第13話 速水足鳥
霊山の麓。
そこにはとある人物が山頂を見つめていた。白い頭髪は夜でも目立つ。白木善行。すでに白を憑依させているのか、身体のまわりには青い炎を纏っていた。
霊脈の破壊をすることで一度全ての霊力を使わせる…そうすれば霊印は消えてなくなるのだ。
『緊張しているのですか、善行』
「それは…そうだね。強がっても意味はない。俺は緊張してる」
もう、迷いはない。
こうして親の仇でもある白の禍津と組むことにも慣れた、そして吹っ切れた。霊印ができたのはこの白の禍津が復活しそうだから、ということももちろん理解している。
全ての元凶はこいつで。
それでも善行はこいつに力を求めねばならない。
今、白の禍津を倒したところでどうなるというのだろう。
一度でた霊印は消えず、妹は死んでしまう。さらに霊力の少ない善行では霊脈を破壊することはできない。そう、こいつのせいではあるものの、こいつと協力しなければ成し遂げられないのだ。
『私が憎いのですね』
「…それはそうだよ、君のせいだ、何もかも」
『それでも善行、あなたは私と組むのですか』
「…」
少しだけ考える。
迷いはない。迷ったのは答える言葉を探していたからだ。
「妹を…善意を助けるために、どんな悪人にでもなってみせる…もう家族は失いたくないんだ」
そう小さく呟いた。
それっきり何も言わず、静かに踏み出した。見ている先は山頂。あそこが霊力の発生地、霊脈が外へと繋がっている場所。あそこに攻撃を打ち込めば霊脈は崩れ、この地は災厄の手に落ちるだろう。
それでも。
それでも救いたいものがある。
その足取りはしっかりしている。
いくら封印されてるとはいえ、白の禍津。その霊力は膨大でおかげでとてつもない力を手に入れてはいるものの、その負担は計り知れない。
それ以上に災厄と同調すること、憑依はとても危険な行為なのだ。
同調すればするほどその災厄の力を引き出すことができる。得られる霊力は単純に足し算。善行に霊力がほとんどないとはいえ、それに大災厄の霊力をプラスすると他の陽山師より、支部長よりも霊力自体は強くなる。もちろん、そこまで引き出すためにはより強い同調が必要になる。
災厄に近づく。
簡単に言えばこうなる。
人間には戻れなくなるかもしれない。災厄のように実体化できるかどうかもわからず、成長することもない。時間が止まったままひたすらに漂う人間の敵。
(まだ、いけるはず)
そんな根拠ともいえない根拠を信じながら、善行は今もこうして災厄の力を借りていた。
走っている。
その速度も人間に出せるものではなく、視界に入る木々がものすごいスピードで流れている。道とは言えない道をひたすらに、スピードを落とすことなく走る姿はもはや人間ではなく獣。
こうして目立った能力を使っていなくても少しずつ災厄に近づいていく。
死ぬよりも恐ろしい人外への変貌。
それさえも、善行の歩みを止める理由にはならない。
「ならば、俺らが止めるしかないよな!」
瞬間。
善行は獣じみた動きでその場から真横に飛び出した。足だけで移動するには距離が足りないと判断した善行はそのまま、両手を地面に付けて力を込める。
足の動きに合わせて手を地面から離す。その反動で大きく距離を稼いだ。1秒にも満たないこの時間内で善行は恐らく最適な行動をしたと言える。
先ほどまで善行のいた場所には大きな網のようなものが降ってきた。
縄を編み込んだそれは捕縛の護符。
あれに捕らえられていたら…今の善行ならばきっと出ることはできるだろうが、十数秒、いや、下手をしたら分単位で抜け出せなくなっていたかもしれない。
今の善行にとってそれは致命的な時間ロスだ。
「漁…?」
それでもこうして動きが止まらざるを得ない。
さも当然かのようにそこにある網は護符を使ったものだというのはわかる、わかるのだが、ここまで常識はずれなことをする人間に心当たりは…。
「ある…」
嫌な予感は的中した。
その可能性に思い至った時にはすでに目の前に足が、蹴りが迫っていた。咄嗟に手を出すも、間に合わない。今の善行を持ってしても、間に合わない蹴りの速度。
善行は思考を瞬時に切り替えて、少し体を仰け反った。これで少しでも衝撃を緩めようと考えたのだ。善行に戦闘経験はほとんどなかったが、手があいた時は格闘系の漫画を読んでいてよかったと思える瞬間である。
蹴りが当たる。大げさに後ろに飛んで善行はさらに衝撃を吸収。護符で強化したとはいえ普通の蹴り、それでもやはり蹴られたところは痛い。災厄に近づいているといってもまだ人間、ということか。
そのまま、体勢を整えて距離をとる。
「やはりあなたたちでしたか」
善行が見る先には1人。
速水。
速水足鳥。
速度を追及し、黒木ではないながらも黒木の陽山師として活躍する男。悪業や善行にとっては昔からの付き合いで兄のような存在である、と思ったこともあった。
