第10話 黒木の屋敷襲撃
黒木の屋敷は元々古かった。改装したことがあるのか、それともそのまま残っていたのか、それは悪業も知らない。恐らく、父である悪性に聞けばわかるのかもしれないが、悪業が昔見たときはとても古い日本家屋と言ったような印象だった。かなり大き目の建物で、庭も広い。平安時代の屋敷のような感じといったら伝わるだろうか。
そこでは日々、黒木の重役による会議などが行われていた。陽山師は全国的に広がっており、霊脈の近くにそれぞれ支部がある。重役というのはその支部の長たちのことだ。大体地方ごとに分かれており、北海道支部から九州支部(例外として沖縄支部もある)の長たちが集まってくるのだ。
それ全てをまとめるのが悪性である。
悪業はそんな父の姿を見て育ってきた。父のようになりたいと思ったことも数回ではない。
父が今のように仕事にかかりっきりになったのはいつ頃からだっただろうか。いや、悪業は知っている。それがいつからか、なんてものは。そんなもの、母が亡くなった時からだって、知っているんだ。
そんな父と黒木の屋敷に来たことは悪業の思い出の1つだった。家族5人で。母、父、兄、姉...そしてまだ黒木を名乗り、陽山師になるための訓練を続けていた自分。
陽山師になるためには陽山師全体の長から認められなければならない。自分の住んでいる地域の最も近い支部長に推薦されて、全体の長に認められ、ようやくなれるそんな職業。
「あ......」
辛いこともうれしいことも全て詰まったその黒木の屋敷が、倒壊していた。
倒壊、というよりかは倒れた建物を誰かに念入りに壊されたかのような、粉々になっている部分もここから見ることができる。
しかし、一番異様なのはそこではない、そのまわりに見覚えのある黒い装束を着た人間がかなりの数倒れていることだ。
『すまん…夢中になって走ってたらいつの間にか…つーか、俺はこの屋敷から外に出る道は知ってるんだが、あんな中途半端な場所から帰る道なんてわからねーからよ…迷いやすいだろあそこ…だから知らず知らずにきちまったというか…まあ、ここからなら帰れるぜ!って、それどころじゃねえか…こりゃ派手にやられてんなあ』
「......父さんは...姉さんは...」
クロのわけのわからないおっちょこちょいなんて今はどうでもいい。
戦闘?これはそんな生易しいものじゃない。これはただ一方的な攻撃だ。予想以上だこんなものは。まるで災害で倒壊したかのような建物。
本当に災厄ではないかこれでは。
最初に思いついたのは自らの父と姉。
逃げていたことなど忘れてあたりを見る。
敵が今もいるかもしれない場所にも関わらず、倒壊した黒木の屋敷に近づいて探す。しかし近くにはいなく、これ以上探すにはさらに奥へと進まなければならない。とてつもなく広い屋敷だ。倒壊している建物のまわりを歩くだけでもそれなりの時間がかかるかもしれない。
それでも...と悪業は一歩踏み出した。
『おい』
しかし、その一歩で止まってしまった。
理由は声だ。
その声はクロ。いつものようにおちゃらけた感じではない。
『お前が失礼なことを考えてるのは今は咎めねえよ。止まれ。誰かいる』
クロに言われて気付いた。
倒壊した屋敷の反対側。瓦解した屋敷になって見えにくかったが、確かにいる。
見えたのは白い頭髪。
そして自分より少し高いだろう背丈。
悪業は目を見開く。
いや、なんで。そんなはずはない。そう否定しても頭が。それを拒んで。向こうも同じように驚いていたものの、すぐにその顔にはいつもの笑みが。
「君は来ないと思っていた」
その人物は悪業に話しかける。
見たくないとばかりに目をつぶりそうになる。ここで見なければ全てから逃げられる。つらい思いをせず、このまま何事もなく…。
そうだ、クロはここからなら帰れると言っていたし、いまからでも…。
でもそうしたところで解決するわけではない。解決するしないにかかわらず、もし、その人物がこの黒木の屋敷を倒壊させたのなら、黒木の人々を倒した人がこの人なら、ここで目をつぶると自分が死ぬかもしれない。
いや、まて。なんでそんなことを考える。だって彼は、きみは。
