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第二十二話

      Ⅸ


「ん、ん……っ」

 彼女を目覚めさせたのは、朝陽による刺激ではなく、冷たい触覚によるものだった。皮膚に容赦なく当たるそれは、目を開けたばかりの少女の身体を身震いさせる。

 夏帆はいきなりの寒さに驚いて、勢いに任せるまま上体を起こす。咄嗟に目を向けた正面は、真っ暗で何も見えない。瞬きを繰り返しじっと視線を正面で定めていると、だんだんと今居るこの場所が何処なのかを理解する。

 洞窟だ。丸い空洞になっている。つまり、ついさっきまで突っ伏していたのはベッドでも床でもなく、冷えた土の上同然だったのだ。

(私、どうしてここに居るんだっけ……?)

 頭で考える余裕が出来ると、夏帆は手を口元に当てて状況整理をする。

「……『覚悟』」

 一番最初に思い出した単語にしては簡潔過ぎる。意味は分かっているが覚悟とは何の事だろう。

(違う。私は花畑で絵美を待ってて)

 確かその後は――

 記憶の覚醒を終える前に、複数の足音が夏帆の耳を劈いた。

(!)

 夏帆は真っ暗闇の向こうで視線を止めたまま固まる。何かがこちらに近付いて来る。洞窟の中のせいだからか、足音はコツコツと小気味良い音ではなく、ペタペタと気持ちの悪い音が鳴っているようだ。冷たい土にうつ伏せになっていた時の震えとはまた違った意味の震えが夏帆を襲う。

(何なの?)

 一人は怖い。絵美も美恵花もエクスシアも、波菜も居ない。記憶を失ってからこれまでに、夏帆が出会った相手といえば善良な人間が多く、恐怖の対象となる人物が彼女の前には現れなかった。そのせいか夏帆が警戒心を張った相手と言えば悪魔だけで、突然の敵の襲来には未だ慣れていないのだ。

(絵美やティアさん? でも、何だか違う気がする……)

