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第十二話

 まず絵美と夏帆が降り立った場所は、薄暗い裏路地だった。

 絵美の話に因ると、飛行手段を使うのが人間であれ魔人であれ珍しい事ではないが、人通りが多い歩道で降りるのはマナー違反らしい。空から降って来ると、土道の通行者の邪魔になるからだ。特に魔力を持たない人間が歩道を安全に利用出来るようにという、町の自警団からの配慮である。

 夏帆は絵美の背中を追いながら、狭い通路に身体を滑り込ませた。

「こんなに暗いんだね」

「歩道に出れば明るいし、賑やかだよ」

 前を向いたまま絵美が夏帆に応答する。しかし明るい方向に向かう内に、大勢の人の声は既に聴こえていた。夏帆は高鳴る心臓の音を手の平でそっと抑えながら足を進める。

「ほら。夏帆」

 絵美が夏帆の腕を引っ張て急かす。ようやっと狭い通路を抜け出た瞬間、夏帆は青白い光に目が眩んだ。

「!」

 そこには多くの声が行き交う大通りで、沢山の人や物があった。見渡すと、商人や商人と向き合う客が道の両脇に立っていたり座ったりしている。

 布の上に骨董品や食べ物、雑貨を並べる者。大きな網籠や木箱の中に果物を入れて商売する者。客を呼び寄こす為に大声で宣伝しながら手を叩く者。まさに市場だった。微かに漂う食べ物の匂いについ釣られそうになる。

「本当に賑やかだね」

「良かったらあたしに気にせず、好きに見て回ってても良いよ。硬貨渡すね」

 絵美は上着のポケットから探り出した、小さくて真円形をした金属板を夏帆の掌に落とす。

「……これ何?」

「え、釣銭」

「お金?」

「そっか。硬貨の事も解らないのか。うーん、それは銅貨で、一枚で果物やパン一個くらいは買えるよ。何か首飾りとか欲しかったらあたしが買ってあげるけど」

「だ、大丈夫」

 お金だと解ったからには、これ以上絵美に強請る訳にはいかない。夏帆は貰った硬貨を大事に手の中に収めた。

「それじゃ、とりあえず銅貨は五枚程渡しておくよ。昼食の分ならあたしが奢るからね」

「うん、有難う」

 二人は一旦市場の中で別行動をとる。これも夏帆を世界に慣れさせる為の、絵美なりの気配りなのだろう。

 夏帆はこれから度々利用するであろう市場には、どのようなお店があるのか把握しておこうと思った。

 人の間を避けながら歩き、数々の店を眺める。いざお金を貰うと何を買えば良いか迷ってしまう。見惚れる物はいくつか見付かったが、必要のない物を買うのは躊躇われた。ならば食べ物なら、と考えたのもつかの間。どれも美味しそうに見えるので、結局はこれだという物が選ぶ事が出来ない始末だ。

(せっかく絵美がお金をくれたんだ。それに、何か買ってみたいし……)

 夏帆は広い村の中を一周してみる事にした。

「そこのお嬢さん」

 突然後ろから声を掛けられる。果物を売る歳のいった男の商売人の声とは違った、若い声だ。夏帆は足を止め、肩越しで後ろを振り返った。

 振り返った先に居たのは、空色の外套を羽織り、白い帽子を頭に被った男だった。彼の周りには同じような色の外套を羽織る二人の男が、彼に付き従うかの様に立ち尽くしている。

