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第二十七話

      *** 


 雨も降りそうにない天気だった。先日豪雨が一帯を横切ったばかりのせいだろう。窓から差し込む陽光がやたら元気で暑苦しい。

(白芦に比べたら、ずっと居心地は良いんだろうけど)

 シリスの森に居て、時々悪魔の影に怯える事はあるが、人に同情や憎悪の視線を向けられて暮らすよりは随分マシだと思える。――波菜は、元ティアナ教徒の娘であると周囲に知られている為、要らない批判を受ける事が昔から多いのだ。我慢は出来たが、一方的に向けられる評価を受け入れる事は出来なかった。

(心配しなくても、ティアナ教を受け継ごうなんて思っちゃいないわ)

 自分が迫害されたくないという利己心も勿論ある。だがそれ以上に、波菜にとっても憎しみの対象である悪魔を崇拝するなど、したくなかったからだ。

 波菜は頬杖をつきながら、本に視線だけを落とす。内容自体はなかなか頭に入って来ない。


 ――悪魔という名だけで、悪いと決め付けるものではないのよ。


 霞みつつある記憶の中に、いつまでも留まっている科白。

(知ってるわ)

 一人で生きていく事になってから、色々なものを見て来た。自分の魔力がたまたまタロットと相性が良かったお陰で、占い師になり、沢山の人と触れ合う機会を自分から得た。

 例えば、過去にとんでもない事をやらかして、今まさに罪悪で苦しんでいるという客を相手にした事がある。その時は、『悪人』と呼ばれる者程、占いのようなものに頼りたくなるものなのかと、ぼんやり思っただけだったが。

(他人から寄せられる評価に潰されなければ良いだけなのにね。まあ、解放されたい気持ちには共感できるけど)

 しかし、波菜が本当に解放されたいのは、人の目からではなく、あの忌まわしい記憶の方だった。



 悪魔が魔光界に襲来した丁度その日、波菜は近所に住む幼馴染みの少年の家に居た。

「なみな、外みてみろよ。スゴいぞ」

 床で剣のオモチャをいじって遊んでいた波菜は、少年の呼び掛けに顔を上げる。

「みせたいものはこっちでしょ。なんで外をみるのよ」

「だって雲が……」

 めったに弱々しい表情など見せない友人。そんな彼が、珍しく不安そうな顔をしているので、さすがの波菜もただ事ではないと知る。

「なによ、雲って。まっくろな雲のコトならもう知ってるんだけど」

「ちがう。今度はへんな光が出てる。あれだ」

 彼が窓の外を指差した。波菜は膝を伸ばして立ち上がり、幼い足取りで窓際まで移動する。

「……ひかり?」

 硝子越しに見える空には黒い雲が浮かんでいる。それは朝にも見た。しかし、朝に見た光景と明らかに変わっている点がある。

 雲から、真っ直ぐな光が地上に伸びているのだ。

「なによ……あれ」

 一瞬、呼吸を忘れる。

 その直線となる光は、細いくせに、ゾッとする程赤かった。

 その時波菜が感じたのは、奇怪な現象に対する、子供ながらの好奇心ではなかったのだ。

 突然、子供部屋のドアが開かれる。空に意識を止めていたせいか、心臓が飛び出しそうになるくらいに驚いた。

「……おばさん」

 部屋に入って来たのは、少年の母親だ。 

「シャドウ、波菜ちゃん。私と一緒に来なさい……」

 慌てているように見えるのに、声だけは鳴りを潜めているようだった。波菜も少年も不思議そうに首を傾げる。

 少年の母は唇を噛んだ。

「いいから。黙ってついて来なさい。ただし、静かにね」

 彼女が急かしている理由が分からない。――分からないのが怖かった。あの黒い雲も。光も。大の大人が見せる怯えたような表情も。波菜は不意に、そう感じた。

(やな予感がする……)

 子供だった。だから、幼い者がする予感など気のせいかもしれなかった。だが、この場に居る事に安心出来ないのは確かだった。

(帰りたい……お母さんに、会いたいかもしれない)

