ニコルと女主人
本来世話になる必要のない花街ではあるが、以外にも娼婦以外の女性もいることに気が付いた。見かけた女性たちに共通したのは、男のように堂々と顔をさらさず、フードつきの外套を羽織る、あるいは身なりがいい人ではヴェールで顔を隠している点だった。
すれ違い様によくよく観察すると、それらの人たちは紫色のランプがかかっている店に入っていくことが多く、そこが男娼を扱っている店なのだと知った。
ニコルの目の前にある妓楼は、門番に教えてもらった通りをまっすぐ歩いて行った先にあった。
この店に来る途中、客引きの娼婦に幾度となく腕を引っ張られそうになったが、この妓楼に近づくにつれ品のない客引きはなくなり。次第に妓楼の概観が格式高くなり、ごく自然に訪れる客層を分けているのだと実感させられた。
貴族の館を思い浮かべるような佇まいのその妓楼にニコルは圧倒された。
花街の領主の館と言われてもおかしくはないほど大きな館だった。それも花街の通りで見たようなこぢんまりとした妓楼がいくつも入るような規模だった。
おそらく貴族が馬車で乗り付けるのだろう、きちんと整備された石畳が屋敷の奥の方まで続いている。
「こんなところからの依頼だったのか……」
これは引き受けたのは失敗だったかもしれないと脳裏に一抹の不安がよぎったが、引き受けてしまったものは仕方がない。
護衛の対象が娼婦であるため妓楼から外出することはほとんどないだろうと思うが、実際にどのような場所で護衛をすればいいのか、このような場所に縁がないニコルには検討もつかなかった。
貴族の令嬢の護衛も経験したこともある。屋敷の中で護衛をするのならば、差ほど違いはないだろうとニコルは腹をくくった。
依頼人には明日来るようにとギルドマスターから指示を受けているが、ニコルはここまで来たのならばまずはこの妓楼の外観だけでも確認しようと妓楼の裏手に回ろうとした。
「こんなところで何をしている」
「!?」
「女が妓楼に何の用だ」
妓楼の前でしばらく考え込んでいたのが悪かったか、不審な動きをしていると思われたのだろう、妓楼の門番と思われる男たちに声をかけられた。
彼らは質のいい衣服を身に着けてはいるが、明らかに目つきが堅気ではなかった。男の鋭い鈍色の目は相応の実力を持っていることをにおわせたが、傭兵の快活とした目つきとは違いどことなく後ろ暗いところがある印象だった。
「私は傭兵ギルドでこちらの依頼を受けた者だ。怪しい素振りに見えたのなら大変失礼した。依頼は明日からと聞いているが、こちらも事情があって下見をしに来た。明日の顔合わせ前で申し訳ないが、こうして顔を合わせてしまった以上、挨拶をしておきたい。上役の方はいらっしゃるだろうか?」
男の眼光は猛禽類を思わせるような鋭さだった。
様子を伺うようにじっくりと見分し、ニコルも男から目を離さず相対した。
客引きの女すらニコルを男と間違えたため、早々に女であることがばれると思っていなかったのだが、口を濁して下手な言い訳をするよりも、ギルドに出された依頼の件で下見で来たと伝えたほうが賢明と判断したうえでの行動だった。
この男が妓楼からギルドに出された依頼を知っているかどうかは賭けではあったのだが、『傭兵ギルドで依頼を受けた』と言った瞬間、明らかな反応を見せた。
「てめぇは少し黙ってろ」
「……わかりました」
ニコルが視線を逸らさずに男に向かって口を開いたのが、生意気に映ったのだろう。男の部下が口を出そうとしたが、男に低い声で一喝されると尻尾を丸めた犬のように黙り込んだ。
妓楼で働いている下男であれば、妓楼の上役とのつなぎになるような人物にすぐに取り次ぐだろうが、男はしばし考える素振りを見せた。
「……傭兵ギルドと言ったな? 依頼をお前に持ちかけたのは誰だ」
「本名は知らない。私にはジーンと名乗った」
「容姿は?」
「長い銀髪の女っぽい、男」
ニコルがジーンの容姿を言ってみせると、男はわずかに眉を寄せ、ここで待っていろと低い声でニコル言った。そして、声を潜め部下に指示を出すと男は店の奥に消えた。
しばらくして男が戻り、ニコルは男に促されるまま裏手の入り口から妓楼の中に通された。
明らかに従業員専用と思われる廊下を渡り、上役がいると思われる部屋の前にやってきた。
「入れ」
「いいのか?」
「俺が知るか。上役に聞け」
豪奢な装飾の扉のノッカーを叩くと、ほどなく入室の許可をする女性の声が聞こえた。男が重そうな扉を開き、ニコルは毛足の長い絨毯の上に恐る恐る歩を進めた。
部屋で待ち構えていたのは、大きく胸元が開いた深紅のドレスに身を包んだ女だった。
キツめの顔立ちと華美な化粧で妙齢というには既に|薹<とう>が立っているが、以前は大層な美人であったことが伺えた。
女はニコルをなめるように上から下まで観察し、