そんな心とは裏腹に目はしっかりとその姿を焼き付けて。
「どういう心変わりがあったのかな、あっくん」
そこにいたのは白木善行。
幼馴染の1人だった。
「善くん...!?」
あまりの衝撃に今まで閉じかけていた目が開く。
白木善行。それは悪業の幼馴染で、白木の生まれ。もうすでに陽山師への道は諦めたはずの友人だった。白髪が風にたなびき、少し揺れる。動けない悪業を見ても善行は冷静だった。
善くんなのか...?そう悪業が疑ってしまうほどに今の善行は数日前までの善行とかけ離れていた。確かに最近会ってはいなかったが、悪業はそもそも引きこもり。人に会うこと自体少ない。
よって何も異変を感じなかった。善行が、優しさであふれた人間が今のような冷酷な顔をするようになった異変なんて、何も。
「あっくん、君は家に引きこもっていたんじゃなかったの?いや、それよりもここらへん一帯を見張らせてた分身たちは…君ならあれを見ただけで動けなくなるはずなのに、誰かに任せたのかい?」
「あ...な、なんで善くんがここに...」
「質問に質問で返しちゃダメだよ。まずはちゃんと答えないと」
そんな諭すような言葉にも今は優しさがない。バカにしているようにさえ聞こえる。
だが、そんな些細なことに悪業は気付かない。なんでここにいるのか、どうしてこの老剣士と一緒にいるのか、なんで倒れている僕を助けてくれないのか。様々な疑問が浮かんでは消えていく。
「もうわかるでしょう」
「な...にを...」
「俺が黒木の屋敷を潰した」
悪業の耳がそれを聞くのを拒む。
聞きたくない。絶対に。知らなければなんでもなく、日々を過ごせるはずなのに。それでも聞こえてしまう。驚きにより覚醒した意識はそれを拒むことができない。
「俺が黒木の人たちを倒した」
この状況を見ても動じない。
本人の言。
そして変わり果ててしまった友人の姿。
全てが悪業に認めろと襲い掛かる。見ないようにしても耳が、聞かないようにしても心が、心を殺しても...善行自身がそれを認めろと、そう言い続ける。
「なんで...そんなことを...」
「邪魔だから、だよ」
小さく呟く。
「俺には目的がある。その目的には黒木も...そして白木も邪魔になる。期限が来る前に、俺はやらなければいけないことがあるんだ」
目的。
それはなんなのか、という疑問は浮かばなかった。目的はどうでもいい。問題はその目的のために黒木をほぼ壊滅状態にしたのか、ということだ。
「安心して。あっくんの家族はここにはいなかったよ。何やらなくなった護符を探しにいっているらしい。それに重役もこの時間帯はほとんどいなかった」
家族の無事にも悪業はなんとも思えない。
ただひたすらにどうして、が積み重ねる。しかしそれもうまく言葉にできない。言いたいことはたくさんあるのに言葉が続かない。口が動かない。
「こんなことになるなら事前に調べておけばよかった。ああ、いや、別にみんなを殺そうだとか、そういうことを考えているわけではないよ。ここに倒れている人たちも気絶しているだけ。恐らく、入院は必要だと思うけど。ただ、邪魔をするなら手段を選ぶつもりはない」
善行は目を細めた。
「もちろん、あっくん。君でもだ」
衝撃を、また受けた。
善行なら自分だけは、自分と真中さんだけは助けてくれるものだと思っていた。まだ少し、そういう情が残っているものだと、今まで散々迷惑をかけてそう思ってしまった。
図々しいという言葉が似合う。そんな風に自分でも思った。
「なんで...僕たちは幼馴染...」
すがるような悪業の声。
こんな都合のいい時だけ幼馴染だという自分に。
いつもは優しく手を伸ばしてくれるはずのは善行は何もせず、ただ淡々と吐き出した。
「今だから言うよ。俺は君が憎くてしょうがなかった」
何度目の衝撃だろう。
それでも耳は正常に動いている。
憎い、という言葉がここまで似合わない男もいないというぐらいに優しい幼馴染だったはずだ。
善行は歯をくいしばった後、悪業を見る、そしてその口が開いた。
