第八話 傲慢と偏見
ククタ・ヴィペラが官憲局に現れたのは、早朝の事である。奇しくも、エドワードは部下から『オフェリア・ラザレスク変死事件について、証拠品の見落としがあるかもしれない』との報告を受けた直後の事だった。
ククタは、喪服のような黒いワンピースに黒い靴という出で立ちだった。オフェリアへの哀悼を示すための服装なのだろう。
話がある、と言葉少なに告げるククタを、エドワードは官憲局の空室の一つに招き入れた。
無機質な部屋だった。部屋の中央に大きな机と簡易的な椅子が二つ並んでおり、それがこの部屋の全てだ。窓はあるが、被疑者の逃走を防ぐため、小さいものが一つ備え付けられているのみである。
ククタは険しい表情で部屋の中を睨みつけていたが、やがて意を決したように椅子に座る。だが、一向に話し始める気配がない。
『気が進みませんか。大丈夫、君の心の準備が出来るまで待ちますよ』
そうは言ったものの官憲、しかも警部補はそこまで暇ではない。だが、被疑者でもない少女を追い詰めるわけにもいかず、エドワードは努めて笑みを浮かべた。
ククタはそんなエドワードの紳士的な態度に少し安心したのか、懐から取り出した手巾で目頭を押さえながら、ようやく重い口を開き始めた。
『実は、あの日のことで、お話してなかったことがあります……』
ククタの証言はどこか要領を得なかったものの、エドワードなりに要約すると──最初にオフェリアの遺体を発見したのは両親であったらしい。
婚礼前夜に親子の会話を楽しもうと娘の部屋を訪れたが、室内にオフェリアの姿はなく、出窓も開けっ放しである。
換気だとしても春の夜は冷えすぎる。不審に思った両親が出窓から下を覗き込むと、変わり果てた娘の姿があった。
両親は慌てて階下に駆けつけたものの、オフェリアの身体──特に頭部には、口に出すのも憚られるほどの損傷があり、その死は誰の目にも明らかであった──ということのようだった。
『奥様がいち早くお嬢様の婚約指輪が無くなっていることに気付きました。一時間前、夕食の時には確かに身に着けておられたのに』
ククタは一呼吸置き、子爵夫人は婚約指輪の消失に大いに取り乱したと語り始める。
しかし、子爵は一時的に外しただけだと突き放した。それでも泣きやまない夫人に子爵は業を煮やし、とうとうククタにオフェリアの指輪を探すよう命じた、とのことだった。
エドワードは軽い頭痛を覚えて額を押さえる。子爵がククタに命じたことは現場保存という大原則を破る重大な違反行為だ。相手が貴族だからといって見過ごせることではない。
『貴族様にやれと命令されたんですよ……! あた、あたしの意志じゃない……!』
エドワードの顔色を見て、ククタは少し慌てた。褒められた行為ではなかったという自覚はあるのか、ククタの声は言い訳がましく上擦っている。
『でも……指輪はどこにもありませんでした。そう報告したら、奥様はお嬢様が強盗と鉢合わせして……その……純潔までもが奪われたのではないかと、とても恐れていました。でも旦那様は奥様より冷静で、そんなはずはないと仰っていて……』
『何故、子爵閣下は即座に物取りの犯行を否定出来たのでしょう? その理由は分かりますか?』
『ええと……旦那様はオフェリア様のお召し物に乱暴されたり、抵抗した痕跡がないからその心配はないと仰っていました。だから、あたしもそうなんだろうと思って……』
エドワードは頷く。これはオフェリアの遺体の所見と照らし合わせても矛盾はない。
『でも、旦那様は官憲にはまだ連絡するなと仰ったのです。そして、改めて使用人全員で婚約指輪を探すように命令されました』
『それは、何故? 子爵閣下は理由を言っていましたか?』
それは──と言いかけてククタは歯噛みする。素朴な少女は、夫人やオフェリアに対する同情ではなく、初めて毒蛇のような怨毒を覗かせた。
『旦那様が、お嬢様の不貞をお疑いになったんです。お嬢様には他に添い遂げたい殿方がいたからこそ、婚約指輪を外したんじゃないかって』
その言葉が部屋に落ちた瞬間、エドワードは室内の温度がぐっと下がったのを感じた。花残月の下旬とは言え、早朝はまだまだ空気の冷える日も多い。
『……事情聴取では、誰も彼もが口を閉ざしていましたね。オフェリア様の不貞を疑った子爵閣下さえも』
エドワードは硬い声で遠回しにククタの情報の隠蔽を責める。もちろん、隠蔽は彼女一人の罪ではない。それでも、刺々しさを完全に削ぎ落とすことは出来なかった。
『事件当日にこの話を伺っていたら、我々はもっと違う角度からこの事件を捜査する事が出来たはずです。真相にだって辿り着けたかもしれない。……それなのに、何故黙っていたのですか?』
しかし、ククタは不当だと言わんばかりに、赤く潤んだ瞳でエドワードをきつく睨み付けた。
『どうして黙っていた、ですって?!』
ククタは悔しそうに歯を食いしばり、ワンピースの裾が皺だらけになるほど力強く膝のうえに乗せた両手を握り締める。
