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第十九話

 歩き辛い。

 妖魔の森も自然真っ盛りではあったが、シリスの森よりは人の通る道が出来ていた。地面で土を覆うのが雑草より石の方が多いくらいだったからだろう。

 しかしシリスの森ははっきり言って緑以外の色を忘れる程、目の前が新緑しかない。夏帆が初めてシリスの森の入り口を見た時は、幻想的でロマンチックな想像さえ自分の中で創り出したものだった。しかし実際に中に入ると大変としか言い様がない。これでも日当たりは晴天のお陰で良好なのだろうが、それでも視界が緑を通り越して見事に青である。青臭さがない方が逆に不思議なくらいだ。

 とりあえず、膝上まであるブーツで良かった。足首に草がチクチク当たりながら進むのは御免である。

 頭の中で自然の中を進む大変さに落ち込む夏帆であったが――相棒は元気だった。

「夏帆よ、もうすぐだよー」

「ま、待ってえぇ……」

 我ながら、心なしか声が小さくなっているのが分かる。夏帆は呼吸と足を動かすのと、迫り来る草むらを手で掻き分けるだけで精一杯になってきて、走る程の余力がない。

 ところで今、絵美が言った『もうすぐ』の言葉は果たして信用して良いのだろうか。夏帆は荒い呼吸を落ち着ける。

「絵美は、悪魔の住処が何処にあるのか知ってるの?」

「まあ半分勘だけど」

 飛び跳ねるように進んでいた絵美がその場で立ち止まって夏帆を振り返る。

「シリスの森の悪魔は数が多過ぎる。次いで、昼夜構わず出没するんだ。これって奇妙しいと思わない?」

 言われて、改めて考える。シリスの森では時間帯関係なく悪魔が出てくるのに、妖魔の森では夜にしか悪魔は現れない。夏帆は今まで、その事をあまり重要視していなかったが、確かに奇妙だ。日に当たるのが平気なのと、日に当たるのが苦手なのと分かれているのだろうか。いや、それでは悪魔が出没する時間帯が決定的である理由にはならない。

 ティアナ教徒の処刑については文献以上の情報を得る手段が思い付かなかったので、とりあえず、『悪魔がどうして世界に現れたのか』を調べる為、手始めにシリスの森に来てみたが――何だか分からなくなってきた。

「つまり?」

 夏帆は耐えかねて、素直に質問する事にした。絵美が得意気な笑顔を見せる。

「分かる事から推理してみるしかないってコト。そこから推測出来る答えは、多分一つだ」

 森がざわざわと揺れ、絵美は風で流されそうになる髪を優しく手で抑えた。そしてふっと笑う。

「悪魔はシリスの森を拠点に動いてるんじゃないのかなって。あくまで、あたしの予想」

 彼女の笑みは勝ち誇ったものにも見える。予想と言いながら、自信があるのは確かな気がする。夏帆は彼女の洞察力に、密かに尊敬の眼差しを向けた。

「でも、他の森に拠点があるっていう可能性はないの?」

「うん。国外の森の事まではさすがに把握してないけど……ここら一帯じゃあ、昼にも悪魔の姿を見かけるのはシリスの森くらい。それは確かだよ」

 忘れていたが、絵美は見た目にそぐわず八十年以上生きている魔女だ。それだけ元気な身体で長く生きていたら、地理にも詳しくなるものなのだろう。

 夏帆は自分と正反対で博識の絵美に対し、羨望の思いが生まれつつあった。

「悪魔は空から降って来てから『ドラディス』に帰ってない。だったら、この地上に住処ぐらいあると思うんだ。波菜もあたしも前々からその事には気付いてたんだけど、悪魔と遭遇するのが嫌だったから、今の今まで森の奥だけは行った事なかったの」

