第15話 過去と今
「俺は善行、白木善行。よろしくね」
真中が公園で遊んでいると話しかけてきた少年がいた。その少年は髪の毛が白く、まだ小学生であった真中の目から見ても異質だった。とはいえ、それで対応を変えるようなことを小学生が変えるわけもなく、善行に対しても変わらずに「よろしくね」と言うのだった。
「かっこいい髪の毛だね」
「そ、そう…?」
きっとそれは他意のない言葉で、ほんとうにかっこいいという気持ちからでた言葉だということがわかる。善行もいつもであればこの髪の毛に対して引け目を感じるところではあるのだが、素直な言葉に思わず照れてしまう。真中は知らず知らずのうちに善行を救っていたのだ。
その後もよく公園で遊ぶようになり、家が近いことや同じ学校に通っていることが分かってからは小学校でも放課後でもずっと一緒にいた。
善行はきっとこの時から真中のことが好きだったのだろう。それでも伝えることはなく、楽しい時間を過ごせたらそれでいい、なんて子供ながらに思っていた。
唐突にそれは崩される。
上級生が公園を占拠したせいで公園で遊べなくなってしまったのだ。善行としては真中と、みんなといればそれだけでよかったのだが、真中はそれでは気が済まない。
一緒に遊べばいいのに、なんでみんなを追い出すの。疑問と怒り。それが日々募っていく。
募った気持ちはいつしか抑えることができなくなり、言葉になって上級生に襲い掛かる。
「なんでこんなことをするの。みんなでここを使えばいいじゃない!」
最初は思わず面食らった上級生であったが、相手が女の子1人だとわかると調子に乗り始める。下級生は上級生に譲るべきだ、なんて理由を言いながらその手は強く握られていた。
小学生、なかなか男女の違いなんてまだ分かっていない時期だ。男女平等。女の子だからって暴力をふるってはいけない理由なんてない。
口論がヒートアップしていく中、とうとう拳が持ち上がる。
真中もさすがに女の子、腕力で敵うはずもなく、そのまま殴られそうになって…
足音が聞こえた。
走っているようだった。
目の前に誰かが来た。
それは漆黒の少年だった。
相手の拳へのカウンターで、その少年の拳がヒットする。咄嗟にとはいえ、思わぬところから来た拳に対応できるわけがなく、上級生は後ろへと倒れる。
今思えば真中以上に荒々しい解決方法ではあったが、それでも真中にはヒーローに見えたのだ。
「君を救いに来た!」
真中の方を振り向いて言う漆黒の少年。
その顔には笑顔が浮かんでおり、殴った後の拳を痛めたのか、静かにさすっている。「アニメだと痛くなさそうだったのに…」とちょっと落ち込んでいた。
「すくい…?」
「えっと…た、助けに来た!ってこと!」
「あなたが?」
「そう!助けてあげるよ!」
きっとそれはヒーローの物真似で。
アニメや漫画で影響を受けただけの子供らしい行動。
そんな紛いもののヒーローだったけれど。
「な、名前は…?」
「僕の?僕は黒木悪業!よろしく」
真中には正真正銘のヒーローだった。
ちなみにこの後さらに上級生たちの方へと振り向いた悪業だったが、そこにその姿はなく、上級生の姿を見ることは以来なかったことになる。
「や、やりすぎた…」と悪業はショックを受けていたが。
基本的にはこうしてめでたしめでたしで終わることとなる。
善行とも知り合い、陽山師のことについてお互い知ることもそう遠くはない未来だ。
「…」
この時、善行は公園の物陰に隠れていた。
一部始終ではない。ずっと真中のピンチを見ていたが、それでも助けられなかったのだ。怖くて、体が動かなかった。でもあの少年は違う。
悔しい、妬ましい、そして自分への呆れ…この歳で、ここまでの気持ちを味わったのは恐らく初めてのことだっただろう。
〇
「あたりちゃんさ、なんかこう…肩重いな~とか発熱することが多いな~みたいなことない?」
本当に明るい人だった。
黒木善人。白木の生まれにして黒木に嫁いだ者だ。別段これは珍しくもない。むしろ陽山師という共通点からかそういった関係性になりやすいとさえ言えるのだ。
善人には才能がなかった。
それは善人の兄、善行の父に全ての能力が持っていかれたから、というのもあるが、そもそも陽山師として直接戦うことに興味がなかった、というのが真相だった。
「うーんある、かも?」
真中はちいさく首を傾げる。
小学生の頃だっただろうか。悪業と善行と遊ぶようになって頻繁にお互いの家に出入りするようになった頃の話だ。明るくて一緒に遊んでくれる善人に懐いており、今日はあの2人と遊ぶためというよりかは善人と遊ぶために悪業の家に来ていた。
食卓に座り、善人の作ったごはんを食べながら、の時だっただろうか。
