英雄と血統 5 -血の守護者- [修正版]
「本日我々が参りましたのは、今朝方ウルール様が狩猟されたイノシシの件でして」
「……イノシシ?」
なにやら神妙な面持ちで切り出したアドベールに、眉根を寄せてしまう。
確かにイノシシは危険な雑食動物ではあるが、ウルールの弓の腕があれば難敵とは言い難い。
我が家のテーブルにウルールの狩猟物が彩りを増やすのは珍しいことではなく、魚貝類をはじめ、カモにウサギやイノシシはその代表だ。
それに狩猟はいい訓練にもなる。
目標に当たりを付ける観察眼や、気配を消して獲物を追う体力、焦らずに機会を見極める精神力を鍛えるのには最適だ。
相手がクマやオオカミでもない限り、訓練代わりに狩猟することは許可していた。
特に最近は建国祭が近いこともあって恒例になりつつある小遣い稼ぎに精を出していたし、商業組合ならばそのことはよく知っているはずだ。
ウルールの卸し先はどこもレウノアーネの老舗で、店主はみな商業組合の登録員だからだ。
ただ、そこに冒険者組合が絡んでくることに疑問が浮かんだ。
「お察しの通り、冒険者組合が懸賞金を掛けていた危険指定動物だったのです」
「……なるほど」
「あー。じゃあやっぱり、ハブッチさんが言ってた『怪物』だったんですか?」
「はい。通称粉砕する刻印猪。リクアトロスで発行された討伐依頼の特徴と一致しました」
アドベールの情報に私は頭を抱えて大きなため息をこぼした。
危険指定動物というのは、一定以上の脅威を持つ野生動物のことを指す。
クマやオオカミといった人里を襲いかねない猛獣や、即死に近い猛毒を持つヘビや攻撃性の高い蜂などがそうで、これに育ち過ぎた動物というのが含まれる。
ヘラジカや馬、牛にイノシシ。
これらの中でも特別に脅威度数が高くなった個体は『怪物』に分類され、名前付きになる。
粉砕する刻印猪というからには、よほど強力な体当たりを得意とする個体だったのだろう。
単属性ながら上級魔法の使えるヘレナやホーリィならいざ知らず、ウルールの実力で『怪物』を退治というのは少々現実味が湧かないレベルの出来事だ。
ウルールもその自覚はあったし、性格上進んで約束を破る狩猟をしたとは考えにくい。
不慮の災難といったところか。
とはいえ、こうして冒険者組合がわざわざ報告しにやってきたということは、粉砕する刻印猪討伐は事実なのだろう。
さてどうしたものか。
偶然とはいえこれを退治出来たというのなら、変に自信を付けることになるだろう。
詳細を聞いた後に、快挙としてある程度の実力を認めつつ、たしなめておくか。
自らの過大評価ほど怖いものはないのだ。
「1000年祭が間近に迫ったこの時期に、レウノアーネ周辺で『怪物』とは……」
「仰る通り。面目次第もありませんことです」
責めたつもりはなかったのだが、組織として街道の安全を守ってきた自負があるのだろう。
アドベールは深く頭を下げた。
ヴァスティタは豊穣の女神の加護の影響で、野生動物が巨大化しやすい環境と言える。
肥沃の大地であるがゆえのデメリットだ。
そのため冒険者組合は『怪物』が生み出されないよう積極的に狩猟依頼を出していた。
事実ここ数十年の間にレウノアーネ周辺で『怪物』の出現は確認されておらず、中堅冒険者の獲物は海獣となっていた。
「リクアトロスから流れてきたのだから仕方のないことよ」
「しかし王都近郊にそれが流れ着くなどあってはならぬこと。今後は森林地帯の調査巡回を強化しようと思っております。そして対策改善のため、ウルール様からは遭遇に至る詳しい状況・場所をお聞きしたく参りました」
「道理だわ。とりあえず当人の話を聞きましょうか。ウルール」
「はい。メネデールさま」
呼ばれたウルールはひとつ頷くと姿勢を正す。
妙にうれしそうな顔でコホンと咳払いし、今朝の出来事を話し始めた。
それは英雄譚の語り手を思わせる口調で、この時はまだ『怪物』を仕留められた自慢がそうさせているのだと思っていた。
