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第十三話

 街から出てすぐに山裾がある。そこの上り坂になっている斜面を歩くと、そのまま森に入る。

 丁度丘に差し掛かった時、ある一軒家が見えてきた。

 森に囲まれながら、ポツンと佇む家。赤い屋根に煉瓦の壁。長方形の大きな窓が横から見る限りでは四窓設置され、白いベンチが玄関のドアのすぐ傍に置かれている。

 見覚えがある筈の場所なのに、一日経ってしまえば忘れてしまうものなのだろうか。昨日もここに来た筈なのに、夏帆は初めて来た様な感覚だった。

(あれ?)

 玄関前まで来た時に、夏帆はふと思い出す。自分の事ばかり考えていたせいで、失念していた。

「ねえ、絵美」

「うん? 入りづらい?」

「そうじゃなくて、波菜のお父さんやお母さんには会ってないなーって思って……」

「!」

 夏帆の疑問に絵美は目を見開いた。彼女の表情を見て、夏帆はしまったとばかりに両手で口を覆った。

「ご、ごめん。これは訊いちゃいけない?」

「あ、えっと。まあ……うん」

 何と説明して良いか解らないと言うように、絵美は口をもごもごさせた。絵美の態度から何となく察しがつく。

「亡くなってるの?」

「……うん」

 夏帆は、訊いてしまった事をすぐに後悔した。

「ごめんなさい」

「いや、あたしに言われても……そうだね。言うまでもないと思うけど、波菜の前では話題に出さない方が良いかも」

 夏帆は大人しくこくりと頷いた。気になった事は質問して良いのか悪いのか、見極めるのは難しい。

 つまりこの家には波菜しか暮らしていない事になる。家自体はそれ程大きくはなく、どちらかといえば一人で住むには丁度良いように見える。

 両親が亡くなってから一人で越して来たのだろうか。

 しかしこれ以上、亡くなった両親に関する話題を出すのは躊躇われる。夏帆は気になりつつもぐっと口を噤み、絵美に続いて波菜宅へお邪魔した。

「やっふーい。なーみーなさん。本日もお日柄良いっすねー」

 ところで絵美の口調はどうしてここまで明るくなれるのだろうか。切り替えの早さがいっそ不思議だ。

 だが心の中でそっと夏帆が絵美に感心している間にも、波菜の姿は現れなかった。

「居ないのかな?」

「でも、鍵開いてるよね?」

「そうだなー。波菜が無用心な事する訳ないし……」

 言いながら絵美は靴を脱いで床に上がる。

「か、勝手に入っちゃって大丈夫?」

「もしかしたら、波菜が捕らえられて声を上げられないのもしれない」

「ええっ!? 捕らえられてって……誰に?」

「それを今から確かめに行くのさ」

 絵美は物騒な事を言っている割には笑っている。

 どうしたものかと夏帆は右往左往してから、申し訳ないと思いながらも自分もブーツを脱いで床に上がった。

「お邪魔します」

 小声でそっと呟いてから絵美の後を追う。つい忍び足になってしまう。

 もし波菜が泥棒か何かに捕まっているとしたら、それは大変な事だ。夏帆は恐怖で心臓がばくばくと鳴るのを必死に抑えた。

 長くない廊下を歩いて行くと、一筋の明かりが見えた。明かりを辿った先には、壁に穴を開けたように吹き抜けとなっている入り口がある。ドアはない。

 明かりが点いている部屋だと気付くまで数秒の時間を有した。咄嗟に、夏帆はその部屋の中を覗いてみた。が、誰も居ない。しかし明かりが点いているとなると、出掛けてはいないように思える。