 ひとまず自分の家に帰り、母の顔を見て安心したい。

 けれどそれは、少年とその母親が許さなかった。

 母の言い付けに従い、大人しく部屋を出て行こうとする少年の背中を、波菜は慌てて追う。落ち着かなくて、思わず彼に耳打ちする。

「シャドー……何かわたし、きもちわるい」

「……しらないよ」

 少年の返事は冷たかった。母親に諫められたせいで、彼も怯えているのだろう。

「シャドウ、波菜ちゃんの手を握っていてね。絶対、離しちゃいけないからね」 

「う、うん」

 息子に謎の念押しをすると、母親は彼の手を握って歩き出す。

 少年は急いで波菜の手を握って、彼女にも歩くよう促した。

「イタイ」

「あ、ごめん」

 急に腕を引っ張られたせいで痛みが伴う。少年は波菜に小さく謝る。

「……だいじょうぶよ。いきましょう」

 少年に向かっていつもの様に笑う波菜。――勿論、それは幼馴染みと自分を安心させる為の、単なる強がりでしかなかった。


 

 十一年前のあの日。ワケも分からないまま外に連れ出された。だが幼馴染みの母親が、相当焦っていたのは子供の目から見ても分かるものだった。

 これは後から聞いた事だが

(……家の中に奴らが入って来たんだっけ。おばさんは私やシャドウに、悪魔の姿を見せたくなかったんだわ)

 そう察してあげられれば良かった。いくら子を持つ親でも、ただ事ではない時に子供からしつこく質問されれば、混乱するに決まっている。幼馴染みの母親が強い口調で息子を叱りつけていたのも、今なら仕方ないと思える。

 波菜は読んでいた本をテーブルに置き、何気なく、近くにあったペンの羽根の部分を指先で撫でた。

(あの後外に出されて、ルビナス教会の方へ連れて行かれて……その時にはもう、お母さんは――)



 白芦には教会がある為、突然現れた悪魔から人々はそこへ逃げおおせる。無意識に「教会が安全だ」と、何故か皆分かっていた。悪魔という存在を、ただの偶像だと信じていた者ですら、邪悪な生き物は神聖な場所に近付けないと悟ったのだ。

 多くの者は礼拝堂に集結した。全員は中に入れなかったが、修道士が住む地区に居るだけでも、おそらく安心だったし、近くの都市の大聖堂に流れようとする者も居た。

 いずれにしろ、礼拝堂に入るのに子供が優先された為、波菜や少年は礼拝堂の長椅子に座らせられる。

 しかし、波菜はどうにも落ち着かなかった。

「おとうさん、おかあさん……だいじょうぶかな」

 何が起きているのかよく分かっていなかったのに、急に不安が限界まで込み上げてくる。動物的勘とでも呼べば良いのか、とにかく不安だった。

「自警団が様子を見にいってくれてる。たぶん、だいじょうぶだ」

 少年は、目に涙を溜めている波菜を宥める。しかしそれで何が収まるものではなかった。波菜はますます涙を溢れさせる。

「ひっ……く、うえ……」 

「!? ちょ、何でおまえ、そんなに泣き虫なんだよ」

 少年はどうすれば良いか分からなくなり、とりあえず、しゃくりあげる波菜の頭を撫でる。

「ホントすぐに泣くよな、おまえ」

「だって……だってえ……」

 ――会いたい。

 早く、父親や母親の顔を見たい。安心したい。波菜はその願いで頭がいっぱいになった。いつも彼女の涙を止めるのは、母親の陽亜の仕事なのだ。

 この時、両親がどんな状況に陥っていたかも、波菜は知らずにいた。


 次の日も、その次の日も、波菜は両親に会える事はなかった。何処に居るのかと何度大人相手に喚いても、要領を得ない。

 そんな日が一週間程続いた頃、周囲で「凪人」の名前があがるようになった。波菜は逸早くそれに反応し、彼の居所を訊く。どうやら、白芦から一番近い都市に父は居るようだった。そこは、大聖堂がある街だった。

