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第二十八話

踏み入れたその時から、

貴方は戻れないかもしれません。




      Ⅹ


 白芦から先へ行くのは初めてだった。街と言われればどうしても都会の様子を想像してしまいがちだが、実際に馬車を降りると、白芦のような定期市場に居る時と同じ調子でいられた。俗にいう「貴族」の格好をする人が、歩道では数える程度だったからだ。

(着いたのはいいんだけど……)

 夏帆は石畳の街道を歩きながら、周囲に視線を巡らせた。

「どっちに行けばいいんだろ」

 道の両脇には、三角屋根の大きな建物ばかりがずらりと並んでいる。

 案内図をうっかり貰い忘れたので、夏帆は暫くあちこちを回って辺りの風景を楽しむ事にした。

 しかし、やがて痺れを切らし、通行人に声をかけざるを得なくなった。 

「すみません。あの、この街に詳しいですか?」

「はい?」

 夏帆が声をかけた相手は、年若の青年だった。出来れば女性相手の方が落ち着いて話せたのだろうが、すぐ近くを歩いていたのは彼一人だったのだ。

 青年は突然呼び止められたせいか、不思議な生き物でも眺めるみたいに夏帆を見た。彼の不躾な視線に夏帆の方が動揺してしまう。

「ご、ごめんなさい。いきなり……」

「何処へ行きたいんスか?」

 不審がられて逃げられるかと思っていたが、青年は親切に応じてくれた。夏帆は内心でホッとする。

「えっと、この街の大聖堂に行きたいんです」

「ああ、そっちに用がある人か」

 彼は「えーと」と考え込んでから、人差し指を空中に泳がせた。

「ここを真っ直ぐ行って、あの煙突のある家の角を左に曲がれば、見えてくると思うよ」

「煙突……」

 青年が指で示してくれた方角を目で追い、それらしき建物を見付ける。

「あ、解りました。ありがとう」

「いえいえ。それでは、良い冒険を」

 彼は無邪気に夏帆の黒髪をぽんぽんと叩き、手を振ってその場を後にした。

 夏帆は彼の背中に向かってお辞儀をする。

(私もいかなくちゃ)

 教えてくれた好青年に心から感謝して、夏帆は踵を返し、街道を真っ直ぐ歩いて行った。

 記憶の片隅で、青年の赤茶色の髪が思い出された。


 道が分かれば見付けるのはすぐだった。曲がり角を過ぎると、見事な尖塔が目に止まる。

(白芦の礼拝堂もキレイだったけど、こっちはもっと凄い)

 遠目ではまだ屋根しか窺えないが、この距離から屋根が大きく見えるという事は、相当高さのある建物なのだと分かる。青い空の下に佇む大聖堂。そのまま天空まで届いてしまいそうだ。

 だが外観ではなく、夏帆は礼拝堂と大聖堂に、別の相違点を見いだしていた。

 ――目の前に映る建物に、純粋な感動を覚える事が出来ないのだ。

 それがどうしてか夏帆には分かりかけていた。

(心がまだ、迷ってるんだ)

 決心を固めきれないまま、夏帆はある者の所へ向かおうとしている。迷いながらも足を動かし、立ち止まらずにいる。

(今まで悪魔の何かを知っても、誰にも言えない人が居る。それを言っちゃいけない理由が、この世界に住む人にはあるのかもしれないけど、私は口を閉じる理由がない。怖がる理由がない)

 自分の素性が分からないのだ。すくなくとも今は、自身がどうなっても構わないと夏帆は思っている。彼女の安否を気遣う者が思い浮かばないなら、どう進んでも後ろめたくなる事はない。

(記憶を失うのは、悪い事ばかりだと思ってた……でも、今は違うって思える)

 夏帆は右の手の平を、ゆっくりと拳にする。

(私は自由なんだ)

 魔光界で生きて前に進む理由は、ここに自分の存在があるから。それだけで充分だった。

 住宅地に囲まれた薄暗い道を抜けると、湖に掛かる橋に差し掛かった。道がひらけたので控えめに陽光が煌いている。まだ朝早くなのだ。

 橋を渡った先には、壁に半円をくり抜いたようなアーチ型の門があった。そこからまた少し長い道が続くのだが、その街道には白っぽいローブを着た人達の後姿がそこかしこで歩いている。聖職者で間違いないようだった。

(礼拝者、だよね。じゃあ本当に一本道だったんだ)

