第十七話 数ならぬ身にしあれども
黒唄鳥が鳴いている。その名の通り全身を濡羽色の羽毛に覆われており、クリステア王国では春から夏にかけて、場所を選ばずよく見られる小振りの飛禽である。
地味な見た目の鳥だが、その囀りは横笛のように柔らかく、美しい。恐らく、今は番を呼んでいるのだろう。悲嘆に暮れるヴィスコル城の静寂を優しく破り、甘く響いた。
自室に閉じ籠もり、黒縁のある便箋に目を通していたエリシュカは、優しい音色に誘われてふと顔を上げる。
「綺麗な声ね」
はい、と硬い声で応じたのはネリーである。彼女は三十通近くある封筒を、爵位の高い順に並べて整えてくれている。
机に几帳面に並べられた封筒は全て黒い縁取りがあることから、今読んでいるものと同じもの──お悔やみ状であることが明白であった。
「鳥の囀りは美しいけれど、人間はだめね。……あからさま過ぎて、ちょっとみっともないくらいだもの」
エリシュカは手元の一通に再び目を通しながら苦笑を浮かべる。
このお悔やみ状の差出人は由緒ある公爵家の令嬢だが、エリシュカとの付き合いは薄い部類で、オフェリアに至っては親交がなかったと記憶している。
この令嬢はエリシュカに対する気遣いに対する言葉もそこそこに、事もあろうに婚約者を亡くしたばかりのアルフレートに秋波を送ってきたのである。
曰く──
『ご令兄様におかれましては唐突にオフェリア様を亡くされて、さぞ気落ちしていることでございましょう。わたくし、あのお方の辛そうなご様子を想像するだけで胸が引き裂かれそうな心地でございます』
この一文だけでも、彼女がアルフレートに対して含むところがあると察せられると言うものだ。しかし、この令嬢の大立ち回りは更に続く。
『もし差し支えなければ、エリシュカ様の服喪期間が明けられました折、これを機にわたくしたちのお付き合いをより一層深めて参りませんか? いずれご令兄様も交え、傷心のお二人をお慰めする機会に恵まれましたならば、幸甚でございます』
オフェリアを悼む気持ちは一切伝わって来ないままに、手紙は公爵家と辺境伯家との関係を強固にすることこそ、国の繁栄に繋がるだろう──という言葉で締めくくられていた。
政治の色合いを混ぜて来る辺りに父親である公爵の介入を匂わせたが、それにしては言葉選びも体裁も何もかもがお粗末だ。恐らく、全ては背伸びをしたい年頃の公爵令嬢による独断なのだろう。
「……すごいわ、女性の嫌なところを煮詰めて作ったような手紙」
エリシュカはやっとの思いで読み終えた不快極まりない手紙を封筒ごとネリーに渡す。ネリーは今にも破り捨てそうな目付きで封筒と便箋を凝視していたが、辛うじて踏みとどまり、既に読み終わった手紙の山に戻した。
「この方のお姉様がたからも同じ様なお悔やみ状を頂いたけれど、彼女たちのほうがまだ良識がおありだったわね」
それでも、無礼な手紙を読み続けたせいだろうか、エリシュカはすぐに次の手紙の解読に手を付けようという気にはなかなかなれなかった。
全ての手紙がこの有様だとは言わないが、この調子が続くのならば気が滅入る。
しかも、今届いている手紙は葬儀より前に投函されたものしかない。つまり、オフェリアの"事実無根の"醜聞がまだ明らかになる前のものである。
あの日、オフェリアの葬儀に参列した者は決して少なくない。口さがない者たちは、醜聞に飢えた社交界に嬉々としてオフェリアの噂を流すだろう。
そして、アルフレートは毒婦に弄ばれた悲劇の美丈夫として祭り上げられるはずだ。
そうなれば、傷心の兄に付け込む書簡が一体どれ程増えるか──エリシュカは悪寒にふるりと肩を震わせた。
「少し休憩を挟まれますか?」
主の疲労を気遣うネリーの言葉に、しかし、エリシュカは首を振った。
「……嫌な気分になる度に休憩を挟んでいたら、手紙を全て読み終わるのに三日は費やしてしまいそうだもの。……読むわ」
エリシュカは苦笑しながら次の手紙を手に取る。差出人の名を確認すると、そこにはバージル・スターンという名が書き記されていた。
バージルはスターン侯爵家の令息である。デビュタントに参加した際、エリシュカの相手を務め、円舞曲を踊ってそれきりの相手である。
エリシュカは特に何の感慨も抱かず、紙切小刀で封を切る。上等な便箋にはバージルの誠実な気質が見て取れる文言が、美しい筆致でつらつらと書き連ねられていた。
