第1回:テンプレ作品はダメなのか?
第1回の議題は、「テンプレ作品はダメなのか?」です。
当エッセイにおける「テンプレ作品」は、今なろうで流行している、神様転生して異世界でチーレムしたり、VRMMOでログアウト出来なくなってデスゲームしたりするような、画一化された設定・展開の作品群を指すとします。
それぞれの要素については、第3回以降で個別に取り上げます。
流行のものが氾濫するのは世の常です。
ファッションだって、若い女の子は高確率で服がかぶります。テレビドラマだって、一度刑事モノがヒットすればバージョン違いの刑事モノで溢れます。食だって、塩麹が流行ればクックパッドには塩麹レシピが激増するのです。
時流に取り残されたくない。皆と同じ話題を共有し、同じものを好みたい。というのは多くの人が持つ感情でしょう。私だって協調大好きな日本人ですから、それがダメとは言えません。
では、何故なろうに溢れるテンプレ作品は批判されるのでしょうか?
その他、以下の3点を主な内容として書いていきます。ただし個人の独断と偏見が多分に含まれます。あと引くほど長いです。
1・テンプレを擁護・批判する人達
2・何故テンプレ作品は批判されるのか
3・テンプレ作品の質を上げるためには
とりあえず書いてみたところ、あまりにとっちらかって長過ぎたので、先に概要をば。
【今回のあらすじ】
テンプレ作品は一概にダメというものではありません。
ですがその画一性から、オリジナリティなどで指摘を受けやすい上、うまく扱うのが難しいジャンルです。安易に使えば作品を薄っぺらなものにしてしまいます。
書き手の皆様方、思考放棄の言い訳に「テンプレだから」を使っていませんか? テンプレは確かに便利ですが、「テンプレだから」は何の免罪符にもなりません。とやかく言われたくないならよく考えてテンプレを使いましょう。
それから、気軽に「こまけえこたぁいいんだよ!!」な作品がお好みな方、今なろうに沢山いらっしゃると思います。
工夫を凝らしたオリジナリティ溢れる作品がお好みな方、そういう方が批判の声を上げていらっしゃるのだと思います。
それぞれの楽しみ方があって、お互いが小説に対して求めているものが違うので、相容れないのは仕方がないことです。だからといってお互い攻撃しあっても荒れるばかりですし、住み分けして穏便にいきましょう。
以上が本項における主な私の主張です。
以下、後半を補足する1、批判内容に関する2、批判されにくいテンプレ作品を書きたい人向けの3という構成になっております。
興味を持って頂けましたら、少々のお時間、お付き合い下さい。
1・テンプレを擁護・批判する人達
テンプレを擁護する人、批判する人、それぞれに主張がありますよね。ですが激しい論調の人の場合、根本的に言っていることは双方同じだと思うのです。
つまるところ、「自分の好みじゃないものは認めない」
テンプレを批判する人は、オリジナリティに溢れ、文章や構成も優れた作品が好きなのでしょう。だから強引な展開になりやすく、画一的な基準を持つテンプレを嫌い、それらが氾濫するなろうの現状を批判します。
テンプレを擁護する人は、とっつきやすく気軽にカタルシスを得られる作品が好きなのでしょう。だから制約が多く、あれこれと考えなければならない作品を面倒臭がり、テンプレを低俗とするような人を疎みます。
ちょっと待ちましょう。
そもそもお互いに、その作品のターゲットとなる読者層から外れているのです。つるぺた好きと巨乳好きが、幼女とグラビアアイドルを並べてどっちがいいかと論争しているようなものです(※幼女に手を出すのは犯罪です!)。
お互いに求めているものも、面白いと思うものも、楽しみ方も違います。それを自分の基準でつまらないと思うのは当然ですが、だからといって非難(批判ではありません)するのは独善的な行為です。
もちろん、Web上に広く公開するという性質上、最低限守らなければならないラインはあります。盗作やパクリをしない、多くの人が読める文章にする、といった基本的な部分ですね。
批判するなということではありません。作品内で矛盾があれば指摘されるでしょうし、展開が無理矢理過ぎれば読者を混乱させるでしょう。わざわざ「▼悪い点」が感想欄にあることからも、なろう自体が批判や指摘前提のサイトであると考えられます。