 刻一刻と近付いて来る足音。このまま時間が止まってしまえば良いのに。

 夏帆は恐怖で押し潰されそうになる心を守るように、胸の前で両手をぎゅっと握った。

「あーら起きちゃったの?」

 今度は高い女性の声が狭い洞窟内に響く。すくなくとも夏帆の既知の人物ではないようだ。

 奇妙な足音がそこで止まる。闇の中で、薄っすらと人の形を成す輪郭が見えて来る。現れたのは一人ではない。二人だ。

「まあ、普通寝たら次は起きるよな」

 もう一人は多分、青年の声だ。

「永き夢に一生閉じ込めても良かったんだけど、あるじはお優しいから」

「ある……じ?」

 不可解な言葉に反応して夏帆がつい声に出すと、女性らしき方の人影が腰に手を当てて彼女を一直線に捉えた。

「こんにちは。侵入者のお嬢さん」

「…………」

 つい最近、何処かで似たような呼称を付けられた気がする。

「分かってると思うけど、おねんねの時間はお終い。貴女を連れて来るようにと、主に言われているの」

「え、え? ちょっと待って下さい」

 言い返せる程に意識がはっきりしてくると、夏帆は立ち上がろうとした――が、起きたばかりのせいですぐによろけて重心をかけるのに失敗した。

「わっ」

 顔から地面に倒れると思ったが、青年らしき影が転倒しそうになる夏帆の肩に手を添え、寸での所で支えてくれる。

「あ、ありがとう」

 見も知らぬ相手で顔も窺えないが、夏帆は無意識に青年に礼を言う。すると青年の方は何故かとんちんかんな反応を見せた。

「ふーん。人間でも、お礼の言葉くらいはちゃんと言えるんだな」

「へ?」

 当たり前のように思えるが。助けて貰って怒る人はきっと少ない。

 夏帆は首を傾げていると、自分を支えて貰ったまま青年がそのまま動かない事に気が付いた。

「? あの、離し――」

「アテナ、早くそっち持てよ」

「わぁかってるわよ」

「え?」

 青年が夏帆の脇から背中に腕を回し、同じく女性も彼女の背に腕を回した。

「さ、行くわよ」

「――っ!」

 女性と青年が踵を返すと夏帆は後ろ向きで彼らに引きずられて行く体勢になる。向かうが先は恐れていた暗闇の奥。掴まれる腕には妙に力がこめられ、身動きが取れない。

「ど、何処行くんですか!?」

「だから、あたし達の主の所よ」

「主って誰ですか?」

「名はそう易々と教えられるようなもんじゃないなあ。何たって俺達が『主』と呼ぶぐらいの御方だから」

 歩かせてくれないので、夏帆のブーツの踵が地面に強く擦られる羽目となる。このままでは擦れ過ぎて穴が開いてしまう。

「自分で歩けます。離して」

「逃げられちゃ困るから」

「ブーツがこすれて……」

「それくらい良いじゃん」

「駄目です。人から貰った物なんです」

 ブーツはロクな服を持ち合わせていなかった夏帆に、絵美が用意してくれた物の一つだ。靴とは言っても薄い皮で、傷などこれからいくらでも付いてしまうだろう。だからこそ大事にしたい。

 ちなみに夏帆は真剣のつもりで言ったのだが、それを聞いて、彼女を雁字搦めにする二人は呆気らかんとなる。

(あれ?)

 貧乏くさいと思われたのだろうか。だが本当の事だ。

 女性の方が表情を不快に歪め、ため息をつく。

「何か気勢を削がれた気分ね。心配なのはそこかってカンジ」

「こういうタイプはやり辛いかもな、アイツも」

 アイツとは誰の事だろう。夏帆はおかしな事を言ってしまっただろうか。

「まあ引き摺って行くのは俺も面倒臭いし、逃げないなら良いよ」

 と、青年は夏帆から腕を離した。

「ちょっとティド。何してるのよ」

「だって歩かせた方が早く着くじゃん。それに、この子が逃げても逃げなくても俺らにとっちゃ大して変わんないだろ」

「ま、そりゃそうね」

 意外に素直に二人共離してくれた。夏帆は突然支えを失って、また少しよろける。

「でも、逃げられたらそれはそれで面倒臭いのは確かだから……逃げないようにな? 嬢ちゃん」

「は、はい」

 夏帆は何とかして彼らを撒こうと考えるのを止めた。前方と後方、どちらに向かえば外に出られるのかも分からないのだ。森ならともかく狭い洞窟では迂闊に動けない。

 彼らの主という者に会うのは怖いが、どうして夏帆がこんな所で眠っていたのか、訊いても教えてくれる様子ではなさそうだ。これは前に進むしかない。

「それじゃ、主の所へご案内しましょう」

 青年の妖艶な笑みが夏帆の肝をぞくりと冷やした。駄目だ。やっぱり怖い。

 内心落ち着かない状態で夏帆は前方の二人の背中を追い、闇の奥へ奥へと進む。この先に待ち受けているものは一体何であろうか。

(後で絵美達と合流出来ると良いんだけど……)

 それはおそらく僅かな可能性だ。この洞窟から無事に脱出出来るかも怪しいだろう。――実際、洞窟なのかどうかも自信がない。

 ここで分かるのは二人程度しか並んで歩けないくらい横幅が狭い事と、天井が低い事だ。頭がぶつかりはしないかと不安になるが、夏帆より背の高い青年が屈まず平然と歩いているから、思ったよりは低くないのだろう。

 本当に、輪郭以外は暗いと何も見えないのだ。実は、今一緒に行動している二人の顔すら分からないままだった。声を出してくれなかったら男と女の判別もつかなかったかもしれない。

 謎には不安しかない。早くこんな怖い洞窟から抜け出し、日光の下に出たい。出来れば彼らの主は外に居ると良い、などと希望的観測をしてみたい衝動にさえ駆られる。

 そんな夏帆の一途な思いが通じたのか、黒一色に塗り込められていた洞窟内に、黄色い色が差し込んだ。

 夏帆は視界の先に突然現れた黄色に吃驚して、奥の方に目を凝らした。だがそれは、差し込まれたというよりは、洞窟の中で留まっている明かりだった。黄色にも見えるし、赤にも見える。動きは不自然に揺らめいている。

(もしかして炎……灯火?) 

