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第5回:顔文字・ネットスラングはダメなのか?

 第5回の議題は「顔文字・ネットスラングはダメなのか?」です。


 今回私は、ネットスラングについては許容、顔文字についてははっきりと否定的な立場を取っております。

 また、今回も西村紅茶様のエッセイに対する感想、反論として書かれたものが元になっています。『俺は、せっかくだから〈side ○○〉〈side out〉形式の小説を擁護するぜ』第4回をご一読の上読まれると、より分かりやすいかと思います。

 以下3点を主なテーマとして書いていきます。



1・ネットスラングに合った読者層とキャラクター

2・小説に顔文字は必要か?

3・顔文字と閲覧環境



 興味を持って頂けましたら、少々のお時間、お付き合い下さい。



1・ネットスラングに合った読者層とキャラクター

 小説内でネットスラングを使う場面というと、主人公がネットスラングを使う人間の一人称か、登場人物の台詞、掲示板やメール文面の表記などが主でしょう。

 いいんじゃないでしょうか。

 端的に、いいんじゃないでしょうか。

 オタクでもないキャラクターがネットスラングを連発していると、設定上の齟齬を感じます。ですがVRMMOものなど、登場人物の大半がオタクかネットスラングにある程度通じているような設定であれば、別段構わないと思いますよ。

 まあ「wwとかどうやって発音してんだよ」と突っ込まれることはあるかもしれませんが……。「アッ―!」とか意外とやってみると発音出来ないものです。実際に言ってみるとわかりますが、最後の「―!」が特に難しいんです。この余韻をいかに表現するかが。

 ただしファンタジー作品や時代もので現地人の台詞や一人称に書くのはダメです。ダメったらダメですよ!



2・小説に顔文字は必要か?

 顔文字の可否について論じる前に、顔文字が何の為に生まれたのか、というところから考えてみました。

 顔文字はメール等の文字でのやり取りの上で、文字だけでは表せない感情を表現するものとして生まれました。経緯などはどうぞWikipedia等をご参照下さい。

 では何故、顔文字が必要だったのか?

 それはおそらく、メールが「台詞だけのやりとりだった」からでしょう。メールの文面というのは口語で、しかも相手とのコミュニケーション、対話としての文章ですから、地の文と台詞で言えば台詞に当たります。

 台詞だけのやりとりでは、実際の会話であれば語調や表情で冗談だと伝わるものが本気で怒っていると取られたり、逆もまたしばしば起こりえます。そういった誤解を回避するため、より綿密なコミュニケーションの手段として顔文字は生まれ、進化してきました。


 最近はたまに見かけますが、基本的に漫画で顔文字が使われることはありません。キャラクターの表情や仕草を描くことが出来るため、不要なものだからです。

 小説においてはどうでしょうか。私は漫画同様、不要なものだと思います。

 メールの文章が台詞であるなら、顔文字や(笑)(怒)は地の文です。台本で言えばト書きですね。小説には地の文があるのに、わざわざ地の文を省略したものを使う必要がないのです。


 たとえば以下のような変換が成り立ちます。



「もうっ、主人公ったら何言ってるの!」(*ノωノ)キャー


「もうっ、主人公ったら何言ってるの!」

 ヒロインは恥ずかしそうに頬を染め、両手で顔を覆い隠した。



「なんだって!?」∑(゜Д゜)


「なんだって!?」

 主人公は驚愕に目を瞠った。



 雑な名称は気にしないで下さい。名前考えるのが面倒臭かったので……。

 こう書けばいいだけのことを、あえて顔文字にする必要性とは何なのでしょうか。

 顔文字でしか表現出来ない、なんてことを仰る方がいたら、申し訳ありませんが小説を表現の媒体に選んだことがそもそもの間違いです。小説は文章でもって表現するものです。

 新しい時代の表現である、というならば、それが世間に受け入れられ後世まで残るかどうか、どうぞ試してみて下さい。

 うーん……否定的立場が故か、えらく挑発的な物言いです、すみません……。サツバツ!

