第3回:俺Tueeeeやチートはダメなのか?
第3回の議題は、「俺Tueeeeやチートはダメなのか?」です。
基本的に結論は「ダメってことはないけど、使うの難しいよね」なので、以下補足というアバウトな感じで進行します。どちらかというと書き手向けかもしれません。
結構棘のある内容も含まれますので、ご注意下さい。
1・主人公を贔屓していい?
2・俺Tueeeeが難しい理由
3・チートが難しい理由
4・特別な主人公
興味を持って頂けましたら、少々のお時間、お付き合い下さい。
1・主人公を贔屓していい?
第2回2-2にて、テンプレ系ストレスフリー作品を好む層は、主人公=自分というシュミレーションゲーム的な楽しみ方ではないかというお話をしました。
むしろ投影性同一視というのが近いのかもしれません。自分が求めているもの、自分の理想像を、写し身である主人公に着せ掛けて、それを我が事のように感じ満足感を得ているのです。
主人公に対する過度な贔屓は、そういった層を狙っている、という前提で行う必要があります。逆に言うと、そういう層狙いでないならやるべきではありません。決して万人受けはしない展開です。
もちろん大抵の主人公には何かしら特別な要素があり、いわゆる主人公補正やご都合展開は、程度さえ弁えれば多くの読み手は許容してくれるのではないでしょうか。ええ、あくまで程度さえ弁えていれば。この“程度”というヤツがいつも書き手を苦しめるのですが……。
許せる程度は人によって違いますし、「なろうなら」で許される部分もありそうなので、色々な作品や感想欄を覗いて許容ラインを探るのもアリだと思います。あ、「他人の評価なんか気にしねぇぜヒャッハー!」という方はスルーでどうぞ。
一部キャラクターへの作者の過度な贔屓は、しばしば作品のバランスを崩し読者の反感を買います。
たとえば、やった内容はほとんど同じなのに、主人公は許され敵役は徹底的に批難されたり。どんな状況でも絶対に主人公は痛い目を見なかったり。深い理由もなく特殊スキルを貰ったり。
これを俺Tueeeeやチートと合体させると、接待プレイになります。
俺Tueeee+贔屓=接待プレイ、と書くとなんか公式っぽくないですか。深い意味はありませんが。
俺Tueeeeは作者からTueeee出来る能力と状況を与えられている時点で、既に贔屓を受けていると言っても過言ではありません。よってこれ以上の贔屓は主人公をダメにします。主人公を、作者の贔屓なしには何も出来ない子にしてしまうのです。
なんだか子育て論みたいになってきましたが、似たようなものかもしれません。
俺Tueeeeするためには、相対的に周囲が下がることになります。下手なやり方だと、主人公と相対する時だけ急に敵が馬鹿になる、ということになりかねません。
書き手側の思考でいうと、主人公をTueeeeさせる為に周囲のキャラを貶めているわけです。これって考えたら、主人公以外のキャラなんてどうなってもいい――という主人公中心的な考えでもあるんですよね。
魅力的な敵役の存在は重要です。そして強敵を強敵として倒せることこそ、真の俺Tueeee……! あ、いや、なんでもないです。
まあ何が言いたいかというと、俺Tueeeeを表現するために安易に周囲キャラを貶めるのは、「何が何でもうちの子が一番なの!」というモンスターペアレント的発想だという話です。
更にそこに冒頭のシュミレーション的楽しみ方を加えると、「何が何でも自分が一番なんだよ!」という結構痛々しい状態が発生します。読者を選ぶ大きな原因であり、一部がオナニー小説と揶揄される所以でもあるでしょう。
主人公≠自分タイプの読み手にとって、作者の贔屓で調子に乗っている主人公が周りから褒め称えられる様を見せられているようなものです。内面によほど魅力のある主人公でなければ、嫌われやすくて当たり前です。
以上、主人公のためにも贔屓はほどほどにね、というお話でした。
2・俺Tueeeeが難しい理由
俺Tueeeeが難しいのに、一歩間違えるとただの舐めプ(舐めプレイ=上級者が初心者を馬鹿にするため、わざと手加減して勝負を長引かせたりすること)する性悪に見えるという一面があります。
性格はアレだけれどカリスマがある(?)タイプの主人公も、『DEATH NOTE』の月や『風の聖痕』の和麻等いますから、それを狙っているのであれば別です。ですが(登場人物からも読者からも)好感を持たれる主人公にと思うなら、俺Tueeeeは慎重にしなければなりません。
俺Tueeeeするキャラは、よほど性格が良くない限り作中登場人物には好かれにくいのが普通です。常識から外れたものは恐怖に繋がりやすいからです。
第1回で挙げた『ダイの大冒険』しかり、一大ブームとなった『進撃の巨人』しかり、人智を超えた強大な能力は人の中で浮いてしまいます。特に作中に政治的要素が入るなら、絶対に避けて通れない部分です。
俺Tueeeeする善良な性格のキャラクターもまた、好かれるだけではありえません。偽善的に見られやすい、考えはともかく手段を非難される、嫉妬を受ける等、どこかしらで負の感情に触れることになります。
俺Tueeeeは主人公を主軸に置いてはいますが、周囲の描かれ方で全く印象の変わる展開・設定です。主人公にTueeeeさせた、さあ周りはどうするのか。重要なのはこちらの方です。
演劇的な考え方ですが、舞台の上で一人の役者が剣を振り回したとします。舞台上には他に誰もいません。その状態では、その役が強いのか弱いのか、どんな状況で剣を振り回しているのかわかりませんよね。
そこへ数人の悪役がいて、振り回した剣に合わせて吹っ飛んだり倒れたりすれば、その役が強いのだということが明らかになります。悪役の内の一人と長い打ち合いを始めれば、二人の実力がある程度拮抗していると表すことになります。
