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さらば、愛を乞う赫き怪物たち  作者: 曲直瀬トウ


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第五十九話 既製品の戎衣(じゅうい)

「──狩人同士の喧嘩は御法度だっていうのに、ここの連中は本当に気が荒くていけないねぇ」


 男は独り言のようにぼやくと、エリシュカの左手首に慣れた手つきで清潔な包帯を巻く。彼は医務室の常駐医師で名をキィ・ロード・サトウと名乗った。ヴィタリーと同年代くらいだろうか。苔色の髪を三つ編みにし、無精髭を生やしたその姿は医療従事者というよりは研究者という趣が強い。


 医務室には簡単な丸椅子が二つと寝台ベッドが三台ほど置かれている。壁はヴィスコル城の書斎に負けず劣らず棚で埋め尽くされており、薬品の臭いが微かに鼻に付く。机の上には果たしてどのような治療に使うのか、金槌や小さな鋸まで置かれていた。


「フローリアン達が君を連れて来た時は驚いたよ。怪我は大したことない。よかったね」


 キィは空を溶かしたような碧眼を和ませる。


 エリシュカを医務室に連れてきた張本人であるフローリアンとアイザックの姿は既に無い。


 随分と忙しいのか、エリシュカをキィに紹介するや否や、すぐに出ていってしまったのだ。


「はい、終わり。固定がきつかったり、痛かったりしないかい?」


 エリシュカは手をゆっくりと握ったり開いたりして具合を確認し、頷く。一先ず日常生活に難儀しない程度には手先が使えることにほっとした。


「念のため、今日一日は重いものを持ったり、激しく動かしたりしないでね」


「はい。診て頂いてありがとうございました」


 エリシュカが丁寧に頭を下げたところで、医務室の扉が大きな音を立てて開いた。


「お邪魔するよ! “使徒”が怪我をしたって?!」


 ベロニカである。ベロニカとの面会の予定を気にするエリシュカのために、キィが使いを寄越して呼んできてくれたのだ。


 そして──ベロニカに襟首を掴まれ、医務室まで連れてこられたらしいロイの姿もあった。


 ロイはエリシュカよりも上背だが、ベロニカは更にその上を行く。それにしても、男性のロイが現場を離れたベロニカに力で劣るということはないはずだが、彼は嫌そうに顔を顰めるものの借りてきた猫のように大人しい。


「……何なんだ、一体……」


 医務室に到着すると同時にロイは解放されたが、随分と困惑した様相である。


 どうやら、ロイは何の説明もなくベロニカに連れてこられたらしい。同輩には遺憾無く毒舌を発揮していたロイだが、今回ばかりは口を差し挟む余地すら与えられなかったようだった。


「エリシュカ! 怪我は平気かい?!」


 ベロニカはロイの控えめな抗議を無視し、心配そうにエリシュカに駆け寄ってくる。よく見れば、ベロニカは左手に大きな紙袋を持っていたが、それをキィに押し付けると、強い力でエリシュカを抱き締める。