でもそれを汚い言葉で罵ったり、作品を全否定したりしていいわけではありませんよね。それは批判ではなく非難、もしくは中傷と呼ばれるものです。
つるぺた好きが巨乳ものを見ても面白くないのは当たり前なんです。だから気付いた時点でそっと戻るボタンを押すなり、ブラウザを閉じるなりして、「ああ合わなかったな」でいいと思うんですよ。
ハーレムタグがついていない作品に、「なんでハーレムじゃないんだ」と文句をつけるのも、逆に俺Tueeeeタグのついている作品に、「こんなに主人公ばかり強いのはおかしい」と文句をつけるのも、筋違いというものです。
前提として「作者がターゲットとなる読者層を絞っている」ことになりますが……。タグやあらすじは、読者が作品を、作品が読者を互いに選ぶ為のツールですから、書き手の皆様方には慎重を期して欲しいと私は思います。
タグやあらすじは一種の広告です。人によって好みが分かれる要素があるなら、載せて下さった方が読者は安心します。あらすじでは固定ヒロインっぽいことを書いておいて、タグの記載もなしにNTRとか、そういう騙し討ちのようなまねをされると作者に対して不信感を覚えますし。
その上で、現状この『小説家になろう』ではチーレム俺Tueeee主人公マンセーなお話が流行していることは事実です。つまりそういった作品を好む読者がなろうの利用者に多い、ということです。
なろうの利用者層についてあれこれ文句を言っても、仕方がありません。無意味です。私を含め批判側に偏っている人間の為のサイトではないし、私達は管理人でもありませんから。
逆に言うとテンプレ好きの為だけのサイトでもないのです。自分の好きなジャンルの作品を探し出し、評価を入れたり感想を書いたり人に薦めたり、そういった積み重ねでテンプレ外の作品をランキングに押し上げることも出来るでしょう。
批判側の人間がするべきは、既に起こってしまった流行の否定ではありません。流行外の良作を積極的に評価し、流行の波から守っていくことだと思います。
テンプレ以外が評価されにくいから、皆テンプレしか書かなくなるのです。テンプレ外の作品を書こうとしている書き手に対し、「テンプレじゃないから見向きもされない」わけではないのだと、示していくことが必要なのではないでしょうか。
この主張を前提とし、下記2項目に入っていきたいと思います。
2・何故テンプレ作品は批判されるのか
ようやく、『何故ダメなのか考えてみる』というエッセイタイトルに即した内容に入ります。
批判されるのにはされるだけの理由がありますから、そこを考えないことには、本当にダメかどうかなんて判断しかねます。
誤解を招きそうなので先に言っておきますが、私はテンプレというジャンルそのものが嫌いなわけではありません。非公開も含め多数お気に入りに入れていますし、テンプレ捻りみたいな作品も何度か書いています(それが人に受けたかどうかは別にして)。
以下、考えられる理由と、批判系エッセイでよく見かける理由についていくつか挙げております。
2-1・テンプレ作品はレベルが低い
レベル=完成度と置き換えていいと思います。
面白ければテンプレでもいいだろう、という主張を何度かお見かけしたことがありますが、その通りです。盗作でもなければ、面白ければいいのです。娯楽作品なのですから。
問題は、氾濫するテンプレ作品の大半が「どこかで見たことのあるつまらない作品」なことなんですよ。
ヒロインはチョロい美少女、設定はツッコミどころだらけ、根本的に日本語が怪しい、導入はほぼテンプレかつ序盤でエタる……そういう作品が沢山あります。
ええ、はっきり申し上げます。つまらないです! 序盤でエタるに至っては、つまらない以前の問題です。
面白い作品ももちろんあります。しかしながら、その面白い作品達はテンプレ作品全体を面白いと言えるほどの割合でしょうか。
また、「面白いこと」と「完成度が高いこと」は必ずしもイコールではありません。「面白いけど完成度は低い」作品も存在するのです。
荒削りというのか、センスと勢いが飛び抜けていて、技量が追いついていないタイプですね。勢いがあって面白いけど読み返してみると矛盾が多いとか、めちゃくちゃ泣けたけど最後まで伏線ほったらかしとか。週刊少年漫画によくある傾向です。
