不機嫌な相棒と悪魔の契約
精神的に疲れた顔をしているクルスの後ろの獣舎が大きく軋んだ。
獣のうなり声が聞こえ、一体何事かと視線を移すと、クルスが困ったように頬を掻いた。
「……アンジェラ、この獣舎って何かいる?」
「お客様が連れてこられた騎獣用の獣舎ですが、今は何もいなかったと思いましたが……」
アンジェラに聞いてもはっきりせず、事情を知っていそうなクルスに視線が移る。
「ティアがお前に置いていかれて不貞腐れてな、手紙を置きに行くついでにアデーレさんが一緒に連れて行けって言われてな……」
心なしか遠い目になっているクルスは事情を説明する。
ティアはニコルが育てたグルナ・ランクスという大型の猫科の獣である。
傭兵団の騎獣として育てたのだが、主人であるニコル以外には従わず、どこに行くにも付いていきたがり放っておかれると獣舎に八つ当たりをする問題児であった。
「……」
「お前の言うことしか聞かないから、お前が出て行って荒れに荒れてな、傭兵団の獣舎がとんでもないことになってるぞ」
ニコルは、後で獣舎の修理代を請求されるんだろうなと思いつつ、うなり声が聞こえる扉を呆然と見つめた。
「まさかと思うが、コイツを連れて行かないつもりだったのか?」
「……急いでて忘れてただけだよ」
「騎獣が居るだけでも旅の安全はだいぶ違うから、連れて行ってやれ」
「……うん」
これから不機嫌の極みに達している猛獣たるティアのご機嫌取りをすることを考えると、クルトの意見には素直に頷けない心境だった。
しかし、性格も温和で面倒見の良いクルトには、昔から世話になりすぎている。母からの手紙を持ってきてくれただけでも十分なのに、従わない猛獣と一緒に移動する苦労を想像するだけで、ニコルはクルスにだけは足を向けて寝られない思いだった。
「開けるぞ」
「一応アンジェラは後ろに下がってた方がいいよ」
相変わらず、扉の内側からはうなり声が聞こえてくる。
アンジェラに後ろに下がるように促し、クルトは獣舎の扉を開けた。
しばらく様子を見ていると、ゆっくりとした足取りで大型の獣が出てきた。
グルナ・ランクスは虎や獅子のようがっしりとした体躯ではなく、どちらかというと山猫を思わせる姿をしている。赤い体色に背には暗褐色の梅花紋があり、金色の瞳は家猫のように明暗に応じて細くなっている。
ティアはニコルを見つけると、不機嫌そうに唸っている。
何か言い訳はあるかと言いたそうな目でこちらをにらみつけ、家猫が不機嫌さを表現するのと同じように尻尾を揺らしている。
グルナ・ランクスの原種は元々山猫だったようだが、魔力の満ちた環境に適応したため、大きい個体では3メートルまで成長する大型の魔獣の一種として進化したらしい。
魔獣とは魔力の多い環境にあった動物が長い年月をかけて魔力に体を慣らし、総じて賢くなったり、大型化したり森の主になるほどの長い寿命を持ちえた存在なったりと、普通の獣とは異なる進化したものだ。
雌であるティアは同種の雄よりも小さいとはいえ、ニコルが乗っても平気なほど大きい獣である。下手をしたら噛み付かれるかもしれないと思うと、背中をつめたいものが流れた。
「ティアごめん!!」
先ほどよりも唸り声が大きくなった。
やはり、ただ謝っただけでは許してくれそうにない。
「これから旅に出るけど、私一人だと不安だから、ティアが一緒に来てくれると嬉しいんだけど……」
置いていかれたのが余程嫌だったのか、先ほどよりも唸り声が小さくなった。
「後でお腹一杯になるまで魔力あげるから……許してくれないかなぁ……?」
フンと鼻を鳴らすとさっきまでの不機嫌さは何処にやったのかと思うほど、上機嫌な様子でゴロゴロと喉を鳴らしニコルにすりついた。
魔獣という生き物は大型化すれば、さぞかし食料を多く必要とすると思いきや、魔獣は食物のほかに空気中に漂う魔力を喰うため、それほど食料は必要としない。
主人と認められれば旅をする者の相棒としては、これほど心強いものはなかった。
度々傭兵ギルドでの討伐の対象になる魔獣もいるが、そのような魔獣は、環境の変化で自然界の魔力の流れが狂い、魔力の氾濫により突然体の形が変わってしまう獣ものだ。急激に変化してしまったものは、たいてい狂ってしまい凶暴化するため、そのような依頼につながるのだった。
ひとまず、不機嫌からの一噛みは回避できたとニコルは胸をなでおろしたのだった。
その後、アンジェラに隊商を紹介してもらう話をしていなかったため、再び客間に戻った。
まだ旅の準備ができておらず泊まる宿も取っていないと言うと、アンジェラの両親が泊まっていきなさいと言ってくれた。
さすがにティアを家の中に連れ込むわけにも行かないため、再び不機嫌にならないよう出発前に必ず向かえに行くと言い含め獣舎で待ってもらっている。
クルトは傭兵団で何かあったらギルドを通して知らせてくれると約束をして、傭兵団のある村に帰っていった。
「泊めてくれてありがとね」
「ニコルはこれからどうするつもりですの?」
「しばらく帰りたくないから旅に出るつもり。隊商に同行させてもらって移動したいところなんだけどね」
「それが一番安全かもしれませんわね」
