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さらば、愛を乞う赫き怪物たち  作者: 曲直瀬トウ


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第五十七話 歓待の宴と美しき娘たち

「なぁ、エリシュカ。この後ちょっと付き合ってくれるか?」 


 ベロニカとの歓談を終えたエリシュカは、ヴィタリーにそう声を掛けられ、二つ返事で頷いた。


 正直に言えば、これから自分が何をすべきかエリシュカでは見当がつかない。ヴィタリーについて歩き、あれこれと指示してもらったり、教えを乞う方が有益である。


「どこへ行くの?」


「ちぃと早いが、これから一緒に飯でもどうかと思ってよ」


 ヴィタリーは歩きながら廊下の窓を親指で指す。


 歓談中は気付かなかったが、空全体が熾火おきびのように燃えていた。東の方に浮かんだ雲が徐々に灰を被ったように黒く染まっていくのが見える。半刻も経たぬ間に、夜は再び訪れるだろう。


「そう言えば、街や首都では夜遅くまで色々なお店が営業しているのよね」


 村《ガラ=ルミナス》では商業施設自体が少ないこともあり、日没後に利用出来る施設は極端に少ない。夜の危険を冒して働いているのは収穫作業を急ぐ農民か宿屋くらいのものである。


「街灯が整備されてるからな。吸血鬼は闇夜に紛れるが、光は奴らの居場所を暴いてくれる。先人の犠牲や“御使い”の智慧だけじゃねぇ。科学技術の発展のお陰で、俺たちは少しずつ夜の世界を取り返しつつある」


 ヴィタリーの言葉には隠しきれない熱が籠っていた。


 吸血鬼に怯えることのない生活──それは吸血鬼狩りだけではなく、全人類の悲願である。


「それに“御使い”が降臨したのだもの。遺詔のことだって、きっと今度こそ何とかなると思うわ」


 エリシュカはヴィタリーの言葉を肯定したが、何故か未来への希望を思い描いていたはずのヴィタリーの顔が僅かに曇った。


 それまで楽しげだった足取りが鉛にでも蝕まれたように重くなり、エントランスに入るなり立ち止まった。そして、横に並ぶエリシュカを気の毒そうに見つめる。


「エリシュカ……それについてはだな──」


 だが、ヴィタリーの言葉は唐突な大音声に阻まれ、最後まで紡がれることはなかった。


「あ──! ヴィタリーさんだ!」


 荒くれ者揃いの協会ギルドには珍しい、少女の声だった。エリシュカとヴィタリーがそちらへ向くと、エントランスの出入り口付近で赤毛の少女が大きく左手を振っているのが見えた。吸血鬼狩りの装束を身に纏っていることから、狩人なのは間違いない。


 しかし、最もエリシュカの目を引いたのは少女が右手に持っている旅行鞄トランクの大きさである。それは銃器や弾薬、短剣等を持ち運ぶヴィタリーのものより二周りほど大きい。


 にも関わらず、イリーナは重さなど一切感じていないかのように軽い足取りでヴィタリーに駆け寄って来ている。


 ──いったい何が入っているのかしら。


「……よぉ、イリーナ。任務帰りか?」


「そう! え、待って? 久し振りに会ったと思ったら大怪我してるじゃない! 大丈夫?!」


 矢継ぎ早に飛んでくる言葉に、最早ヴィタリーは苦笑を浮かべるしかない。


「ヘマしちまったが、大丈夫だ。……ところで、ソフィアはどうした?」


「任務の完了報告に行ってくれてるよ。ほら」


 イリーナはくりくりと丸い翠眼を和ませ、受付机カウンターを指差す。そこには長い赤毛の少女が立っていた。丁度報告を終えたようで、イリーナの姿を見つけると呆れたような顔をして近付いてくる。