小説の上でも同じことで、主人公がただTueeeeっぽいことをするだけでは意味がありません。実はその世界では誰でも出来るんだよ、となったらそれは最早俺Tueeeeではないですしね。
周囲が驚いたり、感動したり、恐れたり……そういう反応があって初めて、主人公は俺Tueeeeとなるわけで。その周囲には読者もまた含まれます。
周囲のキャラクターの反応に、読者が置いてけぼりにされてしまうことがあります。それは基本的には、書き手側の描写不足によるものです。ごく稀に読者が斜に構えすぎということもありますが。
主人公に主軸を置くからといって、周りの描写をおざなりどころかなおざりにでもしようものなら、一気に破綻します。周囲とのバランスを量り、そのバランスが読者に伝わるよう描写する必要があるのです。長々書いてきましたが、俺Tueeeeが難しい最大の理由はここにあると思います。
3・チートが難しい理由
チート、という単語の定義すら崩壊気味ですが、とりあえず「SUGOI特殊能力」ぐらいのアバウトな感じで行きます。
基本的に2と大差ないのですが、チートが難しいのは、まずその能力内容にあります。
あまりにも奇をてらったチート能力だと、それを作中で上手く活かすのは困難です。どう足掻いてもコメディの未来しか見えません。かといってありがちなものにしてしまうと、他の作品と似たり寄ったりになってしまいます。
その隙間を狙うということは、それなりに突飛でないチート能力で、かつチート能力を効果的に活かせる設定・展開を考えることが出来なければなりません。もうここまで書いた時点で、ハードルが高すぎます……。
単純に強いチート能力でもいいんじゃないかという気はしますが、それだとまあ、普通にチート能力で俺Tueeeeですね。描写や設定、ストーリー構成が上手くないと難しいです。
漫画ばかり例に挙げてますが、『うえきの法則』なんかは変則的なチート能力でバトルしてましたね。俺Tueeeeはしませんが。
チートものは、能力そのものの発想・アイデアも大事ですし、そこに持ってきてうまく使えないと! となると……大事なことなので二度書きます、ハードルが高すぎます。
チートというか、魔法含む異能バトルものって画面映え(小説に言うのも変ですが)して格好いいし、中二心を大いにくすぐられるので扱いたい書き手さん多いんじゃないかと思うんですけどね。それゆえに数々の前例が出来てしまい、ハードルが上がっているという面も無きにしも非ず。
4・特別な主人公
俺Tueeeeもチートも、共通して「主人公が特別な存在」ですよね。というか、大抵の主人公らしい主人公はそういうものですから、それはともかくとして。
特別にもプラスとマイナスがあります。チート俺Tueeee系の収まりが悪いところは、マイナスの比重に対しプラスの比重が重過ぎるところです。努力や苦労、苦戦の様子が描かれないことが原因でしょうか。
主人公が特別であるのはともかく、その「特別」がひたすらプラスに働いたり、世界観に合わない突飛な「特別」であったりすると、しばしばご都合主義の謗りを受けます。
ここで異世界トリップの名作『十二国記』を例に挙げます。1、2巻にあたる『月の影 影の海』のネタバレになりますが、ご了承下さい。
さらっとしたあらすじですが、大人しい女子高生であった陽子は、ある日奇妙な男によって異世界へと連れて行かれます。その理由というのが、陽子は元々異世界(十二国の世界)に生まれるはずの人間で、それが偶然こちらの世界に流され、しかも実は神獣によって選ばれた次代の国王だった、というのです。
一見物凄いご都合主義に見えますよね。でも陽子だけが特別ではないことが、作中でしっかり示されているんです。
こちらの世界に流されることについては、十二国の世界では結構頻繁に起こっている一種の災害扱いで、陽子同様にこちらの世界から十二国の世界に戻ってきた他国の王も登場します。
この辺りをアニメ版は更に突き詰め、本当はこちらの世界の人間なのに、「自分は十二国の人間だったんだ、特別な存在なんだ!」と勘違いする同級生も出てきたりします。未視聴の方はよかったらどうぞ。
では、何故そういった設定を持つ陽子が主人公だったのか? 逆です。陽子がそういう人間だから主人公になれたのです。主人公だから特別なのではなく、特別だから主人公なわけですね。
そのバランスはとても難しく、作品全体にも絡みますので、どれくらいにすればいいという指標は残念ながらありません。作りながら探っていくことになるでしょう。私も切実に知りたい。誰か教えて下さいお願いします。
現時点での結論として、「俺Tueeeeやチートするなら作中のバランス考えようぜ」ってことですね。強キャラばかり出してもパワーインフレ起きそうで怖いですが、結局そこも作中バランスになってしまうので結論は変わりません。
週刊少年漫画なんかは割と頻繁にパワーインフレを起こしているものの、それでも面白いのはキャラクターや演出によるところかと思います。ということは、設定外の要素で設定の穴をカバーすることも出来るということです。
うだうだ考えて書けなくなるよりは、突き抜けた勢いで書いてしまった方がいいこともあります。設定厨にとって、設定で詰まって書けなくなるなんて日常茶飯事ですよね……へへへ……。
最終結論は「作中バランスはしっかり考えた方がいいけど、考え過ぎで書けなくなったら元も子もないからほどほどにしようぜ」でした。
ここまで偉そうに書いてきましたが、少しは皆様のご理解を得ることが出来たでしょうか。
貴重なお時間をお付き合い頂き、ありがとうございました。
よろしければまた次回以降もお付き合い下さい。