 明かりの正体は実際に目で確かめるまでもない。――洞窟の中で揺らめく仄かな明かり、おそらく松明だ。

「さて、主と会う前に一つ忠告しておきたいんだけど」

「え? は、はい」

 ではあの明かりの元に『主』が居るという事だろうか。夏帆は女性の声に耳を傾ける。

 明るい方に近付いて行っているお陰で、肩越しに振り返る女性の真剣な面持ちが見て取れるようになった。

「主に変な気を持たないでね」

「え」

 今何を言われたのか、ちょっと理解出来なかった。そして何故か女性の隣を歩く青年の方がぶはっと吹き出した。

「あの、変な気って何ですか?」

「分からないなら結構よ」

 良いのか。

 夏帆には彼女の忠告の意味が本気で解らない。ちなみに青年は二人の少女の遣り取りを聞きながら、肩と背中を震わせていた。

(何なんだろう。変な気って……魔力と何か関係あるのかな)

 宗教や悪魔だけでなく、魔力についても色々調べる必要がありそうだ。何と言っても夏帆には知識が無さ過ぎる。

 青年が横槍を入れた。

「……ぶ、ふふ。何だよアテナ。人間相手に対抗心燃やしてどうすんだよ」

「ね、念の為よ! 深い意味なんてないわ」

「あっそ」

 夏帆には対抗心を持たれるような態度を取った覚えはないし、青年の口元が愉快気に引き攣っている理由も思い至らない。遠まわしな表現の全てに注釈を付けて欲しいと思うのは、自分の理解力が薄いせいなのかと思うと少し落ち込む。

 せっかく貰った忠告の意味も理解出来ないまま、やがて、狭い細道から広くて丸い空間に出た。

 足元には、組んだ木を縄で固定した円錐形の松明が一つ置かれており、そのまた奥にも二つ程置かれているのが分かった。

 だがその前に、夏帆が目に留めたのは、空間の真ん中に居る人影だった。

 主と言うから、てっきりさぞ立派な椅子に座っているのを想像していたのだが、その中央に身を置く者は何の変哲もない岩の上に腰を落ち着けていた。

 中央は松明に囲まれているカタチになる為、岩に座る者の姿ははっきりと見える。風貌は夏帆から見れば綺麗の分類に入り、男女の区別はつかない。腕も足も組んだ態勢のまま、落ち着いた雰囲気を纏って眼を閉じている。全体的に黒っぽく見えるのは、髪色も羽織っている外套も暗い色であるからだろう。明かるい空間とはいえ照らしているのは赤い炎なので、確かな色は分からない――そのせいだった。夏帆がすぐに気付く事が出来なかったのは。

 その者を女性と青年の間から真正面に捉え、思わず目を見張った。

 髪だけではない。外套だけではない。

 頬も、黒い。

「来たか」

 いきなり唇が動いたのを見て、夏帆はびくっと肩を震わせた。声は低くて幼さが残るが、おそらく男だ。〝彼〟の目がゆっくり開かれると、その瞳には、炎を映しているのだと錯覚させられる程の赤を宿していた。

 彼は低く手を上げて、女性と青年に呼び掛ける。

「アテナ、ティド。後ろに下がれ」

「はっ」

 返事をしたのは女性の方だけだったが、とりあえず二人共恭しくお辞儀をして夏帆の後ろに移動した。すると夏帆と彼の間には壁となるものが無くなり、二人の視線が一直線に繋がれる。

 彼の赤い瞳をじっと見返していく内に、曖昧だった記憶が元あった場所へと収束される。

(黒い頬……何処かで見て……私は)

 花畑に着いてすぐ、夏帆は確か――

(私はこの人に会ったんだ)

 思い出した。彼が突然夏帆の目の前に現れ、そのまま彼女は気を失ってしまったのだ。

 しかし何故夏帆が気を失ったのか。どうして花畑から洞窟に移動しているのか。

「あ、貴方が、私をここに連れて来たの?」

 湧き上がる疑問をもう抑え切る事が出来ずに質問する。彼は岩から腰を浮かせて立ち上がり、ゆっくりと頷いて肯定を示した。

「どうして? 貴方は、一体何なの?」

「〝貴方達〟が正しいと思うが」

「え……」

 夏帆は咄嗟に後ろを振り返って、女性と青年の顔を改めて見つめた。

 彼らも、頬が黒い。暗闇の中では肌の色など分からなかったのに、この灯火の空間では、闇の中で知り得る事が出来なかった全てを浮き彫りにする。――夏帆が頬の色に驚いたのは、ごく普通の白い肌と比べたからではない。黒い肌が、『ヒトには成り得ない生き物』を象徴すると知っていたからだ。

 夏帆は何に捕まって、何に囲まれているのかをようやっと理解する。

「貴方達は」

 けれど、どうして。

 頭の中で起きる矛盾が訴える。

「――悪魔?」

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