つまらない上に完成度が低い(完成度が高くてつまらない作品というのも聞きませんが)作品が多く、面白いけれど完成度がね、という作品もある。総合して「レベルが低い」になるんじゃないかなぁ、と思います。
さて、2-1に限り「レベルが低い」の内容についても少し分類してみました。
2-1-1・レベルの低さが他ジャンルに比べて目立つ
小説家になろうで最も人目につくのは、ランキングで上位に入ることです。
特に日刊の上位はほとんどテンプレ系の作品で占められていますが、それは読者傾向が偏っていて、テンプレ系以外は目に留まりにくいからですよね。面白い作品がテンプレ系しかないから、ではありません。
Pixivでも流行ジャンルばかりがランキング上位に入り、補正が行われて色々と物議を醸しています。近世ヨーロッパの画壇でも、宗教画や肖像画が持て囃され、それ以外のジャンルは見向きもされない時代がありました。
創作物の評価は流行に左右されるということがよくわかります。
レベルの低い作品であっても、嫌な言い方ですが、流行外ジャンルの良作を押し退けてランキングに入ります。評価の基準が流行>内容になってしまっているのですね。それが批判を受けやすい(槍玉に挙げられると言ってもいいです)理由の一つでしょう。
また、流行外ジャンルを好む人の中には、「こっちの方が絶対面白いのに、こんなのより下だと思われてる! これだからテンプレは!」と坊主憎けりゃ袈裟まで憎い状態になっている方もいらっしゃるかもしれません。
2-1-2・作者が「テンプレだから」を言い訳に使っている
もう一つ「レベルが低い」と言われる要因を挙げますと、作中の面倒なことを全て「テンプレだから」で済ませようとする書き手がいることです。
たとえば神様転生。主人公の死が神様側のミスだったとかで、神様がチート能力つきで異世界に転生させてくれる、一種のテンプレですが、普通に考えたらツッコミどころ多過ぎですよね。
何故一人の平凡な人間の死ごとき(世界を統べる神にとってはそうでしょう)に神様が謝るのか? 何故お詫びにチート能力なんて世界バランスを崩すものをくれるのか? 何故転生先が同じ世界ではなく異世界なのか? その神様、いくつも世界を統べているなら、いちいち一人の人間に構ってる暇なんてないのでは? ……等々、いくらでも疑問は出てきます。
それをその作品世界なりに納得させてくれるなら、テンプレ展開でも読み手として私は不満はありません。また、短編ならそこまで書くのは無理ですし、不条理系コメディなら押し通しても許されるでしょう。作風によるというのはあります。
では「テンプレだから」で全てが許されるのでしょうか? ただ設定を考えるのが面倒だから「テンプレだから考えるな、見逃せ」というのは、書き手の思考放棄、創作上の怠惰に他ならないと思います。
2-2・食傷している
単純です。爆発的に流行したために、見過ぎて飽き飽きしたのです。
流行というものにも限度がありますし、流行したからといってそれを万人が好むとは限りません。人々の一過性の興味が去ると、一部の固定化したファン層以外には「ありすぎて邪魔だなあ」と思われてしまうのでしょう。
また、この食傷という現象が何故起こるのかというと、「同じような」けれども「明らかに劣化したと感じられる」ものが増えるからです。
流行の末に同ジャンルの傑作・良作ばかりが増えるのであれば、それはジャンルの隆盛となり、おそらくここまで批判を受けないでしょう。新しいジャンルにはまま起こることです。
しかし、ただ流行ジャンルというだけで手をつけ、2-1で述べたような作品が増えるから食傷しやすいのではないでしょうか。先に述べたように面白い作品もありますが、「憎まれっ子世にはばかる」「雑草は茂りやすい」とも言いますから。
流行り廃りの世界にはつきものな現象ですから、どうにも出来ません。強いて解決策を挙げるならば、流行後にも評価されるような作品を作ることでしょう。ええ、そんなこと出来たら苦労しませんよね、本当……。
2-3・内輪ネタ