「何処に居るんだろう」

「誰をお探し?」

「だから波菜を……」

 言った傍から、背後から声を掛けられる。おそるおそる振り返った先には、腕を組んで立ち尽くす波菜が居た。

「昨日の今日で、どういうつもり?」

「え」

「不法侵入者。退治するわよ」

「ち、違う」

 夏帆は胸の前で手を振って弁解を試みる。

「何が違うのよ」

「玄関のドア開けても応答がなかったから、中で波菜が襲われてるんじゃないかと」

「へえ。心配してくれて有難う」

 波菜の口調は棒読みだ。感謝の念は籠もっていない。

「それ、貴女の判断?」

「う、ううん。絵美がそう言ったから」

「はは。やっぱりね。で、絵美は何処?」

「絵美なら……ってあれ?」

 そういえば家に上がってから絵美を追ったつもりが、いつの間にか逸れてしまった。

「何処行ったんだろう」

「……まあ、何処に居るかは大体見当付くけど」

 波菜は長い溜息をついて、踵を返す。夏帆は波菜の後ろについて歩き出した。

 外観からも解っていた事だが、この家は広いといえばそうでもないので、絵美もすぐ見付けられる筈だ。だが絵美が決まって行く場所というのを、波菜は解っているのだろうか。

 彼女を追うと、昨日も入った客間に行き着いた。中に入って、すぐ左の壁に設えられたドアを波菜が開ける。そこは流し台があるキッチンだった。

「そっか。客間とキッチンが繋がってるんだね」

 しかし波菜は夏帆の感想に対して何の返事もせず、キッチンに入った途端に立ち止まった。

「波菜?」

 危うく夏帆は波菜の背中にぶつかりそうになる。彼女は斜め下を向いて、いきなり低くはっきりした声を出した。

「やっぱりここに居たわね。ネズミ」

(ネズミ?)

 夏帆は足元をキョロキョロと見渡したが、それらしき小動物は見当たらない。しかしその代わりに――

「絵美?」

 探していた彼女が流し台の下にある棚の前でしゃがんで、丸くした背中を見せていた。何をやっている。

「や、やあ。今日は早いね」

 絵美が低く片手を上げ、若干口元を引き攣らせて笑う。

「ふっ。危なかったわ。今日は未遂ね」

「うん。良かったね、波菜」

「良かないわこのアホ娘――ッ!」


 ビリビリビリッ!


「!?」

 突然、波菜と絵美の間から黄色い光が放たれる。と同時に物凄く大きな轟音が部屋中で鳴り響いた。一瞬だが空気を裂く線が見えた気がした。

 夏帆はビクッと肩を上げて波菜の背から一歩後退る。

 やがて光が止み、波菜はいつの間にか上げていた手を下ろした。絵美の反応はない。

「今の……なあに?」

「『 ザ・タワー・オブ・デストラクション 』のカード。意味は野望の挫折」

 波菜は言って、指と指の間に挟んだ一枚のタロットの絵を夏帆に見せて掲げる。

「タ、タロット?」

「そうよ。昨日もこれで、絵美を凝らしめたのだけど、覚えてない?」

 夏帆は首を横に振った。

「私、そのカードって占いに使うだけかと思ってたんだけど……」

「あら。本来の用途は占いよ。でも、悪魔だらけの森の中で暮らすには武器も必要なのよ。私のタロットの場合、占いカードにも攻撃カードにも成り得る」

 さっきの光もタロットから出されたらしい。

「と、ところで絵美は大丈夫なの?」

「問題無用。電撃ごときでくたばるくらいなら友人やってないわよ」

「電撃、だったんだ……」

 夏帆は洗面台の方を覗き見る。棚の前に、うつ伏せになって倒れている絵美の帽子から、何故か黒い煙らしきものが出ていた。本当に大丈夫か。

 とりあえず波菜の友人になる為には相当の努力が必要だという事は解った。昨日も感じた事だが、彼女は恐ろしい。恐怖によるものか、寒くもないのに身体が震えてしまいそうだ。

「ん? でも、昨日は電撃の音じゃなくて何か……叩くような音だったよ?」

「攻撃可能なのはこのカードだけじゃないわ」

 昨日使ったカードの方まで見せるのが億劫なのか、波菜はあっさり懐にタロットを仕舞った。彼女は夏帆の前を通り過ぎて、キッチンから出て行く。

 残された夏帆は、放って置く訳にもいかずに倒れている絵美を抱き起こした。

 絵美の黒い上着は所々破れており、白いスカートも黒ずんでいる。

 そういえば昨日波菜にやられた時は何ともなかったのだろうか。と思っていたのもつかの間、夏帆は彼女の後頭部の小さなタンコブを発見した。ちゃんと昨日の分の怪我は残っていたようだ。