だが、ククタはここで激昂すれば元主人の品格も下げてしまうことを危惧したのだろう。数瞬の沈黙の後に、ククタは怒りを噛み殺すようにゆっくりと低い声で語り始めた。
『……お嬢様は不貞なんてしてない。官憲に話すことなんて何もありゃしません。自殺の理由なんてあたしが知りたいくらいですよ』
言葉に熱と怒りを帯び始めたククタを、エドワードは軽く右手を掲げて制する。
長年、数多くの人々を見てきたエドワードには、ククタが嘘を言っているようにはどうしても見えなかった。
『君の主張は分かりました。しかし、実際にオフェリア様の婚約指輪は現場から消失しています。子爵閣下がオフェリア様の不貞を疑うのも無理はない』
『……警部補さんは、旦那様の肩を持つんですね』
『いいえ、私はあくまでも中立です。一つ伺いますが、君は閣下の推測を否定するだけの証拠を持っているのですか?』
『そ、それは……』
口ごもるククタに、エドワードは大仰に溜め息を吐いて見せる。詰めの甘さを咎められたと感じたのか、ククタはエドワードに対する攻撃的な態度を少しばかり軟化させた。
エドワードは相変わらずククタから視線を逸らさない。しかし、エドワードが引っ掛かりを覚えたのは彼女ではなくラザレスク子爵の態度である。
たとえ娘の非を示す物証が見つかったとしても、それでも娘の無実を信じたいというのが親心というものだろう。だが、ククタの口ぶりでは、子爵は進んで娘の不貞を認めた様に聞こえた。
『子爵閣下とオフェリア様の関係についてお聞きします。ここ最近、お二人の間に口論や諍いなどはありませんでしたか?』
『諍いなんて起こらないくらいに父娘関係は希薄で……寧ろ破綻していました』
ククタの顔に悲嘆に似た笑みが浮かぶ。
『旦那様はラザレスクの名前が大事なんです。お嬢様の意思や幸せは二の次で、政治の駒としか見ていませんでした』
エドワードは不快そうに口の端を引き結んだ。
貴族の婚姻とはそういうものだが、それでも、個人の意思が反映されぬ婚姻ほど悍ましいものはない。
『だから、旦那様は娘の死の原因よりも、辺境伯の不興を買うかもしれない事を、終始気になさっておいででした。婚姻を台無しにした慰謝料を請求されるかもしれない、家門の名に傷を付けるかもしれない、って』
父親による支配と横暴は想像以上で、エドワードは言葉を失った。オフェリアには余りにも──人としての尊厳がない。
『お嬢様は結婚を機に離れられることを本当に喜んでおられたのに……自殺なんてあり得ない……』
ククタは目元を拭うことも忘れて、エドワードを正眼に見据えた。
『旦那様は、我が身可愛さ故に官憲の捜査を妨害しました! これは何らかの罪に問えますか?』
『それは──』
聴取してみないことには分からないが、難しいだろう、という言葉をエドワードは飲み込む。
しかし、ククタは諦めなかった。
『いいの。この際、罪に問えなくても関係ない! アイツの醜い本性を全部、全部ぶち撒けてやる!』
『……君がここに来たのは……真実の解明のためではなく、オフェリア様を貶めた閣下を社会的に罰するためか』
ククタは歪な笑みを浮かべながら大きく頷く。
『その通りです……! だってお嬢様は辺境伯様と結婚出来る日を楽しみにしてた! 侍女のあたしが言うんだから間違いありません! それなのに──』
ククタは乱暴に机を叩いた。何度も、何度も。その度に古い樫で出来た机の脚が床を滑って耳障りな音を立てる。
エドワードは自傷すら厭わぬククタの激しさに慌てて立ち上がり、ククタの両腕を掴んだ。
ククタはエドワードを振り切ろうとしたが、少女の細腕が官憲に適うはずもなく、かたかたと義憤に震えるばかりだ。
『あの男は、お嬢様のことを従順な仮面を被った女狐だって! 女は愚かだから、政治がわからない……だ、だから辺境伯よりもくだらない愛を選んだんだろう、って!』
子爵の醜い言い様に、第三者に過ぎないエドワードですら額に青筋を立てていた。
エドワードは生前のオフェリアとは直接の面識はなく、伝聞だけでは彼女の本当の人となりを判断することは出来ない。
それでも、父親からこのような侮辱を受けてよいはずがない。それも、あの高潔なアルフレートが生涯をかけて愛すると誓った女性が──である。
何より、これほど侍女に慕われている令嬢がむやみにアルフレートを傷付けるような選択をするとは、エドワードには思えなかった。
ククタは嗚咽で声を震わせながら、それでも未だ告発をやめなかった。
『おく、奥様も! あたしも! お嬢様は、そんな方じゃないとっ、言ったのに! でも、女はっ、女の言う事は……し、信じられないって、切り捨てた!』
ククタの怨詛は悲痛な嘆きに変わり、エドワードは恐る恐るククタの両腕を解放した。
ククタはもう自傷まがいの振る舞いをすることはなかったものの、ついに顔を上げていられなくなり、机に突っ伏して泣きじゃくる。
哀れな少女の姿を目の当たりにし、エドワードは胸中で義憤の炎が燃えるのを感じていた。
──可能性など関係ない。上層部に盾突いてでも子爵を聴取するべきだ。
それは官憲以前に人として当たり前の怒りだった。




