第六話 冥き澱にて狂気は芽吹き
司祭は唐突な官憲の乱入に困惑しつつも、教会の礼拝堂の隣にある祭具室を聴取の場として提供した。
祭具室は祭服や教会の備品などを管理、保管している部屋のことである。教区の記録室も兼ねていることから一組の机と椅子も置かれている。
物量の多さから雑然とした印象は拭えないものの、手入れは隅々まで行き渡っているようで、エリシュカは居心地の悪さを感じることはなかった。
官憲とエリシュカ達四名が利用するにはやや手狭だが、部外者の入室は基本的に禁じられているため、閉鎖性は十分に保たれている。聴取には申し分のない空間であった。
「こんな所にまで連れてきて……今更、一体何の話を聞かせろと言うんだ!」
部屋へと通してくれた司祭が退室した後、聴取の口火を切ったのはラザレスク子爵だった。
横柄な態度にエリシュカだけでなく、ラザレスク夫人までも眉を顰める。
儀式に使われることのない部屋とは言え、聖なる場所の一部であることに変わりはない。大声を出して他人を威嚇するなど、決して褒められた行為ではなかった。
アルフレートは子爵の無礼など意にも介さず、エドワードに詰め寄る。エドワードの腕を掴むアルフレートの手は微かに震えていた
「エドワード、その前に聞かせてくれ。オフェリアはただの事故死ではないかもしれないとは、どういう意味だ?」
エドワードのアルフレート見つめる瞳には哀切の色が深い。エドワードは古い友人を宥めるように優しくその肩叩くと、すぐに警部補の顔に戻った。
「辺境伯閣下、どうぞ落ち着いてください。順番にご説明致します」
アルフレートは小さく頷き、エドワードの腕を離す。だが、その表情は困惑と不安で険しいままであった。
「……まず、オフェリア様のご遺体についてですが……ご婦人方がいらっしゃるので詳細は控えさせて頂きます。ただ、着衣に乱れは殆どなく、転落時に負った傷以外に外傷は見当たりませんでした」
エリシュカはじくじくと沁みるように痛む胸をそっと押さえる。分かってはいたものの、実際にオフェリアの最期の様子を聞くのは辛い。
ラザレスク夫人の様子を窺うと、彼女も肩を震わせて嗚咽を堪えているようだった。
「オフェリア様は自室から転落されましたが、部屋には外部からの侵入の痕跡もなく、ラザレスク夫妻及び使用人たちは証言によって、現場不在証明が証明されています。……そのため、オフェリア様は事故死であると誰もが疑わなかった」
「それならば、何故今更オフェリアが事故死ではないかかもしれないなどとふざけたことを言い出す?!」
「それは──オフェリア様の婚約指輪が現場からなくなっていたからですよ」
「な…………っ?!」
エリシュカは目を見開く。
婚約指輪の不在は、到底見過ごされてもいい異変などではない。事故死どころか盗難事件──他殺を疑って然るべきではないのか。
そもそも、婚約指輪は婚姻という社会的契約が交わされた証であり、それを外すということは婚家に対して破談を通告したようなものだ。
その代償として莫大な額の慰謝料を払うのは勿論のこと、婚家には不誠実の烙印が押され、その不名誉は社交界の語り草となる。
にも関わらず、エリシュカは遺族からその様な話は何も聞かされていなかった。恐らく──アルフレートも同じだろう。
しかし、驚く兄妹を見ても、エドワードは不思議と落ち着いていた。
「……やはり、お二人はご存じありませんでしたか。数日前、部下の一人が気付いたのです。結婚を控えた女性の持ち物に婚約指輪がないのはおかしい、とね」
エリシュカが非難を隠さずラザレスク子爵夫妻を見ると、彼らは真っ青な顔色をしていたが、苦虫を噛み潰したように唇を歪めるばかりで何の申し開きもしなかった。
──まさか……子爵夫妻は、婚約指輪が無くなっていたことに気付いていて、黙っていたの?
エリシュカの動揺が、アルフレートにも伝わったのか、彼は面を険しく歪めながら子爵に詰め寄る。
「……オフェリアの婚約指輪は現場から無くなっていた──警部補の言っていることは事実ですか?」
「い、いや! 違います! そんなことは……!」
では! とアルフレートは有無を言わさぬ口調で子爵の言い訳を遮る。
「違うと仰るのならば、オフェリアの婚約指輪を確認させて頂きたい」
「そ、それは……出来かねる! 手元にはないのだ! じ、自邸に──」
「邸宅に保管されているのならば、取りに向かえばよろしいでしょう? いくらでもお待ちしますよ。それとも同行しましょうか?」
子爵は必死の形相で頭を振り、青褪めた妻を振り返る。夫の視線を受けて、子爵夫人がおずおずと口を開いた。
「いえ、その……あの子の婚約指輪は棺の中に納めてしまいましたの」
「さ、左様です。天の国に召されてもあの娘は辺境伯閣下のものだという証に……!」
「────は?」
これには子爵夫妻以外の全員が呆気にとられ、目を剥く。
本来、故人の婚約指輪は形見として遺族か夫となるべき人物の手元に残すべきものだ。だが、夫妻はそれをアルフレートに一言の相談もなく、既に棺に納めてしまったと臆面もなく白状したのだ。
しかも、子爵はオフェリアを"辺境伯のもの"だと言った。どのような意図であれ、娘に対する尊重の姿勢は見えず、愛情があるとは思えない台詞である。
いち早く正気を取り戻したアルフレートが、義理の両親の唾棄すべき傲慢さに青筋を浮かべた。
「人を人とも思わぬ態度もそうだが、悪びれもせずよくもそんなことを……! だが、これで私も確信が持てた。貴方がたの吐いた言葉は何一つ信用に値しない!」
アルフレートの発言を聞いて、子爵夫人は目を吊り上げる。貴婦人の顔をかなぐり捨てた女の顔はまさに鬼女のごとしという様相である。
「何ということを仰るのです……! か、仮にも私たちは義理の親になるはずだったのですよ?! そのような物言い……いくらアルフレート様でも許せませんわ!」
「先に義理の息子の信用を裏切ったのは貴方がたの方だ!」
アルフレートはぴしゃりと言い放つ。夫人と子爵はその迫力に押されて肩を竦めた。
「大体、礼儀を弁えよと仰るのでしたら、爵位は私の方が上です。私は貴方がたを義理の両親と思えばこそ、貴方がたの言い分を信じてオフェリアとの対面についても譲歩しました。その結果がこれだ。……もう、私は貴方がたに遠慮も容赦もしない」
アルフレートの瞳に宿った怒りは衰えることを知らず、まるで烈火のごとく滾っている。
エリシュカはこれほど感情的になるアルフレートを見たことがなかった。
「今すぐにオフェリアの婚約指輪をこちらへ」
アルフレートは備え付けの机を平手で叩く。ぎぎ、と耳障りな音が祭具室に響いた。
「だ、だからそれは棺の中に──」
「……この期に及んでもまだ婚約指輪が彼女の元にあると仰るつもりですか? ならばそれも結構。今すぐ確認させて頂くまでのこと」
エリシュカは冷たい声音にぞっと背筋を凍らせる。アルフレートは本気だ。本気でオフェリアの棺桶をこじ開け、中を改めるつもりだと、正しく理解してしまった。
アルフレートは宣言するや、踵を返す。その前に立ちはだかったのは子爵夫人であった。
「お、おやめください……! 警部補殿の仰るとおりです! 認めます! 認めますので……! あの子の遺体を辱めないでくださいまし!」