 絵美は話しながら、突然手近な木に登ろうと枝に足をかけた。夏帆はそんな彼女の背中を目で追う。

「じゃあ、私達が目指すのは」

「そう。この森の奥ふかーく。そんな訳で、ここまで来るとあたしも道が分かりません」

 絵美は慣れた手付き足付きで木に登り、高い位置から森の様子を一望しようとする。右手で庇を作って、あちこちを眺め始める。

 絵美がそうしている間、夏帆はふと、波菜の事を思い出した。彼女の顔を頭に思い浮かべると胸が熱くなって、服の胸元の部分をぎゅっと握り締めたくなった。

 ――黙っているのも後で変に思われるだろう。せめて今、言っておこう。

「あ、あのね、絵美。こんな時になんだけど……」

「うーん?」

 いつの間にか蛙のような座り方になっていた絵美が、生返事をしてからこちらを振り向いた。

「私、やっぱり、波菜に構うのは止めようと思うんだ」

 少しだけ絵美が驚いたような顔をする。そのまま、じっと夏帆に焦点を当てたまま動かなくなった。

「友達になりたいんじゃなかったっけ」

「考えたんだ。波菜は、私の顔なんかもう二度と見たくないと思う。それを判ってて、また波菜に近付くのも変でしょ」

 夏帆は弱い。波菜に受けた扱いが芳しくないものだったのが理由ではなく、夏帆自身が彼女を何度も傷付けたからだ。その過去の上にまた黒いものを塗り込めてしまえる程、夏帆は無神経ではないし、新たに重く圧し掛かるかもしれない罪悪に耐えられるとも思えなかった。――悪魔やティアナ教徒について調べるのが、必ず波菜の為になるとは限らないのだ。

「これ以上、波菜に嫌われたくないし」

「……そっか」

 それ以上は言及せずに絵美は大人しく夏帆の言い分に頷いた。

「でも、夏帆の方は波菜を嫌いにならないんだね」

「え?」

 いきなり返された言葉に夏帆は首を傾げる。

「どうして嫌いになるの?」

「え、疑問持つトコロ?」

「波菜に酷い事したのは私。でも、波菜は私に酷い事はしてないよ」

「冷淡な態度とか……その点は無視?」

「だって、態度は絵美に対しても私に対しても同じでしょう。だから波菜は誰にでもああなんだっていう事ぐらい、分かる。それで嫌いになったりは多分しないと思うけど……」

 何処か奇妙しいだろうか。夏帆は正直に理由を述べてみたが、絵美はキョトンとしている。

「夏帆は、欠点を個性と思うタイプか」

「欠点なの?」

「いや、欠点を欠点だと気付かないんだ」

 肩を震わせて愉快気に笑う理由を出来れば教えて欲しい。

 夏帆は波菜が人によって態度を変えず、誰にでも平等に接してくれるのが長所だと言いたかったのだが、上手く伝えられなかったようだ。

「ふふ。まあいいや。良いトコで非常識だね、夏帆は」

「ん?」

 今のは褒められたのかよく分からない。絵美が謎の科白を言い捨てて木から飛び降り、先に進んで行く。

 ところで、今気付いた事がある。

「絵美。お弁当は何処にあるの?」

 出発前に、美恵花の所に行って弁当を調達して来ると言った絵美は一度、夏帆を待たせている。しかし、ある筈の弁当が見当たらない。

 すると、絵美の右足が前方に着地する前に後ろに戻って、ピタリと止まる。

「忘れちった」

 手持ち無沙汰な右手をじっくり見つめている。見つめたって忘れ物は出てこない。とは思うが、絵美は魔女だ。もしかしたら夏帆にとって有り得ない事も魔法でちょちょちょいかもしれない。夏帆は思わず絵美の右手を凝視する。さあ、ランチは現れるか。

 ――勿論、出る訳がなかった。

「ごっめん。チーズならあるから食べる?」

「う、うん」

 些細な願いが小さな音を立てて打ち砕かれ、夏帆は少し残念な気分になった。

 絵美は腰に括り付けていた巾着袋の中から布に包まれた何かを取り出す。布をひろげるとチーズの欠片がころころと転がった。

「非常食という余りもので良ければ」

「頂きます」

 夏帆達はその場にしゃがんで一旦、休憩する事にした。チーズを手渡された時点で無意識に食欲が込み上げてくる。食べられると分かると無視していた腹の虫の音が耳に響く。夏帆は嬉々として、唯一の食料に嚙み付いた。

