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彼女の愛した英雄 ~銀翼のシルフィード~  作者: 相坂 恵生
第一章 千年王国の祭典
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常連の店 1 -天然の金塊群- [修正版]


 ――ウルール視点。



 店の前を掃除していた筋肉の塊りが、近づくこちらに気付いて立ち上がった。

 頭には幅広な鉢巻、口と顎には髭が短く切り揃えられており、薄いまだら模様のエプロンを身につけている。

 彼の話によると3つのエプロンを使いまわしているらしく、毎日洗っても落ちないシミが増えた結果なのだとか。

 まさに働き者の証だ。


「こりゃまた大きなウサギですなぁ。お姫さん」


 そんな彼の第一声に、快活な笑みがこぼれる。

 最初の目的地の肉屋『天然の金塊群ナゲッツ』の店主、ハブッチ・ナゲッツさんだ。


「おはようございます、ハブッチさん。今回はこれを引き取ってもらいたいんです」

「長げえこと肉屋をやってやすが、こんなデケエ獲物もん持ち込まれたのは初めてですよ」

「私もこんな大きさのイノシシは初めて見ました」


 どうですすごいでしょ? と経緯やらその瞬間の衝撃やらを話始めたい気持ちを必死に押しとどめる。

 城門では事情の説明を求められた勢いでつい興が乗ってしまったけれど、その主役である命の恩人たちは空腹なのだ。

 7つくらいのシューちゃんでさえしない自慢を、ボクがするのはよろしくない。


「それはそちらのダンナが?」

「はい! 一撃です!」


 英雄譚を語る時と同じように、興奮気味に右拳を突き出した。

 無意識だった。

 我に返って恥ずかしさに視線を落とすと、シューちゃんが横でボクの動きを真似ていた。

 どうしよう。

 ハンパなく恥ずかしい。

 顔から火が出るってこういうことなんだろうか。

 首から上が急激に熱を持って堪らなかった。


 チラリとトーガさんへ視線を向けると、ハブッチさんに笑顔で会釈していた。

 白目を剥いた巨大なイノシシが会釈するカタチになり、ハブッチさんの頬が一瞬引きつった。


 ああ、うん。

 やっぱりそうなるよね。

 周囲を確認すると、通行人が驚愕に目を剥いている。

 うん、よかった。

 ボクの感覚は間違ってなかった。

 たとえ死んでいようとその物体は怖いよね。


「ははぁ……。ちょっと想像は出来やしやせんが、軽々と持ち運んでるお姿を見ると納得ですな。

 ああっ、すいやせん店先で! お手数お掛けしやすが奥の解体台に運んでくだせえ」


 ハブッチさんも一目見て、切り分けなければ運べないものだと悟ったのだろう。

 頭を下げて店の奥へと案内した。


 正しい判断だと思う。

 見た目で言えば筋力はハブッチさんの方がありそうだ。

 腕の筋肉の隆起はトーガさんとは倍ほどの差があるし、骨格からして比べるまでもない。

 そんな巨漢をってしても、この大イノシシを持ち上げるとなると無理と判断せざるをえなかったのだろう。


 確か前世の医学や人体力学では、人間が持ち上げられる限界重量は500キログラム前後だった。

 どんなに鍛え上げようとも骨が耐えきれずに折れ、筋肉へ酸素を送る毛細血管も弾けてしまうのだとか。


 実際、ベンチプレスの世界記録者の挑戦後の写真はなかなかに刺激的だった。

 胸と肩と上腕のほとんどが、絵の具をめちゃくちゃに混ぜ合わせたように黒ずんでいた。

 重度の内出血。

 数秒持ち上げただけで――だ。


 こちら・・・の人間も身体能力や肉体強度は基本的に変わらない。

 この大イノシシほどのものを運ぶとなれば数人がかりでの大仕事になるのが常識だ。

 しかし例外はいる。

 トーガさん同様に1人で持ち運べるとすれば、冒険者でも指折りの戦士クラス。


 だからこそ・・・・・道中の視線が集まるのだ。


 トーガさんはパッと見た感じでは一般的な身の丈で、魔法詠唱者マジックキャスター然とした格好をしている。

 外套がいとうでローブがほとんど見えないとはいえ、鎧やそれに当てはまる武器のシルエットはない。

 誰がどう見ても戦士然とはしていないのだ。


 まるで〈筋力増大ストレングス〉の魔法でも常に掛けているかのようだ。

