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第二十六話

「……黒い」

 それは彼女の頬の色。比べる対象はすぐ近くにあった。倒れるティドとティアを並べれば、それは一目瞭然だ。

「人じゃない?」

「そうだよ」

 絵美の言わんとする事が何となく分かった。ティアの正体は悪魔を退治する者ではない。悪魔本人だったのだ。

「あたしが再起不能にした後、人での化けの皮が剥がれたんだ。見なよ、透き通るような白い肌の面影すらない」

「ティアさんは何の為に、私達に嘘をついたの?」

「それなら本人から訊いてる。でも夏帆は、そっちののびてない二匹に訊いた方が良いかも」

 絵美の目がアドスと、構えるアテナの方に向いた。

「貴女、魔女ね」

 主の隣でアテナが絵美を睨み付ける。

「あれま。何で分かった?」

「魔力の動きが揺らいでいるもの」

「うん。あたしには、誠に耳が痛い科白だ」

 夏帆には彼女らの話がよく分からなかった。波菜や悪魔達が、夏帆に魔力がないと見極められたように、おそらく魔力がある者なりの見解というものがあるのだろう。

 絵美は一歩前に進む。

「洞窟歩いてる間に聞こえた名前が、ティドにアドスだったんだけど、もう一匹は何てお名前?」

「あの、あそこに居るのがアテナさん。で、隣に居るのが……アドスだよ」

 夏帆はアドス達を指さしながら絵美に説明した。見た所、彼女は『アドス』という名前に、これといった反応を見せない。

「じゃあ今、あたしが手刀で眠らせたのがティドか」

「う、うん」

 絵美が実力行使した所を目撃していないので、夏帆は躊躇いがちに曖昧に頷いた。

「愉快な名前達だねえ。纏めて聞くとお笑いぐさだ」

「何ですって?」

 アテナは絵美を睨み付ける目をさらに鋭くする。

「そのネーミングってさ、もしかしてわざとなの?」

「言ってる意味が解らないわね」

「怪しまれたくないなら他の名前考えなよって言ってんの。ティアナ教を知ってる奴なら、何となく察しちゃえるんじゃない?」

 その言葉に動揺したのは夏帆だった。足に立ち上がる力が戻ると、反射で絵美の服の裾に掴みかかる。

「絵美。私、アドスの名前がずっと引っ掛かってたの」

「おや。じゃあ聞かせて」

 わざわざ聞かなくても、絵美はもう確信している筈だ。しかし夏帆は言われた通りにして答える。

「ティアナ教の神様と同じ名前だって。偶然にしても、どうしても気になって……」

 絵美が言った事で、また思い出した。そしてティアナ教を口に出す度に、波菜の顔が頭の中でちらつく。

「神の名前も覚えてるよね」

「? うん、アドス・ティア――」

 夏帆が名を言うのを遮るように、目の前に鋭利な爪が飛んできた。瞬きすら忘れて、夏帆は呆気にとられる。

 爪はアテナのものだった。彼女は夏帆達にいつの間にか近付いていて、右手の指を突きつけたのだ。

「アテナ……さん?」

「…………」

 夏帆の右目寸前ぎりぎりの所で、爪はピタリと止まる。

 彼女は声をあげこそしないが、夏帆に向ける視線は恐ろしいものだった。同時に、何かに怯えているようにも見えた。

「それ以上は言わないで」

「ふーん。どして?」

 絵美はアテナに挑発で乗っかった。

「アドス神の名前は、世界でフツーに轟いてるよ」

「口を閉じて欲しいのはこの子だけじゃないわ。貴女もよ」

「まあまあ。まずは喋りたい事、喋らせてよ」 

「させない」

 夏帆はこの状況を穏便に済ませたいのだが、絵美とアテナ、双方の意図を読み取れないせいで口も挟めない。

「貴女達を帰したりしない。今ここで果てなさい」

「やだよ、メンドくさい」

 絵美が見当違いとしか思えない返事をする。

「アンタの仲間がやられるの見たでしょ? もう一度あたしを襲ったら、同じ事が繰り返されるだけだよ」

「ティドは油断しただけよ。たかが魔女一匹、あたしの敵じゃない」 

 アテナには何を言っても無駄なようだ。周りからしてみればどちらが勝つかは問題ではない。これ以上、争いを続けるか続けないかである。

(絵美に戦って貰えばここから逃げ出せるかもしれない……でも、それじゃいけない気がする)

