五巻もうちょっとで発売記念SS 『夏の夜は怪談だよね! 前編』
まさかの前後編……
「……暑いわ」
ロンド・デ・テラ、公爵私室。手元の書類に目を落としていた浩太は、頭上から聞こえて来る声にその顔をあげ、声の主――まるで犬の様に舌を出してはぁはぁ言ってるエリカに視線を向けた。
「暑い、ですか?」
「そうよ。夏ももう終わったって言うのに一向に涼しくならないし……今日なんて風も無いでしょ? もう……最悪よ」
溶けたスライムの様、『ずべー』とテーブルの上にその身を放り出したエリカに、エミリが苦笑を浮かべながら追従する様に口を開いた。
「エリカ様。テラ公爵ともあろう方がその様な格好を為されず。まあ……気持ちは分からないでもないですが」
そういうエミリの額にもうっすらと汗が滲んでいる。エリカとは違い、全身黒づくめのメイド服、生地こそ夏用に薄くはなっているものの、それでも明らかに肌を覆う面積が多いその服では流石の完璧メイドさんでも厳しいモノがある。
「……コータ様とアヤノさんが居た国ではこの様な時にどう為されていたのですか?」
「ほえ? 私の国?」
「ええ。コータ様とアヤノさんが居た国ならではの暑気払いがあるのではないかと思いまして。流石にこの暑さはわたくしも少し参ってしまいますし」
こちらも額に薄っすらと汗を掻いたソニアからの質問に、エリカ同様ぐでーっとなっていた綾乃が視線をチラリと上げる。しばし考え込む様に人差し指を顎に当て、残念そうに首を左右に振って見せた。
「まあ……普通は私らの国では此処まで暑くなる事ないのよ」
「そうなのですか? 涼しい国、という認識で宜しいので?」
「ええっと……正確には決して涼しい国って訳でもないんだけど……こう、色々発展してるから。その……科学的に」
「科学的だと?」
綾乃の言葉にマッドサイエンティスト――じゃなかった、シオンが敏感に反応する。そんな彼女の反応に呆れた様に溜息を吐きながら、綾乃が言葉を続けた。
「こうなると思った。詳しい原理の説明はしないわよ? 理系嫌いだし。まあともかく、暑かったらスイッチ入れれば涼しくなるの、私達の国では」
「それは……凄いですわね。羨ましいです」
羨望の瞳を向けるソニアに、『まあ、今は私らもその恩恵には預かれないんだけどね?』と不満そうに顔を逸らす綾乃。そんな姿に苦笑を浮かべ、浩太は言葉を引き取った。
「流石にクーラー……ええっと、科学的な力は難しいんですけど、それでも他にもありますよ?」
「他の方法? どんなのがあるの、コータ? 使えるんだったらなんでも使いたいんだけど」
「打ち水、なんかが有名ですかね? 道に水を撒いて、涼を取るんです」
「道に水を撒いて? それって、涼しくなるの? あれかな? なんとなく見た目で涼しそうって事?」
「そうではないのですが……ええっと、一応、科学的に効果は実証されています」
打ち水は見た目の涼しさもあるが、気化熱を利用して涼を取る方法だ。細かい数字は省くが、涼しくなるのは間違いない。
「へえ。でも、それは流石に無理ね。屋敷が水浸しになるし」
少しだけ興味をひかれた様な顔をして、それでも残念そうに首を左右に振って見せるエリカ。そんなエリカに苦笑を強くし、浩太は口を開いた。
「後は……そうですね、風鈴なんかもありますよ?」
「風鈴?」
「手の平サイズ程度のお椀型の金属やガラスに、舌と呼ばれる部品を付けたモノですね。短冊を付けておくと、風が吹く事によって舌がお椀に触れてチリンという涼し気な音色を出すんですよ」
「……ええっと……え? 音が出るだけ?」
「有体に言えばそうですね。単純に音が出るだけです」
「ええっと……」
「……まあ、言わんとする事は分かりますよ? 『音が出て涼しくなる訳ないだろう』と思う気持ちも分かるんですが、ですが、エリカさん? まあ、風鈴は私の国の夏の風物詩ですので。風が吹いている、という事象を聴覚的に――」
「そうじゃなくて」
「――捉える……そうじゃない?」
途中で言葉を遮られた浩太が不思議そうにエリカを見やる。そんな浩太に、同様に不思議そうにエリカは首を捻って。
「……五月蠅くないの? 風が吹くたびにチリンチリン鳴ってたら。逆にイライラしそうな気がするんだけど?」
「……」
浩太、言葉もない。
「まあ、エリカの言う事も正論かな? 夕方とか夜のまだしも、夏の暑い時にチリンチリンなってたら確かにイラッとする事あるもん」
「お前までそういう事言う、綾乃?」
「言うわよ。ちなみに、自治体によっては風鈴の音って生活騒音だからね?」
「まじか……」
「古き良き日本の文化も、時代の流れには勝てないのよ」
ちなみに東京都では風鈴の音は生活騒音に分類されていたりする。ひょっとしたら、風鈴騒音裁判なども起こるかも知れないな、なんてしょうもない事を考えて故郷の哀愁に浸る浩太をチラリと見つめ、綾乃が言葉を発した。
「んで? フレイム王国には無いの? 涼を取る方法。っていうか、エリカもソニアちゃんも王族でしょ? 涼取る方法なんか幾らでもありそうなんだけど?」
綾乃の脳内では氷柱を立てた部屋で優雅にカップを傾けるエリカとソニアの姿が浮かぶ。なんとなく、逆に寒そうではあるが。
「ソルバニアは海沿いの国ですから、夏は主に海に言っておりましたわ。お父様、海が好きでしたし」