 こっちに歩いてきて問題なかったらしい。彼らが礼拝に行くのなら、目的地はすぐそこだ。

「『サン・クォーズ大聖堂』ってどんな場所なんだろう……あ、そうだ」

 夏帆は門を通り抜ける前に、肩に下げてきたバッグの中を確認する。バッグに詰め込んであるのは絵美から借りてきた物が入っていた。

 〝コレ〟の使い時を間違えないようにしなければならない。夏帆はまだ目的地にも着いてないのに、緊張を緩めるべく深呼吸し始めた。

「会えれば良いんだ。会って話せれば、大丈夫」

 ――一度は考え直そうと思ったが、それでも決めた事なのだ。ここで引き返したくはない。

「……絶対、大丈夫」

 握った両手をおでこに当てながらそっと唱えると、夏帆は顔を上げて前に向き直り、ローブを着た者達の後を追った。

 心臓は相変わらず鳴り止まなかったが、先へと進んで行く内に、迷いだけはだんだんと薄れていくのが自分でも分かった。

 そして暫く歩いて、立ち止まる。

 ふと上を見上げると、いつの間にか視界には空が映り辛くなって、大聖堂の姿のみが夏帆の前に立ちはだかる。

 大聖堂の入り口は大きな重厚の扉があるが、今はそれが開け放され、一般の来場をも許していた。

 まずは扉を抑えている柱の陰から中を覗くと、これから行われるであろう式典へ向かう為に忙しなく足を動かす人の群れがあった。いずれも空色のローブを羽織っている。見たところ、聖職者ではなさそうな者も何人か見受けられるが、緑色の服を着ている夏帆は反って目立ちそうだ。

(大丈夫かな……)

 長いまっすぐな廊下が既に最奥までの通りを未知のものにする。大聖堂がどれ程広いのかは判らないが、進まなければ『彼』には会えない。夏帆はごくんと生唾を飲み込んでから、勇気を振り絞って中へと足を踏み入れた。

 実際に入ってみると、踏み入れたその時から、荘厳な音楽が脳内で鳴り始めるような感覚を覚えた。

 両脇の壁には楕円形の窓が等間隔にしつらえられ、白い朝陽が廊下を明るく照らしている。一方、窓よりさらに高い位置には小さめのステンドグラスがいくつも張られ、雰囲気だけでなく見る者を楽しませる工夫も施されているようだった。

(ステンドグラス……ここのは幾何学的というより、何かの物語を描いてるみたい)

 ガラスにうつっているのは模様ではなく、一枚一枚が異なる絵画のようだった。よく目を凝らして見ると、ひざまずいてお祈りをする人間、剣を構える人間、ローブを纏った人間、襤褸ぼろを纏った人間――背中に羽根を生やした謎の生き物など、さまざまな命あるものがそこに描かれているのが分かった。

 波菜が所持していたタロットの絵柄にも、似た雰囲気があった気がする。

(私、どれだけタロットに惚れ込んでるんだろう。こんな事なら、もっとちゃんと見ておけば良かった)

 けれどそう考えるのは手遅れというものだ。今更、絵柄に一目惚れしたからタロットを見せて下さいなどと波菜に言える筈がない。最早波菜にとって、夏帆は赤の他人どころか――

(『二度と顔も見たくない他人』……かな)

 自分で考えておいて、ショボンと肩を落とす夏帆だった。

 そのまま廊下を進み、大聖堂の中央部に辿り着く。中央部はぐるりと円の形になっていて、四方へ繋がる通り道の集結地点の役割をしているらしい。

 夏帆はてっきり南から北まで真っ直ぐの道を辿って来たのかと思ったが、勘違いだった。夏帆が歩いた廊下は、いわゆる翼廊であり、あの大きな入り口は西口だったのだ。現に、内陣へと続く廊下は出て来たところから左である。

(道、間違えてないよね)

 方角に間違いがない事を確認すると、人が行き交う中で、さっそく周囲に視線を走らせた。

 北以外の方角から来る者の殆どは、きまって内陣、もとい最奥へと向かっている。

 夏帆は最奥に繋がる広い廊下の――”左“の細長い道を横目で捉えた。それを目に止めた途端、人込みに乗じてそちらに身体を滑り込ませようとした。しかし、

「お嬢さん、少しお待ちなさい」

 手首を後ろから掴まれて、夏帆は少し吃驚した。振り返ると、これから礼拝へ赴くのであろう聖職者の男が夏帆を捕まえ、凝視していた。

「こちらは関係者以外立ち入り禁止です。式典に向かうのなら、あちらの道を」

「あ、あの」

 夏帆はしどろもどろになりながら何とか説明を試みる。

「会いたい人が居るんです。こっちに行っちゃいけないなら、せめてその人に会える場所まで連れてってくれませんか」

「……どなたに御用で?」

 聖職者は怪訝な表情で夏帆を見ながら、とりあえず用件の続きを促した。

「レヴィさ……じゃなくて、エクスシア・レヴィさんです」

「――その方がお相手なら尚更会わせる事は出来ません。エクスシア様は式典を執り行う役目を担っております。今日のところは、どうか日を改めて下さい」

 予想通りといえば予想通りの返答だった。夏帆は食い下がって頼み込む。

「一日でも早く会いたいんです。式典が終わった後でも構いません。お願いします」

「しかし、今日の予定もいっぱいいっぱいでして……」

「どうされました?」

 その時、夏帆達の間に入って来る者が居た。

「えっ?」

「あ……」

 夏帆は聖職者の背後の方に視線をずらし、こちらへと歩み寄る人物に気が付いた。

 ゆったりとした真っ白いローブに身を包み、聖職者の格好をした者の中でたった一人、帽子を被っている。その帽子は夏帆の記憶に新しかった。

「レヴィさん」

「おや?」

 エクスシアは微笑みながら近付いて来たが、夏帆の顔を見た瞬間、少し驚いた表情を浮かべた。


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