常連の店 3 -衛生と信仰- [修正版]
「お薦めのものはなんでしょう?」
厨房にいるニコさんから預かったメニューを渡してしばらく、トーガさんにそう尋ねられた。
レストランの案内を買って出た身としては、待ち構えていた言葉である。
雇い主の好き嫌いも考慮して、オススメコースを3つ考えていた。
こういうとき、つい調子に乗って裏メニューやら特別コースなどをススメがちだが、彼らはこの水の都へやってきての最初の食事だ。
素直に王都の定番メニューからの方が楽しめるはず。
旅慣れた人間であればその土地の味に触れられることが望ましく、奇をてらった料理である必要はない。
わざわざレストランの案内を頼むくらいだし、定番でも人を選ぶような”ハズレ”を避けさえすればいいのだ。
それに定番というものはその店で多く注文されるメニューであり、人気があるわけで――。
調理者はその料理の熟練度が高くなるし、素材を選ぶ目も肥える。
だからボクは自信たっぷりに、シューちゃんの前に広げられたメニューへ指を伸ばした。
「そうですね。女神の収穫亭の朝食と言えば――」
「うちの店のものはなんだって最高さ!」
軽快な声に遮られた。
驚きに振り返ると、いつの間にか厨房から出たニコさんが立っていて、バチンとウィンクして見せる。
トーガさんと一瞬顔を見合わせた。
ニコさんが接客好きなのは知っている。
けれど、わざわざ注文の決定を阻むというのは珍しかった。
まじまじ見上げると、ニコさんの体からはほとばしるようなやる気が感じられ、顔には「俺に任せろ」と書いてある。
どうして突然これほどのやる気が?
戸惑いとともにわき上がる疑問に、先ほどのやり取りと不敵な笑みを思い出した。
『水の王国の民は、危機から救い出された恩は必ず返す』
そういうものも含まれているのかもしれない。
水の王国でも、王都民は特別この考えが強い。
元王宮騎士団の部隊長ならなおのことだ。
救い出されたのはボクなのに、ニコさんはそれを買って出ようというらしい。
なんともうれしいことだ。
よし。トーガさんたちもしばらく王都に滞在するのだし、ここはレウノアーネの気風を経験してもらおう。
それにこういうときは、店主のもてなし根性に期待した方がよい結果が待っている。
トーガさんに頷いて見せると、ボクの視線を追ってニコさんへ向けた。
「はい。女神の収穫亭はレウノアーネで一番ですもんね」
「ああ、そうさ! あまりの旨さにほっぺがおちて、昇天間違いなし!」
「硫酸の類ですか?」
「ニィさん、いくらうちがスペシャルだと言ってもさすがに竜の肉は扱ってないよ!
オストアンデル公は英雄譚で倒してのけたが、食べたかどうかはわからない。
料理人としてはぜひ一度取り扱ってみたいがね!」
うんうん。今日もニコさんのトークは絶好調だ。
料理の選択も接客も任せてしまって大丈夫だろう。
それにしても、竜の肉か。
なんか硬そうだな。
英雄譚や歴史記録に登場する竜は筋肉質で、名剣名槍を弾く強靭な鱗に守られていると描かれているし、前世の幻想物語でもほとんどが最強の種族の一角だったと記憶している。
確か竜はトカゲタイプで、龍はヘビタイプの形をしてるんだったかな?
こちらではどちらも実在するらしいが、まだ見たことはない。
外海で暴れまわっているほとんどは海獣か怪魚の類だった。
一生に一度は会ってみたい生物ではあるけど、文字通り一生に一度になるだろう。
出会って生き延びられるとは思えない。
まだまだ遭遇はご遠慮したい存在だなぁ……。
そんなことをぼんやりと考えていると、トーガさんが首をかしげていた。
「オストアンデル『公』?」
「王都じゃ英雄には『公』を付ける習わしなのさ。
実際に国王陛下が対等以上に扱われたから、水の王国臣民は感謝と尊敬を込めてそう呼んでる。
250年前の英雄も一代限りだがそう扱われたって知らないかい?」
チラリとニコさんがこちらを窺ってくる。
その話題はボクに振らないで欲しいので視線だけを反らした。
「ほう。実に興味深い」
「ハッハー!