テンプレというのは内輪性が非常に高いです。テンプレートを理解していなければ、無茶苦茶だと思うようなことが平気で発生するからです。
何も知らない人がテンプレ転生チーレムを読んだとしたら、まず死んだ後に神様がチート能力を授けてくれた時点で、「えっなんで?」と思うでしょう。そしてその後NAISEIや俺Tueeeeをやり始めたら、更に「えっなんで?」となるでしょう。
テンプレ展開というのは、余程きちんとした設定がないと、共感しがたいほどにありえないのです。
おまけに大半の作品は、何故そんな無茶苦茶が許されるのかあまり説明したがりません。テンプレに慣れた人にとっては野暮なことでしょうから。根本的に予備知識なしに読むことを前提としていないのです。
といってもなろう内には随分広まってますから、「そういう限定的な層向け」という前提で使うのはアリだと思います。ニーズはあるわけですしね。
(ちなみに私はテンプレものを読み始めたばかりの頃、「知らない天井だ……」がなろうの異世界トリップのお約束、というのを知らず「なんで急にエヴァネタ? え、こっちも?」と悩みまくったことがあります。誰かなろうのテンプレwiki作って欲しい)
2-4・オリジナリティの欠如、盗作グレーゾーン
この問題、テンプレ作品が批判されるにあたっての最大の争点だと勝手に思っていたりします。そのため少々(?)他項目より長めになっております。
創作物というのは、“創作”と名がつくくらいですから、殊にオリジナリティを重要視します。
創作という単語には以下のような意味があります。
『そう‐さく【創作】
①はじめてつくること。つくりはじめること。創造。
②芸術的感興を文芸・絵画・音楽などの芸術作品として独創的に表現すること。また、その表現された作品。「―家」
③つくりごと。うそ。』
(引用元・広辞苑 第六版)
以上、広辞苑からの引用でした。私なぞは学がないので「げ、げいじゅつてきかんきょう……?」となってしまうのですが、それはともかく創作物に適用されるのは主に②の意味ですね。
問題はこの「独創的に表現すること」という文言です。
テンプレ、すなわちテンプレートということは、雛形がありそこに沿っています。ただただテンプレに沿っているだけの作品は、「独創的に表現されていない」というわけです。
わかりやすい批判回避方法としては、「テンプレを捻る」か「どこかしらにオリジナリティを押し出す」くらいしか私は思いつきません。他にもご存知の皆様方、是非ご教示下さい。
テンプレ捻りは、テンプレが一通り流行るとその後に乱立する、テンプレの派生ジャンルみたいなものですね。『まおゆう 魔王勇者』などもそうですが、「○○が××と出逢って△△する」がテンプレなら、「○○が××と出逢って■■する」になったり「そもそも○○は××と出逢わない」になったり、といった感じです。
漫画『魔法陣グルグル』は個人的には秀逸なテンプレ捻りだったと思います。時代を先取りしてましたよね。
もう一方「どこかしらにオリジナリティを押し出す」ですが、ここでまた漫画作品を例に出します。ジャンプ往年の名作『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』です。
タイトルからおわかりの通り、国民的RPG『ドラゴンクエスト』シリーズのメディアミックス作品として描かれました。設定はドラクエを下敷きにしていますが、ストーリーやキャラクターはオリジナルです。
特に序盤にその傾向は強かったのですが、ダイの大冒険はかなり王道な作品です。主人公がピンチの姫を助ける為に秘められた力に覚醒したり、序盤の強敵が後に頼れる仲間になったり、実は○○な家系だったということが判明したり。
ですが同時に、その個性も群を抜いていました。「勇者の家庭教師」というアバン先生がまず新しかったですし、竜の騎士に関して設定は緻密で、この作品からゲームシリーズへ逆輸入された技や呪文も多数あります。
ところがテンプレ作品に限った話でもないですが、オリジナリティを出そうとした部分すら、名前を変えただけの借り物というパターンが非常に多いです。これは書き手の引き出しの狭さ、そして横着さに由来します。