陽山師で活躍し始めたあたりからはあまり会えなくなったが、面倒見のよさは相変わらずである。
今も。
きっと。
この男はお節介を焼きに来たのだろう。
「あなたたち、とはお前には俺が2人にでも見えてるのか?」
「あなたたちのことですから…きっと後ろにいつもの2人がいるんでしょう、速水さん」
というものの、確証はない。
災厄に近づいた今、ある程度の霊力を視ることはできる。それでも元の力が弱い善行にははっきりと判別することができない。世の中は、自然は、霊脈により霊力が流れている。その中で霊力のみで人を区別することは難しかった。
(目をこらしても見えない…いや、確実にいるはずだ。この人たちは3人で1つ…)
そう思うものの、先ほどのあの網。
あれはきっと技山の技術だろう。こんな強力な護符を使った時ぐらい霊力の増幅などがあってもいいものだが。きっと落としたのはここらへんの木の上から…今見ても誰もいない。
ちらりと地面に落ちている網を見る。とても頑丈そうな造りだ。縄に縄を巻き付けて補強しているのだろう。こんな器用なことできるのは技山しかいない。
(わからない…速水さんが網だけ持ってきた可能性もある…この人の単独行動か?)
十分にありえる。
速水はあの3人の中で指令塔的な立ち位置ではあるものの、かなり活発に活動しており、特に危険と判断した活動には1人で行動することがある。
善行は知らぬことだが、黒の禍津について調べた時もあれは速水の単独である。
速水を見る。
にらみ合う、というのとは少し違う。
善行は警戒しているが、速水は敵意などどこへやら。いつものように飄々とその場に立っていた。先ほどの動き…山ということもあり、少しだけ斜めになっていたり、草やツタで足がとられそうにもなるはずのこの地面の上でもお構いなしの動きだ。
場数ではきっと向こうの方が上。
それでもこちらには白の禍津がいる。総合力ではこちらの方が上だ。
「なに観察してるか知らねえが、お前と戦うつもりは今のところない」
「今のところ…」
「霊脈から手を引け」
速水は善行を見据える。
速水はここに話し合いに来ていた。霊脈を壊すのはやめろ、と。
「では、善意は見捨てろということですか」
「…霊脈を壊さなくてもいい理由を探してみせる」
「根拠がない。話にもならない。今こうしている間も善意は苦しんでいる、俺は救わなければならない」
「救う…か」
速水はこのとき、初めて善行を睨んだ。
「何を見ている善行」
「なに、を…?」
「ヒーローの幻影を見ていないか、お前は」
ヒーローの幻影。
いるはずもない何かを目指して、そのために今、行動しているのではないか。何かに憧れて行動することを悪いとは思わない。ただ、ただ。
「ただ、それはお前じゃない」
お前自身で決めたことじゃない。
あいつが助けてたから、あいつが救ってたから、あいつみたいになりたいから、そんな行動はきっと善行の行動なんかではなく、ただの模倣だ。
「善意ちゃんを助けたいって気持ちは本物だろうが、それはお前がやる必要のあることなのか」
「…あなたたちに任せていたら間に合わないかもしれない。現状わかる手段を試せるのは俺だけだ」
霊印を、乱れている霊力を戻すためには一度完全に体内にある霊力を使い切る必要がある。霊脈があるこの日本という地域はどこにいてもどうしても霊脈からの霊力供給が行われ、その供給が続く限り、霊力の暴走は続いていく。
霊脈を壊す。
霊脈の配置は絶妙だ。1つの霊脈が届かなくなる範囲ギリギリを隣の霊脈が覆っているため、どこにいても途切れることのない供給を行っている。
しかし、1つでもなくなれば、残った霊脈でカバーしきれない場所、というのができるわけだ。それがここ、関東になろうとしている。
「善意はもう入院している…それほどまでに悪化しているんだ…俺がやるしかない。これは俺だけが、陽山師になれない俺だけができることです」
「それが悪業の模倣だとしてもか」
善行は目を見開く。
「あっくんは…関係ないだろ…」
「どうしてそう言い切れる? 今じゃあんなだが、昔はヒーローみたいだったんだろ」
それでも善行は叫ぶ。
「違う…これは…僕の意志だ…! 誰のものでも誰の真似でもない! これは僕だけのものだ!!」
「よっし、なるほど了解した。なら俺の意志とお前の意志どっちが強いか勝負っつーことで」
時間が止まった。
先ほどまでの厳しい睨みから一転、いまはにへらと笑いながら護符ホルダーの中で護符を漁っている。その急展開に善行は全くついていけずにいた。
「いや、誰かの真似なら困るけど、お前自身の意志だっつーなら、しゃあねえわ」
そういいつつも楽しみで仕方ないという顔をしている速水。
善行は今、わかった。
お節介?ああ、そうだろう。これはお節介だ。わざわざ長ったらしい話をして、気に障るようなことをいって気持ちを引き出す。その気持ちを聞きたかったと言わんばかりの笑顔。
話し合いで連れ戻す?
