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第二十九話

「夏帆さん、お待たせしました」

 エクスシアの声に夏帆は振り返る事が出来ず、肩をビクリとさせた。その様子を見て取ったエクスシアは朗らかに笑う。

「待たせた上に驚かせて、申し訳ありません」

「あ、違うんです。私が勝手に吃驚しただけで」

 夏帆は革張りのソファに座ったまま慌てて手を振った。

 ――最終的に、夏帆は式典が終わるまでエクスシアを待つ事になった。式典の間は、大聖堂の敷地内から離れた、大聖堂と隣接する屋敷の中でくつろぐよう言われた。大人しく案内されただけなので、ここが一体何の目的で使われているのかは分からない。見た所、絵美達の家より少し広いくらいの、ごく普通の住居のように思われる。

 彼は戻って来るなり、式典用の白いローブから馴染みの空色のローブに着替えていた。

「私が大聖堂に常駐しているという話、覚えてくれていたのですね」

「はい」

「それで……本日は何の御用でいらっしゃったんですか?」

 来た。夏帆は静かに思った。

 頭の中で何度も想像したエクスシアからの問い掛け。それに答える時、否、『訊く時』が来たのである。

 躊躇う必要はなかった。僅かの不安を感じていた事も、今となっては気にしていられない。

 夏帆は向かいのソファに腰掛けるエクスシアを見ながら言った。

「レヴィさん。あの、とりあえず怒らないで聞いて欲しいんです。といっても、殆どが質問なんですけど」

「わかりました。何でしょう?」

 エクスシアは決して不審がる様子を見せず、素直に了解した。

 夏帆はエクスシアの優しさに甘え、ゆっくりと口を開く。

「――レヴィさんと契約したという悪魔に、会って来ました」

 突如投じられた一言に、エクスシアは驚きの色を見せなかった。ただ、彼を纏う空気に何処か変化が生じた気がした。

 エクスシアは一度口を開きかけ、すぐに閉じ、頭の中で浮かんだ返答を咄嗟に入れ替えるように話し出した。

「おっしゃる意味が解りかねます」

「本当に?」

 夏帆は切望を込めた口調で言う。

「本当に、わからないんですか?」

「……お茶をお出ししていませんでしたね。喉が乾いたでしょう」

 エクスシアは席を立ち、すぐ後ろにあったガラス張りの棚から茶葉の入った箱を取り出した。

 棚の左隣にある小さな丸いテーブルの上には、あらかじめ白湯の入ったヤカンと、二つのカップ、急須が用意されており、エクスシアはそれらを使って手際よく準備する。

 急須からカップに湯が注がれる音を聞きながら、夏帆はエクスシアの真意を見定めようとした。

「熱いので、お気を付け下さい」

 目の前の低い机にカップが置かれる。鮮やかなオレンジ色が、夏帆の視線の先で揺らめいた。

「ありがとう、ございます」

「……夏帆さん。私には、貴女が何か迷っているように見えます」

 エクスシアはあくまで冷静に言った。

「その思いが奇妙な方向へと流され、先程の突拍子もない言葉に成り代わってしまったのではないでしょうか」

 彼の言葉を受けて、夏帆は正直に返す。

「そうかもしれないです。私も、自分の方が騙されてるんじゃないかって……ここに来て、また自信がなくなってます」

 夏帆は下に向いていた頭を上げる。

「けど、それはレヴィさんを信じたい自分が居るからです」

「私を、ですか」

「貴方を疑っているように聞こえるかもしれない。それでも、話を聞いて下さい」

 エクスシアは和らげていた表情を固く引き締め、こちらをじっと見つめ出した。彼は今、夏帆を警戒しているだろうか。ここで拒否されても何もおかしくない。

 しかし、彼は椅子の上で僅かに身じろぎしただけで、あくまで平静を保った。

「そうでした。元からそう前置きしていましたね。約束を違えてしまって済みません」

 エクスシアの表情が相手を安心させる微笑に戻る。けれど夏帆は逆に、胸の奥がチクリと痛んだ。

「どうぞお話し下さい。今度こそ異論は唱えません」

 エクスシアのいつもの優しさに、素直にホッとする事が出来なくなる。

「いえ。私こそ、突然でごめんなさい」

 そう言ってから、夏帆は話を再開する。いよいよ出された紅茶に口をつける気にはなれなかった。

「……友達から、シリスの森の悪魔の数が異常だって聞かされたんです。私、それが凄く気になっちゃって、森まで足を運んでみたんです」

「最近、私共の耳にも届いています。聖職者と悪魔狩り団体がシリスの森の調査をする予定ではあるのですが、なかなか機会が得られず」

「その話も友達から聞いてます。だから、自分達で確かめるしかないって思って……そしたら、悪魔と遭遇して」

 エクスシアが唇を固く引き締める。だが予告通り、異論を言う事なく夏帆の言葉を受け入れてはいた。その証拠に、危険地区と呼ばれる森に安易に足を踏み入れた事に対して何も言わない。

