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さらば、愛を乞う赫き怪物たち  作者: 曲直瀬トウ


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第五十五話 天の配剤

「……時に貴様……ベロニカと言ったか。貴様はもしや流浪の民の末裔か?」


 どうやら、アレスは人間と怪物の間に芽生えた奇妙な友情にはそれほど唆られなかったらしい。その興味は、赤子と同じで唐突にベロニカへと移ろう。


 ベロニカは自身の出自に触れられるとは思っていなかったのか、笑みを形作ったはずの唇がひくひくと強張っている。これまで“御使い”相手にすら一歩も引かなかった女が、どうしてかひどく緊張していた。


「ご明察でございます」 


 クリステア国内には定住地を持たずに各地を転々と移動する民族が存在する。商人であったり遊牧民であったりとその生業は氏族単位で異なるものの、何物にも縛られないことこそ彼らの誇りであり、生き様である。


 アレスはまじまじとベロニカの目を見つめる。だが、やがて得心がいったようにアレスは軽く顎を擦った。


「純粋な流浪の民にまみえるとは思っていなかった。しかも……貴様は先の“使徒”の血族か」


 ベロニカとヴィタリーは大きく目を見張った。先代の“使徒”の血族であることを隠していたつもりはないが、敢えて誇示した覚えもなかったからだ。


「その様な事までお分かりになるのですか?!」


「その程度のことを見抜くなんざ造作もねェよ。私は先の“使徒”とは縁もゆかりも無ェが、感慨深いと思わなくも無ェ。よくもまァ、こんな地獄みてェな時代でここまで命を繋げてきたもんだ」


 アレスは何の気負いもなくそう告げたが、ベロニカは細かい皺が刻まれた目尻に雫を湛え、震える手を胸の前で握り締める。そして、神への感謝と祈りの言葉を万感を噛み締めながら口にしたのだ。


「我らの道行きには苦難と試練が立ちはだかっておりましたが、“御使い”様が先祖に“使徒”という大任をお授けくださったお陰で、今日こんにちの平穏を得られたものと存じます。まことに……まことに感謝申し上げます」


 実は、流浪の民は定住地を持たぬことや不十分な教育、肌の色などの偏見から長らく被差別の対象でもあった。だが、三百年前に吸血鬼の王ザハリアーシュを討伐した功績により、その地位は僅かばかりと言えども向上していた。


 それ故に流浪の民が“御使い”に払う敬意は、クリステア人のものより一層深い。


 真正面から信仰と崇拝を浴びてアレスは幾分気分がよくなったらしい。さもありなんと得意気にふんぞり返った。


「……確か貴様は私の話を聞きたがっていたな? よろしい。智慧求めし蒙昧なる汝らに、神の慈悲を与えん」


 厳かに宣言したアレスであったが、同時に意地悪そうな笑みを浮かべていた。


「ただし、知りすぎて楽園どころかこの世から追放されねェよう、ゆめゆめ気を付けることだ。……それで? 貴様らは私に何を聞きたい? どんな知識を求める?」


 ベロニカとヴィタリーは、知らず喉を上下させた。


 “御使い”の器(エリシュカ)の瞳はこの国ではありふれた焦げ茶色だというのに、軽く覗き込むだけで底知れぬ深みに落ちて行くような錯覚を覚えるほどに底が見えないのだ。あるいは、心の奥底──己でも目をそらしたくなるような本能を覗き見されているような居心地の悪さがある。


 ベロニカは肌の粟立つ感覚を無視することに苦心しながらも、恐る恐る口を開いた。


「──先のご降臨では、“御使い”様、並びに“使徒”は見事吸血鬼の王を葬って下さいました。此度のご降臨に際しましても、今代の吸血鬼の王との大戦が起こる可能性が高い──そう考えても差し支えありませんでしょうか」


「肯定だ。尤も……今代の吸血鬼の王の動向は、天にすら何一つ伝わっちゃいねェんだよなァ」


 そもそも、人間の王と違い吸血鬼は国土を支配しているわけでも、血統を重んじているわけでもない。最も強大な力を持つ個体が王を自称し、数多の同胞を従えて人間の殺戮に興じるという至って単純な支配体系なのだ。