(波菜、容赦ないなあ)

 夏帆は苦笑してから、絵美を揺さぶり起こす。

「絵美、平気? 何処か怪我してない?」

「う、う~~ん……まあ多少は」

 起きていたようだ。目は薄っすらとしているが、意識は正常らしい。

「よかった。ところで絵美はここで何してたの?」

「おやつ物色」

「……家主の許可は?」

「あったら電撃喰らってない」

 夏帆は心の中で、絵美の度胸に感服した。


「あの、良かったらパンどうぞ」

「ん」

 夏帆は波菜に小さいパンを一つ手渡した。波菜は本を片手にパンを頬張る。

「この店のパン、知ってるわ。私もよくオマケして貰うもの」

「う、うん。二個しか買えないと思ったけど。四個も買えちゃって吃驚」

「これで焼き立てのホカホカだったら言う事なしなんだけどね」

 夏帆はショボンと肩を落として下を向いた。横で、絵美が顎をテーブルに付けたまま唇を尖らせる。

「むー。波菜の家が遠いんだよ。パンだって冷めるに決まってんじゃん」

「何で飛んで来なかったのよ。箒で」

「夏帆が一人でもここまで歩いて来れる様に、徒歩で案内してたんだよお」

「この森に夏帆が来る必要性なんかまったくないわ。私の家までのルートなんて教えないで」

 波菜の遠回しどころかかなり直球で夏帆を遠ざけたがる発言に、当の夏帆は静かに傷付いた。

「どうせシリスの森にしろ妖魔の森にしろ、どっちに居ても悪魔は出るんだから同じでしょ」

「つくづく嫌な所で共通点ある森って嫌ね」

「あの」

「ん?」

 夏帆が声を出すと、波菜は睨み付けるような目つきで彼女の方を向いた。

「え、えっと。どうして私達が玄関から呼んでも返事がなかったの?」

「……お客を応対してたのよ。アンタらに構ってるヒマはなかったの」

「客?」

「んーとね。波菜は占い師だから、占いを頼ってここまで尋ねて来る人も居るんだよ。実はあたし解ってたんだけど、チャーンスと思ってキッチンに直行しちゃった」

「しちゃった、じゃないバカタレ」

 こんな暴言が出ても波菜と絵美は友人関係が成り立っているらしいのだから凄いと思う。夏帆は自分だったら、何処かで挫けてしまいそうだと考えた。

「この前は貴族を相手に占ったんでしょー?」

「ああ……あれはただの金遣い荒いオヤジだったわね。支払いは銅貨一枚で良いっていうのに、フッツーに銀貨置いてったわ。有難いと言えば有難いけど」

「しがない占い稼業。貧しそうな女の子に、お金恵んであげたいとでも思ったんでしょうよ」

「ふん。舐めんじゃないっつの」

 波菜は目の前に居ない貴族に文句を垂れた。

「偶に居るよねえ。子供っていうだけで見下して、自分のお金ホイホイ渡す人。夏帆も、おっきなお金は知らない人から貰っちゃ駄目だよー」

「うっ」

 夏帆は急に自分に向けられてぎくりとなった。

「『うっ』って……もしかして貰ったの?」

 意外と勘の良い絵美に誤魔化す事も受け流す事も出来ず、夏帆は素直に白状した。

「実は……半銅を私、落としちゃって。拾ってくれた人が居たんだけど、拾って貰ったのは半銅じゃなくて普通の銅貨で……」

 しどろもどろで口調が覚束ない。

「――相手が取り違えたって事?」

「う、ううん。パン屋のおばさんから聞いたんだけど。その、貧しい子供にお金を渡してあげてる聖職者の人が居るんだって。その人から」

「聖職者? 波菜、知ってる?」

「村の方にはこの頃下りてないし、私が自分からそれ関連の話を把握すると思ってるの?」

「それもそうか」

「あ、あのね。何か、ルビナス教の神官様なんだって」

 夏帆はパン屋の店員から聞いた話を思い出して話す。

「ルビ……ナス?」

「? うん」

