はじめに
このエッセイは、最近のなろうに対する数多の批判・擁護エッセイと、西村紅茶様の『俺は、せっかくだから〈side ○○〉〈side out〉形式の小説を擁護するぜ(http://ncode.syosetu.com/n3823bk/)』というエッセイをきっかけとして書かれたものです。
今回こうしてお名前を挙げ、一部引用することを快く許可して下さった西村紅茶様には、この場を借りて改めて御礼申し上げます。
主な内容としては、
「批判されているものは、何故批判され、どこがどうダメであるのか」
「むしろ、批判されているものは本当にダメなのか」
「どういう形で用いられるのが望ましいのか」
といった点を考えていくものになります(ただし個人の独断と偏見)。
本項では、筆者である私の基本スタンスを明らかにしておきます。
私はなろうの現状を、どちらかというと批判的な目で見ています。
基礎力(読みやすい文章や、ストーリー構成など)の高い小説が好きですし、記号的なキャラクターは好みませんし、何より作品として面白いことを最良とします。
ですがなろうにはなろうの、今の時代には今の時代の表現があること、流行というものに抗えないということも確かだと思うのです。流行は多くの人が好むから流行たりえ、商業の世界だって流行ジャンルばかり出回るのですから、いわんや素人をや、というわけです。
批判されているアレコレ全てを「絶対的な悪!」と断じるつもりはありません。「個人的には好きじゃないけど、なろうルールでいいんじゃない」という結論に達するテーマもあるでしょう。
逆に「いいという人もいるけれど、私はダメかな」という私情たっぷりな話もあります。すみません。
また、私は現在なろうでは読み専ですが、自サイトに小説を公開しており、小説の執筆自体はそろそろ十年になろうかという微妙な時期です。無論、趣味の域を出ない素人ではありますが。
なので「小説を書くのは見た目より難しい」「完結させるのは大変」ということは、重々承知しております。私も多くの書き手の皆様と同じように、いつも頭を悩ませています。
恥ずかしながら、公開していた作品をエタらせた経験もあります。未公開の作品はもっとエタらせています(エ、エタじゃないし……眠らせておいて後で続き書くんだし……)。
更には前述の通り、エッセイ執筆現在なろうには小説を投稿していませんので、「テメーはどんだけ面白い小説書けるんだよ!」と言われたら「いや本当大したことないです、凡俗が調子乗って偉そうにすみません!」と流れるように土下座するしかないのですが。
一読者として、同時に一小説書きとして、双方の目線から考える事が出来たらいいなぁぐらいの気持ちで書いています。
感想、反論、内容の補足、誤字脱字や誤用等の報告など、頂ければ嬉しいです。
あ、でもヘタレなのでソフトにして頂けるともっと嬉しいです。
よろしければ、少々のお時間、お付き合い下さい。