開花 3
これから魔法が開花する。
その確信はウルールに浮ついた高揚感をもたらした。
集中とは程遠い不安と期待の入り混じった感情は、胸の中の早鐘がうるさいくらいだ。
「ではウルールさん。手を」
差し出されたトーガの手は、か細い自分のものとは違って力強く、ごつごつしていた。
誘われるままに手を乗せると、硬い感触があった。
ナイフを扱って何度も豆を潰した手のひらとはいえ、トーガのものと比べるとまだまだ少女然としたやわらかさを持っている。
あまり考えたこともなかった感想に、妙な気恥ずかしさがわき上がった。
純粋な魔法詠唱者の父や伯父たちよりも、男らしさが滲んでいる。
本格的な体術やナイフの扱いを教わった大叔父ゼシオンに近い。
そう思えども、落ち着かなかった。
ああ、なんでこんなにドキドキしているんだろう。
ウルールはこっそりと深呼吸を繰り返し、顔が赤くなっていないことを祈りつつトーガを見つめた。
「色々と話しましたが、難しく考えることはありません」
「そうは言っても今日は知らないことの連続で、頭がこんがらがっちゃって」
「自動想起魔法は想像力と信じること。そしてそれを組み上げる魔力を持っていることが肝要だという話です」
「どれだけ思い込めるか、ということでしょうか?」
「有り体に言えば」
「すごく単純なんですね」
「単純なことは難しいのですよ。何事もね」
トーガたちと王都外壁城門へ向かう途中のやり取りを思い出した。
”当たり前のことは、得てして難しい”
他の入り込む余地がない純粋な物事ほど難しい。
彼の中にある確固とした真理なのだろう。
「では私の目を見てください」
「……はい」
「何色ですか?」
あと一歩踏み出せばくっついてしまいそうな距離とはいえ、背丈の差もあるし、明かりもほとんどない。
自分の顔色を知られないことに気付いたウルールは短く息を吐いた。
「暗くてよく見えません」
「そうですね」
トーガはなんだか楽しそうだった。
「ではウルールさん。目一杯緊張してください」
「……え? 緊張ですか?」
「そうです。ほら、簡単でしょう?」
「きゅ、急にそんなことを言われても困ります」
「えー。ほら、いつもしているでしょう? 魔法の授業や朝食を前にしたときだとか」
「授業はともかく、どうして朝食を前に緊張するんですか?」
「え。だって最初の一口はどれにしようと悩むでしょう? 一日の始まりがこの一口からだと思えば、慎重な一歩ですよ」
「なに言ってるんですか。悩みませんよ。ルセイスの生乳に、パンクレセント。カリカリに焼いたベーコンかジューシーなソーセージの順です」
「おいしそうですね」
「王都で代表的な家庭の朝食ですからね」
鼻を高くするように胸を張りウルールが自慢げに笑って見せる。
「それでいい」
「え?」
「リラックス出来たでしょう」
「あ……」
気がつけば強張っていた身体が解けて、自由に動く。
自分の単純さに苦笑しつつ、ウルールは頷いた。
「さあ目を閉じて、私の声を聞きなさい」
「はい……」
視界を閉じると聴覚が研ぎ澄まされる。
右手には硬い感触のするトーガの手が、ほんのりとあたたかい。
再びわき上がるよくわからない高揚感が、首筋を痺れさせた。
また緊張する――そんな予想が出来た。
「大丈夫、弟子には失敗する権利があるんですよ」
「そうなんですか?」
「師匠が責任を持って面倒をみるから、弟子は未知に踏み出せるんです」
「今はトーガさんが師匠ですか?」
「臨時ですけどね」
「はい」
トーガの声はいつも朗らかだ。
ウルールはそれに安心感をもらって、くすりと笑む。
「今、私の目にはあなたをやさしく覆うエネルギーが見えます」
「そうなんですか?」
「ええ。女神の収穫亭のソーセージから上がる香ばしい湯気みたいな白いのです」
朝食に出てきた一人3種の肉詰めの集いを思い出す。
黒胡椒、香草、生姜。
夕食をとったばかりだというのに、涎が出そうだ。
「シューちゃんに食べられちゃいますね」
「そのときは私が守ってあげましょう」
「師匠ですもんね」
「そうですよ。ウルールさん、そのおいしそうな匂いをさせる白い湯気を逃がさないように出来ますか?」
「フタをしても?」
「もちろん構いませんよ。おいしい香りを逃さないように、ガラス製のフタでもしてみましょうか」
トーガの言葉に倣ってガラス製のフタをすると、湯気がこもってソーセージが見えなくなった。
「せっかくのガラス製なのに曇って見えなくなっちゃいました」
「白く濁ったその奥に、緑色のものが見えませんか?」
「みどりですか?」
「ええ」
「うーん。添え物のレタスでしょうか?」
「いいですね。レタス、私は好きですよ」
「脂っぽいものを食べていると、シャキシャキした瑞々しい青物が欲しくなりますもんね」
ウルールは青物に包んだものも好きだが、刻みキャベツなどをお供に挟むのも好きだ。
美味しいものは基本的になんでも歓迎だった。
「そういえばウルールさん。漁猟が趣味なんでしたっけ?」
「え、ああ、はい。中央地中海や川の上流に行って釣ったり捕まえたりです」
「ほう。わざわざ上流にですか」
川魚の紅玉の月の旬と言えば、アユやウナギが代表される。
「旬は初夏なので過ぎてしまいますが、マスが好きなんです。体はキレイな流線形で、胸ビレ、腹ビレ、臀ビレに背ビレや脂ビレだけでなく尾ビレまで丸っこくて可愛いんですよ」
「それはどんな風に泳ぐんですか?」
「渓流を縫うように。時に川面を跳ねたりして元気いっぱいに」
ウルールの記憶の中のマスは、輝く川面の向こうで気持ち良さそうに泳いでいる。
ふいに上がる水音に振り向けば、小さな飛沫があがっている。
初夏のマスは脂が乗って、活きがいい。
少し広めの空間があると2、3匹ほどが群れている。
兄弟姉妹だろうか?