 外野が止めなければ。夏帆は目をキツく閉じ、意を決して声を出そうとした。

「――やめろ。お前ら」

 アドスの鶴の一声の方が効果があった。彼に諌められ、絵美もアテナも仕方なく口を閉ざす。

 一旦辺りが静まり返ると、アドスが自ら前に進み出た。

「……魔女という話だが、何故この洞窟に入れた?」

 彼は別段落ち着いている。仲間が倒れるのを見ても、立ち位置すら変えなかった。

 絵美が渋々答える。

「昨日までならあたしは入れなかったよ。ここを見付ける事も出来なかった。けど、もう結界らしい膜が剥がれてたから」

「な、何を言ってるの? そんな筈……っ」

 絵美の話を聞いてアテナが動転する。彼女は信じられないという顔で、アドスを見た。

「アドス様……?」

 アテナの主人を見る目が弱り切っていた。それを見て、ティドも最後、アドスにそのような目を送っていた事を思い出す。

 しかしアドスはアテナに一瞥もくれない。

「どうやら結界を張り直すのは、本来アンタの仕事みたいだね」

「ああ。俺にしか出来ない。アテナ達は特定の場所を見えなくするよう技は使えないからな」

「悪魔にしては随分知恵を絞ったね。洞窟のある場所を、花畑と錯覚させるようにするなんて。ま、悪魔の住処に花畑ってのは似合わないか」

 横で話を聞いていて、夏帆は絵美と別れた時の事を頭の中で浮かべる。

 夏帆は花畑に行けば安全なのだろうと思い込んだ。あの時、悪魔は光に弱いと絵美が信じて疑っていなかったからだ。

(あそこが入口だったんだ……だから、アドスは私の前に現れたんだ)

 納得したようで、まだ納得し切れない部分もある。だが自分は、未だ何処に引っ掛かっているのか解らない。

 悪魔についての真相。ティアの正体。絵美やアテナの思惑。分かったつもりになっても、これらを何一つ分かり切っていないのだ。――情けない。

(大切な、大事なことなのに。解らないといけないのに。どうして私はこんなに頭が悪いんだろう)

 話してくれたアドスに失礼だ。好奇心だけで首を突っ込んだ自分に腹が立つ。弱くて頭の回転が遅い自分に、泣きたくなる。絵美が来てくれなかったら、今頃夏帆はこの世に居ない。

 青ざめ、終いには憔悴したような表情をする夏帆を、絵美が突然、肘で小突いてきた。

「? 絵美……」

「自分だけ除け者なんだって顔しないでよ。そうだね、ついでだから言っちゃうけど」

 絵美の人差し指が縦に真っ直ぐ上がる。

「今日悪魔の謎に踏み込めたのは、夏帆あってこそなんだよ。お手柄」

「え?」

 勘違いだ。夏帆は慌てて説明する。

「私は何の役にも立ってない。アドス達の住処に来れたのが、自分が一番最初だなんて思ってない」

「何で?」

 本当に、絵美には分からないのだろうか。

「森には今まで沢山の人が入った筈でしょ。その中で、悪魔の住処に気付いた人が居ない方がおかしいよ」

「言ったじゃん。アドスは、洞窟の在処を魔力で隠してたんだ」

「そうだけど、私みたいにここまで連れて来られた人だって、きっと居るんだよ……」

 アドス達に、夏帆だけ特別扱いして洞窟に招き入れる理由などあるとは思えない。だとしたら、他にもこうして、この場で悪魔についての真相を知り得た者が居る筈なのだ。――今まで露見されなかった所を見ると、真相を掴んだ者は悪魔に殺されたのかもしれないが。