「全てを助けられる君が、ヒーローのような君が、いつか戻るはずと思わせる君が、大災厄相手に無謀を働いた君が、真中さんを助けた君が、さぼる君が、家に引きこもる君が、学校に来ない君が、俺たちの気持ちをないがしろにする君が、弱い君が、冷たい君が、いつまでもくよくよしている君が、図々しい君が、俺らを困らせる君が、自分のことを考えないような君が、そんな風に変わってしまった君が、真中さんを心配させるような君が、真中さんが好きな君が、俺の気持ちに気付かない君が、こうしている今も! まるで他人事かのようにこの話を聞いている君が! 聞かないように何からも逃げようとする君が! ここまで来て何もできない君が! 全ての君が! ずっとずっと前から嫌いだった!!!」
呆然とする。
善行は今までためていた全てを吐き出すような勢いで話し出す。憎かった。嫌いだった。悪業の中にはそれだけが、心の中で反響していた。ずっとずっと嫌いだった、と。
完全に言葉は出なくなった。どうして?そう確認する必要がなくなるぐらいに理由を今、聞いたからだ。
「俺は母さんと父さんが死んでから、陽山師としての道を取り上げられた俺が、どうやって生きてきたと思ってる! 何もない...本当に何もなくなったんだ...俺にあったのは妹の善意...残されたものはそれだけだった...君は! ...君は...力がある。家族を失った数はこちらの方が大きいとか、そんなバカげたことを述べるつもりはない。君の場合、自分のせいで母親が死んだんだ、落ち込む理由も分かる」
善行はひたすらに話し続ける。
地面に倒れ伏している悪業のことを起こそうともせず、そのまま。見下しながら話していた。
「でも君はそれから何をしていた? ものすごい霊力があって、償えるだけの力があって、それで君は何をしていたんだ? 心配をかけていただけじゃないか...? ずっと引きこもって、ただひたすら無為に過ごすばかり、持っていた力をコントロールすることさえできず、何もできないまま立っているだけ」
善行は悪業を見る。
悪業は善行を見ない。
2人はここで徹底的に食い違っていた。もう2度と合うことはないんじゃないかと思うほどに。何も答えない悪業を見て、善行は少しだけため息をつく。その動作に優しさは微塵もなく、眼光はするどくなっていくばかりである。
「口出ししたけど、自分のことは自分で決める。君の生き方に文句はあれど直せとは言わないよ。その代わり俺も俺で俺の道を決めていく」
善行は悪業から目を離し、「いこう」と虚空に向かって言った。
いや、虚空なんかじゃない。
善行の手には悪業の持っている護符にそっくりの護符があった。そう、クロの封印されている護符と同じような護符が。
「分身を回収して。もうこの地に用はない。下手に動いて目的がバレることが怖い」そう言いながらも歩みは止めない。
このまま去ってしまうつもりなのだろう。しかし悪業にはもう止める力がなかった。呆然とし、力が全くでない。聞きたいことはいくつもある。それら全てがどうでもよくなった。
ここにいる人たちのように気絶させられることもなく、ただ放置される悪業。それはもう善行にとって危機ではないと判断されたのだ。それどころかもうすでに眼中にさえない。
もう、善行が歩みを止めることはない、そう思っていた時だった。
『善行、黒がいます』
唐突に聞こえてきたのは女の声。
しかしあたりに女の姿はない。その女の声がすると善行のまわりに青い炎がぱちぱちと散り始めた。
まさか、と善行が持っていた護符を見る。今聴こえた声はそこから…。
「黒...ここに?」
『はい。恐らくその少年が』
それを聞いた善行は一度だけ驚いたような顔を見せ、そして「くくく...」と笑い出した。「あはははははははははは!!!」我慢できずにそのまま高らかに笑う。
とても気持ちのよさそうな笑い方だが、その姿は今までの善行とはかけ離れており、不気味でしかない。
「そうか...あっくん、君は本当にどこまでも...」
一瞬だけ。
一瞬だけ善行が真顔に戻ったかと思うと、そのまま口元をあげ、にやりと笑った。笑いはおさまったのか今は冷静だ。情緒不安定。そう言えばよいだろうか。
「そうだね...黒がなんのために作られたかはわからないけど、俺たちの障害になりそうだ」