ヘレナも上機嫌に話す末妹に微笑ましく耳を傾け、ホーリィはライバルに一歩の差を付けられた若干の焦りが顔を覗かせていた。
ウルールの話は、日も昇りきらない時間に漁猟へひとり出掛けたことから始まり。
建国祭を楽しむ資金集めに中央地中海で大物を狙っていたことや、予想以上の大金星オオタロウを仕留めたときの気持ちまで事細かに語った。
これにはコマードが小さな驚きを見せ、希少性と建国祭の縁起物としてのタイミングについて食いついていた。
そしてひと息ついて着替えると、突如現れたクマと見紛う大イノシシに横取りされていたこと。
慌てて近くの木に登って回避したはいいものの、逃げ伝う隣木がなくて恐怖したことにはアドベールが同情を含めた頷きを繰り返した。
ところが、次に偶然通りがかった子連れの武道家が登場した辺りで奇妙な空気になる。
私をはじめ、ヘレナとホーリィが疑問に首をかしげたのだ。
アドベールとコマードが特に戸惑う様子もなく聞いていたので、私たちはとりあえずおとなしく耳を傾けることにした。
しかし。その武道家が大イノシシをいとも容易く仕留め、ウルールに街の案内を願い出たところで、2人の姉は我慢するのをやめた。
ヘレナは呆れの滲んだため息を吐いて見せ、ホーリィは怒りを露わにしたのだ。
「アンタアホじゃないの? 仮にもその命の恩人親子をうちに案内しないっておかしいでしょ!」
「あー。確かに……」
「命の危機から脱して気が動転していたのね」
「だとしても。だ、と、し、て、も、よ! 恩義に報いるのはヴァスティタの基本。6大貴族の名が廃るわ。宿を取っているかの確認くらいしなさいよ」
「うー。ごめんなさい」
「だいたい外壁を一歩でも出るのなら必要最低限の装備は整えるのが常識よ。わたしは街中に出掛けるだけでもレイピアを携帯するし、ヘレナも小杖を腰に下げてる」
「そうね。弓矢どころかナイフも持っていなかったというのは問題ね」
「大方 建国祭が近いから、街道警備の強化で油断してたんでしょ」
「……面目次第も御座いません」
ウルールは次々に挙げられる姉たちの指摘にぐうの音も出ないようだった。
活き活きと話し始めた時とは逆に、今は意気消沈して小さくなっている。
叱る2人の言葉とは別に、師として言ってやりたいことは山ほどある。
きっと今の私の眉間には青筋が立っていることだろう。
しかし、この感情の一番の原因はそこではなかった。
ルットジャーにおいての、もっと根本的な問題に対するものだ。
「ウルール。椅子ではなくそこへ直りなさい」
「……はい」
腹の底からわき上がる低い声に、ウルールがテーブルを離れてテラスの床に正座する。
それから庭木の群れの向こう側を睨みつけた。
「それと――ラファナス! おまえもです!」
怒気の孕んだ咆哮に、視界の端で関係のない人間が肩をビクつかせた。
身内の恥を晒すことになるが、優先すべきは防衛の要が機能しているか否かの確認と、それを徹底していることを彼らに示すことだ。
周りの視線が私に倣って茂みに集中すると、それは一呼吸置いてのそりと姿を現した。
高さ2メートルを優に超える巨大な銀毛の四足獣。
かつて北方の死の大地で、氷と狩猟の女神からヒーネが下賜された恐怖の大狼。
英雄譚では私たちを乗せて海獣を蹴散らし、魔人を牙で引き裂いた疾風迅雷の神獣として語られ、新小銀貨の裏側に刻印される――銀狼ラファナスだ。
悠然と足を進める姿は圧巻で、アドベールは顔を恐怖に染め上げて食器をカチカチと鳴らし始めた。
コマードはエルフィン産青果の納品などの打ち合わせの関係上よく顔を合わせるので、ほんの少しの余裕が感じられる。
それでも生存本能の訴えがあるようで、自らを落ちつけようと紅茶をひと啜りしていた。
そんな2人とは対照的に、弟子たちにさしたる変化はない。
弟子たちは知っているからだ。
この迫力が大して長続きしないということを――。