話し合いで霊脈破壊を阻止する?
いいや、違う、この人は。
「その状態でも俺の速さはちときついと思うぜ」
この人は殴って気絶させてでも無理矢理連れて帰る。
そんな覚悟で、話し合いなどするつもりもなく、最初から戦うつもりでここに来ていたんだ!
「シロ!」
『はい』
同調率を上げていく。
青い炎を纏うだけではない。その炎が獣の形に変形して善行を覆っていく。基盤は人間ではあるものの、それはもう一目見ただけでは人間とわからないだろう。獣、災厄、そう言われて納得できるような見た目だった。
「それでも人間だな、あの時、白の禍津の本体を見た時ほどじゃない」
そんな見た目を見てしかし速水は恐れるどころかにやりと笑っている。
その目は善行だけではない、善行に憑依しているシロも見ているのか。
「戦う前に話しておく。あの時、黒木の屋敷が襲撃された日。俺たちは恐らく白の禍津の分身であろう災厄と戦った。とてつもない霊力だったが、なんつーか、攻撃に特化した防御力0の分身っつーか、そんな分身があの日、いたるところで発見されている」
急に速水が語り出した。
もう戦うと思っていた善行は少し拍子抜けするが…。
「急にどうしたんですか、速水さん。分身を使ったのはこちらの作戦です。単純に時間稼ぎ、そして足止め。そして分身で消耗させるため。憑依された俺でもあの時いた人間を同時に倒し、そして追加でくる陽山師を倒すというのは難しいですから。だから俺はシロにあの森付近に分身を置くよう伝えたんです」
話す必要は微塵もない。
それなのに口が動いてしまうのはなぜだろうか。
「封印されているとはいえ、大災厄。いくつかの分身を置くぐらい可能でした」
「分身ねえ…」
速水はまだにやにやと笑っている。
『…』
「気になるのは、森付近っつーことだな。言ったろ、善行。いたるところで発見されている、と。それは森付近だけじゃねえ、俺たちの住む街のいたるところで発見されているんだ」
「え…?」
きっと話す必要のないことを話してしまうのは不安だからだ。
この災厄が何を考え、どういうことをしようとしているのか、それがわからない。信用していないからこその不安。だが、その不安ぐらい予想している。
大災厄だ。
自分の親を殺し、いままさに自分の妹を殺そうとしている大災厄。善行に協力しているのは霊脈を破壊するという自分に都合のいいことをしようとしている都合のいい人間だから。
それぐらいわかっている。
あの時、善行は森付近を見張るように分身を飛ばしてくれ、と頼んでいた。シロは封印されているから出せても3体までだということは聞かされている。
元々、陽山師全てを倒すのではなく、少しでも時間稼ぎができればよかった善行はその3体でもいい、と了承していたのだ。その分、本体の力は下がるが、それでも倒せるだけの自信があり、実際に善行はあそこにいた陽山師のほとんどを病院送りにしている。
目標は達成しているから文句はない。
しかし、ではなぜ分身を街の方にも飛ばしていたのか。
気にならないといえば嘘になる。
「理由は俺にもわからん。わからんが、ま、よからぬことを考えているのはわかる」
「…それを俺に話して仲違いでもさせるつもりですか」
「そんなとこ。俺は性格が悪いから、勝手に自滅するなら自滅してくれた方がいいかなって」
それは無理だ。
なぜなら、シロと善行の間に仲違いするような仲などないからである。
「残念ながら俺はそれら全てを了承してこの大災厄から力を借りているんです。今更その程度のことでこの気持ちはブレない!」
拳を握りしめる。
大きくあいていた速水との距離を一瞬にして詰めた。速度上昇の護符に似た霊力コントロールで移動速度を上げたのだ。
青い炎を纏った拳を叩き込む。