『この度は、オフェリア様の突然の昇天の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。エリシュカ様を始め、ご遺族様のご心痛はいかほどのものかお察し申し上げます』
バージルはどうしても都合が付かずオフェリアの葬儀に参列出来なかったと自身の不義理を詫びると、悲嘆の中にあるエリシュカの心身を気遣い、返信などは気にせず身体を労わるようにと促すものであった。
エリシュカは沁みるような優しさにほっと相好を崩したものの、続く言葉にまた表情を曇らせる。
『いずれエリシュカ様の哀しみが薄まりました折、心静かにオフェリア様との思い出を語り合う機会に与れましたら幸甚です』
先の手紙ほど露骨ではないものの、「またか」という思いがした。
バージルとオフェリアの間に交誼などあるはずが無い。こんなものはエリシュカを誘い出すための方便に違いなかった。
だが、何も考えずこの誘いを断れば、社交界で何と噂されるか分かったものではない。
あれこれとエリシュカが悩んでいると、ネリーは、まぁ、と敢えて明るい声を上げた。
「せっかくのご厚意なのですから、お言葉に甘えましょう、お嬢様。先方はお会いになりたいと仰っておられますが、余りお急ぎではないようですし。……半年……いえ、一年程寝かせておきましょう」
貴族として、人として、バージルのお悔やみ状にお礼状を出すのは当然のことだが、直接会う約束については曖昧なまま言及しない──こんなに簡単な誘いのかわし方があることに、エリシュカは漸く気付いた。
「……いいのかしら?」
「殿方をやきもきさせるのも、女性の駆け引きというものじゃございませんか?」
ネリーが茶目っ気たっぷりに片目を閉じるのを見てエリシュカは笑った。
いずれ時が来ればバージルに会いたいと思う日が来るのだろうか。
──カタルジュのために、彼と結婚をするのだろうか。
恐らくそれはアルフレートとオフェリアが育んできたような甘く優しいものではないだろう。そもそも、恋だの愛だのに思い悩む未来が自分に降りかかるなど、エリシュカには想像すらつかなかった。
「……そうね、お言葉に甘えることにするわ。その頃には、色好い返事が書けるようになっていればいいのだけれど……」
エリシュカがバージルの手紙もネリーに渡そうとした時、エリシュカの部屋のドアが控えめにノックされた。
エリシュカが誰何すると、訪問者は意外にもセザールと名乗った。
「セザール? ……いいわ、入って頂戴」
エリシュカの言葉を受けて扉が開き、セザールが姿を現す。セザールは片手に大きな丸い銀盆を持っており、既に見慣れた二色の封筒が何通か、折り重なるように載せられていた。
思わず口元が引き攣ってしまったエリシュカに、セザールは申し訳無さそうに頭を下げた。
「……お忙しいところ、申し訳ございません。先程午後の便の郵便物が届きましたので、僭越ながら持参致しました」
「あ、ありがとう。……全てネリーに渡してもらえる?」
「かしこまりました」
セザールはネリーに全ての手紙を受け渡すと、姿勢を正して頭を垂れる。そのまま速やかに部屋から出ていこうとするセザールを、エリシュカは引き留める。椅子から立ち上がり、その後ろ姿を視界に捉えた。
「少し待って、セザール。聞きたいことがあるの」
セザールは立ち止まり、エリシュカを振り返って柔らかな笑みを浮かべた。
「どうぞ、何なりと」
「……兄様のご様子はいかが? あれから、無茶をされてはいないかしら?」
セザールが微かに眉を動かす。
「その……私……今朝、兄様に出過ぎたことを言ってしまったでしょう? ……怒ってらっしゃらなかった?」
「いいえ、そのようなことは決してございませんでした。寧ろ、エリシュカ様のお優しさに随分と救われたご様子でしたよ」
エリシュカはその言葉を聞いて、口許を綻ばせる。だが、セザールが気難しい表情で自分を見下ろしていることに気付き、落ち着かない気分で服を握り締めた。
「……もしかして、兄様は体調が優れないの?」
「──はい。旦那様は相当ご無理をなさっておいでです。昨夜、寝酒を所望されたため火酒をお持ちしましたが、どうにも御酒が過ぎるご様子で……」
「やっぱり……」
今朝、兄の顔色が悪かったのはエリシュカの気の所為ではなかったのだ。
だが、エリシュカが休んで欲しいと縋った所で、兄は聞き入れてはくれないだろう。何故なら──
「私が……女の身だから……」