 波菜の表情が曇る。テーブルの上で両手を重ねたまま硬直する。彼女は夏帆の言葉を聞いて暫く固まっていると、重ねた手に力を籠めてぎゅっと握った。

「……ッ」

「波菜。どうしたの?」

 波菜が急に黙り込んだのを不思議に思い、夏帆は彼女の顔を覗き込もうとした――

「か、夏帆。ちょっと外に」

「え?」

 突然絵美に座っていた椅子から立たされて腕を引かれる。そのまま二人は部屋から玄関へ向かう。夏帆は絵美の力強い手に引っ張られるがまま表に出ると、外では風が葉擦れの音を起こしていた。

「……?」

 絵美に手を放され、夏帆は風で飛ばされそうな髪を耳の後ろにかける。一体何故波菜から引き離されたのだろう。

 疑問を頭の中で浮かべていると、絵美が身体の後ろに両手をやって、くるりと身体を夏帆の方へ向けた。

「ごめんね。あたし達、デリケートで」

 口元は笑っているが目は笑っていない。

「わ、私、また何かいけない事を……」

「知らなかったから仕方ないね。悪いけど、宗教の話――っていうか、ルビナス教の話は波菜の前では控えて」

「……どうしてか訊いても良い?」

「ごめんね。そこら辺の細かい事情まではあたしの一存では話せない。波菜もあんまり他人に自分の素性語られたくないだろうし。ホントごめん」

「解った……」

 またやってしまった。無意識に他人を傷付けて、傷付けた事に気が付けなかった時程、自分で自分が嫌になる事はない。もう黙る他なかった。

「パンは渡せたし、今日は帰ろっか」

「私のせいで……」

 己の未熟さを身を以って知る。夏帆は握った拳を胸に押し付けた。

「ゆっくり覚えていけば良いよ。何が良いのか悪いのかはさ」

「でも、何度何度も波菜に失礼な事を」

「ふふ。そうだなー、その内謝っといた方が良いかもね。あたしの場合は謝っても謝り切れないけど」

 絵美がその場で軽くステップを踏み、控えめに笑った。



      ***


 黒とは闇。闇とは夜の色。ここは、永遠の夜の世界。

 深淵なる闇の奥深く、二つの足が動いていた。

 だが足音は鳴らない。ここは地上ではない。人が踏み入れられるような場所ではない。

 後ろを歩かれるだけで背を押されているようだ。彼は背後を一切振り向かずに、ただ前へ前へと進んで行った。

 そして、辿り着く。

「ここだ」

 彼は静かに言った。

 足を止めてようやく振り返る。しかし、背後に居る者の姿は何処にもない。

 それでも彼には――彼だけには声が聞こえていた。

「よく案内してくれた」

「……これが、貴方の望みなのか?」

「怖気付いたかな」

 声は思わずゾッとする程に低い。しかし声しか聞こえていない筈なのに、彼の眼は目の前の者の不敵な笑みを映している。

 彼は怯まずに、鋭利を持った目つきでそこにいる筈の者を見据えた。

「安い覚悟でお前の言いなりになる気などない」

「大変結構」

 また『影』が、くすりと笑う。

「――この扉が開かれし時、我らに平穏が訪れる。永遠の光は、失われる」

「信じていいんだな」

「光など小さなもの……我らの闇の中に、一筋の明かりがあるというだけなのだよ」

 人はそれに縋っている。だがその肝心の拠り所が、とても儚く脆いものだという事を忘れている。

「本来の己の姿を認めた時こそ、人は光を失う」

 闇は如何なる時も本当の姿しか映し出さない。

「まだ、君の名前を訊いていなかったね」

 べっとりと落ちたような影がゆらりと動く。その動きを見ただけで、逆らってはいけないという威圧感が嫌という程感じられる。

「俺の名は……」

 また闇が、濃くなった。




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