テンプレ作品しか読んでこなかった人には、テンプレしか書けません。テンプレをラノベや純文学に置き換えても同じことです。作者が知らないこと、思いつかないことは書けないからです。こちらが引き出しに当たる部分です。
そして、横着さに関してですが、ある程度創作に手間をかけ工夫する人は、他の創作物から影響された部分をそのまま名前だけ挿げ替えて出すようなことはしません。褒められた行為ではありませんし、素人ながら創作にプライドがありますから。
しかしそれすら面倒に感じるのでしょう。名前と容姿が変わっただけの無個性なキャラクター、ゲーム名が変わっただけでほぼ同システムのVRMMO、国名が違うだけの同世界観。そういったものを平気で出してきます。
悪いみたいな言い方だなぁ、と思った方、その通りです。私は悪いことだと思っているので、ちょっとキツイ言い方をさせて頂きました。
度を越えた時、人はそれをパクリ、盗作と呼ぶのです(著作権侵害については法的な基準がありますので、当エッセイで言う盗作とは倫理的盗作とします)。
テンプレ作品が必ずしも盗作だとは思っていません。そういう主張をするつもりも、そういう主張を容認するつもりも全くありません。
ある程度の類似性は仕方のないことで、特にテンプレを一つのジャンルとして捉えれば、許容すべきだと思います。既存の作品にインスパイアされるのも、創作上ではごく当たり前のことです。
とはいえ、最低限元ネタから離れるような工夫をしなければならない、ということです。その工夫をしないまま公開するのなら、パクリだと言われても仕方がないと思います。というかパクリそのものです。
また、盗作というほど悪質ではないにしろ、影響元があまりにも目に見える作品は、盗作というより二次創作に近いのではないでしょうか。
ですがそれを書いている人自身には、二次創作という意識はありません。「テンプレ」「よくある設定」だと思っているからです。
テンプレ、よくある設定、お約束等の言葉が、何にどこまで適用されるのかは曖昧なままです。そしてこれらの言葉が免罪符のように振りかざされることには、いささか疑問を感じます。
これらの言葉を振りかざすのなら、その「よくある」と言うだけの根拠――証拠と言ってもいいでしょう――を示す必要があるはずです。なろうの中に何作品程度こういった話があるとか、有名作でいくつかこういったものがあるとか、そういう具体例ですね。
と言っておきながら、非常に危険な反論でもあります。具体例を挙げる際にその数が少ないと、「やっぱりアレやソレをパクったんじゃないか!」と言われかねないからです。
ですが具体例が少ないということは、「よくある」という言い分と相反します。本当に「よくある」のかどうか、書き手側が考えなければならない問題です。
じゃあどうすりゃいいの、と言われたら、そう言われないような創意工夫をして下さい、と私は申し上げておきます。
だって、他人の作った設定や展開をそのまま借りて手を抜きたいけど、それを批判はされたくないなんて、道理が通らないでしょう?
3・テンプレ作品の質を上げるためには
テンプレ作品はつまらない、と言われないようにするために、「こうしたらいいんじゃないかな?」と思うことを書いていきます。「こまけえこたぁいいんだよ!」な方はスルーでどうぞ。
ただし、この通りにしたからといって、本当にテンプレ作品が面白くなるかどうかは保証しません。そんなことを保証出来るんだったら、私はとっくに超面白いテンプレ作品を書いています……。
面白いの基準そのものが人それぞれですし、更に言えば純テンプレを求める方には不要な項目です。素人のたわごとと思って読んで頂いたらいいんじゃないでしょうか(全力の予防線)。
3-1・設定の「何故?」を突き詰める
上記2-1-2をしないようにする=設定の「何故?」を突き詰める、です。
異世界トリップなら、何故現代人が異世界にトリップしたのか、とかですね。
全くの偶然でもいいと思いますが、その際は主人公の設定が異世界にぴったり合ったチートだと、ご都合主義の謗りを受けやすくなります。ご都合っぽい設定でも見せ方次第で非常に上手く書かれる方はいらっしゃいますが、難易度が高く上級者向けです。
ハーレムなら、何故主人公がやたら美少女にモテるのか……というか、何故美少女達が主人公を好きになったか、という理由です。理由はいいからヒロインにブヒりたいという方には不向きです。
