旅支度と○○信者
ニコルはベルクマンとの顔合わせの後、隊商の護衛をしている傭兵たちとも顔合わせをした。大きい隊商ではないため護衛の人数もそれほど多くなく、傭兵の代表には人手が増えるので逆に感謝された。
護衛の人たち全員と顔を合わせたわけではないが、おおむね良好な関係が築けるのではないかとニコルは思った。
アンジェラとの会話にもあったが、護衛の代表の話を聞く限りセレストまでの旅程はおよそ10日前後という話だった。
数名の傭兵たちと護衛の際の細かい配置や、戦力的な情報のやり取りをし、念のためティアの存在を伝えると、馬車を牽いている馬に近寄らなければ大丈夫だろうということで話はまとまった。
傭兵たちとの話し合いも終わり、旅支度をするためにニコルはティアを連れて市場に来ていた。出かける前に約束をしていた魔力を与え、ご機嫌になったティアを荷物持ち要員として連れてきたのだった。
魔力を与えたことで少し体はだるいが、不機嫌なままのティアを市場に連れて行く方が危ない。
10日分の食糧を考えると、携帯食料中心になるだろうがそれでも量は多くなる。騎獣の有無で持ち運びできる荷物に大きな違いが出るため、ティアを連れてきてくれたクルトには素直に感謝した。
傭兵団を出る際に武器や薬などの最低限の旅支度は済んでいたものの、やはり食料は直前に買った物の方が日持ちする。
傭兵団にも卸している肉屋に顔を出す。客が途切れたのか、声をかけても大丈夫そうだったので、太鼓腹な店主に声をかけた。
「おじさん久しぶり」
「おお! ニコか久しいな。今日は団員とは一緒じゃないのかい?」
「うん。一人行動なんだ。その干し肉がほしいんだけど」
「肩の部分か。どのくらいだ?」
「とりあえず、15枚。塩漬けしてないのがあれば10枚追加で」
塩漬けをしない干し肉は日持ちしないため、旅をするのにどうなのかと店主は首を傾げていたが、ニコルがティアに視線を移すと、それに気づいたティアが猫よりも格段に低い声でにゃあと鳴いた。
「なるほど、そっちの赤猫の分か? でかい図体なのにそれだけで足りるのか?」
「それはティアの非常食。普段は自分で獲物狩ってくるし、最悪は私が居れば何とかなるからね」
赤猫とはティアの通称である。見た目が巨大な赤い猫のため、そう呼ばれることが多い。非常食用にと言うと店主は納得したようで、代金を受け取ると干し肉が湿気らないよう油紙でしっかりと包んでくれた。
干し肉のほかにも日持ちする堅いパン、値が張るけれども栄養価の高い干した果物を中心に買っていく。馴染みの店ばかりなので、他の団員と一緒ではないのかと先々で聞かれたが、傭兵団とは別行動と言うと、店主が気を利かせて少しだけおまけをしてくれた。
買い物もひと段落する頃になると、昼食の時間をだいぶ過ぎてしまっていた。
このまま屋台で軽食を買ってもよかったが、できることならば座って食事がしたいと思い、市場から大通りに向けて歩き出した。
大通りには、様々な商店や問屋が店を出しているが、傭兵や商人がよく来る食堂もある。
裏路地の奥に入ると、如何わしい業務を売り物にする店が主となるが、大通り沿いの店ならば女が一人で入っても問題はなかった。
ニコルが入った店は大通りの一角にある『青鹿亭』という食堂だった。鶏肉のトマト煮込みと看板娘のイレーネで有名な店だ。
この店はありがたいことに、旅人や傭兵が乗ってくる騎獣用の厩が裏手にあった。ニコルはこの街に来るたびに利用しており、厩番とも顔なじみで安心してティアを預けておくことができた。
昼食時のため、店には多くの客がいる。商人や旅人のほかに、給仕をしているイレーネに声をかけようとしている傭兵の一団もいた。
「いらっしゃい。久しぶりねぇ、ニコ」
「久しぶりー。ごはんを食べに来たんだけど大丈夫かな?」
イレーネは店の入り口にいたニコルを見つけると、給仕の手を止めて声をかけてきた。ぐるっと店内の様子を見ると空いている席はカウンターくらいしかない。イレーネが直接ニコルに声をかけたことで、彼女目当ての客から嫉妬を含んだ視線が飛んできた。
「ニコルでお昼の注文は最後よ。私もそろそろ休憩に入るからカウンターに来てちょうだい」
「わかった、注文はいつもので」
「かしこまりましたー」
イレーネはおどける様にニコルの注文を受けると、軽い足取りで厨房に伝えに行った。
ニコルの目から見ても、イレーネは魅力的だ。ぱっちりと大きなスカイブルーの瞳とぷっくりと形のいい唇、結い上げたこげ茶の髪はつやつやしている。
しかし、抜群の容姿もそうだろうが何より男性が注目しているのは、際立って大きい胸だろう。
ニコルは自分のささやかな胸と比べ、一体何倍の大きさがあるのだろうと常々考えていたが、自己嫌悪に陥る不毛な考えだと最近気付いてやめた。
カウンターに座り、料理が出てくるのを待つ。カウンターから見える厨房では、女将さんがこの店の主人に激をとばしているのがよく見えた。
客が多いが、それほど待たずに女将さんがパンを入れた籠と、この店の名物の鶏肉のトマト煮込みの皿を二つ持ってきてニコルの前に置いた。
「女将さん、こんにちは」
「あら、ニコル。今日はクルトの旦那は一緒じゃないの?」
とある理由でこの店に入るときは、いつもクルトと一緒に来ている。大抵二人で食べに来るので、珍しいと思ったのだろう。
「家出したから、別行動。これから別の街に行こうと思ってるとこ」