妓楼というからには、男性が取り仕切っているものと考えていたニコルは、相対した女性に対し、一瞬呆けてしまい反応が遅れた。
「『梟』が勧めた子が来ていると聞いたけど、なんだい小娘じゃないか。ハッ、あいつの目も大したことはない」
酒で焼かれた低い声で女は言った。
「……ふくろう?」
「アンタも会ったんだろう? 銀糸の髪を持ったギルドの情報屋」
「ギルドの情報屋?」
「そうさ、でもアンタに名乗っている名前とアタシが知っている名前は違う。音もなく|情報<えもの>を掻っ攫ってくいけ好かない輩だ。ギルドの情報屋をひっくるめてアタシらは『梟』と呼んでいる」
ニコルは思いがけずジーンの正体を知った。なぜ、吟遊詩人と偽っているのかようやく腑に落ちた気がした。
女がパイプを咥えると後ろに控えていた下男がそれに火をつけ、彼女はゆっくりと紫煙をはいた。知っている煙草とは違う甘ったるい香りが辺りに満ちた。
「ここに出入りする者は探られたくないことだらけさ。お客も、アタシらもね。今回は本当に仕方なくギルドに依頼を出したが、奴の紹介で来たアンタのことを用意に信用するわけにはいかないの。幾らギルドが条件通りに人を送り込んできたとしてもね」
そう言うと、女は机の上に置いてあった装飾箱から小さな袋を取り出し、それをニコルの目の前へ無造作に放った。
「……これはなんの真似ですか」
「正直言って、アタシはジーンの息がかかっているアンタが気に入らない。今回の依頼はなかったことにしてほしい」
それを持ってさっさと帰れという視線を向けられたが、依頼もこなさずに報酬を受け取ることはニコルの矜持を傷つける。
目の前の女がギルドの情報屋であるジーンのことを好いていないことは理解したが、ジーンの話を聞いて依頼を引き受けると決めたのはニコル自身であった。まだ依頼が始まってもおらず、働き振りを見てもいないうちから、自らの背後にいるであろうジーンの影を視ていることにニコルは苛立ちを隠せなかった。
「お断りします」
「女だからと甘く見られるのには慣れているけども、そちらからの依頼条件に見合った者が私しかいないのを理解されていますか?」
「小娘が何を抜かしてやがる!」
男は唇をわななかせながら拳を振り上げようとしたが、女の制止で寸でのところで踏みとどまった。女は感情の籠らない目を細めニコルを見つめた。
「まず、私にこの依頼を持ちかけてきたのはセレストのギルドマスターです。おっしゃる通り、この件にジーンが絡んでいることは事実です。これは私個人の考えですが、ギルドマスターはこちらの店に恩を売ることで、上流階級の方との伝手を作りたいのだと考えています。ジーンが情報を得ようと画策しているかもしれませんが、この店から依頼を無下にできるほど傭兵ギルドは落ちてはいないと私は考えます」
「だから、情報屋は兎も角としてギルドが送り込んできたアンタを信頼しろと?」
「はい。小娘の戯言と」
「ふん、研究馬鹿の枯れ木ジジイがねぇ……」
女は深く息を吐くと、手元にあった小さな鈴を鳴らした。
先ほどまでぴたりと閉じられていた隣部屋へとつながる扉が開き、妙齢の女性が姿を現した。
「仕方ない、マリーの意見も聞いておこうかね」
「あら、私の話も聞いてくださるの? 姐さん一人で決めるかと思ったわ」
「それで、マリーはどうなの?」
「私は気に入ったわ。姐さんは気に食わないみたいですけれども?」
「はん! 気に入るもんかね。小生意気なギルドの小娘に、ここまで言われるとは思わなかったわ……」
その女性の声は、聴いていて心地よい鈴の音のようだった。
もし、この場に歌の好きな精霊がこの場にいたならば、この女性の声を聴いただけで歓喜したことだろう。
「先ほどは姐さんが失礼なことを言ってごめんなさい。この人、筋金入りの傭兵嫌いなのよ」
「……はぁ」
二人のやり取りを呆然と眺めていたニコルは急に話を振られ、思った以上に気が抜けた声が出た。
改めて姉妹のように軽口を言い合う二人を見比べ、この女性がおそらく歌姫マルグリットであろうと見当をつけた。
「依頼を出したのは私なのだけど、こういう身の上では姐さんを通さない限り依頼を出すことはできないの……」
「……いえ、こちらも無礼なことを言い過ぎたかと」
「いいのよ。姐さんが勝手に追い出そうとするんだもの! むしろ帰らないでいてくれたことに感謝したいくらい!」
「ハン! このまま帰ってくれたっていいんだよ!」
この期に及んで飽きずにニコルに向かって憎まれ口をたたく女を見て、ニコルはマリーと呼ばれた女性と顔を合わせ、苦笑を浮かべたのだった。
お久しぶりです。
大変お待たせして申し訳ございませんでした。
色々と難産な回です。何度書き直したか、ちょっと思い出せないくらい書き直しました(遠い目)
稚拙な上に鈍亀更新でほんっとうに!申し訳ございませんでした。