 一人だけ帽子を被る男は夏帆の瞳を真っ直ぐ見返し、にっこりと愛想の良い笑顔を向けた。

「これは貴女の物ではないですか?」

 そう言って差し出されたのは、茶色い硬貨。夏帆は咄嗟に手の平の中に収めている硬貨の枚数を数える。

 確か絵美に貰ったのは銅貨五枚の筈なのに、握っているのは四枚だ。

「一枚無くなってる……」

「やはり貴女が落とされたのですね。もしやと思い、追い駆けて正解でした」

 彼はそう言うと、夏帆の手の中に硬貨を落とした。

 夏帆が街を徘徊している間、いつの間にか落としてしまった硬貨を拾ってくれたのだ。

「あ、有難うございます。ごめんなさい。私、ボーッとしていて」

「いえいえ。お金は貴重です。次からは落とさないよう気を付けて下さいね」

「はい」

「ところで……この辺りでは見掛けない子のようですが」

「は、はい。えーっと……」

 何と応えるべきか。さすがに、記憶を喪失していて、魔光界という存在意義をつい最近知った子供だとはとても言えない。

「――身寄りがなくて、友達の家に越して来たんです」

「両親が亡くなられたのですか?」

「は、はい」

 取り敢えず話を合わせておく事にした。それ以上の事は応えられない。

「それはお気の毒に。お悔やみを言います」

「えっ、あ、や」

 実際は実の親の事など解らないので、畏まった態度に対して申し訳なく思う。

「しかし、貴女のご両親はきっと天国に昇られた事でしょう。いつでも貴女を見守っていますよ」

「天国?」

「死に行く者達がこの地を離れ、その中でも選ばれた者だけが昇る事が許される極楽の世界です」

 言いたい事は解ったが、それで何故、初対面の少女の親がその極楽世界に昇ったと断言出来るのだろうか。

「――私の言う事を信じていないようですね」

「!」

 見抜かれた。しかし夏帆は疑っているというより、不思議に思っただけに過ぎない。夏帆を射抜くように捉える男の双眸は、紫色をしていた。

「貴女も、何処か遠くへ行ってしまった大切な人には、幸せになって欲しいと願うでしょう」

 それはそうだと、夏帆はこくりと頷いた。

「忘れないで下さい。逝ってしまった者達の幸せを信じている――信じる者こそ、救われるのだという事を」

 彼は最後にまたにっこりと微笑んで、踵を返す。外套を翻しながら二人の男達を引き連れて去って行く。夏帆はその背中をおぼろげに見送った。

「……何だったんだろう」


 なるべく人の出入りが多い、入りやすそうな店を選ぼうと辿り着いたのがパン屋だった。そこを選んだ一番の理由は匂いにつられたからであるが。

 普通の民家の中に店舗を作ったようなかたちの店だ。夏帆は別の客と入れ違いに、敷居を跨いで中に入った。両脇の壁に密着した棚には、籠に入ったパンが並んでいる。右隅にはカウンターがあり、その裏に何やらしゃがみ込んでいる影があった。

「あの、すみません」

「――ああ、いらっしゃいませ」

 カウンターの裏からいそいそと出て来たのは、白いエプロンを身に着けた女性だった。

顔立ちや声から女性だと解ったが、見た目は肩幅が広く、やや丸みを帯びてふくよかな体型をしている。背も同じ女性の中では高い方だろう。とにかく大きな人だ。

「うちの店には初めて来る子だね。どのパンにする?」

 店員で間違いないようだ。客に対する態度は柔らかで、こちらの緊張が自然と解れていく。

「あの……これで買えるぐらいのパンを下さい」

 夏帆は一度服のポケットに仕舞っておいた銅貨を二枚取り出して、店員に渡す。店員はあいよ、と返事をして銅貨を受け取った。

 絵美は銅貨一枚でパン一個は買えると言っていた。ここで銅貨二枚を出せば、自分の分と絵美の分のパンが買える。そう思って、残り三枚は使いたくなったら使う事にした。

「銅貨一枚、半銅一枚ね。合計六個になります」

「はい。――あれ?」

 予想していたよりパンの数が多い。まさか三倍とは。

「あ、あの。銅貨二枚で二個じゃないんですか……?」

「ん? ああ、せっかくだから焼き立てのを持って来ようと思ってね。小さいパンだから半銅一枚で二個は買えるんだよ。で、さっきお嬢ちゃんが払ったもう一枚は、半銅の倍の銅だったから四個になる。それで合計六個だ」