いきなり善人がそのような問いを真中に向けてきた。
肩が重くなる、まさにそのような症状に悩むことが多かった真中はよくわからないながらも静かに頷く。子供にしては珍しく肩こりをするものなのか、と両親は驚いていたが。
「それ、治るかも」
「ほんと!?」
実際とても煩わしく感じていたのだ。
真中はそれが治るかも、ときいて喜んでとびついた。
「こらこら、座りなさい。うーんと、厳密に言えば治るまでの処置って感じかな、ほれ」
何かの紙を渡される。
「お絵かき?」
「違う。描いたら意味なくなっちゃうから。それ護符っていうんだけど…あいつらからはなんも聞いてないよね、ま、それ持ってる間は治るよ。あとは長い年月をかけて少しずつ治していけばおっけー」
真中はその護符を持ってみた。
心なしか少しだけ症状が和らいだ気がする。
あとになってわかることだが、真中の体質は肩こりのしやすいもの、などではなく、災厄に憑依されやすい体質ということだった。
その負荷が体にきているのだろう。
肩こりや発熱は弱い災厄がとりついた症状でもある。そもそも強い災厄には知性があり、憑依するならば自分の全力を出せる人間、相性のいい相手を選ぶということをするので余程のことがない限りは憑依されないのだが、それでも憑依はとても危険なものなのである。
「陽山師は常に危険との隣り合わせ、事務担当や直接戦わない陽山師だってそれは同じ」
直接戦わない陽山師。
それは事務担当であったり、護符を整備する担当だったり、どれも前線には出ないものばかりではあるものの、災厄によってはある程度戦場にかけつけなければならない。
例えば護符が足りなくなったならば整備係が戦場に赴くことになるし、事務担当の中には記録係というものがあり、災厄との戦いを記録するために戦場に赴くこともある。
もちろん、自衛のための護符ぐらいならば使えるが、危険には変わりがない。
「私も非戦闘要員だけど…」
善人は戦わない。
しかし、ただの非戦闘要員といえば違う。裏方の才能があるのだ。記録もこなし、整備もこなす、さらには災厄で悩んでいる人たちの話をきくカウンセラーのようなこともしている。
働き過ぎ、と小さいながら大人びている悪意にも怒られたことがあるのだが、これが善人のやりたいことであった。
当主の妻だから、とかそういうのではない。
やりたいからやる。やりたくないからやらない。実は善人はそんな単純な理由で動いていた。高尚な理由などない。ただ、家族のために、自分のために、みんなのために。
「私が死んだら、あいつらのこと頼むね、バカばっかだし、なんて…さすがに重すぎ?」
へらへらと笑いながら真中に言う。
「そもそも縁起悪いな…」なんて今更ながらに思ったのか、少しだけ落ち込んでいたりしている善人に向かってあまり深く考えてない真中はにぱーと笑っていた。
「任せて!あっくんもぜんくんも心配だから…約束ね!」
「うーん、あたりちゃんめっちゃいい子!」
このとき頭を撫でられた時の感触は今でも覚えている。
優しいけど、どこか雑なその撫で方がとても好きだった。
もう2度と叶うことはないけれど、また撫でてほしいだなんて…高校生になった今でも思ってしまうのだった。
〇
白木善行は自分にあるこの不可解な感情がなんなのか掴みかねていた。
小学生にしてすでにまわりよりも物事を考えることができた彼はこの胸中に渦巻く不穏な感情が決していい感情ではないことを理解している。
理解しているのだが、止められない。
だが、同時にそんな気持ちとの付き合い方もなんとなくわかっていた。
この気持ちが湧き起こるときは悪業絡みのことだ。
まるでヒーローのような振る舞いをする悪業。それを見ると胸にどうしようもない気持ちが湧きあがる。そして、真中に対しても。
きっとこれは嫉妬だ。
なんでもできる彼とその彼を慕う真中。双方に関する嫉妬なのだ。
それでも2人の友達で、常に隣に居続けたのはきっと2人が本当に好きだからだろう。
辛い。
悲しい気持ちと向き合ってでも2人と一緒にいたくて、3人一緒に遊んでたかった。それが心の底から楽しかったから。
その気持ちは年を重ねても変わらず、変わっていくのはきっと…。
いろんな感情を知るたびに考えなくてもいいことを考えるようになる。ただ一緒にいたい、ただ遊んでいたいという単純な気持ちは複雑なものへと変わっていく。
その変化は少しずつ、だけど確実に進んでいき、いつか大きなずれになるときが来るのだ。
いつのことか。
そう遠くない未来に。
〇
黒木悪業は陽山師に憧れていた。
それは変わった気持ちではなく、父と母の背中を見ていたら自然と芽生えていた感情。多くの人を救う陽山師の姿は悪業が憧れていたヒーロー像にとてもよく似ていたのだ。