「その後、何度か襲われそうになったりしたけど、結局はちゃんと悪魔と話が出来たんです」

「悪魔と、話を?」

「はい。悪魔の中にも、私達と同じ言語を使って話せる子が居たんです。最初は吃驚したけど」

 けれど実際、夏帆は悪魔の事を何一つ分かっていないに等しい状態で彼らと出会った為、普通の人よりそれ程動揺せずに済んだ。逆にエクスシアからしてみれば、悪魔が言語能力を有するなど奇妙に思えるだろう。――ただし、それは彼が悪魔と面識がない場合だ。

「私や友達は彼らが話す事を、聞けるだけ聞いて来ました。それで、私達人類が今まで知り得なかった事実を、今こうして持ち帰って来てるところなんです」

「人類が知り得なかった事実……」

「レヴィさんは十一年前に悪魔が襲来した時、何処に居ましたか?」

 夏帆はエクスシアの顔色をうかがいながら訊いた。

「ああ……あの時は確か、隣の大聖堂で祭祀を行っているところでした。外のただならぬ様子に気付いてからは、近辺の住民を呼び集めて大聖堂の中へ避難させましたね。夏帆さんはその時、どちらに?」

「覚えてないんです。だから十一年前の悪魔騒動がどれ程ツライものだったのか、私にはまったく分からないのと同じで……」

 夏帆は膝の上で作った拳をぎゅっと握り締めた。

「私、悪魔の襲撃でツライ目に遭った子の気持ちが分からなかったせいで、少し前、ある人を傷付けました。もう二度と、知らなかったから相手を傷付けるなんてしたくない。

 だから知ろうと思いました。悪魔の怖さを知らない分、人より悪魔に近付こうとしても何とも思わないから」

「けれど夏帆さんは、悪魔に襲われそうになったんですよね。ならば貴女も既に恐怖を感じた筈です」

「勿論、会ってみたら怖くなかったなんてとても言えません。でも、言葉が通じるって分かったから、話をしようって思えました」

「なかなか肝が据わっていますね。悪魔と言葉を通わせようとするなど」

「レヴィさん、悪魔が嫌いですか?」

 彼は自分の分の紅茶を口に含んでから、ゆっくりと答える。カップを握る手が穏やかではなかった。

「私達聖職者が守るべき民を殺されたのです。当然、そのような生き物を受け入れる訳にはいきません。元よりこの世界に存在しない筈の、いわば『異端者』ですから」

「――異端者なんかじゃなかったんです」

 エクスシアの言葉を遮り、夏帆は強調して言った。さすがの彼も今の彼女の言葉に表情を曇らせる。

「それは、どういう事でしょうか」

「この世界に居ない筈の生き物を異端者と呼ぶなら、悪魔は異端者なんかじゃないです。悪魔と世間で呼ばれる生き物は……私達が想像もつかないほど昔から、人と一緒にこの魔光界で時を重ねて来たんです」

 本来、悪魔は十一年前において、初めてこの地に降り立った謎の生き物とされている。彼らが住むのはドラディスという地獄の世界で、魔光界とは一線を画するものだ。世界が隔たれているという点では間違いはないのだろう。

「貴女が悪魔から聞いた事実というのは、それですか」

「はい」

「信じるのですか。悪魔が言った事を」

 エクスシアから徐々に漂って来る重い空気を感じ取った上で、夏帆は頷く。

「完全に信じ切れるっていう確証はありません。だから今日レヴィさんに会って、全部を見極めようと思います。私が最初に言った事、覚えてますか?」

 ――レヴィさんと契約したという悪魔に会って来ました。

 夏帆は確かにそう言った。

「今なら、誤魔化さずに話してくれますか」

「…………」

 エクスシアは押し黙り、途端に目を伏せる。けれど表情に余裕が見られなくなっただけで、追い詰められているという様子ではなかった。

 彼は意外にすぐに返事をした。とても落ち着いた声音だった。

「信じた訳ではない、見極める――とおっしゃている割に、夏帆さんは悪魔の言い分にすっかり身を委ねている気がします」

「それは……」

「他にも何か私に訊きたい事があるのでしょう。どうぞ、もう遠慮は要りません」

 エクスシアはにこりと笑いかける。彼の真意を、顔色でうかがう事は出来そうにないと夏帆は気付く。

「私、レヴィさんが本当に悪い事をしていなかったら、ここからもっと酷い事を言ってしまいます。それでも良いですか」

「以前に言ったでしょう。行いが『善』になり得なくとも、恐れず、前に進んで欲しいと」

 それは夏帆の言い分を肯定しているとも取れるし、ある意味否定しているとも取れる。

 エクスシアは言葉を切ると立ち上がり、空色のローブをすっと伸ばした。

「夏帆さん。大聖堂の方へ移動しましょう。我が主の前に立てば、私が嘘を吐く事などないでしょうから」

(我が主……)

 神官である彼が主と呼ぶのは一人しか居ない。

 ルビナス教の神。ルビナス神。エクスシア・レヴィが崇拝する、唯一絶対的な存在。




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