 不死である吸血鬼の王が斃れる時は謀反しか有り得ず、その場合、勝者こそが王者となる。しかし、人間に討伐されたとなれば、後継が揉めるのは必定である。


「どいつもこいつも日和って潜伏しているか、他を出し抜くために力をつけている最中か……ま、どちらにせよ──決戦の日はそう遠くは無ェ」


 ベロニカとヴィタリーは来たる大戦の不安に呑まれたように息を呑む。


 アレスは二人の顔色を眺めつつ、楽しそうに笑った。


「他に聞きたいことは? 答えてやるよ。ま、次もお前らに都合の悪い話かも知れねェが」


 ヴィタリーはアレスの悪癖に瞑目した。この“御使い”は本当に神の下僕しもべなのかと疑いたくなるほどに、人間を怯えさせることを好むのだ。


 だが、ベロニカがこの好機を不意にするはずもない。彼女は固い表情のまま頷いた。


「例えば、“使徒”となり得る人間を我らが知覚する方法はありますでしょうか。もしこれから先エリシュカのように“使徒”となる人間がいるとしたら、どんな手段を使っても手元に置きたいのです」


 アレスは白けたように鼻で笑い、首を傾げて見せる。幼さの抜けぬ仕草は愛らしいはずなのに、やはり、その目だけが観察する人間の印象を裏切り続けている。


「面白いことを言うなァ。【天眼】すら持たぬ人の身でそんな芸当出来るワケが無ェだろ」


 【天眼】とは、文字通り天をも見通す目のことだ。一説には形のないもの、過去や未来までをも知覚すると言われている。


「我らは神意により“使徒”に力を貸すが、誰でもいいってワケじゃ無ェ。まず……たたかうという強い意志を持っていること」


 アレスはぴっと人差し指を立ててみせた。


「二つ目は素養だ。素養のない人間が我らの精神を宿せば、脳が負荷に耐えきれず数十秒と保たずに死ぬ」


 アレスはそう言うと、涼しげな顔で中指も立てる。立てた二本の指をこめかみに添えると、そのまま発砲するような身振り手振り(ゼスチャー)を見せた。


「……失礼ですが、その素養というのは?」


 アレスは噴飯ものだと言わんばかりに笑う。


「先も言ったが【天眼】なしでは見抜けねェ。どうしても素養の有無が知りたければ……そうだなァ、“使徒”の血筋を追え。素養は親から子へ、子から孫へと受け継がれる可能性が高い」


「では、エリシュカは……」


「先の“使徒”子孫で、恐らく王家の血筋……ということだ」


 凶王ザハリアーシュを討伐した三賢人は、その後各々別の道を行った。


 一人は平民だったがこの国の姫を娶り、新たな王となり、もう一人は流浪の民としての生涯を終えた。そして、最後の一人は聖職者としての生き方を捨てられず、勲功に見合った叙爵の話も全て断ったという。


 辺境伯家の令嬢が平民や流浪の民の血筋であるはずもなく、エリシュカは現王家の血を継ぐ子女であった可能性が高い。とは言え、王家との繋がりが濃厚な方ではあるまい。精々、辺境伯家に嫁いできた女性の中に王の枝族──公爵家の娘がいたといった所だろう。


「本音を言えばニイサマ……いや、アルフレートっていったか。あいつを使徒に選びたかったんだがなァ」


 アレスが心底口惜しそうに言うので、ヴィタリーは不思議そうに目を瞬かせた。


「確かに、アルフレート・カタルジュは軍事貴族で、戦闘も体格もエリシュカよりもずっと優れていましたが。……それでもエリシュカを選ばれたのは“御使い”の意志ではないのですか?」


「私じゃ無ェ。全ては天の配剤──神意によるものだ」


 ベロニカは口惜しそうに唇を噛み、握った拳で生身の足を叩いた。


「くそ……使徒となり得る人間が吸血鬼となり、敵方の手に落ちた。これは人類にとって途方もない損失だよ」


「そう悲観することは無ェさ。神がアルフレートを使徒にお選びにはならなかったことに変わりはないからな」


 アレスは自信に溢れたように胸を張り、手を添えた。


「そして、貴様らの手の内には私という切り札があるんだぜ? 私の力さえあれば吸血鬼の王ですら恐るるに足りん。何を憂うことがある?」


 その時、ヴィタリーが何かに気付いたように「あ」と声を上げた。


「そういえば、好色の魔女は顔に負った傷が治らず、アルフレートを支配、洗脳し続けることが出来なくなっていた。まさか、あれこそが“御使い”のお力だったのですか?」


「……覚えていたのか。脳みそまで筋肉に侵されたような面をしているくせに」


 ヴィタリーは一瞬首と頬の筋肉を引きつらせたが、曖昧に笑って悪意を受け流す。


「私の能力は相手の力の根源を破壊し、奪うことだ。永久にな」

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