表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
さらば、愛を乞う赫き怪物たち  作者: 曲直瀬トウ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

65/66

第六十五話 不夜の港にて

 エリシュカたちは仔猫の亡骸を閑地に葬った後、ファニュ=ブラムスの宿に戻り、辛抱強く夜の訪れを待っていた。


 エリシュカの目は赤く潤んでおり、その精神状態はよいとはとても言えない状態である。このままでは周辺への聞き込みや調査に支障をきたすとロイが判断し、エリシュカを部屋に連れ込んだのだ。


 座れ、とロイに言われるがままにエリシュカはベッドの縁に腰を下ろした。膝の上できつく両手を握り締める。


「……ごめんなさい、足を引っ張って」


「謝罪の必要はない。看取ってやれ、と言ったのは俺だ。こうなることも折り込み済みだった」


 ロイは部屋の扉を閉めなかった。しかし、廊下側から覗かれても泣いて憔悴したエリシュカの姿が見えないように、丸椅子を扉の前に置いてそこに座る。


 扉を閉めないのは、未婚の男女が同室になった場合の最低限の礼儀マナーだった。


 エリシュカたちは協会ギルドの資金力もあって個室が宛行われたものの、同じ任務に当たる仲間である以上、打ち合わせなどでどうしても同室になる必要がある。


 その場合、干渉されない自由(プライバシー)を放棄して、二人の間の潔白を示さねばならない。


 ──この人は兄様と同じで……元々吸血鬼だったわけじゃないんだわ。


 二百年以上生きたリュミドラが人間の装いや化粧について学んでも、道徳や倫理が身に付かなかったことを考えれば、ロイは余りにも人間の風俗に精通し過ぎている。しかも、立ち居振る舞いがどう見ても平民のそれではない。


「暫くしたら、俺はまた港湾へ出る」


 ロイが窓の外に視線をやると、蒼穹はいつの間にか枯れた矢車菊コーンブルーのように褪せ始めていた。


「夜の港湾は女が自由に歩き回れるような場所ではないようだ。俺が戻るまで宿で待機を──」


「……行きます」


 エリシュカは固く握りしめた拳を解き、ロイを見つめる。幽鬼のように感情の刮げた顔で、唇だけを小さく動かす。


「治安が悪いから討伐に行かないなんて、そんな言い訳は通らないわ。既に吸血鬼の被害が出ている区域エリアなのだから尚更よ」


「……まさかとは思うが、早く武功を立てようとして焦っているのか?」


 ロイはエリシュカが一部の吸血鬼狩りから煙たがられていることも、早く一人前の吸血鬼狩りとして認められたがっていることも知っている。


「もしそうなら、あたら命を危険に晒す必要はない。またいずれ次の……挽回の機会はやって来る」


「亡くなった人には、次の機会なんてないのよ!」


 気付けば、エリシュカは寝台ベッドから勢いよく立ち上がり、ロイを怒鳴りつけていた。


 ロイは肩を震わせて息を乱すエリシュカを、ただ静かに見つめている。


「……ごめんなさい、こんなの、八つ当たりだわ。でも……でも、苦しいの……!」


 エリシュカは顔を覆う。その細い指先は仔猫の命の輝きを確かになぞったというのに、今ではその残滓すら残っていない。


「まだ、あの仔の最期の呼吸が、最期の横顔が……! 頭にこびりついて離れないの! 看取ることしか出来ないのが、哀しくて……悔しい……!」


 エリシュカは自分を守るために強くなろうと思った。兄を取り戻すという自分の欲望のために戦うと決めた。 


 それなのに──今は手から零れ落ちた命がこんなにも哀しい。胸を引き裂かれる様な痛みなど、知らなかった。知りたくも、なかった。


「……まるで、神にでもなったような口振りだな。 ()()()()()()()()()()()? 当たり前だろう。“御使い”ですら、蘇生の奇跡は起こせなかったというのに」


 ──戯け! 奇跡を起こせなかったんじゃねェ! 起こさなかったんだ!


