第十九話 惑乱の街
辺境伯領に吸血鬼襲来の凶報が齎されたその日も、昼下がりの中心街は殷賑を極めていた。
国境に近い街は伝統的な白煉瓦と赤い屋根の建造物に異国の装飾が混じり合い、雑然と込み入った印象が強い。
大通りは高級洋品店から大衆向けの食堂に至るまで、とかく玉石混淆の様相を呈している。
呼び込みに精を出す商人たちを尻目に、大通りを行き交う人々は足早に店の前を通り過ぎる。
年の頃は杖を頼みとする老人から赤子を連れた母親まで様々だが、誰も彼もが何かに追い立てられたかのようにある場所を目指していた。
今日はまるで商売にならない、と溜め息を吐いた商人が見つめる先には、無愛想な顔付きの白い建造物が鎮座していた。官憲たちの集う本部、官憲局である。
■□■
「うちの娘が帰ってこないの! 吸血鬼に攫われたのかもしれないわ! お願い、探してちょうだい!」
「おい、こっちが先だ! 割り込んでくるんじゃねぇ!」
「お前こそ、邪魔だ! どけ!」
突然、乱入してきた男が進路を塞ぐ別の男を腕で押し退ける。横入りされた男は矜持を傷付けられたのか、顔を真っ赤にして無礼者の胸倉を掴んだ。
「何しやがる、てめぇ!」
「うるせぇ! 引っ込んでろ!」
一触即発の男達の間に割り込んだのは背広姿の若い警部補──エドワードである。
「官憲局で喧嘩はやめましょう、人目もありますし──」
男たちはエドワードが官憲だと気付くと目を輝かせてその腕に取り縋った。
「あ、アンタ……! 俺の女が消えたんだ! 美人だったからな、きっと吸血鬼に攫われたんだ。頼むよ、探してくれ!」
「連れ去られた奴なんぞ放っておけ! どうせ、もう死んでる! それよりも生きてる娘たちを守るのが筋だろうが!」
「何だと?! それが連れ去られた身内に言う言葉か! この……恥知らずめ!」
エドワードは無理矢理口角を引き上げ、笑みを形作る。その表情には拭い去れない疲労の色が色濃く纏わりついていた。
「あの、順番通りにお話を伺っておりますから。どうぞ列にお戻りください」
エドワードは努めて冷静に告げたが、今度は突き飛ばされた男のほうも一緒になって噛み付いてきた。
「順番って……いつになるんだよ!?」
「俺はもう二時間もここで待ってるんだぞ! それなのにここの連中は減るどころか増える一方じゃねぇか! どうなってるんだ!」
どうなっているのかと聞きたいのは自分のほうだ、という言葉をエドワードは理性で飲み込む。
吸血鬼が良からぬ事件を起こした際、住民たちはある種の熱狂をもって大なり小なり行動を起こす。
それは不安にかられて官憲局に駆け込むことであったり、恐怖心に任せて攻撃性を発露したりと内容は多様である。だが、今回は今までになく反応が過敏かつ神経質だ。
もし今回住民たちが狂乱を引き起こした原因があるとすれば、それは恐らく新聞のせいだろうと、エドワードは疲労で痺れたような頭を酷使し、分析する。
特に住民を刺激したのは、吸血鬼に攫われた哀れな被害者の末路についての言及だろう。その熱量や報道手法に差はあれど、今までに吸血鬼に拉致された人間で生きて戻った者はいないと大衆紙、高級紙共に書き立てていたはずだ。
そうした無慈悲かつ理不尽な出来事が次は自分や家族に降りかかるかもしれない──そんな恐怖に突き動かされる人々の心の弱さを、エドワードは官憲として人間として責めることは出来ない。
「……お待たせして申し訳ありません。今回の吸血鬼騒ぎでは電報でも数多くの訴えや情報が寄せられており、大変遺憾ですが人手が足りない状態です」
「それは分かってる! だからって──もっと人員増やすとか、やりようは……」
「街の治安維持のために出払っている者もおります。……とにかく、お話は後ほど。必ずお伺いしますので」
駄々を捏ねても若い刑事からは譲歩を引き出せないと分かると、男たちは憤慨しながら行列に戻った。
エドワードが息をつく間もなく、青い顔をした部下が走り寄ってくる。
「警部補、すみません……少しよろしいですか」
周囲を憚るように声を潜める部下に、エドワードは表情を険しくする。
「どうした? 何か問題が?」
「ここでは少し……歩きながらご説明します」
エドワードは不可解そうな表情を浮かべた。だが、秩序のない住民たちを宥めることにも正直辟易していたため、不満を口にすることなく部下に同行する。
その途中、何人かと同僚たちとすれ違ったが、皆厳しい顔付きのまま押し黙り、物言いたげな目付きでエドワードたちを見送るばかりであった。
「……おい、どこへ向かっている?」
普段利用している事務所や取調室を飛ばし、明らかに別の場所を向かう部下に、エドワードが問い詰める。
「応接室です。……その、カタルジュ辺境伯閣下がお待ちですので」
「……何だって?」
意外な人物の名を耳にしたエドワードは、一瞬歩みを忘れて立ち尽くす。
近く職務で顔を合わせることになるかもしれないとは思っていたが、まさか昨日の今日で再会することになるとは、流石のエドワードも予想していなかった。
「待て、おい」
エドワードは歩みを止めない部下を追い掛け、その肩を掴む。
応接室の少し手前で、部下は漸く止まった。
「こちらでお待ちです」
「待ってくれ、何故局長を差し置いて私が閣下とお会いすることになっているんだ。局長をお呼びするべきだろう」
部下は困ったように鬢の辺りを掻きながら、言い訳を探すようにあらぬ方向へと視線を向ける。
「閣下は治安の状況についての情報をお求めで、わざわざ局長の手を煩わせる必要はないと仰っておられます」
それに、と部下はエドワードの顔色を伺うように曖昧な笑みを浮かべて見せた。
「……噂によると、閣下と警部補はご友人なのですよね?」
要は、気を遣う相手とのやりとりを、アルフレートと旧知のエドワードに全て任せてしまいたいというのが、局長を含めた総意なのだろう。
ましてや、官憲の殆どは平民だ。貴族と直接言葉を交わす機会などあるはずもなく、重荷を感じるのは無理もない。
エドワードには最早怒る気力などない。部下に本来の職務に戻るように命じると、気を取り直して応接室の扉を軽く叩いた。