英雄譚は王都民の自慢のネタだから雄弁に語って聞かせたいが、ここは王都一料理の美味い店だ。
そういうところでは店主の長話を聞くよりも、うまいもんを食いながら仲間と感想を大きな声で語り合うもんだ」
「おいしいお店の宣伝は誰しも意図せずにしてしまいますからね」
トーガさんの100点満点の答えに、ニコさんは親指を立ててウィンクして見せた。
会心の笑顔だった。
「それじゃあ店主直々にご注文を伺うから、アンタらはこう言うんだ」
そこで一息吐いてから、ニコさんは声を張った。
「とにかく旨いもんをたらふく持ってきな! ってな!」
「……もってきな」
「おお! おチビちゃん、その調子だ!
すぐに持ってくるから腹を空かせて待ってなよ!」
シューちゃんが親指を立ててセリフの尻の部分を真似ると、ニコさんは景気よく笑いながら厨房へと戻って行った。
視線を察してくれたらしい。
ホッと一息つくと、トーガさんが笑っていた。
本当によく笑う人だなぁ。
「元気な方ですね」
「レウノアーネのレストランの人は大体あんな感じですよ。
まあ、ほんのちょっぴりニコさんの方がパワフルですけどね」
「あんな注文の仕方で大丈夫ですか?」
「はい。今のはレウノアーネ流の『おまかせ』で、お店の看板なんです」
「ほう」
「ああ見えて実はすごく気を使う人なんで、無茶な料理を押しつけられる心配はありません。
お客さんの体格や人数を見て決めてるので、同じ品が山盛りでウンザリということもないですよ」
下手なことをすれば評判が転がり落ちる。
それは競争率の高いレウノアーネの飲食業界では致命傷になり得てしまう。
悪評がどれだけ経営の首を絞めるのかをよく理解しているからこそ、ライバルを押しのけて店舗を構えることが出来たのだ。
「そういえば『世界の食が集まる場所』でしたか?」
「はい。『レウノアーネのレストランにハズレなし』です」
言いながら厨房へ目を向けると、カウンター越しのニコさんがフライパンを振っているのが見えた。
トーガさんもその様子を好ましそうに眺めていて、シューちゃんは脂の焼ける香ばしさによだれをこぼさんばかりだ。
「早朝のお客さんが久しぶりってこともあって、気合いが入ってるんですよ」
「ひさしぶり……ですか?」
「はい。この時間帯はこういう形式のレストランより、食べ歩きが出来る屋台にお客さんが取られるんです」
「ああ、なるほど」
トーガさんは店内を改めて見回してから頷いた。
ふいに常連客が店に入ってくると、カウンター越しのニコさんに気軽な挨拶をしてから包みを1つ手に取り、小銀貨1枚を籠に置いてゆく。
ボクに気付いた顔馴染みも、見知らぬ客人と同席しているのを確認すると手を振るだけで去って行った。
「だから常連客を相手に、予約制のお弁当を販売してるんです」
「固定客をしっかり掴んでいるということですね」
「はい。元々この店はファンが多いですから、朝食を手軽に食べたい要望が増えてこの方式になったそうです」
「なんともたのしみが深まる言葉ですね」
「……でしゅうぇ」
シューちゃんのよだれはすでに溢れて言葉を妨げていた。
すごい食いしん坊なんだなぁ。
ボクも結構な食いしん坊なので気持ちはわかる。
前世の反動か、今生ではかなり積極的に食事を取っていた。
母の作る料理はおいしいし、姉の作る料理もたまらなく好きだ。
遊び尽くして疲れた体に染み入るようなやさしい匂いが、ボクのおなかを何度鳴らしたかわからない。
外食にしても店に入る瞬間から想像と期待は膨らむし、家とは違う雰囲気に胸は高鳴りっぱなしだった。
メニューを手に取る頃には、漂う刺激的な香りも手伝って口の中は大洪水。
母にはそのことでよく笑われた。
王都で暮らすようになってからの外食は多種多様を極め、道中をスキップしてしまうくらいに足が軽くなった。