 エリシュカの頭に一瞬鋭い痛みが走った。これはアレスの怒りだ。“御使い”としての能力の限界を疑われたことに対しての抗議だろう。


 あまりの痛みに膝から崩れ落ちそうになったエリシュカの腕を、ロイが掴んで支えた。


「おい……!」


「……そうよ、神や“御使い”の高尚な御慈悲では、命は救えない。だからこそ、彼らは人間を“使徒”に選ぶんだわ」


 人間が先人によって編み上げてきた法に縛られているように、神々は彼らの摂理を超える領分には決して手を出さない。


 エリシュカはアレスにその領分を踏み越えよとは口が裂けても言えない。エリシュカにはその罪を共に背負うことなど出来ないのだから。


「だから、私は……彼らの代わりに足掻いて、傷付いて……それこそ、地獄を見ても戦い続けないと──私に出来ることはそれしか無いの。立ち止まってなんかいられない……」


 ヴィタリーとロイは自分の命を守るために強くなれと言ってくれたが、自分が生き残ることだけを考えているだけでは、救生の奇跡は起こせない。


 今日、子猫を救えなかったように、エリシュカの手からは命が零れ落ちるばかりだろう──


「……なるほど、ヴィタリーがやたらとお前を気に掛けるわけだ」


「え……?」


「無闇に他者のことまでを抱え込んで、うまくいかなければ全て自分のせいだと責め続ける気か? 確かに、全て自分のせいだと結論付けるのは容易いが、余りにも幼稚だ。……自分の罪悪感に潰される前に、その思考の癖を何とかしろ」


 ロイは少し困ったように口角を歪め、溜め息を吐く。


「流石に、ルプの苗字を名乗るだけはある。あの筋肉莫迦にそっくりだ」


「…………そうかしら」


「正直に言って、危なっかしくて見ていられないがな」


 ロイはエリシュカをしっかり立たせると、寝台ベッドの脇に置いてあったエリシュカの旅行鞄トランクを持ち上げ、差し出した。


「……だが、お前たちは他人のために傷付くことを厭わず戦うことが出来る。それ自体は怪物にはない美徳だ」


「……」


 エリシュカは複雑な心境を隠さず、差し出された旅行鞄トランクを受け取った。中には武器が収納されているため、ずしりと手に重い。


「……残念だが、俺はお前の自罰的な思考に付き合うつもりも、無理をさせるつもりも毛頭ない。危険だと判断したら即撤退する」


 従ってもらうからな、と念を押すロイに、エリシュカは静かに頷いた。



■□■



 夜の港湾は、昼間のそれとはすっかり様相を変えていた。


 吸血鬼の被害が絶えないというのに夜の危険を冒して航行する船員たちを労うためか、酒場や食堂は通常通り営業している。安酒と肉料理の匂い、そして潮風が混じり合って得も言われぬほどエリシュカの胸を焼いた。


 その軒先や、街灯の下ではやたらと胸元を強調した女性たちが道行く船員たちに声を掛けていた。


 およそ寝間着のようにしか見えない薄布を纏っているのは何も若い女ばかりではない。エリシュカの叔母とそう変わらない年頃の女たちも、猫撫で声で男を呼ぶ。まるで、誘蛾灯を見ているようだった


「……みんな、すごい格好ね」


 エリシュカの独り言に、ロイは無言を貫いたままだ。


 エリシュカが暫く観察していると、若い男女二人は何事か言葉を交わし合った後、暗がりの中に消えていった。


「……あの人たち、何をしているのかしら?」


 ロイは心底面倒くさそうにエリシュカを見下ろしている。その理由が分からず、エリシュカは目を瞬かせた。


「…………春を鬻いで生計を立てている……と言えば分かるか?」


「は……っ」


 エリシュカは僅かに顔を赤くする。尤も、エリシュカは彼女たちの生業についてうっすらと理解してはいるものの、どんな事をしているかは全く想像がつかない。


 貴族の令嬢は性に関する知識には全くと言っていいほど触れずに育てられるものだ。無垢な令嬢に夜の振る舞いを教えるのは、夫となる男の仕事であり、特権でもあったからだ。


「……え……で、でも……女性が公娼や私娼として働く事も、男性が彼女達に──その……相手をしてもらう事も──法律で禁止されているはず、よね?」


 売買春が厳しく制限される理由は、多々あるが、特に切実なのは吸血鬼になる人間の条件に私生児が含まれているからだ。そのため、クリステアを始めとする各国では私生児が生まれないように禁欲の励行を国民に厳しく指導している。


「生計を立てるために、時に意に沿わぬ選択せざるを得ないこともある。お前がどう思おうが勝手だが、妙な同情で仕事の邪魔をするなよ」


 それは、今この時において、誰の仕事のことを指すのだろう。


 そんなことはしない、とエリシュカが口を開きかけた、その瞬間だった。


 絹を引き裂くような悲鳴が細い路地の暗がりから聞こえてきたのは──

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