 波菜は少年を連れて馬車に乗り込み、白芦から都市へ向かう。

 着いた途端に、少年の母親に取り押さえられた。

「波菜ちゃん! どうしてここに」

「おばさん、おとうさんがいるんでしょう? 会わせて、会わせてよ」

「ここには……凪人さんは居ないわ」

「ウソよ。わたし、聞いたもの。おとうさんがいるって、聞いたもん」

 ただ彼女は波菜に覆い被さるように、強く抱き締めるだけだ。

「おばさん、はなしてよ。おとうさんと一緒に家に帰って、おかあさんに『ただいま』って言わなくちゃ」

「…………」

「言わなくちゃ……」

 もう何日も父や母の顔を見ていなくて、おかしくなりそうだった。家に帰らせてと幾ら頼んでも、誰一人聞き入れてくれなかった。

「おばさ――」

「処刑だ!!」

 突然の謎の怒号に波菜の肩がビクリと動く。多くの人が、広場の方へと足を急がせていた。

 一方、通りに立ち止まるだけの二人の青年が、騒ぎの方角を見遣って、何かを囁いた。

「ホントにやんのかよ、ティアナ教徒の処刑」

「まだ一人しか見付かってないんだろ? 神官様もよくやるよ」

 波菜の耳が無意識に反応する。

 母が語ってくれた、神の話を思い出す。

「てぃあ、な」

 そうだ。まだちゃんと、『てぃあな教』について聞かせてもらっていない。母の所へ帰らなければ。その為に、父を迎えに行かなければ。

 波菜は抱き締められていた体勢から何とか抜け出し、無我夢中で広場の方へと走り出した。

「波菜ちゃん!」

「なみな!」 

 後ろから来る声はもう聞こえない。今の波菜は、何もかもを振り切る勢いだった。

「おとうさん――おとうさん!」

 波菜の顔は既に、涙でぐしゃぐしゃになっていた。


 いっぱい泣いたのと走ったのとで、呼吸が苦しい。こんなに頑張っているのに、何故未だ父にすら会えないのだろうか。もう訳が解らなかった。


 広場に集まる野次馬を押し退け、波菜は人込みの先頭に立った。父の姿は、そこにあった。

「――おとう、さん?」

 やっと再会出来た筈の父は、ひどくやつれていた。白いだけの服は煤汚れ、所々が不自然に破けている。波菜はあんな服を着る凪人を知らない。

 最初、父の姿しか見えていなかったが、彼女はゆっくりと周りの風景を見渡した。

 住宅だと思われる高い建物の前に人が集まっている。彼らは凪人が居る位置から半径数メートル程離れ、凪人を見上げている。

 石畳の上に置かれた巨大な台は、登り階段を五段作らなければならないくらいの高さがあり、見上げようとすると晴天の光に当てられて目が焼けそうだった。

 台の上に居る凪人の頭は垂れ下がり、彼の素足が床から離れているのが判る。

 凪人は台の上で、つまり、磔の形にされている。

「……ッ」

 声が出なかった。心臓の音が感じられた。父に会えば安心して涙が止まると思っていた。しかし、逆だ。涙は止まるどころかさらに溢れ、もう二度と収まらない気がした。

(これ、なんなの。どうして……)

 目の前の父に訊けるものならきいてみたい。だが、波菜の足はもうそこから先へは行かなかった。

 足が動かなくなり、辺りの騒ぎに耳を貸す事しか出来なくなる。――周囲の人達は凪人に向かって、罵詈雑言を投げ掛けていた。

「アンタらが悪魔信仰なんかしてたからこんな事に……ッ」

「死ね! しんぢまえ!」

「女房は何処だよ。匿ってんじゃねーぞ!」

「悪魔が来たのはアンタらのせいだって、解ってるだろうね!?」

 飛び交う怒号には憎しみの色が見られた。いよいよこの場が恐ろしい場所である事を理解し始め、波菜は恐怖に震え始める。

(おとうさんはこんな風にされるような人じゃない。でも、じゃあどうして、あんな所にいるの?)