「そういえば、ゴミは大丈夫なんですか?」
「ゴミ? ……ですか」
思い出に浸っていたせいで、一瞬なにを尋ねられているのかわからなかった。
少しの時間を掛けて会話を遡り、それが空になったお弁当の容器や包みのことで、ポイ捨てに関する疑問だと思い至った。
「ああ、はい。大丈夫です」
ボクの場合は他のことに気を取られていたからだが、たぶん王都民も同じような反応をしたと思う。
王都で暮らす人間にとって、ゴミをそこらへんに投げ捨てるという常識はないからだ。
異邦人からもこの手の質問はあまりない。
トーガさんはロッタル侯爵の旅上身分証明とボクの案内もあって省略されてしまったけど、本来なら入国の際に城門でそれがいかに危険な禁止行為であるかが伝えられる。
「王都でゴミのポイ捨てなんてしたら袋叩きですよ」
「袋叩きですか」
「ええ。それはもう容赦なく」
塵1つないとまでは言わないが、王都レウノアーネにゴミが転がることはない。
理由は簡単だ。
ここが『英雄の国の首都』であり、『豊穣の女神が降臨した聖地』だからだ。
大英雄オストアンデルが初代国王ガラーテ・ヴィ・レウノアーネ・レウリックとともにヴァスティタの建国の宣言をした際、豊穣の女神がその姿を現したというのは大陸でも有名な話だ。
王都に住む者にとってそれは最も誇ることであり、そんな地を汚すことは許されない行為であった。
道はもちろんのこと、水路を汚すことも法律で堅く禁じられている。
後者は特に、緊急時の飲み水になることもあるのだろう――などと考えてしまうのは、ボクが前世の価値観を引きずっているからだけではないはずだ。
「この王都、レウノアーネを象徴する逸話がありまして――」
流れの冒険者が、酔っ払った勢いで水路に立ち小便をした。
その冒険者は通りかかった王都民に見咎められ、コテンパンに伸されてしまう。
彼は運び込まれた豊穣の女神の神殿で神官に治療されるも、怪我の理由を説明すると顔にツバを吐きかけられたという。
これで話は終わらない。
冒険者は不当な扱いを受けたと広場で訴えたのだ。
しかし事の顛末を知った王都民は怒り、死刑か国外追放かの2択を迫る。
結果、彼は這う這うの体で国外追放を受け入れたのだった。
初めて聞いたときはちょっと下品な冗談かと思ったけど、王都で暮らしてみるとよくわかる。
たぶんこの話は事実だ。
しかもかなりやわらかく表現されていて、瀕死のリンチを受けたと推測できる。
それでもなお開き直って不当だと訴えた根性のすごさは認めるけど、当たり前の仕打ちだと思う。
かなり古くから伝わる話であるし、上水道がない時代であれば水路は非常用でなく毎日使う生活用水だ。
そしてその水は、育ててくれた親であったり、生涯を共にする伴侶であったり、手塩に掛けたかわいい我が子の口に入るのだとしたら――。
彼をどうこうしてやりたいと思うのは当たり前のことではないだろうか。
彼はやられるだけのことをやったのだ。
「確か、ヴァスティタの上下水道の歴史は随分早くからあったようですね」
「はい。建国の段階で初代国王の構想にあったと教わりました」
高度な技術が必要だったために先送りにされていた計画だったが、あるときを境に着手されたとか。
ボクが思うにこの逸話が関係している。
この話では『おしっこ』だったが、『毒』であったなら大量虐殺という結果になったのだ。
当時の国王や家臣の中で、それに誰も気付かなかったはずはない。
そんな水の王国は現在、水路とは別に上水道と下水道がしっかりと整備されているし、トイレの管理にしても徹底されている。
不要ゴミもそうであるが、排泄物の管理は一歩間違うと疫病の巣窟だ。
漁猟が行われている地中海や、そこへ流入する恐れのある外海に未処理で放流などは気の長い自殺に等しい。