それとも番いとなるべく争っているのか?
見ているだけでも飽きなかった。
少し離れた所から「おぉー」というシューの声が聞こえた。
目を閉じているからウルールにはわからないが、また”おいしそぉ”なんて想像しているんだろうか?
自分の話を聞いてそう思われたのならなんだかうれしい。
「ウルールさんにとってマスは獲物なんでしょうけど、マスもなにかを狩る側になるのでしょう?」
「岩に生える苔や、川底に沈む石の裏のカゲロウやトビケラ、カワゲラの幼虫を食べていますね」
「それを見つけたマスもきっとウルールさんのように獲物を仕留めるわけですね」
「はい。自然の掟です」
一頻り好きなことを話したためか、緊張をほぐすための世間話にしては随分長い気がした。
ウルール自身リラックスしている気がするし、このやり取りをずっと見守っている家族が居る。
あまり待たせてはいけないのではないだろうか?
「あの……」
「もういいですよウルールさん。目を開けてごらんなさい」
トーガの導きによってまぶたを上げて見たものは、光源をほとんど失ったはずの真っ暗な庭ではなかった。
淡い緑色の光を灯した流線型の美しい魚が、夜闇の中を泳いでいる。
あれは――マスだ。
つい今しがたウルールが熱心に語ったものだ。
それも一匹ではない。
渓流で見た光景そのままに、中空に2、3匹の群れがいくつもあった。
マスが光源となって夜闇に埋没した庭木を浮かび上がらせ、見上げれば満天の星空の海を泳ぐ幻想的な光景が広がっていた。
「……きれい」
呆けたようにつぶやいたウルールは、自分に歩み寄る美貌のエルフの姿が目に入った。
目尻に涙を滲ませて、そっと抱きしめた。
「よかったわね。ウルール」
「メネデール様、どうしたんです? 目に埃でも入ったんですか? だったら私が取りますからちょっと離れてください」
ウルールは何度話し掛けても離れようとしないメネデールの背中をやさしく叩きながら、途方に暮れてしまう。
理由がわからなかった。
臨時の師匠、トーガ・ヴェルフラトに目を向けると、満足げな笑みで応えた。
よくわからなかった。
「やるじゃない。さすが私の妹だわ」
「おめでとう。ウルール」
いつの間にか側にやってきていた姉たちはそれぞれ違った反応をしている。
ホーリィは辺りを泳ぎ続ける緑光のマスを見ながら。
ヘレナは抱きすくめられているウルールの頭をよくできましたとなでながら。
「なに? アンタまだわかってないの?」
「ホーリィ。説明してよ」
「これアンタが出したのよ。魔法で」
「……え?」
首を振ってもう一度見る幻想的な光景は、精霊の悪戯にさえ思える。
強化や〈魔法の矢〉さえままならない自分が生み出したものには決して思えなかった。
「まあ、なんの役に立つ魔法なのかサッパリわかんないけどね」
ホーリィの鋭い指摘に、ようやく自分の魔法のような気がしてきた。
「それでも魔法は魔法よ。おめでとう」
ヘレナは身動きの取れないウルールに目線を合わせてしゃがみ、両手で握って微笑んだ。
「そっか。私、魔法に成功したんだ……」
自分のどこか地に着かないふわふわしたつぶやきは、家族たちの反応と一緒になってジワリと実感をもたらした。
ウルールが生まれて初めて成功した魔法は、奇怪なことにマスの形をしていて、自由気ままに泳いでいる。
トーガはその光景を眺めながら「名付けるなら魔法の魚ですかね」とつぶやいた。
ホーリィの指摘の通り、なんの役に立つのかわからない魔法が今この瞬間誕生した。
そして、
「今日からあなたは魔法習得者です」
トーガの導きにより、ウルールは魔法詠唱者を名乗れるようになった。
世間話のような詠唱ではあるが――。