「団長がまた何かしたんでしょ? ニコルも大変ねぇ」
女将さんはテオドールとも顔なじみのため、何があったか皆まで言わずとも察してくれるため助かっている。
一応、一通りの事情を説明すると、女将さんはそれは家出をしても仕方ないと言ってくれた。
「とりあえず、うちの団員が聞いてきたら無視しといて」
「わかった。団長が来たら説教しておこうか?」
「よろしく!」
ニコルがそう言うと、女将さんは任せておきなさいと胸を叩いて引き受けてくれた。女将さんはふくよかな体系のおばさんだが、こういうところはとても頼もしい。街の女傑を敵に回すと怖いのだ。
ニコルが皿の中身が冷めないうちに攻略し始めると、休憩に入ったイレーネが隣に座った。普段は従業員専用の場所で休憩をとるらしいのだが、ニコルが来たときは女将さんの許可も得て一緒に食べている。
常連客は慣れた光景のため、それほど視線を向けてこないが、今日は他の街から来たであろう若手の傭兵の集団が居るため、視線が痛いほどとんでくる。
「そういえば、昨日クルトが来なかった?」
「ええ。珍しく一人で来てくれて、声をかけてもらっちゃった」
「へえ、あいつ一人で店に行ったことなんかなかったのに」
イレーネはクルトが好きだ。クルトがイレーネを意識しているのも知っていたし、ニコルにとって兄や姉のような存在の二人がくっつくのはうれしいことだった。
見合いが嫌で家出したニコルが言える立場ではないのだが、仕事にのめりこみ過ぎて30代後半癖に独身だったクルトを、アデーレを含む傭兵団の女性陣|(既婚者と書いて女傑と読む)が、さっさと結婚させてしまおうと画策していたこともあり、ニコルも協力せざるを得ない状況になった。
正直なところ、二人はあまりにじれった過ぎて、さっさとくっ付けてお役御免になりたかったこともあり、とてもうれしい出来事だった。
「今度一緒にお茶しませんかって誘ってくれたの!」
「ほんと!? よかったじゃないイレーネ」
10歳以上も年が離れているうえ、イレーネの父親を意識するあまり、距離を取っているのもわかっていたが、仕事人間のクルトがイレーネをお茶に誘うのは正直意外だった。
うれしそうなイレーネを見ていて、ニコルも幸せな気分だった。
食事をしながら他愛無い話をしていると、後ろから刺すような視線がとんできた。
若干殺気交じりの物騒な視線のため、視線の先を追っていくと、発生源は若手の傭兵たちだった。
「ねぇ。あそこの人たちは常連さんじゃないよね?」
「まぁ、2か月に1・2回くらい来るお客さんかな? どうかしたの?」
殺気の発生源にいる傭兵たちのことをイレーネに聞くと、先ほどよりも物騒な殺気が漂いだした。ここまで険悪な雰囲気になると、さすがにイレーネも殺気に気が付いた。
イレーネはいきなり席を立ち、ニコルが止める間もなくこちらを睨みつけてくる集団に詰め寄った。
「食事中なので、物騒な殺気を出すのをやめていただけません?」
「いや、俺たちそんなつもりじゃなくてだな……」
「あんな細い奴と一緒じゃなくて、俺たちと飯を食おうよ」
傭兵たちは顔を赤らめながら、しどろもどろになって言い訳をしている。ここでニコルが止めに入ると、ややこしい事態になるのは確実なためイレーネに任せることにした。
やめておけばいいのに、傭兵たちはこの機会にイレーネにお近づきになろうとして、イレーネにニコルではなく自分たちと食事をしないかとしきりに誘った。
鼻の下が伸びきっている傭兵たちの視線の先は、やはりイレーネの胸に向いており、それがイレーネの怒りをさらに助長させた。
「イレーネ、そんな奴らに付き合ってるとご飯が冷めるよ」
「でも!」
イレーネは傭兵たちの不躾な視線に怒り心頭で、今にも彼らに平手打ちで制裁を加えようとしていたため、ニコルは止めに入った。イレーネとのひと時を邪魔された傭兵たちは、ニコルに対して殺気立った。
「坊主! イレーネちゃんとニコには手を出さん方がいいぞぉ」
「二人の親父に何されてもいいなら、かまわんがなー」
イレーネとニコルをよく知る常連たちがはやし立てると、傭兵たちは居心地が悪くなったため、食事もそのままにしてそそくさと出て行き、昼間から酒が入っているような典型的な駄目親父の常連だが、こういう時には役に立つのだなと、少しだけ感心した。
「おじさんたち、ありがとねー」
「ああいう輩が多くなると、飯がまずくなってかなわんからな」
「酒もまずくなる」
ニコルが加勢してくれた常連客に礼を言い、二人は食事を再開した。
イレーネにとっては散々な休憩時間になってしまったが、この店に勤めている限りあのような輩はいなくならないだろう。
「何かあったら、クルトに言うといいよ」
「そうする」
「クルトは真面目だし、あんな奴らとは違うから信用しても大丈夫だよ」
「そうよね、クルトさんはあんなおっぱい教信者と違うもんね!」
ニコルもクルトの株を上げるべく、先ほどの奴らを引合いにあげた。
イレーネが自分の胸に視線がいっている人たちを『おっぱい教信者』と一括りにしているとは思わなかった。
イレーネの『おっぱい教信者』発言は、二人の会話に聞き耳を立てていた女将さんと常連客の爆笑に包まれ、二人も大いに笑い、ニコルは今度から胸にばかり目が行く連中を『おっぱい教信者』と呼んでやろうと決めたのだった。
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