「うーんと、つまり、夏帆は前進はしてないって言いたいのかな」

「うん……」

「ふうん」

 絵美は首を鳴らし、腰に両手をあてた。

「ちょっとくらい自惚れても良いのに。まあいいか。とりあえず、あたしがやりたい用を済ませたら、ここから無事に出よっ」

 その自信は何処から来るのだろうか。けれど同時に、夏帆は友人の変わらない笑顔にホッとしていた。

「さて、喋って良いかな」

「アドス様、あたしがコイツの口を――」

 再びアテナが絵美に攻撃を仕掛けようとしたが、それは横から伸びた手で簡単に遮られた。

「何もしなくて良い。お前はティド達の介抱に向かえ」

「どうしてこんな娘達を野放しにしておくんです!? 話をする余地だってない筈じゃないですか! このままじゃ……」

 アテナは歯を食い縛る。彼女の遣りきれない思いは、拳に留めておくしかないようだった。

「俺には俺の考えがあるんだ。頼む、分かってくれ」

 彼の口調は堂々としたものだが、懇願の色が窺える。アテナは暫し下を向いて立ち尽くした。

「……わからないですよ、全然」

 やがてアテナが夏帆達に背中を向け、倒れている仲間二人の元へ駆け寄った。絵美は平然とその光景を見つめている。

「今度こそ質問始めちゃって良い?」

「粗方の事は夏帆に話してあるが」

「そ? でわ、夏帆と同じ質問が出ても怒らないでね」

 絵美はにっと笑ってから、すぐさま妖艶な笑みに切り替わる。

「まずは名前。アテナに、ティドに、ティア――夏帆さんよ、この発音聴いて気付く事ない?」

「え、私?」

 自分にいきなり向けられると思ってなかった夏帆は、内心おどおどしながら必死に考えを巡らせた。

「な、何となく、似てる名前だなって思った」

「だね。それじゃ彼らに加えて、もう一度神様の名も言ってみようか」

「神様ってアドス・ティアナ――あ!」

 夏帆は絵美の質問の意図に思い至る。これは、すぐに気付くべき事だった。

「悪魔全員の名前は、ティアナ教の神様からもじっている?」

「正解〜」

 絵美は嬉しそうに夏帆の頭を撫でる。アドスが何も言わないのは、肯定と取って良いのだろうか。

「アンタらも馬鹿じゃないだろうし、何も考えずに名前を付けた訳じゃないだろうね」

「…………」

 アドスはあくまで口を引き結んだままだ。

「――目印みたいなのが欲しかったのかな。だから、アンタだけ『アドス』と正式な名前を使う事にした」

「正式って……何で?」

 夏帆は意味もなく不安になって絵美に問い掛ける。

「あのね、夏帆。あたしはコイツとティアナ教の神の名前が一致しているのは、偶然じゃないと思ってる」

 一瞬意味が解らなくて夏帆は呆然となる。絵美がそれを言うのは予想外の事だった。

「そんな……だって絵美も言っていたじゃない。神様は『無』の存在だって」

「こんなのが神だなんてあたしも思ってないよ。ただ、光の世界の王とも言える存在の神の名前を、どうしてわざわざ悪魔が使うのか、まともに考えても読めない」

 だからそんな結論に至ったというのだろうか。理解しても、信じられなかった。

「まあ教典とアドスの繋がりはどうでも良いの。言いたいのは、コイツが正真正銘、悪魔の親玉なんだろうねって事」

 アドスは腕を組んで答える。

「何とも言えないな。俺は手下を仕えさせてはいるが、全ての悪魔と意志疎通出来る訳じゃない」

「だろうね。隠れ住んでる所を見ると、魔光界に降りて来たのは本意じゃない。つまり、分かり合えない仲間も居たから、十一年前の騒動をアンタは止められなかった」

 夏帆は密かに唇を噛み締める。おそらくこの場で唯一当時を知らない者だが、想像だけで胸に来るものがあった。