ラファナスは私の前までやってくると、大人を軽く丸呑みに出来るであろう大きな口から、母親にきつく叱られた仔犬のようなうめき声を上げた。
「なにか文句を言いたげね。ラファナス」
ジロリと睨みつけると、ラファナスは自分の頭よりはるかに小さなウルールの背中に鼻先を隠した。
これがかつて命を預けた戦友であるものの姿かと思うと、めまいを覚える情けなさだ。
そんな姿を見たホーリィは
「うわー……この毛玉ホントサイテーだわ」と冷たく吐きつけ、
ヘレナは微笑ましい一幕を見ているように相好を崩した。
「メネデールさま。ラファナスは悪くありません。私が『大丈夫だから』と留守番を頼んだんです」
「送り出しての留守番も、連れ出されての同行も好きにして構わない。
私が問題視しているのは、無力なルットジャーの血族を守護することがこの子の仕事で、それを怠ったこと」
そう。レウノアーネにおいてルットジャーの子供らが自由に過ごせるのは、ラファナスが守護者として鼻を利かせているからなのだ。
ラファナスは氷と狩猟の女神から下賜されたばかりの頃は、小脇に抱えられる程度のもこもこの白い毛玉だった。
そんな姿をしても神獣の名は伊達でなく、五感はもちろんのこと危機的直感に優れていた。
それは神獣の第六感としか説明出来ないほどで、仲間の危険を察知して駆け付けるという実績がいくつもあったのだ。
ヒーネはその能力を高く買い、英雄史後は留守にする間の家族を守る『守護魔獣』として契約した。
その必要はないだろうけれど、と小さく笑いながら。
「今回はたまたま察知出来なかったのかもしれません」
「ウルール。それはラファナスへの侮辱になることを承知で言っているのね?
その子にはその子なりに、ルットジャーの血族守護250余年の自負があるはずよ?」
「……それは、そうなんですけど……」
頭では理解しているようだが、態度はそれでもとしっかりかばっていた。
わかっている。
きっと、なにげなく留守番を命じた責任を感じているのだろう。
役割を全うすべき道理とそれに反する命令への自責。
わかりやすいくらいに顔に表れている。
どうしたものかと自らのこめかみを揉んだ。
それに本当はわかってもいる。
ラファナスがウルールの危機に駆け付けないなどあり得ない。
ルットジャーの氏族は感覚がマヒして巨大な愛玩動物のように思っている節があるが、ラファナスの爪と牙は健在どころか鋭さを増している。
時々ふらりと出掛けたかと思うと全身びしょ濡れで帰って来て、海獣や怪魚を庭の隅で貪り食っているのだ。
あの外海を泳いで狩猟しているのである。
相手にとっての絶対有利な領域であろうと、その気になれば簡単にひっくり返す実力を持っている。
さすが氷と狩猟の女神に仕える神獣だ。
そんなラファナスが直感だけ鈍ったとなぜ考えることが出来ようか。
しかもラファナスはウルールに特別懐いていた。
ウルールが館へやってきたばかりの頃は一時も離れようとしないくらいにベッタリで、ハワードやヘレナが困惑するほどだった。
ルットジャー氏族史上でもかなり稀な懐き方と言える。
だからこそ不可解なのだ。
そんなラファナスがウルールの危機に現れなかったことが――。
『神獣は神獣の理の中で生きている。人や妖精が知覚出来ないなにかに応えているとき、僕らがそれを曲げてはいけない』
ふと、物静かな盟友の言葉がよみがえった。
ヒトの身でありながら、精霊や神と交信する我々エルフよりも確信めいたものを持っていたヒーネ。
ただそこに存在するだけで圧倒する神々を前に、なんの委縮も見せずに笑う男。
私は未だにそこへ至れていない。
同じ英雄譚で肩を並べた戦友ではあるが、実力も見識も大きく差が開いたままだ。
優っていたのは寿命くらいか。
ウルール越しのラファナスを窺うと、許しを請うような上目遣いで軟弱なうめき声を上げた。
せめて言語での意思疎通が出来れば違ったのだろうが、神獣といえど人語は喋れない。