 目を隠し、耳を塞いでしまいたくなる。今は思考すらも止めてしまいたかった。

 その時、大きな足音をたてながら台に上がっていく男が現れる。彼は裾の長い水色のローブを身に纏い、丸めた一枚の紙を手にしていた。

 男は凪人の横に立つと、紙の文面を民衆に向けて広げる。

「これより、ティアナ教徒の処刑を執行する。罪人の名は凪人。彼は悪魔信仰に溺れ、世界の平穏を乱した者として処罰を言い渡された」

 淡々と書状の内容を暗唱する男を、波菜はじっと見つめていた。その後も彼は何かを言い続けたが、科白の全てを理解するのに、波菜はまだ幼すぎた。

 あれだけ周囲は怒号の渦に飲まれていたのに、今はただ、民衆はフードの男の話に耳を傾けている。かと思えば、ちらりと横を向くと、台を見上げながら恨めしく何事かを唱える女性も居た。静寂の中でも、父には容赦なく憎悪の視線が注がれ続けている。

 為す術もなく、大人しく波菜も傍聴していると、いきなり後ろから手を引かれた。

「なみな」

「――シャドウ」

 波菜の涙はいつの間にか止まり、頬はひどく乾いていた。自分を追って来たのであろう幼馴染みの顔を朧気に見つめる。 

「……ここに居ちゃいけない。行こう」

 彼の言っている事は解った。だが聞き入れる気になれない。

 ザワついてきた人混みの中、波菜はそっと声を出した。

「ううん……行かないわ」

「かあさんが、おまえにだけは、今のおじさんを見てほしくないって」

「そんなのわたしの勝手でしょ。おばさんには、うまく言っといてよ」

 彼は静かに首を振り、波菜の手を離さない。彼女にはその態度がとてもわずらわしかった。

「行かないって言ってるでしょ!」 

「おまえは何を待ってるんだよ!?」

「おとうさんよ。決まってるでしょ。連れてかえるのよ。ぜったいぜったい、連れてかえるの……」

 歯を食い縛り、懸命に幼馴染みに訴える。この気持ちを解ってくれるのは、幼馴染みでもない。親戚でもない。――陽亜と凪人だけなのだ。

「……くそ!」

 幼馴染みは舌打ちし、遂には強引に波菜を引っ張って行く。

「はなして! はなしてってば!」

「わかってんだろ本当は! 凪人のおじさんが今どうなってんのか。そこでおまえが娘だって知られてみろ! ……おじさんもおばさんも、おまえには助かってほしいって思ってる」

 一つ年上の彼が難しい事を言っても、波菜に理解出来る筈がない。彼女は彼を睨み付ける。

 何か言い返そうとした、その時。嫌な臭いが鼻を突いた。

「……?」

 すぐには解らなかった。嗅いだ事のない臭いだ。だが次の幼馴染みの言葉に、それが何なのかを察する。

「焼くにおいだ」

「え……」

 彼は失言に気付いて慌てて口を押さえた。

 波菜はゆっくりと後ろを振り返る。振り返った先には、赤いものが蠢いていた。

「おとう、さん」

 父の名を呼ぶ。

 幼馴染みに手を引かれたせいで、人混みから抜け出てしまい、父の姿はもう見えなくなっていた。見えるのは、立ち塞がる大人達と、その上で立ち上る、炎。

「いや……」

「なみな、行くな」

「いや! いやよ! こんなのいや!!」

 ようやく幼馴染みの手を振り払い、再び人混みの中に飛び込もうとした。だが、幼馴染みの母親が波菜を見つけて彼女を捕まえ、そのまま押さえ込んだ。

「波菜ちゃん、見ちゃ駄目。お願い!」

「はなして、はなしてはなして! おとうさんがっ!」

 煙の臭い。燃え上がる炎。歓喜と憎しみを込めて叫ぶ民衆。キツく目を閉じる友人。最後に、波菜の頬に涙が伝う。 

 あられもない姿の父が頭の中で甦る。

「いやあああッ!」

 必死に伸ばした手で、掴めるものは何もなかった。

 