 濃い味が、口の中に広がる。チーズは好きだ。

「美味しい。絵美、ありが――」

 とその時、大事に手に収めていたチーズが、横から伸びる謎の腕に掻っ攫われる。

「…………」

 腕はチーズを掴むと草むらの中に音を立てて引っ込んで行った。どう考えても絵美ではない。彼女の居る位置と腕が伸びてきた方向が逆だ。何と言うか、浅黒かった。

「欠片ならまだまだいっぱいあるよーん」

「きゃああッ!」

 あまりに突然な事に、夏帆は座ったまま肩だけを飛び上がらせて叫び声を上げた。一緒に絵美も肩をビクッと動かした。

「な、何?」

「チ、チーズが盗られ……しょ、触手に!」

 驚き過ぎてパニックに陥り上手く説明出来ない。

「とにかく落ち着いて。――まさか、もう奥まで来ちゃってた? あたし達」

 特に取り乱す様子ない絵美の呟きを皮切りに、夏帆の背後の草むらが勢いよく揺れた。

 草むらの裏に隠れていた者が姿を現す。夏帆はそれを見て目を見開いた。

「早いご登場で何より」

 余裕な笑みを見せる絵美だが、声音は明らかに無理をしているのが分かる。茂みから現れたのは、人にはなり得ない生き物。

(何、これ……)

 夏帆は目の前にいる生き物をじっと見つめる。否、視線を逸らせない程、身体が金縛りに遭ったように恐怖で固まって動けなかった。

 角だと見紛うぐらい高い位置についた尖った耳。酷く眉根を寄せてこちらを睨む眼光。開けた口から長く赤い舌が飛び出て、今にも夏帆を喰らいそうな勢いだ。

 これは人ではない。衣服のようなものは当然身に着けておらず、蜥蜴に似た短い尻尾を揺らし、全身が赤で染まった身体がそこに立つ。それが何者なのか考えたくもない。――これが、悪魔なのだ。

 ザリ、と悪魔の足が一歩を踏んだ。

「……ひっ!」

 夏帆は反射的に後退した。

 怖い。怖い。彼らを目の当たりする事を覚悟していたつもりが、いざ実物を見ると恐怖で震えてしまう。我知らず涙が出てきて、今すぐ逃げ出したくなった。己の情けなさを頭で自覚して、余計に涙腺が緩む。

(駄目。来ないで)

 だがそれに逆らうように、悪魔が夏帆に近付いて来る。

(厭……止めて。厭)

 呼吸が止まる。

「夏帆!」

「!」

 絵美に呼び掛けられ、夏帆はハッとなった。

 そうだ。動揺してはいけない、震えてる場合ではない。夏帆は心配そうに見つめる絵美に大丈夫と頷き返して、悪魔を一直線に見据えた。

 じりじりと間合いを詰めて来る悪魔に、夏帆は少し仰け反る態勢になる。ここまで来たら立ち向かうくらいが丁度良いかもしれない。覚悟を見せ付ける時だ。

(焦らないで。……怯えるな)

 そっと自分に言い聞かせ、きゅっと口を結んだ。

「ぐがあああっ!」

 悪魔が雄叫びのような声を上げ、腕を振り上げ鋭い爪を突き付ける。――ここで、夏帆が何かしら身を守る物を持っていれば良かったのだ。だがその肝心の装備は何一つなく、丸腰の状態だった。