唯一の不服といえば陽山師の知名度が圧倒的に低いということか。昔よりはまだマシとはいえ、今でもそういう災厄に縁のない人間は胡散臭い連中だと思っている。
それが許せなかった。
少なからずそういう人間だって恩恵を受けているに決まっているのに。
「いや、それは間違いだね、我が息子よ」
母はいつものような笑顔でそう言った。
「大々的に名乗り上げるより、みんなから非難され、それでもみんなをこっそり守ってる。そんな人たちだってかっこいいと思わないかい?」
それは悪業の知っているヒーロー像からは遠く離れていた。
アニメや漫画の世界ではヒーローは名乗りをあげているし、それを見たまわりの人たちもそれを見て盛り上がる。それがヒーロー、それのみがヒーローだと思っていたからだ。
「うん、そのヒーローだってヒーロー、そして私たちもヒーロー。ヒーローの道は1つじゃないってこと。あたりちゃんを堂々と助けたのは素晴らしいことだよ、あれこそこそこそするべきじゃない。時と場合によるってことなのかもしれないね」
よく意味がわからなかった。
しかし、悪業はわからないなりになんだかわかったような気がした。きっとヒーローに決まった形なんかなくて。いろんなヒーローがいるのだろうと。
陽山師だってヒーローの1つなんだ、それがわかった途端気持ちが楽になった気がする。
「心配ごとは以上かい?子供は悩んでる時間すらも遊びに回しなさい。ほら、あそこに暇そうな父がいるだろう?抱き着いてこい」
「む、いや、いま手にコーヒーあるから危な…」
悪性の言葉を待たずに小さい悪業が突っ込んでいく。
その後どうなったかは想像に難くないが、笑顔で終わったことは約束できる。
ヒーローの少年はきっと誰よりもヒーローに憧れていて。
そんな風になりたいって思う気持ちはあの2人と知り合ってからますます強くなっていった。きっとそれは2人を守りたかったから。
2人を、そして家族や陽山師のみんなのいる場所を守るために。
この気持ちはずっと続いていく。
ヒーローになりたい、とはさすがに言わなくなったけれど、それでもみんなを守りたいという気持ちはとても強く残っていた。
だから死のうと思った。
守りたかったものが、守りたかった人が、自分のせいで死んだことに。
甘かった。
守られていたのは自分だった。
〇
現在。
真中中はもう唸ってなどいなかった。さすがに部屋着のまま外に出るわけにもいかない。クローゼットなどから適当に服を選んで…と思ったのだが思った以上に服を選ぶのに時間がかかってしまった。
いくらこんな状態とはいえ、さすがに適当な服でいくのは恥ずかしい、そもそもどの服が正解なのか、彼の好みの服はなんなのか。
迷うことはたくさんあれど、時間はない。結局いつも気慣れている制服を着て外に出ることにした。
(さすがにどうなんだ私…)
制服って。
悩んだ末にこれって。
色気なんて出そうとは思っていないがそれでも可愛い服をきて来ればよかった、なんて。そんな気持ちを頬を叩くことで消していく。
真中は思い出していた。
最初に出会った時のことを。
友達があまりいないときに善行に出会って楽しい日々を過ごせた。上級生に絡まれたときに悪業と出会って助けてもらった。
どちらも忘れられないことで、どちらも大事なことだ。
(よし、まずは行方がわかってる幼馴染一号!)
玄関から外に出て、向かう場所は1つ。
外に出た途端少しだけよろける。立ちくらみ…かな?わからない。けどそれももうどうでもいい。
少女はかつて自分を救ってくれた2人を今度は自分が救うために、足取りを確かに前へ前へと進んでいく。かつてのヒーローたちの面影を思い出しながら。
〇
今、悪業は深く沈んでいる。
心の奥へ、奥へと進みながら、殻を重ねて閉じこもる。何にもできない無力さとか今までの自分を反省するだとかそんなことは一切思っていない。
ただ、ひたすらに傷つきたくないだけ。
これ以上、何かをして苦しい思いをしたくないだけ。
他人のことを考える余裕はなく、自分のことでさえなんともできない弱い、年相応の考え。
誰かに言ってほしかった。
このままでいい、と。
何もしなくていい、と。
君は悪くない、と。
甘い考えだというのも分かっていて、それでもなお、悪業は助けてほしかったのだ。この何もない闇から。クロに見捨てられ、父親とは会わず、悪意は帰っていない、3人組も最近来なくなって、真中とも会っていない。そして善行に見捨てられた。
闇へと沈んでいく。
底はない。
ただひたすらに下へと進んでいく。
それでもきっとやまない雨がないように、明けない夜がないように。
救いの手は必ず来る。
よろしくお願いします。