「姉さん、いきなり大声なんて出してどうしたの? 皆さんびっくりしてたわよ」


 エリシュカは近くでソフィアの顔を見て目を丸くする。その顔立ちは鏡に映し取ったのかと見紛うほどにイリーナに酷似していた。


「あら……ヴィタリーさんもいらしたんですか。……そちらの方は?」


「ああ、紹介する。彼女はエリシュカ。今日から協会ギルドで一緒に戦う仲間だ」


 わぁ、と歓声を上げたのはイリーナである。


「女の子の同僚って少ないから嬉しい! あたしはイリーナ! よろしくね。で、こっちが妹の……」


「はじめまして、エリシュカさん。ソフィアと申します。姉共々よろしくお願いします」


 ソフィアはそう言うと軽く会釈をする。感情の起伏はイリーナより乏しいようだが、一応歓迎してくれているのだろう。


「エリシュカです。こちらこそ、よろしくお願いします」


「やだ、あたしたち相手に敬語なんて使う必要ないよ! ねぇ、エリスって呼んでいい?」


 エリシュカが目を白黒させていると、ソフィアが大袈裟に溜息をつく。


「すみません、姉は昔から距離の詰め方がちょっと独特で。姉さん……エリシュカさんが困ってるから、その辺にして」


 三人の少女のやりとりにヴィタリーは笑う。


「丁度いい。飯がまだならイリーナとソフィアも一緒にどうだ? 俺の奢りだぜ」


「いいの?!」


「……ご迷惑では?」


 同時に上がった声に、エリシュカはくすりと小さく笑った。双子だというのにその反応がまるで違うのが面白く、見ていて飽きない。


「まさか。それに、同年代の話し相手がいる方がエリシュカも気安いだろ?」


 ヴィタリーに話を振られて、エリシュカはこくこくと何度も頷いた。これは間違いなくエリシュカへの気遣いだ。それに否やを言えば罰が当たる。


「よし、決まりだな。今日はエリシュカの歓迎会だ。たらふく食ってくれよな!」



■□■



 エリシュカ達が案内されたのは、少々手狭ながら笑声で賑わう大衆食堂だった。松材の明るい色味で統一された室内に灯された角燈ランタンの光がじんわりと目に沁みる。


 ヴィタリーが絶賛するだけあって料理の種類は豊富で、元貴族エリシュカから見ても見た目は悪くない。だが──


「……ええと……もしかしてお肉とか苦手でしたか?」


 ソフィアは円卓の上に並ぶ料理を見ながら気遣うように問い掛ける。エリシュカの前に運ばれてきたのはパンとサラダ、そして果物だけだ。


「もしよければ、ニシン赤茄子トマトの煮込み料理なんてどうです? おいしいですよ?」


「あ、いえ……そういうわけじゃないの。いつも大体このくらいの量だから。多分、補正装具コルセットで締め付けられているから余り入らないのね」


 エリシュカは腹回りをそろりと撫でる。


「いつも!?そんなんじゃ倒れちまうぞ?!」


「だからそんなに細いんだ……」


「だからって急に食べても胃がびっくりしちゃいますもんねぇ」


 ああでもない、こうでもないと皆で頭を悩ませ、結局ソフィアの勧めたニシン赤茄子トマト煮込みが一品追加されたのである。


 エリシュカは温かい料理をそっと口に運ぶ。酸味のある魚の肉がほろほろと口の中で崩れ、染み出た旨味が頬を擽る。


 味は料理人シェフが作ったものと遜色がない。そう思えたのは久しぶりに余人を交えた楽しい食事を取っているせいだろうか。


 やがて、幾らか食事が進んだところで、ヴィタリーが切り出した。


「イリーナ、ソフィア。これからエリシュカは協会ギルドの女子寮に住むことになるんだが、寮での生活を教えてやってくれないか?」


 いいよ、と即答したのはイリーナである。


「って言っても、特別なことは何もないかな。細かい規則ルールは追々説明するけど、自分たちで絶対にやらなきゃいけないのは掃除と洗濯!」


「自炊も出来ますけど、食堂や屋台で済ませる方が大半です。討伐から帰って来て準備や片付けをするのってしんどいですし、任務が長引いて食材がだめになるとか、普通にあるんですよねぇ……」


 掃除と洗濯、とエリシュカは小さな声で呟く。ここに来るまでの間使用人たちに教わったが、残念ながらその腕前は彼らの足元にも及ばなかった。


 ヴィタリーはちらりとエリシュカの顔色を窺う。


「あー……エリシュカは元貴族のお嬢さんなんだ。もしかしたらうまくやれないこともあるかもしれねぇが……大目に見てやってくれ」


 え、と姉妹は目を丸くする。


 エリシュカはかすかな失望と共にその声を聞いた。ヴィタリーにそんなことを言わせた自分の未熟が不甲斐なく、イリーナ達の態度が変わってしまうかもしれないことが恐ろしかった。


「……そ、そっかぁ。確かに、貴族のお嬢様は家事のやり方なんて教わる機会は無いよねぇ」


「大丈夫ですよ、ゆっくり頭と身体に覚えさせましょう。家事なんてものは結局慣れですからね」


「そうそう! 花嫁修行だと思えば苦にもならないよ!」


 エリシュカの危惧を余所に、双子たちの言葉は優しく、恐怖心に寄り添ってくれる。有り難く、得がたい友人に心から感謝した。


「それにしても花嫁修行ねぇ……姉さんには相手もいないのに健気だこと」


「なにを──!」


 姉妹の、それでもどこか楽しげな応酬に、エリシュカは声を上げて笑った。こんなにも楽しい気分はオフェリアの訃報を聞いてから、初めてのことだった。

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