「紹介してもらいたいんだけど、ダメかな?」
夕食も食べゆっくりとした時間をすごし、クルトやティアの件で後回しになっていた本題を切り出した。
アンジェラは返答を即答せず、考える素振りを見せる。
「ここで働く以外は何でも言うこと聞くから! この通りお願い!」
「いいですわ。他ならぬ親友の旅の安全のためですもの紹介しましょう。
ですが、私のお願いも聞いてくださいますわよねぇ?」
「う、うん」
ニコルの顔色が悪くなる。
にんまりと微笑むアンジェラを見て、ニコルは不安にかられ思わず口にした言葉の意味を反芻し、悪魔と契約をするに等しい失言だったと早くも後悔し、顔色を悪くした。
言質をとられた以上、ニコルに拒否権はない。
だが、この時点で拒否しても、おそらくアンジェラの泣き落としが入り拒否することは叶わないだろうと、長い付き合いの親友の行動パターンを考えため息をついた。
「うちの商会では他の街の情報を集めたりしているのですが、支店がある街以外の情報はなかなか入ってきませんの」
「つまり情報収集役になれってこと?」
「さすがニコル。察しがよくて助かりますわ。旅先で立ち寄った街の特産品・名所・情勢などの報告をして欲しいの」
「それって、継続的な契約になるよ?」
「ええ。もちろん情報量に見合ったお金をお渡しするし、必要な経費は請求してくだされば支払います」
何か裏がありそうな話だが、悪い話ではない。
滞在した街の情報をまとめて送ればいいだけだ。報告書にまとめるのにどのくらい時間がかかるかはやってみないことには分からない。必要経費も羊皮紙とインクくらいではないだろうか。
ニコルは気になったことは確認することにしている。
商人とのやり取りでは、相手は自分が不利になる情報を意図的に隠すことがある。アンジェラがそのような商人と同じというわけではないが、確認をして損はない。
「でも、手紙だと届くまで時間がかかるじゃない?」
転移魔法陣は傭兵ギルドや商業ギルドが主に使う情報伝達の手段であり、一般市民にとっては馴染みがない。宛名の人物に手紙が届くまで1ヶ月以上かかるなどはよくある話だ。
情報の鮮度が落ちると、商売には差し支えることが出てくるため、どうするのかと疑問に思った。
「商業ギルドの連絡網を使わせてもらうことにしましょうか」
「ちょっとまって。それもこっちの費用じゃないよね? あれはものすごくお金がかかるよ!?」
あっけらかんと商業ギルドの情報網を使うと宣言するアンジェラに呆然とする。
半銀貨一枚程度で一般的な宿に泊まれるが、転送魔法陣を使用するにはそれと同等くらいの金額がかかる。
必要経費として請求できなければ、こちらも旅を続けることができない。
「まぁ、情報収集をお願いするのはこちらですから、そのくらいの費用はこちらで持ちますわ」
一般人にとっては半銀貨も大金なのだが、アンジェラにとっては取るに足らない金額なのだろうか。ニコルはアンジェラとの金銭感覚の違いに、少しだけ心の距離が空いた気がした。
「書く報告書の枚数とかは?」
「そうですねぇ、およそ10枚程度でしょう」
「報酬として最低限どれくらい出せる?」
「基本としては銀貨5枚くらいを想定してますが、私の方で使えると判断した情報については追加で報酬を出しますわ」
書く内容次第だが、報告書10枚くらいならばどうにかなる気がする。
一番重要な報酬は、特産品や名所などは人に聞けば直ぐ情報は集まるだろうし、情報を集めて報告書にまとめるのに最低でも5日かかるとして、宿代が銀貨2枚と半銀貨1枚程度だろう。
詳しい情報を手に入れるには時間もかかるだろうし、慣れないうちはそれよりも長い時間がかかる。銀貨5枚は妥当な報酬なような気もする。
「宿代は経費に含まれる?」
「何か大きな祭典があればその報告も付け加えて欲しいので、その場合はかまいません。ただ、普段の宿代はそちら持ちでお願いします」
宿代に関しては、余程長い期間泊まらない限りは報酬で賄う事もできる。傭兵ギルドの仕事を平行して行えば特に問題もなさそうだった。
「だいたい分かった。この条件で契約するよ」
「ありがとうございます。では、契約書を2枚作らせますので明日確認してくださいね」
「了解」
契約の大枠が決まり、細かい点に関しては、明日契約書に書かれていることを踏まえて聞けばいい。
ニコルは傭兵ギルドの他の資金調達の手段が確保できてよかったと考えていた。
「それと、明日は隊商の隊長を紹介しますわ」
「ありがとー」
「いえいえ、出発は明後日の予定だそうですから、紹介するのは旅の準備をしてからでも平気でしょう」
しばらく他愛もない雑談をしつつ、そろそろ眠気が襲ってきたころ。
「今日はもう遅いので、私は寝ることにしますわね」
「うん、今日は本当にありがとうね」
「いいえ、私のほうもお願い事を聞いてもらうのですから気にしないでください」
そういい、アンジェラは席を立った。
ニコルは明日は忙しくなると考えつつ、ベッドに入り明日に思いを馳せるのだった。
読んでくださりありがとうございました。
悪魔の契約と言っても、アンジェラさんはやさしいはずです。