 ――後に、波菜は幼馴染みの家に引き取られる事になる。自分と父の帰りを待っている筈だった母は、周囲の知らない内に、礼拝堂で命を落としたという事だった。



 母の死の真相を知る気にはなれなかった。身内を亡くした当人からすれば、亡くなった理由を知りたがる者ばかりではないのだ。

 波菜は茶葉を急須に入れ、お湯を注いだ。湯気がふわっと空気中に泳ぎ、微かな熱さに目を瞬かせる。

 すると、いきなり窓の方で音がした。視界の端に、カーテンの裏で人影が動いているのが認められる。

 波菜は苛立たしげに唇を噛み、茶の準備を放棄する。仕方なく窓に向かってズカズカと歩いて行く。

「玄関から入りなさい。そこから入る気なら蹴り飛ばすわよ」

 カーテンを引きながら毒舌を吐く。透明硝子の向こうには、やはり絵美の姿があった。

「ここで終わる話だよ。とりあえず開けて」

 波菜は、絵美が話だけをしに来たという態度に首を傾げ、不本意ではあるが窓を開けてやった。

「何よ。こんな朝から」

「あたし、これから出掛けるんだよね。何処行くか分かる?」

「アンタの出掛け先なんて興味ないわ」

 会話は終了した。窓を閉めにかかる。しかし絵美はすかさず窓枠を押さえ、波菜の返答を無視するように勝手に答える。

「大聖堂」

「は? 何処の?」

「さあ。何処のでしょう」

 世界には、聖堂など数多く存在する。宗教に関して知識としてでしか持ち合わせていない筈の絵美が、大聖堂に赴く意図は解らない、だがそれもどうでも良かった。

「行ってらっしゃい。さよなら」

「うん、また後で。ま、波菜も来たかったら来ても良いよ」

 ますます意味が解らない。

「果たして東西南北、どの方角の大聖堂に赴けば良いのかしら」

「考えればわかるよ」

「何を考えろって言うのよ。手掛かりなしの推理なんて時間の無駄だわ」

 絵美は、相手を試すような風に笑った。

「波菜、夏帆に両親の事、話したんだってね」

「……それがどうしたの」

 今考えただけでも、記憶喪失という不審者に、自分の身の上話をしてしまった事に後悔が募る。

「夏帆は波菜の素性をきいて、何を思ったのかなあ」

「知らないわ。もう二度と余計な事言わないように、舌を噛みちぎりたいとでも思ったんじゃない?」

「成程ね。夏帆がそこまで反省してくれれば、許す気になるワケだ」

「前向きな解釈ね。けど、許す許さないの問題じゃないのよ」

 波菜は手の甲に顎をのせる。

 ――夏帆の事は好きでも嫌いでもない。しかし無関心といえば、それも違う気がした。それでも現状、彼女と肩を並べた所で、居心地は決して良くないだろう。だから一緒に居たくないのだ。

(……涙を見せられなかったから、余計引き摺ってしまうのかもしれない。あの時思いっきり泣いて、もう来るなと叫んでしまえば、あの子の事なんて、吹っ切れたかもしれない……)

 これを『気にしてる』状態だというなら、早く脳内から夏帆を追い出してしまいたかった。

「私は、あの子の存在がどうでも良いの」

 あえて考えている事と逆の事を口に出す。こういう時、怒って反論しないのが絵美の冷たさだった。

「だよね。そうだと思った」

 世間話のネタにされている本人は、今頃くしゃみでもしている事だろう。

「立ってるのが嫌になってきたから、もう閉めるわよ。さっさと何処へでも行きなさい」

「ほいほい。そんじゃ」

 絵美は踵を返し、長い茶髪を揺らしながら走り去っていった。彼女は黒服を着ているので、離れていく黒い姿はまるで虫みたいだ。

「……何なのよ。あの謎かけは」

 絵美が無意味な行動をするとは思えない。彼女が普段と違う事をする時は、暇潰し、と言いながら、大抵は到って真面目な事をしているのだ。絵美の事を解っているのは、何となく癪ではあるが、長年の付き合いで得た知識なのだから捨てようがない。

(ここ数日、絵美はウチに来なかったけど、何かしていたのかしら)

 だが。しかし。関心はあっても。

 自分には関係ない。

 波菜は両親が死んでから、友人との付き合いをこの程度のものにしていた。




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