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「一体どうなっているのですか!」


勢いのまま机に打ちつけられた肉付きの良い手が、緊張感を帯びたその空間にドンっと言う大きな音を響かせる。

机を挟んで目の前に座る背が高く痩せ型の老成の男は、血の気の引いた蒼白な表情で頭を下げた。


「も、申し訳ない…!まさか息子がこのような行動に出るとは…。」

「既に親族への披露も済んでいるどころか、招待状まで出し終えている。いまさら中止など、恥さらしにもほどがある!」

「ほんとうに、何と言って詫びればよいか…。」


したたる冷や汗をハンカチで拭い詫びる男は、エドモン・カールソン侯爵。

贅肉を揺らし怒り狂うクレマン・コルトー伯爵よりも身分が高いはずでありながらも頭を下げるのは、どう考えても非礼がカールソン侯爵側にあるからだ。

侯爵はコルトー伯爵の隣に座る小柄な女性に視線を向けた。

怒って怒鳴りっぱなしの父親、コルトー伯爵とは違い、彼女はしごく落ち着いた様子だった。

19と言う年齢が信じられないほどの冷静さだ。


(いや…違うか。)


しかし直ぐにショックで言葉も出ないだけなのだと、彼女の暗い表情を見て悟る。


なにせ結婚を間近に控えた婚約者が、余所の女とかけおちして行方不明なのだ。

婚約者を置いて逃げた馬鹿な男は、己の息子である。


(あの馬鹿息子!)


色々突拍子もないことをするやつだと知ってはいた。

だが()めるところはきちんと()める息子だと信じていたのに。

今回のことで見事に裏切られた。

よりにもよって、婚姻と言う自身の一生並びに侯爵家の尊厳に関わる不祥事を起こしてくれたのだ。


「ミシェル…、本当に申し訳ない。」

「あ…いえ。」


カールソン侯爵に頭を下げられたものの、ミシェルはまともな返答も出来ずに、眉を寄せて唇をきゅっと噛み締める。

うつむいた彼女のウェーブの効いた柔らかそうな茶色い髪が揺れ、肩からさらりと落ちた。

泣くのを我慢しているかのようなその様子にカールソン侯爵は心が痛んだ。

この女性を傷つけた実の息子をひっぱ叩きたくなったが、悔しくも本人が行方不明だ。


「どうするつもりです。この様な不祥事、表ざたにすれば当家はもとよりそちらの名も地に落ちることになりますよ。」


ミシェルの父親クレマン・コルトー伯爵が、目を細めて凄みながら言い募る。


既に列席する関係者への通知を終えた今、中止となれば両家の恥。

夜会や茶会の席で嘲笑の的となるなど、プライドの高い貴族思想のこの男には耐えられないのだろう。

代々続く家の名にキズが付くことは、何としても避けなければならなかった。

それはコルトー伯爵より地位の高い侯爵の爵位をもつカールソン侯爵にとっても同じである。


沈痛な面持ちで冷や汗を拭っていたハンカチを硬く握ると、カールソン侯爵はコルトー伯爵に視線を向ける。

そして、先ごろより考えていた1つの提案を口にした。


「そこで、相談なのですが…我が家にはもう一人息子がおりまして。」

「存じております。確か双子の弟君(おとうとぎみ)でしたな。」


それがどうしたと言わんばかりにコルトー伯爵は眉を吊り上げる。


「次男ではありますが、優秀な男です。それに幸い顔も背恰好も長男ととても良く似ている。髪色は違うのですが鬘をかぶるなり染めるなりすれば問題ないでしょう。」

「まさか次男に長男の身代わりをさせると?はっ、馬鹿なことを…娘はお宅の跡取りとなる長男に嫁がせるからこそ、意味があるのです。爵位を持たない次男など、こちらに何の利益もないではありませんか。」

「長男は必ず探し出し連れ戻します。それまで…それまでです。」


カールソン侯爵の提案に、コルトー伯爵は肉付きの良いたぷたぷとした自らの顎に指を添えて思案する。


喉から手が出るほどに欲しいのは、権力のある侯爵家との繋がり。

たとえ結婚相手が居なくとも婚姻が成立し、繋がりが出来るのならば問題は無いのではないか。


コルトー伯爵はちらりと傍らの娘を見た。

親としての愛情も何も籠っていない眼差しに射られたミシェルは、びくりと細い肩を強張らせる。



「どうだ、ミシェル。上手い事出来るか?」

「大丈夫だと思います。お父様とカールソン侯爵の良いようになさって下さいませ。」


控えめな笑みを浮かべて告げる娘の台詞に、2人の男は満足気に頷き合う。

素直で心優しい娘だ。礼儀正しく見目も良い。

義理の娘になるのに申し分ない逸材だと、カールソン侯爵は思った。


------だが、カールソン侯爵の解釈とは裏腹に、ミシェルの内心は冷めきっていた。


父と侯爵に見られないように、彼女はこっそりとため息を吐く。

髪と同じ薄茶色の瞳は暗く陰りを帯びていて、不安定に揺れている。



(別に、誰が相手でも一緒でしょう。)


元より家同士の利益の為に組まれた縁談だ。

貴族社会で価値のある人間は、家を継ぐ長兄たる男子のみ。


価値のない自分は親の定めた婚姻に口出しをしても無駄なのだと、彼女は嫌と言うほど理解していた。



(いいなぁ…。)


ミシェルは自身の婚約者と逃げたと言う女性が、女として羨ましかった。

別に数回顔合わせしたのみの婚約者に情があるわけじゃない。

家の名も、名誉も、何もかもを捨ててもいいほどに愛されることが羨ましいと思ったのだ。

きっと自分は親達の言いなりに結婚して、子を産んで、老いていく。

そこに愛情などは一切ない、つまらない人生なのだろう。




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