大きな音と共に飛び散る炎。それはあたりの草木と相まって見惚れてしまうほどに綺麗だった。
(手ごたえがない)
善行は理解する。
瞬時に目を前に、遠くに向けるとそこには再び距離をとりつつある速水がいた。恐らく、拳が当たる直前に速度上昇の護符で移動したのだろう。憑依している善行と同じぐらい速い。わかってはいたが、この人も相当に人間離れしている。
だが、後ろに下がる直線的な移動ではこれは躱せない。
1秒にも満たない思考の中で、善行は判断した。
拳をそのまままっすぐに突き、纏っていた青い炎を一直線に、ビームのように飛ばしたのだ。まだ移動中の速水にそれは躱せない。
そのはずだった。
「霊力破、急急如律令」
小さく呟いた。
善行にはその言葉が聴こえなかったが、速水の体がその場から消える。移動中にも関わらず。気付けば炎の攻撃から逃れることのできる真横へ移動したのか、攻撃の範囲外へと飛び出していた。
「なっ…!」
速水の弱点は移動だ。
高速で移動ができるが、移動中は無防備になり、当たり前だが、移動中に移動することはできない。移動は地を蹴って行うもの。再び足が地面につかなければ次の移動へは移れない。そのはずだ。
なぜと驚く善行に。
速水は当然と言わんばかりに口を開く。
「弱点をそのままにしておくわけねーだろ!」
聴こえた声は近く。
すでに距離を詰めていたのか。
霊力を纏った拳や蹴りによる乱打を善行にくらわす。拳、足、拳、足、足、足、拳。不規則に襲い来る攻撃に善行は身をまもることしかできない。
「ぐっ…!」
速水は霊力破を自分にくらわせた。霊力破とはよく物を破壊する時に用いられるものだ。例えばポルターガイスト現象で目の前に物の盾を作られたとき、例えば災厄が建物の中に閉じこもった時、物に干渉するための護符が必要になる。
危険な護符である分、実はコントロールしやすいようにできており、威力も他の護符より自分でコントロールすることができるのだ。
それを善行は真横に自分へと発動させ、吹き飛ばされた衝撃で炎から身を守ることができた。
多少の痛みは覚悟しなければならないが、霊力の炎に焼かれるよりはマシだろう。
憑依された善行でもさすがに攻撃を食らい続けるとまずい。
身に纏った炎を今度は自分の体も一緒に焼くようにその場で増幅させる。
「はッ!!」
炎を纏う。
自分の霊力で出来た炎は自分を燃やさず、自分以外の触れたものを燃やしていく。それに気付いても反応が間に合わない。速水が攻撃をやめて距離をとる頃には手足にやけどのような跡ができていた。
痛い、なんてものじゃない。
少し触れただけで燃え盛るように熱い。これが大災厄の炎。
(だが、まだだな…善人さんはきっとこんなものじゃなかった…)
思い出す。
自分も参加することができなかった白の禍津討伐戦を。そこで亡くなった人間のことを。
悪業の母、善人は白木の人間だった。陽山師としての力はなく、支援に徹していたものの、その活躍は悪性なみと言われていた。
まさにみんなの母といってもいい包容力、まわりを元気にする明るさ、全てが尊敬できる、そんな人だった。悪業だって懐いていたし、黒木の人間も慕っていた。
速水たち3人もその中の3人でそのころから善人の御飯を食べに悪業の家に遊びに行ったものだ。
そんな人が亡くなった。
炎に焼かれて遺体すら残らなかったそうだ。
悪業を守って、とのことだったが。速水もかなりショックだったが、悪業のことを考えると自分が泣いている場合じゃない、と奮い立たせていたのだ。
きっと悪業のショックはそれ以上の。
そして何よりも、まだ先を見ていたかっただろう善人さんの気持ち。
みんなが守りたかった街を守るために。
「俺はお前を止めるぜ」
速水は止まることがない。
走り続けるのだ。
よろしくお願いします。