水の王国のゴミと排泄物の処理は2種類ある。
大量の藁屑とを重ねて堆積し、10年の月日を掛けて微生物に分解発酵させるか。
魔法によって灰塵となるまで熱処理を行って肥料とするか。
前者は小都市や村で行われる手法だ。
充分に時間を掛けることで、70度を超える高温発酵により疫病を死滅させる他、臭いの成分はなくなって水同然の衛生的な液肥となる。
後者は主要6都市のような住民の多いところの方法で、中級以上の魔法詠唱者複数人で行われる。
堆肥方式にすると施設の規模が大きくなりすぎるというのも理由のひとつだ。
「下水道の清掃や浄水場の仕事は人気の職業なんですよ」
「魔術師組合を通してわざわざ転職する魔法詠唱者がいるんでしたか?」
「はい。高給取りでもありますし、名誉ある仕事ですから」
豊穣の女神に奉仕する意味もあり、熱心な信徒が多く就く業種でもある。
「ただ、審査はかなり厳しいんですけどね」
「飲み水や衛生という国の基礎を支える仕事ですしね」
高い魔法技能と人格、思想が求められるため、審査基準はとても厳しい。
能力があっても半端な仕事をされては国営に支障が出るし、反体制思想の人間が入り込めば被害が甚大だからだ。
そのため6大都市でも共通して、豊穣の女神への信仰心を求められることが多かった。
「ふむ。稀なケースだな」
ゆっくりと頷いたトーガさんは、ぽつりと言った。
「マレ……ですか?」
「英雄の国の娯楽演劇。美しい水の都。安く溢れ返る食べ物。
これだけのものが揃っていて精神の堕落ではなく、規律を順守する美意識が勝つのですから希少です」
トーガさんの疑問はもっともだと思う。
人間というものは、満たされた環境を用意されると堕落する。
種を蒔けば実りが約束された大地。
肥沃な大地に育まれた獣は丸々と太っている。
こんな環境なら、わざわざ苦労して酪農や漁業に手を出さずとも生きていけるはずだ。
しかし、こうなる理由がまったくわからないわけでもない。
豊穣の女神の存在だ。
およそ1000年前にヴァスティタ建国と同時に降臨したとされているが、現在の国民がそれを実際に見たわけではないし、言い伝えをなんの疑いもなく鵜呑みにしているわけでもない。
ではなぜ、水の王国民はその存在に感謝し、敬い続けられるのか?
「それはたぶん。『豊穣の杖の儀』があるからだと思います」
「ほう。やはりそう考える王都のひともいるのですね」
「まあ、ボクはその……うん。少数派の考え方のひとつとして、ですね」
毎年の建国祭最終日に行われる豊穣の杖の儀。
それは豊穣の女神の使徒『精霊の樹』が姿を変えたと言われる杖を用いた大儀式で、水の王国民の身を芯から震えさせる奇跡を起こす。
広大な水の王国の大地を豊かにするのだ。
そう。豊穣の女神の加護は1000年前の1度きりの奇跡によって与えられ続けているのではない。
豊穣の女神から下賜された杖を国王が1年に1度振るうことによって、まばゆい奇跡を国民の目に焼き付けている。
それが、移ろいやすい人間の心にいつまでも強い信仰心を宿しているのだ。
豊穣の女神が実在するのか、その力の説明と国民を導くための方便なのかはボクにはわからない。
けれども国民はわかっている。
芳醇な恵みをもたらす奇跡への感謝の裏側に、それを喪失するかもしれないという恐怖が潜んでいることを。
まあ、精霊の樹を信仰する森の妖精がこんな考え方をしていると知ったら、母や師は呆れるだろうなぁ……。
「豊穣の杖の儀、楽しみにしててください」
「ええ。とても楽しみです」
トーガさんは英雄譚の研究をしているくらいだ。
これを目当てに王都へやって来たとも言えるだろう。
そのときは親しい友人として一緒に回れるような関係を築けていたらいいな。