針子のイルマ
カルロを置いて喫茶を出たころには、マルグリットの依頼に向かう時間になりつつあった。ニコルは急ぎ花街に向かった。
花街がにぎわう時間帯はまだ先の為、門番は暇そうな顔つきでぼんやりと立っていた。昨晩のような目で見られるかと思いきや、そこまで客に興味を持っているわけでもないらしい。
マルグリットの娼館には、正面の入り口ではなく昨晩と同じ裏口から通された。依頼をこなしに来たため、客とは違う扱いをしなければならないと案内をしてくれた下働きの女が言った。
下働きとはいえ、マルグリットには劣るものの顔立ちが整っている者が多く、これが高級娼館なのかとニコルは認識を改めた。
娼館の中はひっそりとしていた。人の気配があることから、だれもいないというわけでもないようである。
「いつもこの時間帯はこんなに静かなんですか?」
「ええ、お客様がいらっしゃるのは大抵夕暮れ時ですから。下働き以外はみんな昼ごろに起きて、支度をするんです」
なるほどとニコルは頷いた。下働きの女は狩人のように音を立てないように静かに歩いた。ニコルもそれに続き、昨晩とは違う部屋に案内された。
下働きの女はマルグリットが彼女にいくつか頼みごとをされると、彼女は小さく頷いた。彼女は何の事付けをしたのかわからないニコルに微笑みかけると頭を下げて元の業務に戻っていってしまった。
「改めて、歌姫マルグリットよ。よろしくお願いするわ」
「こちらこそ。私は傭兵のニコル・クルーガー。よろしく」
「部屋を案内するから、こちらにいらして? 昨日も説明した通り、お客様がいらっしゃるのは夕暮れ時から、夜明け位になると思ってちょうだい。基本的に私がお客様をお迎えするときはこちらの部屋で待機。お客様の中には素性を知られたくない方もいらっしゃるからそのためよ。ただ、何かあった時に対処できないと困るから寝ないこと」
「寝ずの番は慣れているけど、依頼が長引くと堪えそうだな……」
少数護衛の依頼では寝ずの番をすることもあるため、夜に寝ないで依頼をこなすことに関しては慣れてはいるニコルだったが、普段は生活が朝型であるため生活が慣れるまでが大変だと苦笑した。
「3日に一度はお休みが入るわ、辛くなったら言ってちょうだい。こちらも無理を言ってきてもらった以上、そのあたりは考慮するわ」
「わかった」
マルグリットに与えられている部屋は全部で5つあった。来客を迎える部屋、その部屋に隣接する浴室続きの脱衣所とマルグリットの私室。それと先ほど案内された使用人や護衛を連れてくる客もいるため待機場所と使用される部屋。残りはマルグリットの私室のみとつながっている衣裳部屋だった。
「申し訳ないけれど、寝るときは私の部屋で一緒に寝てもらうことになるけど平気かしら?」
「構わない」
「あと、ここが娼館だってことはわかっていると思うけど、ここに来るお客さんは私たちを目当てで来るわけ。もしかしたら、そういう目で見られてしまうかもしれない心構えをしておいてほしいのだけど……、大丈夫?」
「えっと……、そういう目で見られたら真っ先に足が出そうなんだけど、実力行使はまずいんだろう? なんというか、傭兵同士とのやり取りなら大丈夫だけど、そういう男女の駆け引きみたいなのは無理だ」
同業者とのやり取りならば、卑猥な言葉を浴びせられたら実力行使で片が付く場合が多い。
特に母親であるアデーレは長年傭兵をしてきた経験上、手を出してくる輩には容赦なく急所を狙えとニコルに教育してきた。そのためニコルはそういう場面に立ち会ったときは即座に足が出る。それは拙いと思ったニコルが気まずそうに伝えると、マルグリットはこめかみを抑えて考え込んでしまった。
「傭兵同士のやり取りがどんなものか想像がつかないのだけど……。なるべく私の方でそういった話にならないようにするから、もしそうなった場合は聞き流しなさい!」
「……努力する」
ただでさえ色恋沙汰が面倒で家出をしてきたニコルである。男女の機微などわかるものかと初めから匙を投げている。マルグリットがいう聞き流すことくらいなら何とかできそうかと問い、その程度であれば大丈夫だろうとニコルはその提案に同意した。
「あとの問題は、貴女の恰好だけかしら」
「?」