 女性のそれとは思えないほどに硬い胸板を押し付けられて、エリシュカは大層慌てた。抱きしめ返せばいいのか、そっと押し返せばよいのか、判断がつかない。


「昨日の今日で“使徒”に無礼を働く者が協会ギルドにいたなんて……! 私の監督不行き届きだ、本当にすまない!」


 エリシュカは困ったように微笑み、そっとベロニカの背に手を回した。


 ベロニカは今は亡き母とは体型も性格も違うのに、その手の温かさだけはよく似ていて、萎縮した心が徐々に緩んでいく気がした。


「あの……謝罪を受け入れますので、どうか頭を上げてください。幸い軽い怪我だと言われましたから、もう大丈夫ですよ」


「キィ、使徒を襲った輩は?」


 唐突に話題を振られたキィは、ベロニカの冷たい迫力に首を竦めた。


「……階級は赤と紫だそうで。フローリアンたちは『面通しすれば分かる』と言ってます」


「そいつらは解雇クビだな。なけなしの退職金はエリシュカへの慰謝料にしておくよ」


「え、でも……」


 フローリアンたちのお陰で大事には至らなかったし、ベロニカからの謝罪も受けた。流石にこれ以上は辞退を申し出た方が良いだろうかとエリシュカは戸惑いを見せる。


「受け取っておけ」


 そう言ったのは意外にもロイだった。


「しでかしたことの責任は負わせるべきだ。それとも、“使徒”も“御使い”も慰謝料ではなく、何がしかの制裁を加えなければ溜飲が下がらないか?」


「……?!」


「そうなのかい、エリシュカ?!」


 エリシュカは勢いよく首を振る。その時、頭の中でアレスが舌打ちするのを確かに聞いた。


 エリシュカは、ベロニカが“御使い”と“使徒”には過剰なほどの敬意を払っていることを思い出す。


 もし、今ここで首を横に振っていなければ、“使徒”に無礼を働いた男たちは私刑にでもなっていたのではないか──とエリシュカは薄ら寒いものを感じていた。


「そうかい? それじゃ、馬鹿どもの処遇も決まったところで本題に入ろうか」


 ベロニカは勝手知ってる様子で部屋の隅に置いてあった予備の丸椅子を持ち、キィとエリシュカの間にゆっくりと腰を下ろした。


 義足の膝関節の留め具を緩める音も、エリシュカは聞き慣れてしまってすっかり違和感がない。


「エリシュカ。あなたの力は強大だ。だからこそ、協会ギルドの二枚目の切り札として働いてもらいたい」


「二枚目の切り札……」


「一枚目はもちろんこの怪物ロイだ。二人には二人一組バディになってもらって、強力な吸血鬼の討伐任務に当たって欲しい」


「断る」


 ロイの返事はにべもない。


 アレスが頭の中で罰当たりめと喚き散らしているため、エリシュカはそれを聞き流すのに必死で傷付く暇すらない。


「何故だい? 言っておくが、アンタに拒否権はないよ、ロイ」


「目覚めたばかりの“使徒”を死地に送るつもりか? ベロニカ、お前のことは信用しているが、今回の提案はとても正気とは思えない」


「もちろん、しばらくは普段アンタに依頼しているものより難易度が低いものを振り分けるつもりだよ」


「それでも反対だ。そもそも──この女とうまくやっていけるとも思えない」


 流石にこの女呼ばわりをされる謂れはない──と反論しかけたエリシュカだったが、初対面のロイに容赦のない蹴りを食らわせようとしたことを思い出した。


 アレスに意志も身体の主導権も奪われていたとは言え、それを言い訳に謝罪の一つもしないというのは、流石にエリシュカに分が無い。


「……初対面での非礼を謝罪致します。本当に申し訳ありませんでした」


 エリシュカは椅子から立ち上がり、ロイに向き合って深々と頭を下げる。


 ロイの返答はない。エリシュカから見えるのは床ばかりで、ロイが今どのような顔をしているのかは分からないが、戸惑っているのがありありと分かった。


「エリシュカ、何だい? 非礼ってのは」


 ベロニカが面白がるように声を掛け、エリシュカは躊躇いがちに頭を上げる。


「アレス様が……その、彼が吸血鬼だと気付いて、襲いかかってしまって……」


「噂では、男前ロイの顔に蹴りを食らわせようとしていたみたいですね」


 キィから齎されたのは些末な情報だったが、ベロニカは「私も見たかった」とげらげらと笑い始める始末である。


 ロイは収拾がつかなくなった状況に溜め息を吐いた。


「……その件は別に気にしていない。もう気に病むのはこれで終いにしてくれ。俺と関わろうとするのはやめろ」


 そう言ってロイはエリシュカたちに背を向ける。


「ロイ! 依頼内容の説明は明日の朝八時に協会ギルド長室で行う! 必ず来るように! これは命令だ!」


 ロイは理不尽な命令に抗議するかのように、力任せにドアを閉めた。


 壁が軋むような音に、エリシュカは首を竦め、キィは慌ててドアの具合を確認しに駆け寄った。


「……ひ、昼で助かったぁ。所長、あんまり彼を刺激しないでくださいよ。夜だったなら今の、ドアが歪むか外れるかして、突貫で改装工事ものでしたよ?」


「すまんすまん」


 ベロニカは頭を下げるが、大して悪いと思っていないのか口調はどこまでも軽い。


 それから、とベロニカはエリシュカを振り返る。


「あんたの戎衣じゅういを用意したんだ。ちょっと試着してみてくれるかい?」


 そう言えば、先程ベロニカはキィに紙袋を渡していた。とすると、あれの中身がエリシュカのじゅういなのだろうか。


「えっ、もう出来上がったんですか? 採寸も何もしていないのに?!」


 ベロニカはぽかんと口を開けて、それから豪快に笑った。


「そうか、貴族のお嬢様は何から何まで特注オーダーメイドだもんなぁ! 説明不足だった! すまない!」


「あの……?」


「ここではいちいち採寸なんかしないのさ。既製品からざっくりと自分の体型に近いものを選んで着るんだよ」


寝台ベッドは全部空いてるから、試着室代わりに使っていいよ」


 キィはそう言うと、寝台ベッドを仕切る帷幕カーテンを閉め、紙袋を置いて簡易の試着室を作ってくれた。


 エリシュカが恐る恐る中に入ると、勝手知ったる様子でベロニカも後に続く。


「えっ……?」


「何を驚いてるんだい? 貴族のお嬢様は戎衣じゅういなんて着たことないだろう。私が着方を教えてやるから、明日からは自分で着替えられるように覚えといておくれよ!」


「あっ……えっ、あっ……?!」


 エリシュカが反論する間もなくベロニカはてきぱきと服を脱がせにかかった。無情にも留め具が外された瞬間、使用人以外に素肌を見せたことのなかったエリシュカはか細く悲鳴を上げた。

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