「カルロス一世陛下?」
「即位前は船乗りの真似事をしていたらしいですから。釣りなんかも良くしましたわよ? 後は海に入って遊んだりしておりましたわね」
「海か~。でも、王族ならプライベートビーチよね、当然。テラの海じゃ無理か」
綾乃の言葉に苦笑で返答とするソニア。何も語らずとも良く分かるその仕草に肩を竦め、綾乃はエリカに視線を送る。
「ソニアと違って私達は山だけど。ラルキアは結構暑いから、夏の間は避暑地に行ってたわ。チタン……チタンって街があるんだけど、その街の近くに高原があるのよ。そこなんかは標高も高いから比較的涼しかったわよね、エミリ?」
「懐かしいですね、エリカ様」
「そうね。お母様が亡くなってからは、殆ど行ってないし……また、まとめて休みが取れたら皆で行っても良いかもね。アヤノも行く?」
「むしろ仲間外れにされたら泣く。でもまあ……そうだね、結局なんの解決にもならないって事が分かっただけだったけど」
肩を落としてそういう綾乃に、エリカも苦笑を浮かべる。どちらかと言えばクーラーに慣れた現代っ子である綾乃の方が、この暑さは厳しいモノがある。
「……そうです、エリカ様。肝試し、などは如何でしょうか?」
と、不意にエミリがポンッと手を打ってそんな事を言う。その姿に訝し気な表情を浮かべるエリカに、エミリが微笑みを浮かべたままで言葉を継いだ。
「何年か前、高原に行ってもまだ暑かった時があったではないですか。その際、アンジェリカ様が……」
「……ああ、そんな事もあったわね。『わかった! それじゃ肝試し! 肝試ししましょう! 肝を冷やせば体も冷えるって!』って言って」
「ええ、そうです。楽しかったではないですか」
「まあ、楽しかったのは認めるわよ? お化け役のアンジェリカ様の演技が本気過ぎて、リズが泣いて怖がって」
「エリカ様も涙目だったですよ?」
「うぐ! そ、そういうエミリだってちょっと震えてたじゃない!」
「わ、私は――コホン。まあ、ともかく、そういう『イベント』を行ってみても宜しいのではないですか?」
何時になく『推す』エミリの言葉に、少しだけエリカが考える様に中空を睨む。それも一瞬、黙って視線を降ろして左右に首を振った。
「……準備に時間も掛かるし、ちょっと難しいかな? それに、面白かったけどあの時って逆に暑くならなかった? リズなんて逃げ回り過ぎて肩で息をしてたし。でも、そこまでやらないと肝も冷えないかな~とも思うのよ。『やってみました~』だけじゃ涼しくなる気がしないって言うか……」
「まあ……それはそうでしょうが」
遊びは本気でやるから面白い。下準備もなしに肝試しをした所で、グダグダになるのがオチだ。ならば、無駄に熱を上げる様な行為を行う必要も無かろうというエリカの意見に、エミリも不承不承といった感じで頷く。
「……そう、ですか」
「……どうしたの、エミリ? そんなに肝試ししたかった?」
「いえ……いえ、『はい』に御座います。昔を懐かしみ、少しだけ肝試しをして見たかったのですよ」
なんとも儚げな微笑みを浮かべるエミリ。その表情に、思わずエリカは言葉に詰まり――そして、この姉代わりの出来たメイドの為に、ひと肌脱ごうかと口を開きかけて。
「――では、怪談大会にしたら如何ですか?」
「ソニア?」
「肝試しは準備に時間も掛かります。ですが、怪談ならば然程準備には時間も掛かりませんし……」
そう言って、ニヤリとした笑みを浮かべて。
「――これなら、合法的にコータ様にも抱き付けますわよね、エミリさん?」
ソニアの言葉に、弾かれた様にエミリが顔を背ける。そんなエミリをジトーっとした瞳で見つめた後、エリカが呆れた様に嘆息して見せた。
「……私の感傷を返せ」
「え、エリカ様!? ち、違います! 私は純粋に!」
「もうイイわよ。まあ、何もしないよりはいいでしょうから? それじゃ怪談大会を――」
「あ、私は不参加でよろしく」
「――しましょう……アヤノ? え? 不参加?」
自ら率先して参加しそうな綾乃の不参加宣言に、驚いた様に目を丸くするエリカ。そんなエリカの視線に照れ臭そうに頬を掻き、綾乃はあははと笑って見せた。
「いや~……私、怖い話って苦手でさ? 夜眠れなくなっちゃうから、ちょっとそれは厳しいかな~って。空気読まないで御免だけど、勘弁!」
そう言ってパチン、と手を合わせる綾乃。そんな姿に、毒気を抜かれた様にエリカは言葉を返した。
「あ、空気を読まないとかは……そ、その、それじゃ止める?」
「あ、いいよいいよ。皆は楽しんでくれればいいから。折角、浩太に合法的に抱き付けるチャンスじゃない? 頑張れ~」
ヒラヒラと手を振ってそんな事を言って見せる綾乃。なんだか、一人だけ仲間外れにする様な感覚で若干『もにょ』としながら、それでも皆の期待の籠った視線を受けてエリカはうんと一つ頷いて見せる。
「……分かった。それじゃ、各自早めに仕事を終えて……そうね、夕食後にこの部屋でやりましょう? 皆、自慢の『怖い話』を持ち寄ってね!」
笑顔を浮かべてそういうエリカに、全員が笑顔で頷き返す。その仕草を微笑ましいモノを見つめる目で綾乃は見つめて。
「………………まあ、本当に楽しめたらいいケド」
そんな言葉をポツリと漏らした。