではなく、人のことを心配している。それであんなに辛くても立ち上がって、見知った声の聞こえるこの病室へと来たのだろう。
気を失うほどに辛いのに。
それでも大切な兄を失いたくなくて。
悪業は善意が自分の病室へたどり着いたことがわかった後、真中の病室を静かに出る。出る前に「少しだけ待っていて」と真中に呟いた声を速水は聞いていた。それがどういう意味なのかはこれから分かるのだろう。にやにやと速水は笑う。
悪業はエレベーターを使ってそのまま1階へ。そのあとを速水がついていく。
混んでいるロビーを見ながら玄関を通って病院の外へと移動する。速水は何やら看護師さんに止められていたがそれを振り切ってきたらしい。
病院からしばらく歩いたところには人がいない森のような場所がある。
田舎と都会が共にある街らしい構図で、大きめの広場に2人はたどり着いた。やはり、今日も人はいない。悪業は走りながら広場の中央へと移動して。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
大きく息を吸ってそのまま大声と共に吐き出す。
「わかんないよ!陽山師とか!何が大事とか!!!僕は引きこもりだったんだ…何もわからない!僕が背負える範囲を超えている!!!もう…わからないんだよどうしたらいいのか!!!」
そのまま悪業は自分の気持ちを吐き出していく。
「でも…どうしたいのか、それははっきりとわかってる。僕はみんなが笑えるような日々が、それがほしい。またみんなで一緒にいれるような…」
迷うならば。
迷わなければいい。
「僕は我が儘だ。図々しい。引きこもっておいて人に嫌われるのが嫌で、だからといって構わないでほしいと思ってた!だけど今はその我が儘な性格が、図々しい性格が初めてよく思えた」
悪業は叫ぶ。
「僕は…どっちも救うッ!!!!!!真中さんも善意ちゃんも陽山師も父さんも…ここに住むみんなも…そしてクロも…!!!!!!!僕は全てを救って見せるッ!!!!!」
だから。
だから今だけ。
今だけあの頃に戻らせてくれ。
好きなアニメを見ていてそれを真似しただけの浅ましい理由ではあったものの、それでも誰かのヒーローになれていたあの時に。
「何よりもそんな選択しかできないこの…くそったれな世界も!!!!一緒に救ってみせるッ!」
拳を握りしめ、そしてそんな叫びと共に決意する。
片方しか取れないなんて嘘だ。そんな考えしかないこの世界は間違っている。誰も悪くなんてないし、そんな間違っている行動だとしても今があるのはその行動の積み重ねのおかげ。
間違っている、というのは悪業の主観的な意見で、主観的な意見だからこそ、尚更それは動くためのパワーとなっていく。
ならば、その積み重ねの上に新たに積み重ねよう。
自分が正しいと思える一手を。
それがもし、後世に間違っていると思われても、今の自分が納得できる答えを。
「全部救う…ねえ…できんのかねそんなこと」
「できるかできないかじゃない、するんです」
悪業はもう少し前の弱弱しい顔でも、さっきまでの悲しそうな顔でもない。
それはきっとヒーローの。
誰かを救うための顔。
「んじゃ、それってさ、お前にできることなの?」
「できます」
「のった」
速水は笑顔で護符を取り出した。
「お前らのことに他の陽山師が手を出せないようにしてやる。その代わり、きっちり救ってこい。きっとお前にしかできないことだぜ、ヒーロー」
「僕はヒーローじゃないですよ」
ヒーローに憧れた。
ヒーローのようになりたいと願っていた。
でも結局ヒーローになれたことなんて一度もなく、ただの真似事だった。
そんな真似事でも求めている人がいるのなら。
「僕はヒーローでも陽山師でもありません、僕は黒木悪業。ただの引きこもりです」
善行の元へと向かう。
善行の前に立ちはだかる。
ヒーローでも陽山師でもなく、善行の親友、黒木悪業として。
よろしくお願いします。