「あ!? ひえ!」

 盾すら持ってない事に遅れて気付き、夏帆は顔の前で腕を交差させて目を瞑った。

「危ない!」

 そこに絵美が持っていたホウキを丁度悪魔の手前で投げ付ける。悪魔は爪による攻撃をホウキの柄によって防がれた。

 地面にホウキが落ちる音を聞いて、夏帆がそっと目を開けると、悪魔の焦点が絵美に定められている。

「え、絵美。気を付けて」

「あたしなら大丈夫。一匹くらいならやれるか……ら?」

 絵美の語尾の音が不穏に裏返る。

 周りを見渡すといつの間にか、夏帆達は数匹の悪魔に囲まれていた。

「!」

 夏帆は声を失う。

「ふーん。どうやら未知の領域に辿り着いたのは確かのようで」

 葉擦れの音と絵美の声、そして悪魔達が身じろぎする音が空気を凍らせた。

 絵美が言っていた所に拠ると、この森に住んでいる波菜でさえ悪魔と遭遇する時は、一匹か二匹を相手にする程度だったという。今、夏帆の前に居る悪魔は数えて――七だ。

「こんなに、沢山……?」

「あたしから離れないで」

 立っているのもやっとだという夏帆の腕を支えて、絵美は背に彼女を隠す。突然の遭遇で悪魔達を見渡す余裕すらない。

(どうしよう。どうしよう)

 心臓が不安で高鳴る。一匹ずつ相手をすると思っていた夏帆は、十にも満たない数とはいえ、悪魔の圧倒的な数に対して再び恐怖が蘇った。縋るような視線を絵美に向けざるを得ない。

「絵美……」

「怖いなら目を瞑っていると良い」

 強気な声が返される。いつもの夏帆ならそのような態度に怯える所だが、今は悪魔に対する恐怖の方が余程大きい。ほんの少し、胸に抱く不安の重みが絵美の頼もしい言葉で軽くなった気がした。

 ザリ、と悪魔達はこちらまでの間合いを狭める。取り囲まれ、絶体絶命とも言い切れるこの状況で、絵美に策はあるのだろうか。

 夏帆は絵美の背中に身を隠しながら、もう一度彼女の顔を覗き見る。すると、夏帆でなく絵美の方が目を瞑っているのが分かった。

「?」

 しかし目は閉じているが、彼女の唇は微かに動いている。声は小さ過ぎて聞き取れない。かろうじて拾えた絵美の声は、夏帆には分からない言語だった。

(言語……違う、これは)

「――覚醒アウェアネス

(呪文?)

 突然、絵美が腕を前に伸ばし、手のひらを悪魔の集団に向けた。

「?」

 悪魔が彼女の手を訝しんで足を止める。次の瞬間、


 ドオン!


 膨大な光が辺りを包み込み、そこに居る者全員の視界を奪った。夏帆は目を細めた状態で絵美の背中を捉える。光は、彼女の手から放たれた。

「!?」

「なっ……」

 短く大きな音が鳴ったと思うと、今、この空間だけの時が止まっていたかのような錯覚に襲われる。絵美はその場に留まったまま動かない。そして悪魔も、彼女を目の前にして動きを停止させていた。

(……何が)

 波菜が持っていたタロットも発動される時、光を作り出していた。だが絵美の手のひらから放たれた光は〝光る〟どころではない。それはまるで、大砲から弾丸が発射されるような威力。

 バタリ、と悪魔が地面に沈んだのはその時だった。四匹の悪魔達はいずれも身体は真っ黒だ。

(コゲている?)

 最初から身体が黒かった悪魔を見てもそんな事は分からないが、黒みよりも赤みが強い悪魔を見ると身体にコゲ目が付いてるのが見て取れた。しかし、それよりも、数が足りない。

「七匹居たと思ったんだけど……」

 倒れたのは四匹。では残りは何処へ?

「消えたんじゃない?」

「え?」

 倒れた悪魔から視線を上げると、絵美が腕をゆっくりと下ろしている所だった。

「今のあたしの光魔法で命中したのはうち三匹。だからその四匹は命中はせずともそれなりに攻撃は当たってくれた、ってとこかな」

 手に付着した汚れでも払うように、パンパンと両手を叩き合わせる仕草に迷いはない。

 光、魔法、命中。攻撃を直接に食らわなかった悪魔ですら全身に火傷を覆う程だ。では、直接食らった悪魔は――

 消える、悪魔、闇、光。消滅。

 まるで無意味な言葉が頭の中を回る。本当に恐れるものは何か。夏帆はこの世で悪魔を狩る者が居る事を知っていたではないか。

「これが、魔女の力?」

 声が少し震えたかもしれない。

 こうやって、少しずつ、悪魔は世界から消えて行く。消えてくれる。

 次に見た絵美の顔には、いつも通りの気の抜けた笑みが戻って来ていた。



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