もちろん恋愛ごとには例外がつきものですし、直感的一目惚れというのも立派な理由です。でも美少女がこぞって一目惚れというのもおかしな話ですよね。
整合性さえあれば、入り組んだ理由である必要はありません。強い男が好きなヒロインなら、主人公が強ければ違和感がないですし、本当は強くないけど事情があって強いと勘違いしている、というのも一つのパターンです。
結局のところ、ある程度読者を納得させられるならなんでもいいのです。多くの人が違和感なく読めるぐらいの描写・説明が適切ですね。私のように説明し過ぎるタイプの書き手には、削るのが大変な部分です。
作者が意図しない違和感を読者に植え付けてしまうと、読者は作品を楽しめません。「俺昨日宇宙人に攫われたんだけど、すげー面白いことがあったんだよね。聞いてくれよ、○○が××して、しかも△△だったんだぜ! 面白いだろ?」と言われても、「いや、まず宇宙人に攫われたってところが気になり過ぎて、面白いかどうかわかんねーよ」となるような感覚です。
作品のキモ(バトルメインならバトル、ミステリなら推理やトリックなど)をより読者に楽しんでもらうためには、他の部分には違和感がない方がいいです。
3-2・キャラクターをテンプレにしない
テンプレというかステレオタイプというか……そういう、記号的なだけのキャラクターにしない、という話です。
たとえばツンデレ。ツンデレの代名詞とも言える「べ、別にあんたのためなんかじゃないんだから! 勘違いしないでよねっ」という台詞ですが、どうして全く違う世界の赤の他人である数々のキャラクターが、同じ台詞を言ってしまうのでしょう?
ツンデレという性格に設定するにしろ、台詞は均一ではないはずです。キャラクターにはそれぞれの個性、話し方、考え方、状況があり、それに即した台詞を言うはずですよね。
ツンデレという設定一つで、全く同じ反応をしたり台詞を言ったりするキャラクターが量産されること、おかしいと思いませんか? ツンデレが悪だと言っているわけではなく、一口にツンデレと言っても、個人個人の違うツンデレようがある、ということです。
ツン:デレの割合とか、デレの条件とか、ツンの表現方法とか、後々の好感度でそれも変化したりとか! ツン=暴力などという暴論を私は絶対に許さない! 絶対にだ!
個人的にイチ推しツンデレキャラは、商業ラノベ『魔弾の王と戦姫』のリュドミラです。私はこのキャラでツンデレの可愛さを再確認しました。
……話が逸れてしまいました。すみません。ツンデレ好きなのでつい……。
キャラクターが一個人として自然に動き、喋ること。キャラクター優先型になりやすいライトノベル系の作品には、重要なことではないでしょうか。
3-3・基本を押さえる
いわゆる小説の作法や、文章力などの基本です。
小説の作法については別項にて取り上げますが、別に絶対に守らなければいけない、ということはないと私は思っています。ただ守るのと守らないのとであれば、守る方が間違いなく印象はいいでしょう。
あえて自分は守らないスタンスで行く、というのを止めはしません。でもそういった信念があるのでなければ守っておいた方がいいです。文章作法を守らない作品は絶対に読まない人もいて、読者を減らしてしまうことになりますから。
文章力についても、最低限意味がきちんと伝わる文章が書ければいいのです。ハイセンスな文章が書ける必要はありません。品詞が正しく使えて、修飾語のかかる先がちゃんと伝わるなら十分です。
自発的に「もっといい文章が書きたい」と思った時に、細かい技術を勉強すればいいんじゃないでしょうか。テクニック自体は色々あるようですし、調べてみるだけでも面白いです。
どんなにストーリーがよく、設定にもオリジナリティがあり、キャラクターが魅力的でも、文章が壊滅的だとその魅力は全く読者に伝わりません。作者の頭の中にあるものは、結局作中の文章でしか伝えられないものですから。
ここまで偉そうに書いてきましたが、少しは皆様のご理解を得ることが出来たでしょうか。
貴重なお時間をお付き合い頂き、ありがとうございました。
よろしければまた次回以降もお付き合い下さい。