 どれほど優れた魔法詠唱者マジックキャスターであろうと、魔法持続時間や魔力には限りがある。

 貴重な魔力をそんな無意味な誇示をするために消費する魔法詠唱者マジックキャスターはいない。



「こちらにお願いしやす」


 トーガさんの手によって、石造りの解体台にイノシシがゆっくりと降ろされる。

 床から伝う振動をサンダル越しに感じて、目の前のそれがとてつもなく巨大なのだと改めて理解した。


 重いであろうことは知っていた。

 数百キロはあるだろうと。

 それでも、実感できたのは今この瞬間だ。

 イノシシの置かれた解体台は、床石から大人の膝丈ほどの厚みの巨石でしかない。

 代々受け継がれてきた肉屋『天然の金塊群ナゲッツ』の解体台。

 それが悲鳴を上げているのだ。

 ミシミシと、床石と解体台の隙間をイノシシの体重が許さない。


 そしてそんなものを今の今まで担いでいてようやく降ろした本人はというと、羽飾りを外し置いたくらいの涼しい顔をしていた。

 日が顔を出してそれほど間もないとはいえ、紅玉の月しちがつ中央地中海スピルパールからこの店までの距離を担いで、汗一つかいていないのだ。

 酷使した腕を振るったり、負担を掛けた首や肩を回して血を巡らせるという素振りさえない。

 常識を逸脱した肉体強度と体力だ。


 ハブッチさんは驚愕を腹に収め、一息吐いて気持ちを切り替えた。

 ボクもそれに倣って深呼吸する。


「すぐに解体しやすか?」

「ロブさんが確認を取りたいから、使いを寄こすまで待って欲しいって言ってました」

「あー……なるほど。コイツが例のアレかぁ……」


 なにか思い当たるようで、ハブッチさんは大イノシシを観察しながら周囲をぐるりと歩き始めた。


「なにか心当たりが?」

「たぶんそれ、ギルドですわ」

「ギルド? ということは冒険者組合ぼうけんしゃギルドですか?」

「ええ。なんでも西の方で警戒されてた『怪物』が最近見えねえから、東に来てんじゃねえかって噂になってたんですわ」


 ハブッチさんの情報元は、ボクらのように肉を卸しに来た人たち――冒険者なのだろう。

 害獣猟や街道警備をする冒険者にとって、そういう情報は生命線だ。

 話題としてよく持ちあがるのは当然だろう。


「西ってことは中央城塞都市リクアトロス?」

「そうそう、そうです! そのリクアトロスの南に小さい町ぃあったでしょ? あの辺りで目撃されてた『怪物』らしいんですがね」

「ということは南の大森林エルフのもりを経由したのかな?」

「かもしれやせんね」


 話題の周辺にも森林地帯は点在するが、これほどの大物が通ればさすがに目立つ。

 その体躯でケモノ道は拡張されるし、エサとなる動植物が減るからだ。

 街道警備には狩猟を専門とする狩人ハンター猟兵レンジャーがいる。

 巡回強化がされているこの時期に、彼らが見逃すとは思えない。


 そうなると一度大きく南下して、大樹海である南の大森林エルフのもりを経由して緩やかに北上してきたと考えるのが妥当だろう。

 南の大森林エルフのもりは特定のルート以外では侵入出来ない仕掛け・・・になっており、野生動物にとっての裏道と言えた。


「しっかしデケエなぁ……こいつは気合い入れて解体しねえとなぁ」


 ハブッチさんは覚悟が必要だと、横たわるイノシシの腹を見ながら頭を掻いた。

 タワシのような太くて荒々しい毛並み。

 分厚い皮を想像させる体躯。

 それを支えるたくましい足や肩周りの隆起した筋肉。

 確かに大変そうだった。


 ボクも小さな動物なら解体したことがある。

 母との旅路で遭遇したウサギやイノシシ――カモを仕留めたときに申し出たのが最初。

 皮を剥いだり羽を毟ったり、若干の違いはあれど手順はほとんど同じだ。


 血を抜いて内臓を取り出して、肉を切り分ける。

 命を頂く感謝を忘れず、丁寧に扱った。

 内臓は特に注意が必要だった。

 下手に傷つけると食べられなくなる。

 なんせ死んだとはいえ元は生物だ。

 小腸や大腸の中には衛生的によろしくないものが詰まっている。

 旅の途中の水は、川などの補給できる環境でもない限り貴重品だ。

 無駄には使えない。

 肉屋ともなれば、それさえ肉の腸詰めソーセージという使い道がある。

 神経を使う作業だろう。


「これだけ大きいと大変そうですね」


 ハブッチさんはボクの言葉に目を丸くした。

 なにか変なことを言っただろうか?

