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第四話

漸く、始まりの鐘が鳴ります。

――もうすぐです。

      ***


 闇黒あんこくに染まる世界。

 繋がれし光と闇。だがそれは決していいものではなかった。

 僅かな希望も見い出せないまま、魂が闇の奥深い所へと沈んでゆく。

 光が闇に染まるのは簡単でも、闇の中で光を取り戻す事は困難だ。

 星一つないただ黒いだけの大空を見上げれば、その黒い空に身も心も飲み込まれる錯覚に陥る。

 早く夜が明けて欲しいと、願うばかりだった。


       

      Ⅰ


 隙間と呼べる程度に開かれた窓から吹き抜ける風が、波菜の頬を撫でる。

 何度か瞬きをし、寝起きの目を覚醒させる。波菜は真っ白い毛布と枕がスーツの上に敷かれている、如何にも簡素なベッドから起き上がった。

「……厭な夢」

 片手を額に押し付け、不機嫌そうな声を漏らす。これ程目覚めが悪い朝はない。

 そんな彼女の心情とは逆に、早朝の空は、一点の曇りもない鮮やかな青色だった。

 波菜は衣類の収納棚から、上半身から膝下まで一つに繋がっている藍色がかった黒い服を着て、階下に下りる。

 居間でパンとミルクのみという軽い朝食を終わらせると、昨日摘んだばかりの花々の茎の部分を、布で覆って包む作業に取り掛かる。花束にしたそれを網籠にそっと入れた。

 波菜は籠の取っ手を持ち上げ、外に向かう。

 外に出た途端に、朝の心地良さを感じさせる涼し気な空気が彼女の身体を包み込んだ。寒い季節はとっくに過ぎていたので、それ程身体が冷える事はない。

 波菜は一人、目の前に広がる森の中に足を踏み入れた。


 森の丁度中央には、二つの墓石が建てられている。だが高さは、今年で十六歳の少女である波菜の膝より少し高い程度だった。岩と呼ぶよりも石板と呼ぶ方が近い。墓石には波菜が読めない文字で、文章が書き連ねてある。

 半刻程歩いてようやく着いた墓石の前で、波菜は立ち尽くす。持参した花束を二つの墓石の中間辺りに置くと、その場でしゃがみ込んだ。

「おはよう」

 目の前には誰も居ない。彼女の朝の挨拶を返す声はない。居るとするならば、それは墓下に埋まる二体の屍だけだ。

「ごめんね。命日以外には中々来れなくて」

 それ以上は、言葉を紡ぐ事は出来なかった。今更彼らに伝えられる事は何もない。彼らが波菜の目の前から消えてすぐに、流せるだけの涙は流してしまって、数年経った今は、寂しいという感情表現が乏しくなってしまっているのかもしれない。

(どうして……?)

 悲痛に感じるだけの疑問は、波菜の心を強く締め付けるだけだった。


 波菜が帰路を辿り、森を抜けて家に辿り着くと、すぐさま異変を感じ取った。

 家を物色する影がある。波菜は居間に入り、籠を音を立てない様、静かにテーブルの上に置いた。

 だが勝手に家に入り込んで来ている者は何の躊躇もなく、ゴソゴソと大きな音を立てている。

 泥棒になり切るのなら馬鹿以外の何者でもない。そもそもコソ泥の真似事をする事自体愚かなのだが。

 波菜は気付かれない様に、慎重に影に近付く――ようにしようと思ったが止めた。ここはそもそも自分の家なのだから、何故こちらが隠れるような真似をしなければならないのか。思って馬鹿馬鹿しくなり、堂々と影の後ろに近付いた。

 腕を組みながら仁王立ちして、まず一言。

「そこで何をしているのかしら」

 波菜は背中を見た時点で、それが何者かは分かっていた。常日頃から見慣れている後姿だ。分からない筈がない。

 影がおそるおそる後ろを振り返り、波菜と視線を合わせる。

「……もう帰って来たの?」

「ええそうよ。不法侵入者」

 波菜の正義の鉄槌が、一人の少女の頭にぶつけられた。


「痛い、痛いよお~」

 少女は叩かれた頭を抑えながら半泣きする。

「ふーん。誰が悪いんだか言ってみたら?」

「……波菜家のおやつを盗もうとしたあたしです」

「正解」

 学び舎の授業で問題が解けた時、先生が生徒を褒める口調とは随分異なる。明らかに怒りを露わにしており、嫌味たっぷりの物言いだ。

「もうちょっと、手加減してよね」

 未だに少女は頭をさすって、痛みを抑えようとしている。

「犯罪者に容赦する程、悪人じゃないわ」

「それ、遠回しに自分の事、善人って言ってる?」

「どう考えても、不法侵入する方が悪いでしょう」

「そっちにだって落ち度はあるよ。鍵、掛かってなかったし――」

「掛けてたわよ!」

 もう一度波菜は少女に拳をお見舞いした。

 確かに出掛ける前、波菜は玄関の鍵を掛けた記憶がある。物忘れが激しくない、どころか波菜は物覚えが良い方だ。

 早朝に出掛けた波菜は、空気を入れ替える為に家中の窓を開け放す時間など要さなかった。唯一開け放たれた寝室の窓も、起き上がってからすぐ閉めた。

 つまり少女は、完全に犯罪になり得る方法で、家の中へと侵入した事になる。

「いやいやっ。合鍵だよ。合鍵! 覚えてない? 波菜、あたしに前、『いつでも遊びに来なさいな』って言って渡してくれたの」

「まったく記憶にゴザイマセン」

 そろそろ堪忍袋の緒がはち切れる直前だった。波菜の怒りはまだ治まっていない。察知した少女は観念して、波菜の前で土下座する。

「わーん。ごめんなさい!」

「……、今日は絶対に、死んでも、アンタに昼食も夕食もやらないからね」

 絵美と呼ばれた少女は、涙腺を緩ませながら懇願する。

「そ、そこは何とか~……」

「うっっるさいッ!!」

 三度目の拳骨が炸裂した。

 懲りる、という言葉は果たして絵美に効くのだろうか。波菜ははなはだ疑問に思う。

「お願いっ。あたしが悪かった。この通り! 波菜様!」

 良い音を立てて手を合わせる絵美を暫く睨んでいると、このまま眉間に皺を刻んだままでいるのが面倒臭くなって、波菜は絵美に背中を向けて居間から出ていく。

 その後を絵美が追う。

「……怒りは静まりました?」

「アンタ、少し黙っててくれる?」

「え、じゃあどうしたら許してくれる?」

 絵美にとっては、このまま波菜にご飯を貰えない事は重要なようだ。頼もうとしている時点で意地汚い、という事を波菜は言葉にしないで、そのまま呑み込んだ。

「洗濯、庭掃除、それから買い物」

「…………」

「返事は?」

「やりますッ!」

 返事だけは威勢が良いから、中々どうして憎めない。とりあえず波菜はそれで友人の悪行を許す事にした。

「あ、波菜。そういえば――」

ほうきならあっち」

 波菜は廊下の突き当たりにある物置を指差した。

「やるよ。じゃなくて、森に行ったんでしょ? 大丈夫だった?」

「……悪魔になら遭遇してないわ」

「そう、ならいいけど」

 絵美は波菜に笑顔を見せてから、自前の掃除用ではない箒を近くの柱に立て掛け、物置に向かった。

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