朝原 至の場合 02
第三節
斎賀は元々がアーケードゲーム、格闘ゲームの愛好家である。
勝負と言うのは勝つこともあれば負けることもあると知っている。
寧ろ下手すると、ゲームシステムを突き詰め、試行錯誤することそのものに喜びを見出すタイプだ。圧倒的な勝ちよりも、考え抜いた果ての負けを好むとすら言える。
当然、ルールも熟読し、特殊な重複処理などが発生した場合に備えてQ&Aにも目を通すことを忘れない。
自分がプレイしたならばルールを厳密に適用し、それこそ自らのミスがあれば進んでペナルティを受けることもいとわない。
しかし、子供…幼稚園以下…は全く違う。
「勝つこと」が最優先なのだ。
だから平気でルールを捻じ曲げ、嘘をつく。
一回行った行動を「あ、やっぱり無し」などと引っ込めるのは当たり前で、行動宣言したカードを「手で隠して見せない」などということすらしてくる。
当然ながらルールもデタラメで、しかも門外漢がやってくると「自分たちだけが有利になる」様なウソまでつく。
そして、試合が進み、いざ負けそうになるとカードを投げ出して「もういい!」とふてくされてしまったりするのだ。
これでは全くゲームにならない。
実はこれでもまだマシな方で、自分のコントロールするクリーチャーがダメージを受けたり、破壊されたり、或いはプレイヤーに攻撃が通って体力が減ったり、手札を捨てさせられたりといった「自分にとってマイナスな行為」が行われることそのものを拒否する…などということすら珍しくない。
こうなってくると、一人用ゲームでもやってろ!ということになる。
斎賀の最悪の思い出は、とにかく自分勝手なルール運用のデタラメプレイをする子供に仕方なく付き合ってやり、その「劣悪な環境」を乗り越え乗り越えて戦い続けた時のことだ。
「そんな強いクリーチャーはずるい」という一言で出すのはいいが防御にも攻撃にも使えない…ということになった…クリーチャーしか場にいない状況。対戦相手の子供の場には到底処理しきれないクリーチャーが並び、次に何を引いても勝ち目はない。…本来なら何ターンも前に斎賀が勝っているのにだ。
仕方が無い…とばかりに「参りました」と「投了」を宣言した。
なんと!同時に子供が泣き出してしまったのである。
親が飛んできて「子供を泣かした」と叱責された。
容赦なく打ち負かしたのならばともかく、接待プレイの挙句に負けたのだ。「勝たせてやった」形なのにどうして怒られなくてはならないのか。
しばらく考えて分かった。
要するにその子は「自分のターンに相手をボコボコにして体力0にして勝ち、気持ち良くなる」ことが最大の目標だったのである。
それなのに負けを悟った斎賀が「負けました」と自分のターンが来る前に試合を終わらせてしまったのでギャン泣きし始めたのだ。
第四節
その時、斎賀は「こんなところにいつまでいても無駄だ」と号泣する子供を尻目にその場を去った。
最終的な勝利はもちろんのこと、ゲームの展開一つ一つについてまで全部自分のわがままを通さないと気が済まないあの子は、たかがゲームと言わずきちんと教育しないと将来大変なことになるんじゃないのか?と余計な心配までさせてくれる「事件」だった。
たどたどしい言葉遣いの目の前の子どもには、大きな期待はしていなかった。
せめてまともに試合が成立すればそれでいい。その程度しか。
子供のローカルルールというのは主に「自分たちの都合」で決められる。その場のボスが超強力なカードを10枚持っていたならば平気でデッキに10枚まで入れてよい…ということに決まるのだ。
斎賀は当然、統一ルールに従って一枚しかいれないから、そんなデッキと戦って勝てる訳が無い。
たった一枚のキーカードをいかにして引くのか?…と言う風にデッキが組んである。それを本来の「4枚制限」すら守っていないのだから勝負にならない。
しかし、それなら「その場の流儀」にならってそのカードを10枚入れたデッキを持ち込めば対戦した上で勝たせてくれるのか?といえばそんなことは無い。
彼らの目的は「勝つこと」なのであって、「ちょっと特殊なルールで楽しむ」ことではない。
だから「よそもの」が「自分たちと対等な」条件を整えてやってきたならば、また新たな「自分たちだけが有利になる」ローカルルールをでっち上げて撃退するのみだ。
だから対戦そのものをしてくれない。
こういう方式を「優位戦」といい、勝負そのものが行われる前に既に「圧倒的優位」を築いておく考え方である。
国際オリンピックに於いて、日本選手が活躍すると「日本選手だけが不利になる様な」ルール改正が行われることに日本人は「そこまで卑怯なことをしてまで勝利に執着する」価値観が全く無いためにビックリ仰天して何も有効な対策が打てないことが多いが、要するに「子供の論理」だと思えばいい。
「…」
ただ、斎賀はその子のデッキに使われているカードがきちんとスリーブに納まっており、一定のコンディションに保たれていることに感心した。