「半銅と、銅?」

「ハハハ。箱入り娘で世間知らずな所があるねえ。銅は半銅より一回り大きいんだよ。よーく観察してごらん」

 店員の女性は、さっき夏帆が彼女に渡した硬貨を見せてくれた。よく見たら、同じ銅貨なのに面積が明らかに違っている。夏帆はポケットに入ったままの三枚の銅貨も取り出して見比べた。その三枚は小さい銅に値する。

 だが絵美から硬貨を受け取った時は、五枚は大きさの違いなどなかった筈だ。何故一枚だけ大きい銅があるのだろう。

 夏帆が不思議に首を傾げていると、店員が言った。

「お嬢ちゃん。エクスシア様にお会いしたんでしょう」

「? えっくす……?」

「おや、知らないのかいね。エクスシア様はルビナス教徒の神官だよ」

 それを聞いて、夏帆はまず『信管』を想像したが、教徒という事から『神官』の事を言っているのだと遅れて気が付いた。

「その人は聖職者なんだ。多分その方が、お嬢ちゃんにお金を恵んで下さったんだろう。隙を見て他人の懐にお金を落としていくのは、あの方のいつもの手口だ」

 彼女は満面の笑みで語る。

「偉い人なんですか?」

「そうだね。でも神官様はそれだけでなく、優しい方だよ。その人がお嬢ちゃんにお金をあげたのだとしたら、それは少しでもお嬢ちゃんがいっぱい食べられるようにという親切心だ」

 夏帆は先程、道中で出くわした男の存在を思い出す。もしや、あの人が――

「それに、この街でも路頭に迷う人は少なからず居てね。そんな境遇の人達に彼は必ず手を差し伸べてくださるんだ。下働きをして生きて行くしかない子供にも、無条件でお金を渡したり……誰にでも出来る事じゃない。だろう?」

「……はい」

 夏帆は頷いて、パン屋の女性に同調した。余程善良な人にお金を拾って貰ったらしい。しかもどうやら、硬貨を倍にして。

 金銭が絡むとどうしても申し訳なく感じずにはいられないが、彼の優しさには素直に甘えておこうと思った。いつか、お返しが出来る日が来るだろうか。

「ほい。パンが焼き上がったよ。誰かと食べるのかい?」

「はい。友達と」

 紙袋越しでもわかる、焼き立てのパンは心まで暖めるようだった。


 他の店も見て周りながら暫く通りを歩いていると、目当ての背中を発見する。

「絵美!」

 パンが入った袋を両手で抱えながら、小走りで絵美の所まで辿り着く。

 呼ばれて、高い位置で二つに結った髪を大きく揺らしながら彼女が振り返った。

「観光は如何でした?」

「街の人達とお話が出来たよ。皆、優しい人だね」

「ふふ。そうだね。でも、中には悪い輩も居るっていう事は覚えといてね。だから知らない人には不用意に付いて行かない事」

「うん」

「尾行されるのも危険だからね。尾行する側は……あたしは偶にやるけど夏帆は極力禁止ね」

「わ、解った」

 誰を尾行したのだろう。そしてその後何をしたのだ。

 だが夏帆がそれを訊けないでいる内に、絵美が目敏く紙袋の中に入っている物に視線を定めた。

「わ、美味しそうなパンじゃん」

「そこのパン屋で買って来たんだ」

「結構いっぱいあるね。美恵花と波菜にもお裾分けしようか」

「そうだね」

「よっしゃ。お次は波菜の家へパンの宅配! で、決まりだ」

 絵美は拳にした右手を真上に伸ばす。夏帆もそれに習って拳を上げる。

「あ、でも。私が行っても大丈夫かな……」

「え? 何か問題ある?」

「う、うーん」

 言われてみれば、特に波菜に会って気まずいという事は、これといってない。

 もう一度会って、今度こそ落ち着いて彼女と話せるだろうか。あのタロットもまた見てみたい気がした。

「行こ」

 絵美が夏帆の腕を掴んで歩く。途中からお互いに笑いかけると、二人は手を繋いで、街から離れた。



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