 前衛芸術の類は一般人には理解されないながらも、芸術界では高い評価を受けることもあります。ベーシックが好きな私には理解出来なくとも、いいと思う読者がいるならばそれが成功だと思います。どうぞ「貴様のような凡人には理解出来なかったようだな、ふはははは!」と笑って下さい。


 かつてブームとなったケータイ小説は、書籍化にあたり、横書きで出版され物議を醸しました。やはりこの時も、小文字や顔文字、ギャル文字の使用が随分と非難を浴び、今なお一般化したとは言いがたい状況です。

 しかしながら度々申し上げているように、「小説家になろう」という限定した範囲で、受け入れられるのであればいいのかもしれません。

 『俺は、せっかくだから~』で挙げられた『勇者の嫁になりたくて ( ̄∇ ̄*)ゞ』の作者・千海様は、感想返しで読者層の選別の為にタイトルに顔文字を入れた旨を書かれています(実際本編にほとんど顔文字は出てきません)。

 顔文字のそういった戦略的(と言うのでしょうか?)運用法もありますね。


 また、『俺は、せっかくだから~』第4回にて西村様が「顔文字は記号の一種である(意訳)」という旨の主張をされています。顔文字否定派の私とは真逆の主張内容になりますので、是非ご一読下さい。

 私の主張と致しましては、顔文字に使用される記号は、記号として個別に元々意味が存在するものです。ノやωは記号ではなく文字です。

 それを組み合わせ、本来の意味とは全く無関係の――それも形状に対する解釈による――意味を設けるのであれば、それは記号ではなく絵だろうと思います。見る人によって意味のブレも大きいですしね。

 定義論はもう認識の違いですので、個々で議論し出すとキリがないような気もします。顔文字文化の専門家とかいないんですかね?


 あ、コミュニケーションツールとして生まれた関係上、感想・感想返しや、活動報告等の場での顔文字は自由だと思います。嫌がる方もいらっしゃいますが……。



3・顔文字と閲覧環境

 顔文字を使わない方がいいと思う理由にもう一つ、読者の閲覧環境を制限するというものがあります。

 顔文字は横書きに依存した表現ですが、なろうには自動で縦書きPDF化する「タテ書き小説ネット」の存在があります。縦書きにした瞬間崩れてしまう儚きもの、それが顔文字。

 創作支援サイト「ChaosParadise」のアンケートや知恵袋の質問等を覗き見ると、ネット上の小説を縦書きで読む方というのは存外に多いようです。縦書き変換した上で印刷して読む、という方も結構いらっしゃいます。

 それらの情報から推測するに、読み手の閲覧環境はざっと4タイプに分かれます。


①PCからブラウザで(横書き)

②携帯やスマホで(横書き)

③タテ書き小説ネットで(縦書き)

④印刷して紙面で(縦書き、横書き両方ありえる。ただなろうだとPDF化した縦書きが優勢?)


 顔文字向けの閲覧環境というのは、実はかなり限られています。①のPCからブラウザで、もしくは②のスマホ、このどちらかになります。

 ③④は言うまでもないとして、②の携帯、ガラケーに関しては微妙なところです。なろうの小説をガラケーで閲覧すると、文字数によって自動的にページが分割されてしまいます。そこに顔文字がひっかかると、分断されて崩れてしまう……という悲劇が起こります。

 改行で切れるぐらいならいいのですが、完全にページが分断されてしまいます。なのでガラケー閲覧もあまりお勧めは出来ません。

 分割文字数まで計算して書かれるくらいのこだわりがあるなら別でしょうけれど。作家の京極夏彦先生は、一文がページを跨がないよう綿密に文字数を計算しているそうですよ。変態ですね(褒め言葉)。


 以上のように、多様な閲覧環境を前提としたなろうにおいて、横書き依存の顔文字は推奨しません。



 ここまで偉そうに書いてきましたが、少しは皆様のご理解を得ることが出来たでしょうか。今回は出来なかった気しかしない!

 貴重なお時間をお付き合い頂き、ありがとうございました。

 よろしければまた次回以降もお付き合い下さい。

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