こまごまと説明したマルグリットが、はたと思いついたようにニコルの姿を頭の上からつま先までしっかりと眺め、おもむろに下働きを呼ぶ鈴を鳴らした。ニコルは何か拙い恰好でもしているだろうかと、身なりを眺めてみたが、動きやすいチュニックと胸当てと手甲、極めつけが短剣の仕込んである鉄板入りの編み上げブーツである。多少色落ちはしているものの、別に不潔な格好というわけではない。不思議に思っていると、扉を叩く音がして
「マルグリット姐さんお呼びですか?」
「ああ、ちょうどよかったわイルマ。この子が今日から私の護衛になってくれるニコルさんよ。客前に出すには少し格好が拙いから磨き上げてくれるかしら?」
「よろしいんですか? ん~良い素材ねぇ、私の方で遠慮なくやってしまっても?」
「ええ、任せるわ」
「え、ちょっ、マルグリットさん!?」
「だって、貴族のお客様がいらっしゃったりするのに、貴女のその恰好は拙いもの。それなりの服装になってもらわないと。大丈夫、イルマは私付きの針子で衣装担当だもの、貴女をピッカピカに磨いてくれるから安心していいわよ」
イルマはこの娼館の中では異質な存在だった。高級娼館という場所で働くには容姿がものをいう。しかしイルマに関しては特別容姿に優れているわけではなかった。猫のように吊り上った細目と、つややかな髪を持ってはいるものの、ほかの下働き達に比べれば至って地味と言わざるを得ない。しかし、なぜこの場にイルマがいるのかと言えば、美的感覚が優れている針子であるからだった。
「良い素材を磨くのは私の腕の見せ所だもの! 気合を入れて磨くから大船に乗ったつもりでどーんと構えていていいわよ!」
「あ、安心できる要素がないです! 私は傭兵だからそんなに気合いを入れないでも大丈夫!」
「そんなこと言わなくても大丈夫よぉ! 私がピッカピカに磨くから。あ、アナちょうどよかった、この子浴室に連れてくから手伝って!」
手をわきわきとさせているイルマを見ていると、とても安心できる要素がないと半歩ほど後退ったが、逃すものかと猫のような釣目をにんまりと細め、イルマはがしりと掴んだ。
それでも隙を見て逃げようとしたニコルだったが、素人に怪我をさせるわけにもいかずもたついたところで、イルマの加勢に入った下働きの女につかまり観念することになった。
「イルマ、もうしばらくしたらお客様がお見えになるから、それまでにお願いね?」
「わかっていますよぉ、姐さん。私はそんな失敗はしたしませんよ!」
ニコルはイルマたちに連れてこられた浴室で、イルマに宣言された通り全身を磨かれた。放心状態になっているところに自分のものではない服を渡され仕方なく着替えると、イルマに待っていましたと言わんばかりに鏡台の前に座らされ、軽く化粧を施された。
「……なんか一皮以上剝かれた気がする、それに、なんで化粧まで」
「え、だって洗いざらしのすっぴんなんて私の美学に反するもの! こうしてみると男装の麗人って感じで本当に素敵!」
仕事の仕上がりにうっとりとしているイルマを後目に、ニコルは騎士風の男装の麗人に仕上がった自分にため息をついた。
着るものがあるなら、それで構わないだろうと気持ちを切り替え、動きやすさを確認するため、体をいろいろと動かしてみる。着慣れた服よりは少し肩が動かしにくいかもしれないと伝えると、少し肩から腕にかけてはニコルに合わせた調整するから大丈夫と言われ、脱いだ上着をイルマに返した。
「しかし、よく私に合う服があったな」
「あら、そっちの趣向の人もいるから、一応あるのよこういう服」
上着を脱いでシャツ一枚になったニコルをよそに、イルマはサクサクと上着の意図を解き仕立て直しに入った。ニコル自身、裁縫はあまり得意な方ではないのだが、イルマの手つきを見るだけでかなりの熟達した技術を持っていることが分かった。
ニコルは女性にしては身長が高い方であるが、女性ものの服を着る際には筋肉が邪魔になることもあり、普段は男物の服を愛用している。そのため、良く自分に合った服があったものだなと感心したが、イルマの発言によって早々に認識が撤回された。
「聞かなきゃよかった……」
「ま、こういうのも慣れよ、慣れ! 短い間かも知れないけど、ここで働くなら慣れなきゃ! それにマルグリット姐さんが私に頼んだ以上、ここに滞在する間は私が担当するからよろしく~」
明日はどんな格好をさせようかと、嬉々としながら語りだすイルマに対してニコルはひっそりとため息をついたのだった。
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