しかし、組合職員たちにも『ルットジャーの血が容易く盗まれる環境ではない』ことを示さねばならない。
彼らヴァスティタ国民としては、英雄の血統の流出による新たな火種が蒔かれるのは望むところではないのだ。
少し癪ではあるが、ヒーネの言葉を借りるとするか。
話の落とし所を決め、視線を集めるために大きくため息を吐く。
「では一応尋ねておこう。ラファナス、おまえはウルールの危機を察知出来なかったのか?」
私の問いにラファナスは、首を大きく横に振った。
「あ――」
その瞬間。己の失敗に気付いた。
肩丈2メートルを優に超える全身筋肉の恐怖の大狼が、自らの信用の掛かった質疑に全力で答えたらどうなるか。
そんなことは250年の付き合いで理解していたはずだった。
ラファナスが首を横に振り、ブンブンと文字通りの音を立てて強風を巻き起こした。
当然正面に居たウルールはその風が直撃して倒れ伏し、アドベールは迫力と相まって椅子から転げ落ちる。
テーブルの上のティーセットはことごとくなぎ倒されて、内2つのカップが派手な音をさせて床で砕け散った。
ここに居る誰もが髪と衣服をかき乱され、呆然とする。
大惨事である。
ほんの数年前にも同じような出来事があったばかりだ。
当時の筆頭被害者はホーリィ。
母の形見のティーカップをくしゃみで粉砕され、しばらくの間 魂が抜けたようになってしまった。
普段ハツラツとした娘がそのように変貌するというのはなかなかに堪えるもので、当時の関係者はみな食器の割れる音に敏感になった。
チラリと覗き見ると、ホーリィは昏い瞳で割れたカップを見つめていた。
手遅れだった。
両手で顔を覆いたくなる衝動を必死に抑え、ラファナスに向き直る。
視界の端でウルールが「あーあ」という顔をするが気にしないことにした。
「違う。ということは、察知してなお向かわなかったと?」
これに対してラファナスは一度首をかしげてから、今度はゆっくり横に振った。
一応状況を省みてくれたらしい。
そんなふうに内心で安堵しつつ、ラファナスの応えに取り掛かる。
今のは一体どういう意味なのだろうか。
ふざけているようにも嘘をついているようにも見えないし、単純にそう認めることが出来ないという反応とも取れる。
「では理由があると言いたいのね?」
さらに尋ねると、ラファナスは同意をするようにドシンという重たげな音を立てて伏せて見せた。
迅速に応える姿勢を見せ、視線は真っすぐこちらへ向いている。
ハッキリとはわからないが、そうするべきなにかがあったということか。
現実にウルールは無事に帰って来ている。
もしや件の命の恩人親子がウルールを任せるに足ると確信した、とか?
いいや。それこそまさかだ。
会ったこともない相手にどうして守護対象を委ねるなどと考えるのか。
ラファナスの足を以ってすれば、ここからスピルパールはわずか数秒の距離。
悩むくらいなら駆け付けた方が早く、確実だ。
やはりヒーネの言う『神獣の理』か。
「『人や妖精が知覚出来ないなにかに応えているとき、僕らがそれを曲げてはいけない』……か」
2人にギリギリ聞こえるよう、それらしくつぶやく。
すると視界の端でコマードの耳がピクリと動くのが見えた。
私はゆっくりと事情を吟味するようにまぶたを閉じて、深く息をする。
こんなところだろう。
察しのいいコマードならばヒーネの言葉であると考え至るだろうし、折を見て質問してくるだろう。
「わかったわ。この件は保留としましょう」
私のその言葉をきっかけに、周囲の空気が弛緩する。
ラファナスなどはあからさまに安堵の息を吐いて、ウルールに甘え始める始末だ。
しかしそれをホーリィは許さなかった。
「毛玉。アンタはもういいわ。……向こうに行ってなさい」
冷たく言い放たれたラファナスは尻尾をぐったりと下げて、何度も振り返りながら元の場所へと帰って行った。
がんばれラファナス! 負けるなラファナス!
それは我々の業界ではご褒美です!
……to be continued→