善行は手を振り上げる。その手に纏っていたのは青い炎。
「ここで殺そうか」
炎の威力が増す。
この炎が放たれるときっと悪業は跡形もなく消されてしまう。それでも悪業は動かなかった。こんな状況になっても一切動こうとしない。逃げようともしない。ただただ死んだような目で虚空を見つめているだけ。
いまなお、悪業の中には善行の言葉が反響している。
『おい! お前! いつまでぼーっとしてやがる!なんでもいい、この攻撃をしのげるぐらいの攻撃は出せるはずだ! なんのために憑依したと思ってやがる! きいてんのか!』
「ぜ...んくん...」
『はやくしろ! あいつを殺す気で挑まないと死ぬぞてめえ!』
「ダメだ...」
『あ?!』
「ダメだ攻撃なんて...」
クロが叫ぶ。
それでも攻撃しようとしない悪業に苛立ちが隠せない。今、ここで本気にならなければ消されるのは悪業の方だ。加減して勝てる相手じゃない、ということは感じ取れる霊力からもわかる。
善行の霊力は弱いはずだった。小さくて陽山師には向いていない。それこそ一善のようなそれさえも超えられる何かがなければ。
しかし今は違う。強大な霊力。ぴりぴりとするような霊力を発していた。
『攻撃しねえだあ!? てめえマジで狂っちまったんじゃねえよなあ! ここで攻撃しなきゃ殺されるのはこっちなんだぞ!』
「ダメ...だ...ダメだ...もし僕の攻撃で...善くんが死んだら...」
悪業は怖かった。
人が死ぬのではないだろうか、と。クロは災厄。どうしたってクロを使って出す攻撃は災厄の攻撃だ。そして悪業はその災厄の攻撃で死ぬ人間を見た、見たことがある。それがしかも、自分の攻撃で人が死ぬことなんて...耐えられそうにない。
そしてさっきだって。自分の腕から出た炎はおもちゃなんかじゃない。まやかしでもない。本当に何かを燃やせる炎、それこそ、人だって。
なんでみんな戦える。
戦って殺したらそれは殺した者が背負わなければならない。
そんな重いものを背負っていればいつか必ず潰れてしまう。
それは悪業が一番よくわかっていた。自分のせいで亡くなってしまった母親。自分が殺したわけではない。それでも今、この十字架を悪業は背負っているのだ。
自分の手で殺してしまったらこれ以上、どうなるというのだ。
「......」
「...いや、やめよう。ここで君を殺して悪性おじさんに本気になられる方が怖い」
炎を消し、またもや悪業に背を向ける善行。
興味がなくなったかのようにその場を離れていく。
悪業はショックにより、ここに来ていたときの自分のためとはいえ動き出す、ということを決めた顔ではなく、その前の引きこもっていた、しかも母が死んですぐの頃の顔をしている。あれはもう何もできない。廃人と同じだ。
「君はもうずっと家にいるといい、その紛い物の災厄と一緒に」
今度こそ、善行は歩みを止めず、そのまま去っていった。
悪業は善行が見えなくなっても動けず、走り回った疲労が戻ってくる。クロが何かを言っている気がするがそれも聞こえない。
そのまま膝から崩れ落ち、倒れ込んだ。
〇
黒木の屋敷襲撃事件は新聞にもニュースにも取り上げられず、ひっそりと終わりへと向かった。黒木の屋敷にいた黒木の四国支部長含めた四国陽山師、東北支部長含めた東北陽山師は全員無傷ではなく、入院することに。命に別状はないものの、かなり霊力が乱された後があるとのこと。
黒木の屋敷を襲撃した者を特定するには時間が必要なようだ。
その場にいた人たちの意識が回復するまでわからない。すなわち、あの場にいた人間は全員、例外なく意識を失っていたことになる。現役の陽山師たちが1人残らず。
その数日後。
白木の屋敷が襲われたらしいことが陽山師の中で流れていた。黒木よりも被害は甚大で、しばらくは他の地方の白木も読んでおかなければならないほどだとか。
恐らく、襲撃者は学んだのだろう。黒木での経験を。準備をして最大限ダメージを与えられるように。
そんな中。
黒木悪業は暗い部屋の中で、布団にこもり、閉じこもっていた。生気がなく、もう何もできない。ほとんど死んだような形で生きていた。
よろしくお願いします。