「あ、あとさ。あたし達が悪魔探索にここを選んだ理由は解る?」

「空から探索するのを生業なりわいとする魔女の事だ。この森に悪魔があまりに集中している光景を、奇妙だと思ったんだろう」

「マトモな受け答えをしてきてくれるようになって嬉しいな」 

 絵美が言うのを聞いて、成程、アドスは相槌を打つ時と黙りこくる時があると気付く。

 彼は言った。

「それで、お前は何を感じた?」

「ただの予想だけどさ」

 前置きし、絵美は凛となって答える。 

「君らはここで、何かを護ってるでしょう?」

「まもる?」

 夏帆は、それはアドス達が同じ仲間を保護していると解釈しかけていたが、そうではなかった。

「アンタは自分を護ろうと必死になって、口が利けるアテナちゃん達はその意思を汲んでいる。違う?」

 自分を護る――アドスが?

 彼は手下を使う事が出来る程の実力者というイメージがある為、自己防衛に躍起になる彼というのは、やや想像しにくい。

(でも、もしそうなんだとしたら、アドスは何かに怯えていることになる……) 

 夏帆はアドスを見つめる。彼と目が合う。 

「ここに悪魔の数が多い理由が、守護する対象があるせいだと言いたいのは解った。だが、その対象を俺に置き換えられると、どうして断言出来る?」

「仲間を護る為に仲間を寄せ集めてるなら、波菜が無事でいられる筈がないからだよ」

 アドスは誰の事を言っているのか解らず、眉を顰める。

「どうして波菜の名前が出てくるの?」

「夏帆は不思議に思わなかった? シリスの森の中で、ひっそりと暮らせる波菜を。彼女が悪魔の縄張りを汚しても襲われないのには、理由があるんだよ。ね?」

 絵美はアドスに可愛らしく言ってみる。それに相槌はなかった。

 構わず絵美は続ける。

「知ってるでしょ。森にある一軒家と命知らずの女の子」

「翠の瞳の、あの少女か」

 アドスは波菜を見た事があるようだ。夏帆も、波菜と初対面した時にその綺麗な瞳に射抜かれた。

「そう。森に勝手に家建てて、悪魔に襲って下さいと言わんばかりの環境下なのに、肝心の悪魔は一匹も民家に近付こうとしない。シリスの森を調べようと思ったあたしの根拠はそこにある」

 ただ悪魔の数についてだけではなかったのだ。絵美は、確実な根拠を幾つも見付けた上でこの森を選んだ――。

「波菜に危険性を感じなかったから、なんて言わせないよ。波菜は、勿論あたしも。シリスの森で出くわした悪魔は何度か退治してる……悪魔にとっての危険人物だよ。まるっきり。それでも波菜が放って置かれるって事は、アンタに仲間の保護以外の目的があるとしか考えられないでしょう」

「……アドス」 

 夏帆は絵美の話を聞いて、確信を持った。彼は何かを隠している。夏帆が真に訊きたい事は終わっていなかった。ここからなのだと思った。

 アドスが小さく呟く。

「他の、目的ね」

「…………」

 アテナはしゃがんで仲間を介抱している最中だったが、ふと手の動きを止める。

 彼らがシリスの森で隠そうとしているもの。

 護ろうとしている者。

 ティアナ教の神、アドス・ティアナと同じ名前――

「察しの通り」 

 彼は、どうして誤魔化す態度を見せないのだろうか。

「俺は悪魔を統一する立場であり、今までこの薄暗い洞窟に閉じ籠っていた。護る為に悪魔達を呼び寄せた訳じゃない。護らせる為に、集めた。すべては――」

 どうして、真っ直ぐにこちらを見てくれるのだろうか。そのせいで、夏帆は恐ろしいと思いながらも、最初から彼を『人』としてでしか捉えられなかった。 

「俺が、光と闇の架橋を掛けたからだ」



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