 首をかしげると、ハブッチさんは胸を張って景気よく笑って見せた。


「そうですね。でもそのおかげでオレたちゃぁ、今日もおまんまが食えるわけです!」


 シューちゃんもその動作を真似て胸を張っていた。

 フードで顔こそ見えないが、とてもたのしそうだった。


「血抜きはもう?」

「ええ。中身・・も綺麗にしてありますから、大丈夫ですよ」

「お? ……おぉ! そりゃありがてえや!」

「……うん?」


 ハブッチさんとトーガさんのやり取りに、またひとつ首をかしげた。

 これまでの道中で、血抜きをした様子はなかったからだ。

 避難に登った木から降り、ゴミとなってしまった荷物を引っ掴んでトーガさんたちと合流するまでにそれほどの時間は経っていない。

 仮にもし、その短い時間で血抜きをしたというなら、あの場は血の海だったはずだ。

 ボクの知る限りそれをした痕跡も血の匂いもなかったし、ここに到着するまでの間に特別なことをしている様子もなかった。

 精々せいぜい、シューちゃんが牙や鼻を持ちあげて遊んでいたくらいだ。


「えっと。本当に血抜きを?」

「ええ、一滴残らず。

 野生のイノシシなので内臓は臭くて食べられませんが、胃や腸、あと膀胱なんかは肉詰めに使うでしょう?」

「おぉダンナ、詳しいな! そこら辺は需要があっからブタの肉を詰めることもあってな」


 水の王国では肉の腸詰めソーセージは人気の食材だ。

 レストランのみならず屋台でもよく使われている。

 しかし納得のいかないことの方が勝り、話題に乗れないまま唸った。

 一滴残らずはただの過剰表現リップサービスとしても、血抜きをいつおこなったのかがわからないからだ。


「そいでどうしやすかね。

 こんだけデケエと解体しないと計量もできやしねえし、この図体だ。

 毛皮と歯牙はセットにして、好事家こうずかたちに話ぃ持ち込んで見ますかい?」

「あー、そういう手もありましたね」


 道中を振り返ることに夢中だったが、ハブッチさんの提案にポンと手を叩いた。

 食材と工材にそれぞれ分けて換金することにしか頭が向いていなかった。

 危うく命の恩人に損をさせるところだ。

 頭を切り替えねば。

 こちらの準備が整うのを確認するように、ハブッチさんが腰にさげていた小さなそろばんを弾く。


「ざっと見た感じですと肉だけでも小銀貨で150枚くらいですかね」

「ひゃくっ――」


 予想していなかった金額に、トーガさんへ目を向ける。

 日本の貨幣価値にして9万6千円。

 家畜ブタの2倍以上の取引き額だ。

 ところがトーガさんは、特に驚いた様子もなく笑顔だった。


「少なく見積もって、ですけどね。

 とはいえ目算違いがありやすんで、肉のお代は明日の昼にでもお師匠さまのところへってことで構いやせんか?」


 普通なら肉の卸しは計量して即払いの取引きだが、今回の獲物は巨大過ぎた。

 この場合は簡単に部位を切り落とした――解体してからの計量となる。

 ところが『第三者の待った』に加えて『好事家』に声を掛けるため、手荒には扱えなくなってしまった。

 肉の代金さえすぐに受け取れないのは仕方がないだろう。


「はい。それでお願いします」


 トーガさんとシューちゃんは城門前で空腹を訴えていたし、警備主任ロブさんの気遣いを無駄にするのも忍びない。

 商談はさっさと済ませて次の目的を果たすのが吉だろう。


「それと。さっきの 好事家の交渉はなし の報酬、小銀貨75枚でお願いできますか?」

「肉の代金の半分とは太っ腹ですねぇ!」

「ハブッチさんのツテが最大限生かされるなら、安いくらいですよ」

「そんなふうに言われちゃあ張り切っちまうな!」


 腕をまくりあげてやる気を見せるハブッチさんを見て、シューちゃんがまた真似をしていた。

 しかもかなり満足げだ。


「私はお二人を案内しなくてはいけないので、今日はこれで。あとはお願いしますね」

「任せてくだせえ!」


 力こぶを見せるハブッチさんに頭を下げて、店を出た。




■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□



「勝手に交渉を進めてしまってすみません」

「どうして謝るんです。あれはあなたのものですよ」


 トーガさんはしれっと言い切った。

 呆気に取られて返す言葉を見失ってしまう。


 ボクもイノシシが大きいというのは理解していたが、品質では家畜ブタに大きく劣る。

 臭みが強くて食べられない部位も多く、同じ大きさであれば倍近く違ってくる。

 それにもかかわらず想定の倍以上の価格で、これにまだ好事家に売る毛皮が加わるとどうなるかわからない。


 本来イノシシの毛皮は安く取り扱われるものだが、長年肉屋をやっているハブッチさんが「見たことがない」と評した大きさだ。

 かなりの高額になると予想はつく。


 好事家の所持するという欲求の中には、『蒐集物コレクションの自慢』が含まれていることは多い。

 そんな好事家たちが以前、大陸最大と言われたイノシシの毛皮を競り合って破格になったのは記憶に新しい。


「でも……かなりの大金になります」

「対価はすでに貰っていますし、約束は厳密に言えば契約です。何があろうと守るべきものです」


 確かに今現在案内はしているけれど、仕事という意識はない。

 命の恩人を少しばかり案内している範疇だ。

 トーガさんからは絶対に譲れないという意思が見られ、なんだか申し訳なくなってきた。

 レストランの案内ガイドを受けたのは、今後の仕事の経験を積みたかったからだ。

 約束したからとは言え、大金を一人占めというのはとても心苦しかった。


「その分、案内先のお店の味に期待しています」

「……います」


『レウノアーネのレストランにハズレなし』


「それだけは保証します!」


 トーガさんとシューちゃんに答える声は、自信にあふれて弾んでいた。




 次回、王都レウノアーネグルメ紀行始まりますん。


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